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希望



946  男が避けて通れない兵役


40歳になる前に、正常男性ならば必ず兵役を果たす義務がトルコではあります。

万一そうしていないことが見つかると、刑務所に入れられます。刑を終えて出所すると、強制的に兵役に服さなければなりません。
推察するに、第一次世界大戦でトルコ帝国が崩壊しましたが、新しいトルコ共和国の誕生が世界に認められるまでの数年間は、勝手な言い分を主張する国々の侵略に対してムスタファ・ケマルをリーダーとする義勇軍の獅子奮迅の国土防衛戦争や外交努力がありました。
兵役はこうして始まったのではないかと思います。
周辺を民族も言葉も宗教も文化も違う国々に囲まれ、さらに国内すら様々な異なった文化や風土の上に成立した複合民族国家です。国の体裁をつくりまとめ上げるのは決して容易なことではなかったことでしょう。
トルコ国民の父として今も人気があり、軍人出身の初代共和国大統領(ムスタファ・ケマル・アタチュルク)の模範に希望を託す伝統は続いています。
1998年の国家予算の53%、そして2006年でも34%が軍事費に使われているそうです。
さて、兵役は学歴や職歴により多少考慮されていますが、短くて半年長くて1年半ほどで、有給者もいれば無給者もいます。短いから有給だから良くて楽かと思いきや、そういう人たちほど責任ある一段と厳しい訓練が待っていて、誰でも兵役を無事終えて帰ってくると人格まで変わってしまうほどです。陸海空軍のどれになるかも含め、国が決定していて個人の希望や思惑など介入する余地は全くありません。
訓練センターは出身地から遠く離れた所になるそうで、都会の人は田舎や山岳地帯へ東部の人は西部へといった具合に、トルコの様々な風土や人々に接することで国を知り学ぶ機会になっていて社会教育の場に兵役はなっています。
そういえば、スイスでも国民皆兵であり、軍事訓練はドイツ語圏の人は他のフランス語やイタリア語圏に行ったりすることで、国の一体化を図っているということを聞いています。

訓練中はいじめやいびり、横暴は当たり前で、水やパンを貰うのに1時間も立って待たされたり5分で食事を終えなければならないといった体験をします。東部の山岳での冬の厳寒や中央アナトリアの夏の猛暑を身を持って体験します。不幸にして兵役中に負傷したり死んでも、親や親戚は間違っても国を訴えたり不平を言ったりはしません。

バスの中でトルコ事情の一つとして兵役の話を皆に語っていたガイド氏が、道端でよく見かけるレストランや喫茶店など町でも田舎でも何時も何処でも中高年の男性が必ず寄り集まっているのを目にする現象についても語りました。彼らの話の殆どは30年〜50年前の軍隊兵役時代の思い出話であり、話は誇張され嘘で脚色されたものだそうです。老人は若者に、父親は息子に兵役の怖さ物凄さを大いに吹聴するのが常で、兵役前の若者を恐がらせ、びびらせて楽しんでいるそうです。
ガイド氏には3歳年上の兄がいて、今も兵役に関しては兄がエーゲ海沿いの空軍(一番訓練が楽でカッコいいと考えられている)トレーニング・センターでビーチで寝そべる美人を見ながら過ごしたのに比べ、自分は陸軍(一番訓練がきつく、希望者が少ない)に配置になり東部アナトリアの国境近く冬はしばれる山岳地帯で兵役生活を送ったことへの不公平さに愚痴を大いにこぼしてみせました。

さて、男性老人の多くは昼時だけ家に帰るそうですが、食べ終わると直ぐにいつもの喫茶店(チャイ・ハナ)へとって返し、また長い長い自慢話に興じるそうです。何杯もお替りするトルコ・コーヒーやトルコ・ティーはツケで飲み月に1度まとめて支払うのが普通です。奥さんと電話や会話をしない人も、戦友には毎日でも電話をして長話をするそうです。

