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希望

    
1106  ムューズ(厩)の名が多く残る地区



ハイドパーク・ケンシントン庭園の南に広がるロイヤル・ケンシントン、ロイヤル・チェルシー、ナイトブリッジにかけて、貴族たちのロンドンでの住居(アパート)だった所が多く見られ、専用の馬車(今で言う、運転手付き自家用車)に乗り出入りしていたことを覗わせるムューズ(MEWS)という文字が中庭や路地の入り口に残っていて、奥に厩があったことが分ります。

北京の天安門広場やマンハッタン島のセントラルパークの広さと肩を並べるハイドパーク・ケンシントン庭園を使って、世界初の万国博覧会が1851年に半年の間行なわれましたが、その反響は想像を遥かに超えるもので、大成功に終りました。
このイベントに便乗して、公園の周辺は開発が盛んに行なわれ、田舎では広大な農地を持ち、豪邸(マノーハウス)に起居する貴族たちは、博覧会場にほど近く見学に便利であり、かつ将来の発展が見込まれる地区に住むようになりました。
ナイトブリッジに今も建つ、お城のような造りのハロッズ百貨店は、貴族のハロッズ氏が私邸として万博の時に建てたのだそうです。また、童話のピーター・ラビットの話を書いたベアトリックス・ポッター女史(1866年生まれ)も、富豪の娘としてここで生まれていますし、スリラー映画の名監督ヒッチコックもこの地区に住んでいました。

万博の収益金を使って、自然史博物館やビルトリア・アルバート博物館など4つの巨大な公共建造物が建てられ、今もロンドン観光では必見の所となっています。
ビクトリア女王治世下(1837〜1901)の初期に行なわれた博覧会は、原っぱに近かったケンシントンやチェルシー、ナイトブリッジを高級住宅地区へと変容させ、大英帝国の都を一段と輝かしいものにしました。

振り返ってみると日本でも、美智子妃皇后のご成婚(1958)や東京オリンピック(1964)をバネに東京を中心にして高速道路や新幹線の整備が行われ、国全体に明るいムードが生まれ、経済発展に繋がって行ったようです。
同じ島国ですが、日本は英国の百年後を走ってきた印象があります。
      




1107  起源を知る喜び



テームズ川に面して、中世の修道院のような造りの巨大な国会議事堂がありますが、正式名称はウェストミンスター宮殿となります。

11世紀半ば、イギリスを支配したサクソン族のエドワード懺悔王は、ロンドンでの王家専用の修道院教会(ウェストミンスター・アベー)の建設に着手しました。その進行状況が気がかりな王は、建設現場そばに仮住まいを造り住んだそうですが、ウェストミンスター宮殿と呼ばれ、今も国会議事堂(19世紀ビクトリア女王治世時に造られた, 新ゴシック様式の建物)の一部として残っています。
エドワード懺悔王の死によりハロルド王が後を継ぎますが、1066年のヘースチングの戦いに勝利した北フランスのノルマンディ公ウィリアム征服王(バイキングの子孫であり、フランス王の臣下だった)がイギリスの新しい支配者になり、ウェストミンスター教会で王としての即位式を初めて行い、ノルナンディ王朝を興しました。そして、現在のエリザベス2世女王に至るまで歴代の国王は、この教会で正式に王位に就く式典を続けて守っています。

ワーテルロー橋(映画'哀愁'でお馴染みの有名な橋で、第2次世界大戦下、男性が出征していない最中、女性の手でつくったという)に立ちテームズ川の上流の方を見ると、
900年の歴史を持つ国会議事堂やウェストミンスター寺院が見渡せます。一方、下流方向を見ると、ローマ人入植以来2千年の歴史があるシティ・オブ・ロンドンが望めますが、残念なことに1666年にパン屋のかまどの火の不始末から発生したロンドン大火や、第2次世界大戦でのドイツ軍による空襲のため、古い建物は焼け落ちてしまい、むしろ新デザインの目立つ現代建造物が目に飛び込んできて、皮肉なコントラストを見せています。

1400年代後半にイングランドでは、バラ戦争(日本の応仁の乱期に相当する)と呼ばれたヨーク家とランカスター家の貴族間で王位をめぐる闘いがありましたが、時期を同じくして黒死病が流行りました。空気伝染する原因不明の怖い病気であった所から、不用意に口を開けくしゃみなどした人に対して、'God bless You'(神のご加護がありますように)と云って、万一死ぬようなことになっても, 地獄ではなくて天国に導かれるようにと願ったそうです。こういった表現は、イギリス以外のキリスト教圏でも広く使われています。
またアフタヌーン・ティの習慣は、ロンドンの豪邸で生活するベッドフォード公爵夫人が始めたのだそうで、一日2回(朝と夜9時ごろ)食事をしていた19世紀当時、空腹を感じ出す頃、小腹を満たす為に考え出されたそうです。
イギリスでは、法律も成文法ではない慣習法が長く続けられていて、コモンセンスに根ざした考えを重視する国という印象です。
また、体を動かすことで健全な精神と肉体のバランスをとろうと考えた英国で様々なスポーツが生まれました。
サッカー、ラグビー、テニス、ゴルフ、ピンポン、バレーボール、ポロ、クリケットなど数多く生み出したことにも驚きを感じています。
    



1108  ドリーム・サッカーチームの編成が出来るかも?



