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希望




991  3本の波のマークこそロイヤル・コペンハーゲン


キューペンハウン(商業と港)と呼ばれた町がコペンハーゲンだそうです。

キューペンはギリシャ神話に登場するマーキュリーのことで、商売を誇りにする人たちの守り神でした。町の起りはアブサロン(1128〜1201)という神父の活躍に寄っているそうで、国会議事堂がよく見える運河沿いに彼の石像がありました。また、この河岸では魚市場が過ってあったそうで、その名残を留める重さ1トンもある当時の魚売りの女性の石像が立っていたり、今も一軒だけ魚屋が商売をしていて、昔風の服装で一人大柄な女性が働いていました。
町の中心通りは、直ぐ近くにあるストロイエです。
そこには、銀製品のデザインで有名なジョージ・ジャンセンの店や陶器磁器のロイヤル・コペンハーゲンの本店、家具インテリア服飾台所用品などの、気の利いたシンプルで機能性に優れた北欧独特のデザインの品々を扱う店が軒を並べていますし、広場では大道芸人や若者が路上を舞台にして大勢の通行人の目を引きつけていました。

ロイヤル・コペンハーゲンの本店の最上階が小さな博物館となっていると聞いたので行って見ました。奥のほうで2人の中年の女性が皿に絵付けをしていて、暇なのか暫らく私の話し相手になってくれました。
一人の女性は出身はノルウェーだそうですが、デンマークに住んで40年になるそうで、明るくて話し好きな性格の人でした。気候のせいも多分にあるのかも知れないが、口数も少なく沈みがちな人たちが多いのがデンマーク人だと言い、私の愚問に笑顔で答えてくれました。
今は世界的に有名なロイヤル・コペンハーゲンの陶磁器ですが、元々は18世紀の末、薬剤師だった創業者の研究に当時の国王がパトロンとして後方支援をしたのがきっかけで生まれたそうです。ロイヤル・コペンハーゲンの名の由来はそこにあり、また三本の水色の波型マークは3つの海に囲まれた町コペンハーゲンを表しているのだそうです。
器械でつくったか手作りかの見分け方は、三本のブルーの波の横に職人のサインが入っているかどうかだと説明してくれました。
彼女は名前をHerdisといい、縮めてhdxと署名しているそうで、サインがあるだけで小皿が2万円に化けると言って笑わせてくれました。
別れ際には、皿に絵付けをしながら暇を見つけて筆を走らせた名刺大の折りたたみになった紙の表紙に描いた絵(棚に載った白い小さな3つの鉢に水色の花柄の模様が描かれ、それぞれの鉢にはピンクのバラ、赤いチューリップ、白いマーガレットの花が植えられている)をプレゼントしてくれ、折りたたんだ内側の無地にHello from Herdis  と青のボールペンで書き込み、その下に横線を引き更に3本の波型マークとhdxを加え、20−06−07と日付けを書き足してくれました。



992  氷が詰まったり、ぶつかったりすると


1836年に滝の流れが30時間止まったという。

膨大な水量を誇るナイアガラの滝のことです。
勇気ある人は、乾いた滝の下を歩いたそうです。原因は、上方のエリー湖の氷がナイアガラ川へと流れ出す出口をふさいだ為だったそうです。
また、1938年には、カナダとアメリカを繋ぐハネムーン橋に氷がぶつかり、1912年に大西洋処女航海で氷山に当って沈没したタイタニック号のように橋が壊れてしまいました。現在架かっているレインボー・ブリッジは、ハネムーン橋があった近くに1941年に造られたそうです。
また有名な霧の乙女号の運行は1846年以来続けられていて、私の知る30年前の黄色の重たい雨合羽は、今は軽くて薄くてリサイクルできる明るい水色の雨合羽に替わり、記念に持ち帰りもできます。
先住民の言葉でナイアガラとは雷のように鳴り轟くという意味だそうですが、夜中中、滝へと流れ落ちる水音がホテルの寝室まで聞こえていました。

