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希望



1131  停電にたじろがない文化                           




ローマでは昼間、雷を伴った強い雨が降ったそうです。                                     

ローマの南、二百キロ離れたナポリ湾に浮かぶ夢の島カプリで一泊した次の日の朝は、前日の午後同様に青空が広がっていて、再挑戦した青の洞窟入りも見事果たしてナポリ港に凱旋しました。昼食は、ベスビオ山の火山灰が育んだ小麦から作ったパスタ(ナポリ湾で摂れた海の幸入りの)にワイン(銘酒キリストの涙)でポンペイ遺跡傍のレストランでゆっくり済ませた後、遺跡の中を見て回りました。                                       
電気とガス、携帯電話にパソコンを加えれば21世紀のどんな町と比較しても、引けをとらない町づくりの知恵が至る所にポンペイにはありました。                                                      

西日を正面から浴びながらドライバー氏は一路、太陽高速道路(ストラータ・デル・ソル)を永遠の都ローマへと走りましたが、'秋の日は釣瓶落とし'といいますが6時を回るころには、すっかり暗くなりました。自然渋滞で込み合っているローマをぐるりと大きく取り囲む環状線を1/4周して、フィニチーノ空港・チビタベッキア(17世紀の初め、伊達政宗候が送ったローマ法王謁見の使者・支倉六右ヱ門が上陸した港町)方面の看板が見えてくると間もなく高速道路を降りて一般道に入り、平屋建ての家(ローマ旧市内では目にすることはない)が立ち並ぶ閑静な住宅街の中へ入って行き、やがて街灯も灯らず空に心細く星が見えている広い原っぱにバスが止まりました。                        

バスの扉が開くと、外には懐中電灯を手にしたレストランのマネージャーが迎えに出ていました。水溜りの残る砂と土の原っぱはレストランの駐車場であり、近くには運動競技場もあり、ローマの南外れに住む富裕層を相手に営業しているレストランのようです。                                                      
私たちが駐車場でマネージャーからこの近辺では停電が続いている説明を聞いていた時も、1〜2台の乗用車がやってきましたが、停電中と聞くと走り去っていきました。                                        
暗い中庭を通って玄関を入ると、テーブルの上は勿論、床や窓辺などそこいら中蝋燭が灯っていて、アッと息を呑むような幻想世界に入りました。1階建てで四方を大きく窓で囲い、庭の立ち木や草花を見ながら、ゆっくり食事を楽しめる郊外ならではの新築レストランのようです。トイレまでの通路にも、そしてトイレの中もロウソクが灯っていて、私たちを心待ちに準備していたことが分ります。ただ、水を流そうとレバーを押してみても作動しませんでしたが…。      
第一の皿は暖かい豆とパスタ入りのスープ、第二の皿は牛肉のトマト和え、そしてデザートを頂きました。停電の中、さぞ調理するのが大変だったことでしょう。ビールやワイン、ジュースなどの冷たい飲み物はありましたが、流石に  
コーヒーや紅茶などの温かい飲み物までは手が廻らなかったようです。                            
それにしても、非常の時にロウソクの光の海で客をもてなす心憎さには、頭が下がります。                 
百を越すロウソクは、いずれも黄色の上質の紙ナプキンで包まれ、トール・グラスの中に入っていて、煙も出ず蝋も一滴も流れ落ちない上等なものでした。                                                

以前、中国の西安での一流ショーレストランで夕食後、シルクロードをテーマにしたショーを見た折、日本人の支配人が始まる直前、舞台に立ち、1〜2個の照明器具の調子が悪いので、折角お越し頂いたお客様に迷惑を掛けることになり申し訳ないと、涙を流さんばかりに平身低頭して誤ったことを思い出しました。実際の所、ショーは楽しく、決して舞台が暗いと感じることはなかったし、おまけに食事中に注文して飲んだフランスの高級ワインまでタダになったことがありました。                                                                


産業革命のモットーは、'夜を昼のように明るく'だったそうでうが、最初に走ったヨーロッパ人が、夜は暗い夜である方が望ましいと気付いたといいます。                                                 
停電にたじろがず、ロウソク文化を大切にする人たちに幸あれ!                               
     



1132  神の特性とは?                                