チベット自治区での人権抑圧、ウィーグル自治区ではイスラム教徒による警察官殺害事件そして外国人記者への取材活動妨害や大気汚染問題などありましたが、国威発揚と国際社会での中国の存在感をアピールした北京オリンピックは無事に成功裡に帰しました。

競技では、水泳のマイケル・フェルプスが8つの金メダルを獲ったり、陸上ではジャマイカのウタイン・ボルト選手が百、二百メートル走で驚異的な世界新記録で勝利するなどの明るい話題がありました。一方、110ハードルの中国の英雄・劉翔選手やマラソンの野口みずきさんのように期待されながら、体調不良で不参加に終った人もいました。

総じて、現代のオリンピックは古代オリンピックに似て勝利者の栄誉が讃えられますが、それ以上に国(古代ギリシャ時代は300近い都市国家があった)の威信を懸けた闘いであり、勝利する為には金も時間も何もかもなりふり構わず投入するスポーツの祭典となっていて、アマチュア精神とか参加することに意義を見出そうとする時代は、遠い彼方に去ってしまいました。
4年後には、ロンドンで近代オリンピックとしては初めてとなる3度目の大会が行なわれますが、ロンドンっ子達は密かに夢のサッカーチーム(イングランド・スコットランド・北アイルランド・ウェールズから構成された)が編成されるかどうかが語られ始めているそうです。ラグビーもそうですが、サッカーも国際試合では何時も四つの連合王国がそれぞれチームをつくり参加してきた経緯があります。

北京オリンピックの閉会式では、イングランド・サッカーのスーパースターであるデビッド・ベッカム選手が、ロンドン名物の二階建てバス・ダブルデッカーの上からボールを蹴っていましたが…。果たして、夢のチームは出来るのでしょうか?
   




1109  ワインは天国に生まれ変わってからたしなむ




子供の頃、エジプトで大人気だったテレビ・シリーズの'おしん'を見たのが、日本に興味を持つようになったきっかけでした。

多くのエジプト人は、今でも'おしん'のような日本人(何事にも耐え抜く強い精神の持主)が大勢いて、エジプト人が憧れる自動車や電化製品、オートバイなどをつくっていて、欧米に引けをとらない気骨ある国になったと考えているそうです。
ギリシャ人のような顔立ちで、白い肌、すらっと背が高く、少し腹の出始めた30代半ばのガイド氏は、エジプトでは未だ日本語を話せる人が少なく仕事が得易いので、金沢大学に留学したこともあり、エジプトに帰ってからも事業家の通訳として日本に10回ほどやって来た経験もあり、ユーモアのセンス抜群で、打てば響く男でした。

トルコのガイドが、今夜はコンヤ(トルコのアナトリアにある古都)に泊ると言って笑わせたエピソードを紹介すると、すかさず明日はアスワン(切りかけのオベリスクやアスワンダム、ナイル川の第一カタラクトのある町)だよ!と言って切り返します。
日本で散髪屋に行った際、5千円、4千円、3千円コースがあったそうで、中間の4千円コースでお願いした所、中年の女性理髪師は山あり谷ありのバラバラの髪型に仕上げてしまったそうです。今は、日本に行く時は必ずバリカンをスーツケースに入れて持っていき、自分で刈るそうです。

昔、古都テーベの学校に通っていった時、同級生にトトメス3世やラムセス2世がいて、後にクレオパトラ7世もクラスに編入してきたと夢物語を語り始めました。
トトメス3世は、おとなしく目立たない生徒だったが、26歳で豹変した男だった。
(エジプトのナポレオンと讃えられた領土を最大に拡大したファラオですが、継母のハトシェプスト女王が生存中は, おとなしく振舞ったことで知られています。ローマ共和制時代、第2回三頭政治で、暗殺されたシーザーの養子であり民衆受けを狙って3人の1人に加えられた、ひ弱に見えた青年オクタビアヌスが,どっこい強かな政治手腕を発揮して帝政ローマの初代アウグストゥス・シーザーになったのに似ています)
ラムセス2世は、ナルシストで我儘で自己顕示欲が強く、独りよがりの性格だった。
(69年というロングランのファラオ在位記録の持ち主ですが、聖書に登場するモーゼと重なる時代に生きた人かも知れません。中東のヒッタイト王国との’カディシュの戦いで有名)
クレオパトラは、隠れてトイレでマリファナを吸っていたのを、先生に見つかりお仕置きを受けた。
(プトレマイオス・ギリシャ王朝の最後の女王で、シーザーの愛人として、後にアントニウスと結婚したりして,エジプトの独立存続を企てた)
私は、いい生徒だった。卒業してガイドになった。今もそう。

