希望

      
1091  クロマニヨン人とは?




洞窟を訪れる人の吐く息、体温、体や服に付着している細菌で、壁に描かれていた絵に斑点が生じ、白くカビ化していきました。

南フランスのペリゴール地方のヴェーゼル渓谷からは、200近くの洞窟壁画が見つかっていて、中でも1940年に4人の少年が連れていた犬が穴に落ちたのがきっかけで偶然見つかった、1万7千年前のクロマニヨン人が描いたと考えられるラスコー壁画は、一躍脚光を浴びて大勢の見学者が押しかけました。
1963年以降は閉鎖され、元の見つかる前の状態に戻して保存されていて(ラスコー1と呼ばれている)、そこから200米離れた石切り場だった所を使って、10年の歳月をかけてラスコー1と寸分違わないコピーのラスコー2をつくり、今は安心して見学できる仕掛けになっていました。
コピーと言っても、彫刻家が念入りに壁や天井、床を形づくり、その上でオリジナルと同じ顔料(鉱石や動物の血、油など)を使って、牛や鹿,ヤギ、羊などを描いていて、静止している動物もいれば躍動する動物のシーンを捉えたもの、一連の流れが時間の経過と共に動画のように制作されたものまで、壁や天井に盛りだくさんあります。
また抽象化されたシンボルなのか?呪いを意味したものか?意味不明の幾何文様まで見て取れます。背伸びしたぐらいでは到底届かない天井に、どのようにして描いたものか?また、筆使いも見事で、輪郭線や色によるぼかし、何十頭が群れをなして動いているように見せる(重なるように背中のラインが幾重にも描かれている)テクニックも見て取れます。

類似のものとしては、北スペインのアルタミラ洞窟がありますが、見学は1日につき15人までに限定されているそうで、相当前からの予約なしには難しいと聞いています。
遠い昔、ホモサピエンスの先祖を含む類人猿がアフリカでの樹上生活に見切りをつけて地上に降り立って以降、間違いなく洞窟生活こそ安心・安全を約束してくれる場所(他の野獣にとっても同様だったと考えられますが…)になっていったことでしょう。
オーストラリアでの先住民アボリジニたちが、巨大な石の窪みの壁に描いた動物や川、泉なども、人間にとって重要な三大生活要素(衣,食、住)をハンティング・採集しながら次にやってくる仲間の為に知らせたものだろうと、エアーズ・ロックやウエーブ・ロック(西オーストラリア州にある)で聞いたことが思い出されます。
私たちの仲間が歩んだ長い道のりの一端が見えてきたのでしょうか?

ラスコー2の洞窟案内人の見解によると、クロマニヨン人は氷河期に生きた人たちであり、レインディアー(トナカイ)を食したと考えられていて、現代人(ホモサピエンス)との違いはなく、この洞窟に起居したのではなく、ここは彼らにとり聖なる空間に似た祈りや儀式の際使ったのでは?その際、真っ暗な洞窟の中に入り、彼らの手にする松明の揺れる火の中に浮かびあがる天井や壁の動物の生き生きした姿は、食物や衣服の安定供給を約束してくれ、誰もが安心と幸福感に満たされたはずだと静かに締めくくりました。
    




1092  アスクレピオスの従者は白ヘビ?



ヨーロッパを旅していると、道路沿いに日本でありがちな無駄な広告・宣伝の看板の替わりに、緊急時に備えての救急病院の所在を示す赤十字マークの看板は良く目にします。

実際に、真夜中を回って病院にタクシーで駆けつけても、受付、看護士による問診、そして医者による検診へとステップを踏んで行なわれ、診断に応じて処方箋が書かれ、24時間開いている何処かの薬局へ帰りに立ち寄って薬を購入出来ます。
薬局のマークは多くは緑十字で、十字の中に伸び上がって噴水の水を飲もうとしているかに見えるヘビが描かれています。

ギリシャ神話では、アスクレピオスは太陽神アポロン(ゼウス神の息子)とボエティア人の娘から生まれたとされ、ヤギの乳で育ち、チェイロン(半人半馬の怪物ケンタウロス族の一番優れたもの)により教育を受け,香草の効用などの知識を習得して、死者までも蘇生させたそうです。その結果、冥界の王ハデスやゼウス神の怒りを買うことになり、ゼウス神(雷電神)の放った落雷に失命し、エピダウロスに埋葬されたそうです。
やがて時が経ち、紀元前6世紀にはアスクレオイオスを医薬の神として崇拝する流れが起り、コス島出身のヒポクラテスまで、その権威を讃えたと言われます。
エピダウロス神域での治療法は、まず患者は神々に捧げ物をあげた後、清められ一晩中聖なる宿舎(アバトン)の中で動物の皮の敷物の上に寝て癒されました。そうすると、夢の中でアスクレピオスが現われ、お告げをすることもあったようで、神官が症状により個別の治療(運動、入浴、読書、散歩、劇の観賞などのメンタル系のリラックセーションや薬の投与、手術など)が行なわれました。
盛時には、劇場や各種スポーツ施設(スタジアム、ジムナジウム、パレストラ)ガつくられていて、4年に1度アスクレピアン競技が開かれました。スポーツ競技に加え、詩や音楽のコンテストも行なわれました。
癒された人々は、雄鶏を犠牲として神殿に捧げたり、癒された体の部分を象った捧げ物を献上しました。