俗に言う、'同じ釜の飯(パン?トルコ・パンは美味しいことで有名)を食った兵役仲間'は永遠のお友達といったことのようでした。



947  土から生まれ土に帰る教え


先の尖った茶色の帽子を頭に被り、体は白色の服とスカートで身をまとい、左足を軸にして右足で地を蹴ってくるくる回る踊りを通して神(アラー)と一体になるのを願った教団がメブラーナの始めた神秘の修道僧団です。

帽子の茶色は大地(土やちり)を現し、衣の白色は死を意味しています。
旧約聖書では、人類の父(アダム)はちり(土)からつくられ、そして母(イブ)もアダムの肋骨の一本からつくられました。しかし、神との約束を破った為に死んでいく運命(さだめ)を背負いました。
そして、イスラム教では死者は白い衣で覆い埋葬するそうですが、白い衣にはポケットがなく、生きていたときに貯めた富は神の前では何の役にも立たないという意味が込められていると聞いています。

ユダヤ教の知恵の書であるタルムード聖典の中にも、同様のエピソードがあるそうです。
一匹のキツネが柵で囲われたブドウ園に入ろうとしますが、太っていて入れないので3日間断食して体を細くして、やっと中に入りたらふく美味しいブドウを食べました。
ところが、今度は柵の外へ出ようと戻ろうとしましたが、腹が出っ張っていて通れなくなり、また3日間食を断って体を再び細くして外にでることができました。
思い出してキツネ氏が言うには'結局、腹具合はぶどう園に入った時と出た時は同じだった’と。
人生もそれと同じで、皆裸で生まれ死ぬ時も裸で死んでいく他はない。人は死んで後に、家族と富と善行の三つをこの世に残すが、善行以内はさして意味はないのだそうな。       



948  ホジャ老人と一休少年


トルコでは、今でも13世紀のセイジュク朝時代に中部アナトリア(コンヤ近く)でイマーム(イスラム教学に精通した尊師)として、数々の頓智の利いたユーモアたっぷりなエピソードを残したホジャ(老人と言う意味)老人が人気があり、学校の教科書にも登場するほどです。

大変に立派な帽子(ターバン)を頭に被りロバの背に後ろ向きに乗った人物といえば、誰もが あー ホジャさんだと思います。大人になれば固定観念に何時しか捉われ、ものの見方が狭くなり、心を自由に遊ばせて人を和ませる知恵が消えていくのは古今東西と問わず、共通の現象のようです。そんな中にあって、トルコの一休さん(トルコ人ガイドによるとそうなります)ことホジャ老人は年を経たワニ(老人)ですが、心は若く汲めども尽きることのない知恵の泉が湧いています。

一方、日本の知恵者の一休さんは正真正銘の小坊主で、身も心も少年です。人生経験年数こそ僅かとはいえ、大人を凌ぐ真理を見抜く心眼の持ち主です。一つ二つ一休さんのエピソードを思い出してみましょう。
ある時、寺の住職は用事で出かけなければなりませんでした。小坊主たちを集め、留守中くれぐれも毒の入った土瓶には近づかぬよう釘を刺しました。ところが、小坊主たちは土瓶の中には甘い水あめが入っていて、毎晩住職がこっそり一人でなめているのを知っています。和尚さんが留守の間に一休さんたちは、水あめをなめ尽くしてしまいました。やがて帰ってきた住職は瓶の中が空っぽになっていて、もっと悪いことに寺の宝である水あめを入れていた貴重な置物が壊れてしまったのを知らされました。
一休さん曰く、'和尚さんの大事にしていた置物を誤って壊してしまったので、芯でお詫びしようと思い、瓶の中に入っている毒入りの液をなめたのだけれども、いくらなめても死なず、とうとう瓶の底まで一滴残らずなめてしまいました'と云ったとか。