物理学者のアウンシュタイン博士は、'私達は何一つ造ったことはない'と語ったそうです。                 

創造の業は、神の領域に属するということなのでしょうか?                                   
旧約聖書中の預言者エゼキエル(紀元前600年頃の人)は神の座す天を垣間見た人で、ユダヤ民族がバビロンに幽閉されていた時、神の啓示を受けました。エゼキエル書には、翼を持ち連動して動く四つの動物を見たと語り、雄牛は力、ライオンは公平、鷲は先見性や知恵、天使は愛を示していて、神の特性や人格性を表現したとされます。     

後に新約聖書では、神の特質を最も備えた方こそ、神の初子であるイエス・キリストだとしてイエス伝を書いたマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネをそれぞれ翼を持ったライオン、天使、雄牛、鷲の姿で表しました。                  
恐らく、後の芸術家たちはエゼキエルの見たという神の特性である四つの動物を、福音の書を書いた4人に当てはめることで、より一層イエスの神性が高まるだろうと考えたのではないでしょうか?                       
紀元後5世紀には、象牙製の本の表紙に早くも描かれて登場します。                             
旧約聖書で預言されたメシア(キリスト、救世主)の出自,家系に関わることや、死に至るまでの段階をその通りに踏襲したのがイエスでした。                                                       

キリストは、ティベリウス帝時代に総督ポンティウスによって磔にされたと、ローマを代表する作家タキトゥスは述べています。実在したのは間違いないようです。                                              




1133  トーラーは特別                                     

旧約聖書の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、ユダヤ教徒はトーラーと呼んで、特別に重視している様子です。                                                      

理由は、モーセ(紀元前13世紀頃の人)が神の啓示を受けて初めて聖書を書いたことや、神がユダヤ人(ヘブライ人、イスラエル人ともいう)を選んで(選民)契約を結んだことにあります。613に及ぶ(ザクロの実の数と同数)契約の中には、実行する契約もあれば、してはいけない約束もあります。                                 
例えば、シャバトは神が宇宙を創造した後、7日目に休んだ安息日ですが、1日の始まりを日没から翌日の日没までと考えるユダヤ教徒は、金曜日の夕方から土曜日の夕方までを聖なる日と考えていて、労働を休み神を思い静かに過ごします。                                                                
食物に関しても、コシャと呼ぶ様々な守るべき規則があって、イスラエル人の住む地域にある食料品店やレストラン、あるいはイスラエル航空機内での食事にもコシャを厳格に守っている旨の表示が張ってあったり、紙切れが置いてあります。四足動物では、蹄が二つに分かれていて反芻するものしか食べませんし、魚は鱗がないウナギや甲殻類のエビや蟹は食べません。また、血を一切食してはいけないので、コシャの調理資格士が捌いた肉しか食べないとか、卵やミルクとその肉は同じテーブルでは食べないなど、ややこしいそうです。                          

イスラエルのホテルでは、部屋の入り口の上にメズーサと呼ぶ通常木でできた小さな長方形の箱が架かっています。箱の中には、トーラーの巻物が入っていて、部屋の住人を守ってくれます。ユダヤ教徒は部屋に入る際、箱に口づけするそうです。箱には根元が一つで、三つの枝が伸びていく図柄の字が描かれていて、シンと読むそうで、シャダイ(入り口を守るという意味)の頭文字になります。                                            
これも古くは、モーセがユダヤの民を率いて出エジプトをするきっかけとなった支配者エジプト人に課せられた12の災いの最後となる、各家の入り口の上に羊の血を塗っておけば幼子の命を救うという神の言いつけを守ったユダヤ人は助かりましたが、エジプト人の方は子供たちが皆死んでしまった故事に由来しています。                  

エルサレムの第2神殿の建っていた土台を支えた西壁(嘆きの壁)でも、イスラエル航空の後部の配膳室近くの空間でも、頭にキッパ(河童の皿のように見える小さな帽子)を載せ、前頭部と左腕にトーラーの入った箱を皮ひもでくくりつけ、熱心に聖書を読む人達の姿がありました。                                           
   


1134  神との契約数が多すぎる?


アダムとイブは、エデンの園(楽園)で年も取らず労働もせず動物も殺さず、楽しく日々を過ごしていました。

神から云われた戒めは、唯一つ知恵の木に生る実を食べてはいけないということだけでした。しかし、残念なことには、たった一つの契約を破ったことで楽園追放され、人類の苦難が始まりました。神の眼鏡に適うノアやヨブのような立派な人もその後いましたが、ユーフラテス川近くウルの町に住むアブラハム(約4千年前の人)の前に神は現われ、神から契約を申し出ました。神とアブラハムの出会いでした。神の戒律を守れば、アブラハムの子孫を選民にしようというものでした。蜜と乳の流れる地カナンを与えると約束します。
契約は、生まれた子供を8日目に割礼をすることでした。
一族を引き連れて、ユーフラテス川を渡って神の指し示すカナンの方角へとアブラハムは移動しました。カナンに住んでいた人達から見て、アブラハム一族は川向こうからやってきた人(ヘブライ人)と呼ばれるようになります。

一握りの遊牧民ヘブライ人が芝居のエキストラのような存在として、バビロニア、エジプト、アッシリア、フェニキア、ペルシャ帝国の狭間で揺れた生活を長く送ります。
イスラエル人という名は、アブラハムの孫になるヤコブが神から授かったものであり、また紀元前9世紀の北イスラエル10支族からつけられたとも考えられるし、ユダヤ人と呼ばれるようになった所以はイスラエル10支族がアッシリアに滅ぼされた後も、南のユダ2支族は生き残り、バビロン幽閉(紀元前6世紀)も乗り越えて継続していることによるようです。

