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希望

     
1161  エスキモーの風体で、ラクダに乗ってサハラ沙漠へ



電話は壊れていて、果たしてモーニング・コールはくるのかと不安に思いつつ床に就いた、サハラ沙漠の入り口にあたるオアシス町エルフードのホテルでした。

すると、翌朝の5時前後には各部屋のドアを軽く叩いて廻る、モーニングコールを告げる男性の声で起こされ、昨夜は空は曇っていたが、今朝は如何にと思い多少の期待と緊張を持って2階の回廊に出てみると、木々の葉は濡れていて中庭のプールには雨が強く打ちつけていました。
防寒着に身を纏い、折りたたみの傘を手に持ちロビーに行きモロッコ人ガイド氏に尋ねると、ここから1時間四輪駆動のランドローバーで道なき道を行った先にあるメルズーガ大砂丘では、得てして天候が違うので、インシャラー 大丈夫と言います。

真っ暗な中を、ダッカ・ラリー宜しく思い思いのコースを選択して、車のヘッドランプの発する2条の光の線が幾つも錯綜しながら、ラクダステーション目指して走って行きました。メルズーガに着いても雨は引き続き降っていて、まずは建物の中に導かれ様子を見守ることになりました。屋根は葦と丸太棒を使い、壁は素塗りの土壁で、床にはカーペットが敷かれた趣のある(殺風景な?)部屋空間が二つあり、さらに奥には台所、入り口近くに男女兼用のトイレがあり、廊下に上質のトイレット・ロール紙が山と積まれていますし、床や下壁は模様入りのタイルが張られていて、床には数多くのロウソクが灯っていました。

別の日本人グループは'ラクダは雨に弱い'との判断からか?歩いて見晴らしの利く砂丘の頂上を目指して、何時しか雨の中を出発していきました。
さて どうする?!一同集まって相談しますと、多くの人は'夢だったラクダに乗って、サハラ沙漠を闊歩したい'という主旨貫徹の心意気にブレはありません。
表に出ると、10メートル離れた所に沙漠の海の舟である臆病で従順な性質のラクダ達が、お腹を濡れた砂につけて座って待っていました。
小雨の降りしきる中、風も結構吹いていましたが、帽子や頭巾、ショールやスカーフなどで頭部を覆いエスキモー姿に変身した彼や彼女達はひらりとラクダの背に跨り(?)、階上の人となり悠然と進み始めました。
私はというと恥ずかしいことに、折角日本から持ってきた毛糸で編んだ百円ショップで買った耳まで隠れる帽子をホテルに忘れてしまい、また強風の為、折りたたみ傘も役に立たず、惨憺たる体でラクダの側を歩いて往復する羽目になりました。
皺の少ない私の脳ミソが冷凍付けになるのでは?と少し心配になるほど、寒い沙漠の体験となりました。

沙漠にも雨が降る貴重な体験は、以外にも好評だったようで、ラクダの御者(馬喰ならぬラクダ郎?)が雨に濡れた砂を何センチか掘って、乾いてサラサラした細かい砂をプレゼントしてくれたとか、朝日はありませんでしたが無限に続く砂丘をバックにラクダと伴にカメラに納まったり、帰りにベルベル人のテントの中で、暖かいミントティを頂いて人心地ついたことなど様々な付録(おまけ)がありました。

塞翁が馬 いや塞翁がラクダでした。
    




1162  数と色と模様は縁起から



1は、全てのものを創造した唯一絶対神であるアッラーを表していて、
3は、ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の3つの一神教を意味しています。
 モスクの屋根の頂上から、更に天に向かって一定の間隔で3つの丸い球がデザインされた一本の尖塔が伸びていま すが、それは3つの一神教を兄弟宗教だと認める印だそうです。
5は、イスラム教徒が大切にしている5行(信仰告白、1日5回のお祈り、断食、聖地巡礼喜捨)を心に留めおく働きが あり、モロッコの国旗には赤地に5つの鋭角のある金色の星が一つ描かれたいます。
7は、神が創造の業に携われた7日を意味していて、天国は7つの世界から成っていることを表します。

フェズの王宮の正面には、金色に輝く7つの大小のブロンズ製(銅と錫の合金)の扉がありますが、即位して漸く7年目にフェズの王宮に入れた先ハッサン2世国王の思いを込めてつくりました。この扉のデザインにも、他の至る所で目にするデザインにも花が満開に開いた、即ち太陽の光が遍く照らしている意匠の幾何学文様が使われていました。