'ヨーロッパ人を知りたいなら、ヨーロッパ人の精神が鍛えられた冬に旅行すべし'と語った人が、犬飼道子さんです。'エジプト人を知りたいなら、酷暑の夏に旅行すべし'とばかり特別企画で、9月の初め、しかもラマダン(断食月で、日の出から日の入りまで水も食事もしない)と重なった2008年ですが、出会ったガイド氏でした。
昼を回って2〜3時になると気温も35度以上に上がる中、喉が渇き唇が白く変わっていき、バスではマイクを手にして語り続け、バスを降りても炎天下を歩きながら、また止まって地声で話し続けた頑張りやさんでした。私達は、ミネラルウォーターを絶えず口にしながら、時にはタオルに水を滲みこませて頭や顔を拭き首に巻いたり、そして昼食も夕食も大いに摂っていたのを、笑顔で案内してくれたガイド氏やドライバー氏を通して、真に強いエジプト男性を感じました。

金沢大学に通っていた時も、イスラムの禁酒の教えを守り、美味しいと聞く日本酒は口にしたことがなく、ワインは天国に生まれ変わってから嗜むそうです。
ラマダンの効用を彼に尋ねると、足下に
一に、恵まれない人の痛みを感じる
二に、食物、飲物の大切さが分る
三に、暴飲暴食をたしなめる機会となり、健康の大切さが分る
四に、神(アラー)を身近に感じる
五に、忍耐力を養える
と語り、皆毎夜のラマダン明けを楽しみにしていて、レストランでは様々な飾りをして客を待っていたり、家族と一緒に夕食を摂ろうと家路を急ぐ人たちも大勢いて、普段よりは交通渋滞が町では起きるそうです。お金持ちの人や理由があって断食できない人は、自宅の庭や家を開放して、恵まれない人を招待して食事を振舞うなどして、モスリム(イスラム教を奉じる人)としての一体感や連帯感が強まる効果をラマダンはつくっているようです。
     




1110  車線は何のため?



エジプト人の4人に1人は、首都カイロと隣接するギザの町に住んでいるという。

喧騒の巷という言葉がぴったり当てはまる所となっていて、道にはバス、マイクロバス、自家用車、商用車、タクシー、単車やスクーターに加え、馬やロバに引かれた荷車まで走り、車間距離の狭まった中を軽業師の如く市民は横切っていきます。
町に静けさが戻るのは、僅かに深夜から早朝にかけてだけですが、1回目の日の出前のお祈りを呼びかけるアザーンの声がモスクから流れると、少しずつ人や車が通りに出てきます。
現在は、地下鉄が大通りの下に2本走っていて交通渋滞の緩和に貢献していますが、最初の地下鉄がフランスの技術協力でつくられて以来、フランスの呼び名に習ってメトロポリタンと呼び、入り口には大きなMのマークが付いています。2本目の地下鉄は、大好きな国・日本の協力でつくり、もうじき3本目のラインも日本とのコラボレーションでつくる予定になっています。

市民の交通の足としては公営の大型バスが安く、後部の乗り降り用の出入り口には扉がなく、走行中でも飛び乗り飛び降り自由となっています。
マイクロバスは乗り合いとなっていて、行き先が運転席の前にアラビア語で表示してあり、料金は運転手に支払います。
タクシーは個人営業が主で、メーターに関係なく乗車する際に値段を交渉することになっていて、男性客は運転手の横の助手席に座り、女性は後部座席に座ります。タクシーの運転手曰く、車線の上を跨って走ると運転し易いそうで、そんなわけもあってか車線の中を走っている車はあまりなく、大通りでは3車線の所を5台の車が横並びで走るのが、日常茶万事の風景となっています。
路地では、前方や横から絶えず車が突っ込んできて、アラブ流の手振り、身振り言葉振りを使い運転手同志の交渉が行なわれますが、道行く歩行者や傍観者も加わって大いに盛り上がり、時間をかけて解決の糸を探っていくことになります。

一見不合理に見えますが、私たちにとっては中々味わいのある異文化体験の場となります。







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