×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



希望



926  身に覚えのない悪評と好評


第一次世界大戦(1914〜1918)は誰もが期待した早期終結にはならず長期戦になり、互いに塹壕の中で身動きできないにらみ合いを続けるほどでした。

そんな中、有名なスペイン風邪(インフルエンザ)が流行り大勢の兵隊や市民が死んでいきました。戦争に参加していた国々では厳しい情報統制が行われていたので、一切風邪の脅威や状況を公表しませんでした。ヨーロッパ中を巻き込んだ戦争でしたが、ピレネー山脈を西に越えたスペインは参戦していませんでした。そして、そのスペインでも風邪が流行り多くの犠牲者が出たので、用心するようにと風邪の情報を公表して注意を喚起しました。
疲労や栄養失調、不衛生が重なる中で参戦していた兵士が一番の風邪の被害者でしたが、戦争が終わってからも長い間、風邪の原因は分らず世に言うスペイン風邪(スパニッシュ・フリュー)と呼ばれてきました。
ところが現在では調査の結果、戦争に途中から参戦したアメリカ兵(カンサス州)の中に保菌者がいたようで、遠くアメリカからやってきたインフルエンザだったことが分かりましたが、アメリカ風邪(カンサス風邪?)とは改名されないまま今に至るまでスペイン風邪だったと云われています。

ローマにあるスペイン階段の名は人々に愛され、傍にあるスペイン広場と共に今もそう呼ばれて観光の名所ですが、つくったのはスペイン人にあらずしてフランス政府であり、フランスから巡礼してくる人たちが丘の上にあるフランス巡礼教会に参拝する為に、近道できるようにとの配慮で階段を教会の下につくりました。新たに出来た階段の近くには、有名なスペイン大使館がありましたし、今もあります。人々はこの階段を何時しかスペイン階段と呼ぶようになりなりました。スペインにとっては棚からぼた餅が落ちてきたような命名だったかも知れません。

世には自分と関係ない所で起きる事件が、いつの間にか回りまわって社会に大きな影響を与え、何故か自分が渦中の人となることもありうる好例のようです。



927  アンアンアンとっても大好きドラえもん


人から貰った文明堂(カステラ1番電話は2番3時のおやつは文明堂のコマーシャルでお馴染み)のカステラではない、中にアンの入った両側を厚い皮(カステラと同じ材料?)で包んだ御菓子を家族でおやつに食べていました。

この御菓子の名前は?と娘に聞かれ、答えに窮した私でした。ドラ焼きといいドラえもんが大好きな食べ物だそうです。そして、更にすかさずドラえもんはドラ焼きのアンと皮のどちらが好きでしょうか?とにやりと笑いながら訊ねました。さあ?多分アンじゃないの…と言うと、残念!皮です。と言います。心はドラえもんの歌に込められているそうで、'とっても大好き'の'とっても'を'取っても'(無くても)と意訳すると、残るのは皮(カステラ?)となるのだそうです。みんなで大笑いしましたが、アニメのドラえもんについて全く知らない私は、常識知らずとの烙印を押されてしまいました。

タイの国でもドラえもんのアニメはテレビで流れていて、子供たちに人気抜群なんだそうです。娘が町を歩いていたら、のび太君のママに似ているとタイの子供に言われたそうです。本人はあまり嬉しくない人に間違えられたと思ったそうです。
22世紀の世界に住んでいるのび太君の孫が、20世紀の世界に住むのび太君(祖父)を助ける為に送った22世紀のロボットがドラえもんで、彼の四次元ポケットの中から何でも取り出せて、竹コプターを頭につければ何処へでも飛んでいけます。耳は鼠にかじられてしまったというユニークなキャラクターだそうです。
空想未来アニメであり1970年代に生まれ、日本のみならず広く外国でも人気を博している長寿アニメです。ダメ人間(?)のび太君を助けてロボット君が大活躍をします。
1960年代が同じアニメでも鉄腕アトムや鉄人28号といったハードでクールな面を強調したロボットだったのに替わり、70年代(日本が豊かになってゆとりがでて、ドジな失敗も笑って済ませる環境が育ってきた頃?)に登場するのび太を中心にした人間社会の有様やドラえもん自身もオタオタしていてユーモアいっぱいの設定になっています。

おそらく今のタイには、失敗も笑って見過ごすだけのゆとりがあるのでしょう。
水に関するジョークを一言。
オーストラリアのダーウィンでは、雨が降ると家の庭のプールの中に川から這い出してやってきたワニが泳いでいることがあるとか?
同じオーストラリアでも内陸の乾燥して雨の殆ど降らないブロークン・ヒルでは、雨でも降ろうものなら排水溝のない道路に水が溢れて、道路で泳ぐ人がいるそうな!
タイで雨が降り続くと、雨水なので魚はいないと言って聞かせても、道路で釣りをする人がいるそうです。



928  ポーティアの心を射止めたのは?