夜半は、滝に落す水量を半分に減らし、残りの半分は発電に回していると聞いているのですが…。



993  公園に住まいしているようなナイアガラ・オン・ザ・レイクの町


太平洋から東に向かって五大湖のスペリオル湖に達するまでは、ほぼ北緯50度線を境にしてアメリカとカナダは別れています。
そして、五大湖に入るとミシガン湖(全部がアメリカ)を除く他の四つの湖(西からスペリオル、ヒューロン、エリー、オンタリオ)は湖上に国境が引かれていて、急に国境線は複雑に乱れてきます。エリー湖が一番南にありますが北緯42度あたりになっていて、湖の北側がカナダでオンタリオ半島が突き出していて、南側には工業の盛んなクリーブランドやニューヨーク州のバッファローの町のあるアメリカとなっています。背景には、英国とアメリカとの間で18世紀後半から19世紀初めにかけて戦われた熾烈な縄張り争いの跡が感じられます。

五大湖の水は、遠くロッキー山脈から流れ出て東へと旅をして、五大湖のスペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオを流れ、やがてセント・ローレンス川を下って大西洋へと注いでいます。従い、地形も緩やかに西から東にかけて下っていて、有名なナイアガラの滝のあるエリー湖とオンタリオ湖を繋ぐ50キロ弱の長さのナイアガラ川は高低差が百米近くあり川が国境であり、ナイアガラ川がオンタリオ湖へ合流する地点の町がナイアガラ・オン・ザ・レイクです。
町の外れには英国軍の砦跡があり、川の反対側にはアメリカ軍の要塞跡が残っていて、アメリカ独立宣言(1776)以降40年近く宗主国英国と戦争をした爪あとです。
ほぼ2百年前の姿を留めるオンタリオ湖そば(オン・ザ・レイク)のナイアガラの町は、英国人が理想とする気候に恵まれた土地で、田園あるいは公園のような所に住まいしたい願いが込められているように感じます。
町の名前からして英国人の好むつけ方(なになに川、あるいは湖のそばにある何とかの町)ですし、庭いじりをこよなく愛する英国の伝統は町の美しさに充分生かされているのが見てとれます。
まずは、緑地が多く公園や通りに木々が大きく育っています。大通りには花が植えられていて、昔風の街灯柱の中ほどから鉢植えの花がぶら下がっていて通りに彩を添えていますし、木やレンガづくりの一戸立ちの昔ながらの商店やホテルなどの伝統の建物が通りに沿って立っています。また、大型観光バスの町への乗り入れを禁止していて、駐車場で降りて歩いて10分弱で町に行けるようにしてあります。
劇場では、バーナード・ショーを始めとする伝統の英国劇が演じられていて、英国の文化の香りを嗅ぐことも出来ますし、プリンセス・ダイアナが訪れた御伽の国の小さな町として、観光客の人気が高まっています。

町の中心の一角を占める囲いのない公園では、ピクニックを楽しんでいる人もいれば、浅い水遊び場では子供たちがはしゃぎまわっていました。
公園の入り口には、花壇のそばにカナダ国旗の看板が立ち、その中に'CANADA DAY 1 JULY 1867'と書かれていました。国旗は、左右の両端が赤く塗られ真ん中が白くなっていて、赤は太平洋と大西洋を表し中央の白はカナダの大地を意味していて、大地の中に一枚の紅葉したカエデの葉が描かれています。楓の木からメイプルシロップが採れることは有名ですが、カナダでもこのオンタリオ州や隣のケベック州あたりに多く育つ木だそうで、国家成立の背景にこの辺りが特に貢献大であったことを覗わせています。
トロントの町に10年余り住むガイドの日本女性の話によると、楓の葉の国旗が使われだしたのは1960年代になってからだそうで、恐らく独立百年(1967)を機に、それ以前のユニオン・ジャック(英国の国旗)が組み込まれた国旗をやめたのでは?とのことでした。

また、丁度その頃小学生だったカナダ人男性の記憶では、どうしてカナダの国旗は日本やフランスの国旗と比べて描くのが難しいのだろうと思ったそうです。



994  雄猫はライオンのオスに似ている?