もう一つの話では、和尚さんの目を盗んで小僧さんたちは美味しい饅頭を食べてしまいますが、犯人はお堂の中に安置してある仏像だったことにしようと一計を案じ、仏像の口の周りに饅頭のアンを塗っておきました。
さて犯人が本当に仏像だったかどうかを確かめることになり、住職が仏像を木魚で叩くと、'くわぁーん'と返事が返ってきました。次に、一休さんは煮立ったお湯を入れた後で、叩きました。すると、'ぐった(食った)ぐった(食った)'と返事がありましたとさ。
一休少年の方が年長の和尚よりは知恵が勝っていたという笑い話でした。

韓国の著名な学者が以前、'縮み志向の日本人'というベストセラーを出しましたが、その本の中で'世界広しといえども日本だけが小さい者が大人を懲らしめる童話を持っていて、伝統的に小さいことを誇りにしてきた文化である'と語っていました。高度成長の知恵はノーマル・サイズのものを小型化しとところにあったとも述べていました。

さて、トルコの一休さんも日本の一休さんもユーモアのセンスが人間関係のキー(鍵)だと教えているように私には思えるのですが、果たして皆さんはどう思われますか?。



949  殺した動物の肉を直ぐには食べないように


ユダヤ教徒には、天使が守るように言った613のいいつけ(律法)があるという。

以前スペインのグラナダに行った時、町の名(グラナダ)とは果物のザクロのことで、ザクロは613の小さな実があり,おそらく元々はユダヤ人が大勢住んでいた町だったのでは?と云われたことがありました。
宣教師を異郷の地へ積極的に送りキリスト教化を試みるキリスト教とは違い、非ユダヤ人を積極的にユダヤ教化しようとしないユダヤ社会では、互いに平和な関係を維持するために非ユダヤ人には7つだけ守ってほしいいいつけを天使は言いました。
1. 生きた動物を殺した時は、直ちに肉を食べないように(血抜きをする大切さを教えているようです)
2. 人を罵らないように
3. 盗みをしないように
4. 法を守るように
5. 人を殺さないように
6. 近親相姦をしないように
7. 不倫な関係を持たないように

モーゼの十戒のいくつかが含まれているようです。
さて日本人は魚を生で食べる民族であり、活きのいい内にさばいて刺身などにしていただくのが一番美味しいと思ってきましたが、ユダヤ教徒とは共存しにくいのでしょうか?
偶々見たテレビでは、千葉県の勝浦漁港の通の(ワンでもなくスリーでもない)人が、カツオの美味しい食べ方は一晩寝かせたのを刺身にするのが良く、獲れたては肉が硬直していて味が悪いと言っていました。そうだとすれば、あとは血抜きをしたかどうかだけとなります。私達日本人は天使のいいつけを守っていたことになるのでしょうか?

果たして、魚が動物とユダヤ教では考えられているかどうか知りませんが…。



950  700円を撮るか1500円を撮るか


タテ3センチ、ヨコ2.5センチのサイズの顔の映った上半身の写真を提出する事情が生じました。

人のよく行き交うショッピグ・センターや駅などには、便利なボックス型の自動式撮影機器が日本でもヨーロッパでもあります。気軽に利用でき、3分もすれば出来上がり料金も700円程度です。以前パリで、そのようにして撮った写真を持って、パスポートを盗まれたお客さんを案内して日本大使館に行き、一時帰国証明書を数時間後に発行してもらったことがあります。
この度は日本でのことです。
これまでも何度か自動撮影ボックスは利用しましたし、写真館でも1〜2度撮ってもらったこともあります。
私の住んでいる町の駅そばの雑居ビルの中に写真館があり、店のご主人の応対がゆったりしていた良い印象が頭の片隅に残っていました。そこで出かけて行きますと、2時間後仕上げと翌日仕上がりの二通りあり、料金は同じで1500円ですと言われます。
お願いすることにして中に上がると、受付横の奥の空間がスタジオとなっていて、早速中央の奥寄りに置かれている椅子に腰掛けました。椅子は撮影機材に対して少し斜めに置かれていて、背筋を真っ直ぐに起こし椅子にもたれないで浅めに腰かけて座り、体と顔を少しカメラの方へ捻るようにアドバイスがありました。ライトが消され、何枚か試し撮りのシャッターが押されましたが、ライトが再び点けられると、目を瞑らないように姿勢や表情に関して再度優しくアドバイスがありました。そして、もう1度暗くして3〜4度カメラのシャッターが押されました。