とびきりの美人で大金持ち、それに優しくて賢いと評判のポーティアの亭主に納まろうと、世界の津々浦々(モロッコの王子、アラゴンの王子など)から候補者がやってきました。

宝くじに似た方法で見事引き当てた人が三国一の花婿になれるという、シェークスピア作'ベニスの商人'での話です。一等賞の彼女のラブレターの入っているのは、金の箱銀の箱鉛の箱のどれに入っているのでしょう?
男(パリス)が金か権力か美人の中から選んだのは、美人(ヘレン、人妻だった)だったのがギリシャ神話のイリアドの話でした。
そして、映画'インディ・ジョーンズ'の3作目で、イエス・キリストは最後の晩餐でワイン(犠牲の血)を飲んだ聖杯は果たして金や銀、宝石を散りばめた杯だったのかと思いきや、最もみすぼらしい木の杯だったという設定になっていました。洞窟で暮らし、ひとり聖杯を守っていた十字軍の末裔の老人は、正しい選択をしたジョーンズ博士にワイズ・チョイス(賢明な選択)と言いました。
聖書の中の箴言には、適切な時に話される言葉は銀の彫り物の中の金のりんごのようだと書いてあるそうです。

互いに心を惹かれあうポーティアと青年バッサーニオでしたが、バッサーニオが鉛の箱を選んだ結果、めでたしめでたしとなりました。



929  注射器の使用は空気を追い出してから


以前、病院では患者の治療にくり返し使う小さなガラスや金属製の器具(注射針や注射器など)は、熱湯で煮沸して消毒して使っていました。

今は注射針も注射器も一回ごとに使い捨てる時代になりました。でも、以前と変わらず今も行われている動作があります。それは、注射器の中から空気を注射針の先まで残らず追い出す念入りな動作を、患者に注射する前にします。
 
どんな状況や場所でも生きていけるのが細菌だそうですが、菌の嫌う環境はあるそうで、嫌がる状況をつくることで菌の活動を弱めることが可能になります。
空気を断ち、温度を変化させ(冷蔵庫に入れたり煮沸する)栄養を与えないのが一般には効果があるそうです。
しかし、菌にもいろいろあり、わざわざ空気がない方が元気になるという破傷風菌(嫌気性菌)のようなものもあり、ヨーグルト菌も同様で空気を嫌い子牛の胃袋の中で育っているそうで、最初のヨーグルト菌を手に入れるには子牛にお願いして頂く以外にありません。
あるいは栄養価が殆どなく、しかも毒素のあるユーカリの葉を食すコアラなどは、他の生きものが嫌うものをわざわざ摂り、内臓で殺菌して生き延びる知恵を身につけています。

この地球界では絶対善、絶対悪とレッテルの貼れるないようです。
また、人間の体内に生息する諸々の細菌のお陰で異物の侵入にも対応でき、人と細菌の共栄共存が行われています。
一般には健康でいるには、菌に負けない抵抗力をつけて、よく寝てよく食べ、よく笑いよく働き、よく清潔に身を保つように気をつけることが大切のようです。