置き去られた時への誘いには、最適と思われる世界一複雑な迷路からなるフェズのメディナの入り口門(ブージェルード門)の外側の壁は、フェズの旧市街(千年以上の歴史のあるフェズ・ル・バリ)を象徴するブルーで、内側の壁はパラダイスの色グリーンを使ったタイルで模様が描かれていました。
ミントティをご馳走になった旧市街の家は、外から見ると狭い道に沿って建つ他の家々となんら変わりはありませんでしたが、中は自然採光を中庭(パティオ)で受けるつくりになっていて、3百年の歴史がありました。居間の壁には、老夫婦が結婚式を挙げた当時の初々しい二人の写真が掛っていました。ご主人が美味しいミントティのつくり方をデモンストレーションする間も、また出来上がったティを給仕して後、太鼓を叩いて明るい雰囲気づくりをしてくれた時も、奥様はデーンとソファーに腰を下ろして何もせず悠々と寛いでおられました。
イスラムの男性は、外同様に家の中でも笑顔を絶やさず,かいがいしく動きまわっていることが分りました…?
     




1163  カブト虫車と高級スポーツ車ポルシェはどこか似ている




甲羅を背中に被り、よたよた歩く不恰好なカブト虫は、空を飛ぶこともできます。

世界中で長い間、モデルチェンジすることなく愛され続けた名車フォルクスワーゲン(かぶと虫に似ているのでビートルの愛称で呼ばれた)は、ボヘミア地方(現在のチェコの国)の小さな村で生まれたフェルディナンド・ポルシェがつくりました。
4〜5人乗りで、燃費がよく。持続して高速道路が走れ、修理費が安く、エンジンは空冷式というヒットラー総統下のドイツ政府の依頼に応えて、国民の為の大衆車フォルクスワーゲンは北ドイツのハノーバー市近くの原野に巨費を投じて、生産工場の町フォルクスブルグを現出させて国策で始まったそうです。

そして、ポルシェ氏のいつの日か贅沢なスポーツ車をデザインしてみたいという積年の夢は、戦後になり息子たち技術陣が中心となって実現化され、ポルシェと命名された最高級のスポーツ車は世界中のマニアの衆目を集めています。

ドイツに行くと、高速道路(アウトバーン)は基本的に自家用車は時速制限なしで走ってよいことになっていて、200キロを越える猛スピードで後ろからやってきて、スーと抜き去っていくポルシェを見て、ドイツ在住の熟年日本人ガイド女史は過って次のように表現しました。
  
そこのけ そこのけ ポルシェが通る
そこのけ そこのけ お馬が通るに懸けたのでしょうね。
   



1164  戯曲の最高形式はトラゴディア(悲劇)



ギリシャ劇の起源は、はっきりしないそうです。

通常、ディオニソスの神を讃えるために、歌や踊りが始まったとされています。
ディオニソスは、蔦(つた)の冠と山猫の毛皮のマンとを着けていて、狂乱の神であることを暗示しています。彼は人間を母とし、最高神ゼウスを父に生まれました。ゼウスの妻ヘラは嫉妬からディオニソスの母を殺しますが、ディオニソスは狂人になり、サチェスとメナデス達を連れて大地を彷徨いました。また、ディオニソスは人間にとり幸いにも災いにもなるブドウ酒をつくりましたが、ブドウ樹と豊穣、楽しい生活と歓待の神とされています。葡萄酒づくりの主役はサチェスで、馬の尻尾と耳をもつディオニソスの配下です。

ギリシャ人は、人間はすべて自由であり、尊敬されるべき有益だという確固とした信念に基づいた新しい精神に目覚めていました。一方、ペルシャ人やエジプト人、アッシリア人やバビロニア人などは、人間は専制君主の前ではとるに足らない存在と考えていました。

そんなギリシャ人は、悲劇こそは邪まなものの本質を曝け出し、崇高な魂がそれにどう対応するかを指し示し、人間の心の奥底が力強く表現されるとし、夜明けと共に始まり日中を通して続く出し物は、悲劇3本、サチュロス(馬の尻尾と耳とつけた役者が演じるグロテスクな悲喜劇)、喜劇1本から構成されていました。

トラゴディア(トラジェディ、悲劇)とは、山羊の歌という意味ですが、山羊がディオニソス神に犠牲として捧げられたからとか、最高の作品に山羊が賞品として与えられたからとも云われています。