アフリカのサバンナで獲物を獲るのは雌ライオンたちの仕事で、苦労の末に射止めた獲物(食料)を真っ先に口にするのは、たてがみ豊かな主人である雄ライオンだと聞いています。

我が家のオス猫(カリちゃん)も実は狩りをせず、腹が空けば台所にきてキャッツ・フードを貰うだけの怠惰な生活をしています。名前の由来は、子猫時代はカリカリに痩せていたことに寄ります。
天井では、毎夜ネズミの運動会が繰り広げられています。
最も毎夜8時過ぎから夜明けまでは、カリは家を留守にしていて、近所のオス猫達との縄張り争いに参加している様子で、2歳ちょっとの若猫にすぎないカリには荷が重過ぎるようで、頭や首の周りに傷を負って帰還することも頻りです。
他の家のオス猫もネズミを捕らないのか?と家の者に聞いてみると、獲ってくるのもいるそうで、獲らない原因は栄養たっぷりなキャッツフードにあるようです。
飼い主の食べ残した魚やご飯にも全く関心を示さなくなったカリ君は、甘やかされ躾をされなかった所為で、贅肉がたっぷりつき、まるでジャンクフード付けになった肥満体の人間に似ているではありませんか。

猫可愛がりはダメ!という教訓がありますし、歌を忘れたカナリヤ(ネズミを捕るのを忘れた猫)は後ろの山に捨てましょか…の童謡もありますぞ!
東京の街中でもネズミが異常発生しているニュースが流れていましたし、田舎の我が家の天井でも夜毎運動会が盛んです。



995  三代目の氷上車に乗って



手の中に仕舞いこんだ赤いハンカチが消え、次に口から少しずつ消えたハンカチを指で取り出す手品をしてみせ、皆を笑わせてくれたのが氷上車の運転手ロンでした。

モレーン(氷河が削っていった後に、小石や砂利の積もったもの)から氷河へと32%の傾斜を下る際には、シートベルトをするように注意を私たちに促しましたが座席にはそれがなく、初心者マークのシールを見せ、自分も恐いから目をつぶるしハンドルも手から」離すと言っておどけてくれました。
カナダ・ロッキーのアサバスカ氷河で活躍している氷上車は世界に22台しかなく、内1台が南極で使用されているという正真正銘のメイド・イン・カナダであり、安全確保の秘密はアクセルを踏むとエンジンブレーキがかかる仕掛けになっています。
また、幅が1メートルあり高さも1.5メートルもある巨大なタイヤが前輪に2つ、後輪に4つ取り付けられていて、1個が50万円するそうです。氷上車1台の値段は6千万円もするそうで、もうじき1億円の新車もお目見えするそうです。

氷上車の乗り込み口近くには、10人乗りの車体が黄色に塗られたカブト虫型の初代目の氷上車と、2代目として使われた普通の大型バスの車体に下の部分がゴムタイヤではなくて、鉄製のぐるぐる回る大きなコンベアーになっていて、丁度戦車やムカデの足を思わせるような氷上車が置いてありました。2代目さんは、揺れが激しく窓は堅く締まっていた所から、別名シェイク アンド ベイク(揺すって焼く)と呼ばれました。

名古屋市がすっぽり入ってしまうという325平方キロの広大なコロンビア大氷原から流れ出す6つの氷河の1つアサバスカ(先住民の言葉で、葦の生える所という意味)氷河の上に氷上車は入っていきました。氷上の駐車場に到着すると、折りたたみ式になった階段が乗車口の下から氷上へ降ろされましたが、氷上車観光を運行する会社から氷上には個人の責任において降りてくださいという、冷たい一言がありました。
外気温は3度ですが、氷上を流れる風の所為で体感温度はズーと寒く感じました。
また,氷の厚みは3百メートルもありエッフェル塔がすっぽり埋まってしまうそうです。
氷上は平らではなく波打っていて、氷の色も場所により違っていますが、これこそ氷河が生きて動いている証だそうです。

氷河期に生まれなくて良かったですね!





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