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 口上
元々、この国は大陸や南の島々からやってきた人達がつくったと云われます。
約1万年も続いた縄文時代は、この国ならではの自然の恵み(山海の幸や温暖な気候、そして適度な雨や四季など)がつくりました。やがて紀元前3世紀頃から稲や鉄を用いる革命的な集団(弥生人)が大陸からやってきました。紀元後4〜6世紀には、地方の支配者が立派な古墳を残す程になります。
そして、朝鮮から金メッキされた仏像(6世紀半ば)が送られ、権力争いの結果、天皇自ら仏に帰依する形で決着をみます。また古来からの神様達と仏教が習合するようになります。政治面では、大陸から律令制度を取り入れ、貨幣を鋳造し、国史を編纂することで国の体裁を整えます。しかし、官僚の支えとなる宦官や科挙登用試験は排除しています。経済面でも、民や田畑を国のものとします。
これらの一連のあわただしい変容の裏には、大陸において随や大唐が成立したことへの、機敏な反応があったようです。学者(官僚)や僧侶が官費あるいは私費で遣隋使、遣唐使として派遣され、先進文化、技術を急ぎ学び、この国へと持ち帰り応用する時代の始まりでした。おおまかに、この国の歴史を振り返れば、徳川の鎖国政策期(17世紀前半〜19世紀半ば)を例外として東京オリンピック(1964)頃までは、ごく一部の選ばれた人達が海外へと派遣され、身を粉にして学習し帰国後は、国や所属先にとり便利に使えるものだけを選んで、日本サイズ化、日本ナイズ化して取り込んで生きてきた、海外との付き合いだったように感じます。

勿論、室町期から徳川初期(14世紀半ば〜17世紀初め)にかけての商業利益を重視した、個人あるいは集団での魅力ある海外活動は見逃すことは出来ませんし、貧乏な為に東南アジアへ身を売った九州などの女性達の悲しい話(明治〜昭和初め)も忘れることは出来ません。

高度成長期(1960年代から始まる)になって初めて自分の自由意志で、自由に海外に旅出来るようになりました。文化や技術の向上を目的に行くのではない、自由人として、一個人として旅を楽しめる機会が今やっと訪れました。

夢のようです。気が付けば私も旅行業界に入って30年余りが過ぎ、羽田空港から成田空港から世界の国々へお客様と旅行を重ねてきました。失敗した苦い体験ほど、今は甘く楽しく思い出されます。
旅の魅力は、"百聞は一見"そして、"温故知新"(古きを訪ねて新しきを知る)だと思えるようになりました。
日本とは異なる風土、環境、歴史を歩んだ異国に行き、あまりにも違った対応に戸惑う時には、一歩下がって考えてみます。すると、そんなには違わない、生きていく為の知恵は共通しているのだと思えるようにもなりました。
"故郷は遠きにありて想うもの"という言葉にもあるように、日本の良さを強く感じるのも旅をして知りました。
江戸の文化の特徴は、"遊び"と"教養"にあったそうですが、日本を測量して歩いたり、俳句や狂歌をつくったり、浄瑠璃や謡曲に凝ったり、将棋、相撲、歌舞伎、郭と多岐に亘っていました。
庶民がリラックスした中で生まれた文化こそ、笑いや悲しみ、そして喜びが満ちています。
海外への旅も、初めて庶民が気楽に行けるようになりました。
旅への夢や希望"私の……"、"私のパリの夜明け"が叶えられますよう、旅行が新たな活力になるように、私は、情報を提供し、参加者の皆さんと旅をつくってきました。
私の旅のエッセイは、短く、しかし長い期間に亘り旅した結果、今感じていることを書いてみました。
多くの方の眼に触れる機会があれば幸いです。

裏方として支えてくれている会社の同僚や添乗員の仲間達、そして縁あって旅の中で出会った人達に、留守を守ってくれた家族のみんなに感謝しています。



                             2005年3月吉日

大塚 不二馬