さて、紀元前13世紀になると、神はモーセに現われて,十戒の刻まれた石版とトーラー(モーセ五書)を与えます。ユダヤ教の律法学者は、トーラーに書かれている契約(神との間に交わされた約束)は613あると考え、更に他の旧約聖書とタルムード(生活規範や規則が書かれている)を加えて、守るべき神との契約数は私たちの想像を遥かに超えているようです。旧約聖書で預言されているメシア(救世主、キリスト)の到来を待ち望んでいるユダヤ教徒ですが、預言どおりに2千年前にカナンの地に生まれ、預言どおりに生きて死んでいったナザレの人・イエスはメシアではなかったのですか?とイスラエル航空機内で知り合ったユダヤ人に尋ねた所、イエスの死後2千年経ったがハルマゲドンも最後の審判も起きていないので、イエスはキリスト・メシアではなかったと思うとの返事でした。

アダムとイブから始まった、たった一つの守るべき約束がモーセで613に増え、イエスにより旧約を破棄して新契約となり、随分減ったかに見えた契約数でしたが…。
2008年11月の3度目になるイスラエルの旅で感じたことです。
     




1135  ガリラヤ湖の水位が気にかかる



イスラエルの国土の60パーセントは沙漠で、砂漠の年間降雨量は200ミリに満たないという。

他の地域でも、平均500〜600ミリほどしか雨が降らないので、イスラエル人は水を気にかけながら生きていて、雨が降りやすい冬(11月から3月まで)に何センチ、ガリラヤ湖の水位が上昇したかがニュースで流れます。
イエスが3年ほどの福音の布教を主に行なったガリラヤ湖畔ですが、水深が平均50メートル、南北の長さが22キロ、東西1〜10キロの縦長のこの湖は、イスラエル人の生活用水の3割を担っていて、残りは雨水を洩らさず溜める井戸水に頼っています。
水のリサイクルが盛んに行なわれていて、一度使った生活用水は田畑の作物の生長に役立てます。ホースを使っての洗車は禁じられていて、見つかればペナルティが科せられます。
水は大切という意識が高く、去年(2007)は雨が少なく、ガリラヤ湖の水位が2メートルも下がったそうで、水の値段が上がりました。

死海のほとり、400メートルの岩山の頂上にヘロデ王(イエス生誕当時のユダヤ王)が冬の宮殿として建てさせたマサダ(要塞という意味とか)は、紀元後73年にローマ帝国支配に抵抗して戦った最後の戦場でしたが、残った963人のユダヤ人は降伏してローマの奴隷や殺されるのを良しとせず、神の教えにも敢て反して自決して果てた所です。
水の確保には細心の注意が払われていて、砂漠化した赤茶けた岩山にも時には降る雨を一滴たりとも洩らさず岩肌に掘った溝に流れ込むようにつくってあり、水溝は貯水槽に繋がっていました。
ヘロデ王は、絶景の地に造った宮殿内に水をふんだんに使った浴場やナツメヤシの茂る庭を愛でながら過ごしたことでしょう。ローマ軍が何年もの間攻め倦んだマサダの要塞跡からは、食料も武器も水も充分に備蓄があったことが分っていて、用意周到なユダヤ人が敢て落城前夜に集団自決したのが、後世の人に語り継がれるようにことになりました。
イスラエル人のガイド氏の言葉を借りれば、'ローマ人の奴隷になったり殺されるよりは、自由を選んだ'となります。
ケーブルカーで下山してバスに乗り死海に沿って北へと走っていると、道路の所々が水浸しになっていて徐行せざるを得ないほどでした。珍しく降った雨が、山間の水はけの悪い吸収性のない石灰岩の山肌を滑り落ちて、低い谷間のワディ(乾いた川)に集まり麓の道に達した様子です。西の方角にあたる地中海から吹いてくる湿った風がもたらす、冬の到来を感じさせる11月初めの恵みの雨だったようです。
時としては、この国道90号線(北のガリラヤ湖と南の紅海の町エイラートを結ぶ)も雨の為、道路が見えなくなり閉鎖されることもあるのだそうです。

何年か前、南オーストラリア州の内陸の鉱山の町ブロークンヒルに行った時、砂漠化していて乾燥している町に滅多に降らない雨が降ったお陰で、隣近所に傘を借りに行った友人の慌てぶりや、側溝のない砂漠地方の町の舗装道路には滝のように水が流れていたこと、町外れの舗装してない公園で車のタイヤがぬかるみにはまってしまい、引き上げるのに四苦八苦したのを懐かしく思い出しました。









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