アポロンの神託で有名なデルディ遺跡近くのレストランで寒い冬の昼ごはんに頂いた、山羊の骨付き肉を野菜やジャガイモと煮込んだスープで、冷えた体がすっかり暖まったのを思い出します。
オーケストラ席は元々は、合唱隊が歌い踊ったりして、役者がステージでセリフを言いあう間や進行を取り持つ場だったそうです。

アイスキュロスとかソフォクレス、エウリピデスは悲劇作家として数多くの作品を書きましたし、シェークスピアもロミオとジュリエット、ハムレット、リヤ王、マクベスなどの
悲劇の秀作を書き残しました。
     



1165  風が悲しみを消してくれる



今年もまた、無事に誕生日を迎えられた幸せを喜び分かち合う習慣を、オランダでは大切にしています。

学校でも仕事場でも、誕生日を向かえた人が同級生や先生、仕事仲間たちにちょっとしたプレゼントをする習慣があります。家のトイレの壁には、プレゼントやカードを贈るのを忘れない為に、家族や親戚、友人の誕生日を書き込んだカレンダーがよく張ってあります。

オランダ人の一生で最も盛大な祝い行事は、50歳の誕生日を迎えた時に行なうそうです。
男性はアブラハムの祝い、女性はサラの祝いと呼び、アブラハムやサラ(旧約聖書に登場する神に愛されたしもべであり、長寿を全うした)を形どった人形やパンを作って皆で祝います。
'人生50年、化転のごとにくらぶれば夢幻の如し'と詠い舞った信長(16世紀の人)同様、過ってのオランダ人も50歳を人生の大切な節目と考えていたのでしょうか?

月曜日は掃除や洗濯をする習慣があり、窓ガラスを洗っている人も見かけます。綺麗好きなオランダ人はテーブルの脚の底まで拭くと聞くと、何故そこまで清潔にこだわるのかと思ってしまいますが、昔から酪農が盛んでありチーズ(日本人の12倍も消費するという)
を作るには、僅かな汚れでもばい菌が発生してしまい、チーズが全部ダメになってしまうので、綺麗好きになったのかも知れませんね。

12月6日はシント・ニコラス祭で、聖ニコラス(サンタ・クロース)の誕生日であり、子供たちの守護聖人になっています。
スペインに支配されていた時代(15世紀末〜17世紀前半)から始まったもので、シント・ニコラスが11月になると、ズワルト・ピート(黒人の少年)を連れてスペインからオランダにやってきて、お祭りの日まで国中の子供を訪ねて廻ります。夜中に白馬に乗って良い子を捜し、良い子にはプレゼントをくれ、悪い子はピートの大きな麻袋に入れられて遠くに連れ去られるという言い伝えです。良い子たちは、プレゼントを入れるための靴や馬の好物の人参を枕元や玄関先に置いて寝ます。
スペインからの独立・自由を勝ち得ようと戦った歴史の中から始まった子供祭のようですが、中々奥が深いようですね…。(良い子にしていないと、恐いスペイン人に連れ去られ、どこかに売られてしまう、奴隷にされてしまうかも〜)

年平均すると、7.5メートルの風がオランダでは吹いています。
小麦を挽く為の風車が14世紀に生まれ、干拓した水を汲み上げる風車が18世紀にはオランダ中につくられました。また、帆を張った荷車が17世紀には地上を風を味方にして走り(冬の凍った水上かもしれません)、ヨット(泥棒を捕まえる為に考え出されたオランダ人による高速艇)が運河や川を走りました。

そして、17世紀こそオランダの黄金期であり、世界中の港へ帆船で乗り入れ交易を行ないましたが、風向きを読むことの大切さを重々知っていたからこそでした。
教会の尖塔には風見鶏があったり、アムステルダムの中央駅には時計塔に加えて風向塔があり、風とオランダの因縁の深さを物語っています。

'風が悲しみを消してくれる'という諺がオランダにはあるそうです。
ほっておけば、北海からの強い風に後押しされた海岸に打ち寄せる波が、小さな国土を削っていき、川や運河を氾濫させかねない中、風を味方につけて知恵を出し生きてきたオランダ人らしい表現ですね。

寒い冬でも風に吹かれて散歩を楽しむオランダ人といいますが、その厳寒の2月初めに頭と3首をしっかりと防寒着でガードして、フライング・ジャポーネ(彷徨える日本人?)の私は、オランダを散歩してきます。





 





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