930  バンコックでの1日の買い物が虚しく思えた


カンボジアへ1週間行ってきた娘の話です。

バンコックから乗りあい長距離バスを利用しての旅でした。舗装道路を4時間あまり走ると、国境の町アランヤ・プラテートに到着します。カンボジアに入るにはビザが必要ですが、運転手と助手のアルバイトなのでしょうか?彼らが観光案内書に載っている値段よりはかなり高いようですが、記入用紙を配り記入させパスポートを集めて、皆が店で休憩している間に国境検問所にバスを走らせて貰ってきてくれたそうです。
パスポートは旅行者にとっては命に匹敵するほど大切なものですが、無造作にポンと前列に座っている乗客に渡し、自分のを取ったら後ろの方に回すように言いました。
風景はカンボジアに入った途端に変わりました。バスに近寄ってくる物貰いの姿をポイペト(カンボジアの国境の町)では多く目にしました。小さな子供たちも混じっていました。
パンをあげようとすると、奪い合いになりかねません。後で聞いたところによると、乞食の方が警察官よりも良い収入になると言われました。
道は未舗装のガタガタとなり、バスの床に空いた小さな穴から砂煙りが上がってくるので、足で穴を塞いでいたそうです。国境近辺だからわざと雑な道路になっているのかも知れず、事実しばらく走ると舗装された立派な広いものに変わりました。
アンコール・ワットで有名なシェムレアップの町、首都プノンペン、バッターバンの町に住む友人たちを訪ねて回った冒険の旅でしたが、お腹にずっしりと見たもの、感じたもの、そして食べたものが未消化のままで残ったそうです。
概して、カンボジアの人は背が小さくて痩せていました。向上心はあまりないようで,のんびりしているように見えました。アメリカ・ドルがそのまま流通していて、5ドルも出せばご馳走が食べられます。粗末な家が大半でしたが、そんな家にも携帯電話やテレビがあったりとちぐはぐな感じでした。
長い間の内戦(ポルポト派の理不尽な虐殺行為など)それに隣国ベトナムやタイとの歴史を通しての紛争が続いた背景もあるのか、また国際機関の救済援助がカンボジア国民の自立自助の気を育てず、ものを貰うことに慣れてしまった一面もあるように感じたそうです。
日本のテレビなどで報道している地雷などが未だ埋まっている北の地域へと行きませんでしたが、南の暖かい所に住む人たちの特長である、楽天的な性格が救いになっているのかも知れません。
バスには、ポーランドからの若者やアメリカの老夫婦、ニュージーランド人や韓国人、タイのビジネスマンなど乗っていて、時間が経つにつれてワイワイガヤガヤと会話も盛んになりました。から揚げにした毒グモやイナゴ(バッタ?)の佃煮を誰かが買ってくると、毛嫌いして背を向ける人もあればアメリカの老夫婦などは目が輝いてきてがぶりとクモの頭からかじったり、日本娘はクモの足の先をちょっとだけ口に入れてみるといった具合で、笑いがバスの中いっぱいに広がったそうです。

思い起こせば僅か15年そこら前のことです。自由主義化されたばかりのポーランド人は一段と見劣りするバスに乗り、はちきれんばかりに詰め込んだ状態で憧れのパリやウィーン、ベルリンの町へと観光にやってきていました。ホテルに泊ったりレストランで食事をするほどの余裕はないので、バスに泊り安いバナナやパンを買って食べていた姿を覚えています。そのポーランドからの若者たちが今こうして寒い冬のポーランドを後にしてバック・パッカーズとなって、カンボジア人の屈託のない笑顔や豊かな自然を満喫しています。
ニュージーランドでは、毛を刈られるのが嫌で何年も逃げ隠れしていた羊が見つかったのをテレビのニュースが言っていたと、ニュージーランド人は皆に話してくれたそうです。

ここ2年ぐらい前から道路の整備が急ピッチで進んでいて、ガンボジアでは変化が起きているそうですが、牛車やトラクターに人がいっぱい乗り、自転車や3輪の足漕ぎタクシー、入りきれないほど詰め込んだ本物のエンジン付きタクシーなどが往来でのバイプレイヤー
(脇役)を演じていたそうです。行く先々で見たパン屋の看板も印象に強く残りました。
スーパーマンのようなプロレスラーのようにも見える2米を超えるマッチョマンが、両手にパンを抱きかかえ笑っている巨大な宣伝人形で、歩道に置かれていたそうです。
フランス植民地時代も百年近くありましたし、パンを食べればこんなに大きく成長するよ!ということでしょうか?

偉大なクメール文明、クメール文字をつくりだした人たちです。
ゆっくりと時間をかけて自分に合った国づくりをされることを願っています。
物が溢れ、活気があるかに見えるバンコックでの帰国前日の1日の買い物が空しく思えたそうで、物のない静かな環境の中に生きているカンボジアの人たちが、懐かしく思い出され是非またゆっくり訪れてみたいと思った旅でした。





トップへ
トップへ
戻る
戻る