2時間後に行きますと、未だ出来ていず10分〜15分待つことになりましたが,そのお陰で60歳代の店主と親しく雑談する機会が生まれました。
カメラに対して少し斜めにポーズしたり、背もたれに深く腰かけないで背筋を伸ばして浅く座ることや首や頭、肩のラインに表れる自分の癖に気付いたことなど思いつくままに言ってみました。
この方は写真専門学校で習ったのではなくて、九州から上京して上野の写真館に見習いで奉公して、長年人物像だけを撮ってきたそうです。その間、大いに変化が起こったそうで、今は撮影にフィルムすら使わない時代(デジタル・カメラや携帯電話など)になってしまったことや以前は記念撮影といえば必ず必要とされたプロの写真屋の出番だったのが、段々減ってきている現状を淡々と語られました。
記念用、見合い用といえば、ヨーロッパあたりでは、彫刻や絵画が用いられたのがカメラの出現で需要がどんと減った19世紀の例を引くまでもなく、小西六のさくらフィルムが店じまいしたりカメラ・メーカーもどんどん淘汰されているそうです。
店内には沢山の写真が額に入って飾ってありましたが、そんな中の一枚の写真は薄茶色一色の背景の中に、白いウェディング・ドレスに身を包んだ花嫁が一人横向きに立って何処か遠くを見つめています。希望を抱いてこれから嫁ごうとする女性の美しさが、上手に表現されています。
パリのオルセー美術館でみたマネの笛吹く少年の絵を思い出したと感想を言うと、店主はこの女性の着ているドレスは娘の為に母親が心を込めて作った手作りであり、小太りな花嫁だったと言い、流石にプロの力量が、この女性のポジティティブの面を引き出した自慢の作品だったようです。
奥の壁には男女3人の白人が憩う写真が掛けてあります。他のものと比べて群を抜いて自然な姿勢や笑顔が見るものの目を捉えます。聞くと、この方の師匠(上野の写真館経営者)が撮ったのだそうで、いかにもリラックスしていて3人3様の温かみがにじみ出ていています。日本人が未だ出せないでいる人を緊張させないだけのバランス姿勢を体得した人たちだけが醸し出す円熟のレベルに到達した白人をモデルに得て、師匠の技量とかみ合って相乗効果を生じた作品です。
さらにもう一枚、印象深かったのは、2〜3歳の女の子が赤い暖色系のおべべをを着て両手を横に大きく広げて、顔には満面の笑みをみせて足を広げて立っている写真でした。
私が、この写真が一番いいですね、幼い子の飾らない屈託のないナチュラルな姿は、他のどんなものも圧倒する迫力を感じますと言った所、この一瞬を捉えるために辛抱強く時間をかけて,この子と一緒に過ごし沢山のシャッターを押した末に生まれたのだとの答えでした。

やがて、私の写った小さな顔写真が出来上がり見てみると、斜めに座り背筋を伸ばし手を軽く握って膝の上に置き、椅子の前よりに腰を掛け首や顔を少し傾けたポーズの努力は、全く写真には見て取れません。
しかし、写真には写らない所が支えた結果、僅かな映し出された顔が、私のように年とともに輪郭がぼやけつつある者でも、一応何とか見れるほどに仕上がっていました。

この素晴らしい職人芸の深さ、その年輪の凄さを1500円という安さで売買させる今の社会体制には、明るい未来はないのでは?と頭のどこかで思っていました。






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