ゼウス神には鷲、ポセイドン神はイルカ、ヘラ神(ゼウス神の妻)は鶴といったように動物が一体化して描かれるのが常ですが、アスクレピオスはヘビを従えています。それについては、様々な説が聞かれます。
ヘビの出す毒を麻酔として使ったとか、ヘビは1年に1度脱皮して改まるので縁起が良い、神の使いとして白ヘビが尊ばれたなど…。

エピタウロスの遺跡へと向かって、アルゴス平原をバスで走っていると、ミケネ時代(紀元前13世紀)の石橋を渡ったところで、前方にゆっくり走る乗用車には後部座席の窓に緑十字の中にヘビが噴水の水を飲もうとしているワッペンが貼られているのが目に入りました。
ギリシャでは、医者の車は医薬の神アスクレピオスのワッペンをつけて走り、何処に駐車してもよいことになっていて、逆に医者が必要とされた時には、呼び止められることになっているそうです。
     




1093  オリンピックの聖火リレーは1936年に始まった!



ヒットラー全盛時代の1936年、オリンピックはベルリンで開催されました。

ヒットラー総統の好む劇的な演出として考え出されたのが,聖火リレーでした。それ以前のオリンピック(古代、近代を通して)で行なわれた事はありませんでした。ゼウス神を祀るオリンピアの聖地では、一般家庭と同様に聖域で働く神官などの食事をつくった台所のかまどの火を消すことなく燃やし続けていた故事にヒントを得て、聖火リレーを思いついたそうです。狙いは的中して衆目を引きつけることとなり、今に至るまで続けられています。

久しぶりに訪れたオリンピア(2008年5月)でしたが、前年の夏の山火事の後遺症が広範囲に亙って見られ、自然災害の怖さを知らされました。幸いにも遺跡は難を逃れていて、早朝の清らかな聖域跡を見て回りました。
ギリシャ人ガイド女史によると、ペロスという若者が4頭立ての馬車競技でズルをして(ライバルの乗る馬車の車輪が走行中に外れる細工をした)勝利しますが、ゼウス神のご加護に感謝したのが、4年に1度のオリンピック競技の始まりでした。ペロスは、やがて広域の支配者となりペロポネソス半島の名前の由来となりました。古代オリンピックは炎天下の8月、男子が裸で走り、円盤や槍を投げ、高く飛び、レスリングやボクシング、馬車競技を5日間に亙って繰り広げました。
優勝者の栄誉を讃えて、聖域の大通りに沿って,青銅でできた選手像が大理石の台座の上に飾られました。台座には、選手の名前や出身地、競技種目が刻み込まれました。しかし、キリスト教時代(4世紀以降)になると、青銅像は溶かされてしまいましたが、今も残る台座の大理石にはギリシャ文字で、優勝者の栄誉が書き残されていました。

スタジオやスタジアムの言葉はギリシャ語からきていますが、元々は英雄ヘラクレスが定めた長さだったそうです。
12の試練に耐えて見事勝利したヘラクレスが、ゼウス神殿に詣でて加護に感謝した後、村人とのかけっこに同意した際、走る長さを決める為に,息を止め歩き出し、やがて息を吐き出した所までをスタジオ(460フィート、もしくは192メートル)としたそうです。
ヘラクレスが歩き始めたとされる場所には、大理石製のスタートラインが長く敷かれていて、表面には彫った二つのラインがあり、古代時代のオリンピックでは走る選手はつま先を凹みに入れ、スタートしたそうです。
また、オリンピアのスタジアムがギリシャで一番古く、当時の原型を留めていて、4万5千人もの観客(男性のみ見学を許されていた)が緩やかにグランドに向かい傾斜した土や芝生に座ったり立ったりして競技を観覧しました。
ゼウス神殿の中に安置されたゼウス神像は高さが12メートルもある巨大なもので、金と象牙がふんだんに使ってある著名な彫刻家フィディアスの作でした。彼は、神殿の近くに神殿と同じ大きさの仕事場を建て制作しました。最大の難問は、どのようにして巨大な神像を神殿に安置するかでしたが、部分部分を仕事場で完成して神殿に持ち込み、今で言うプレ・ハブ方式で組み立てていくやり方で、見事に仕事を完成させました。
ギリシャ古典期・クラッシック時代の第一人者フィディアスの仕事場だった建物は、時代が移ってもキリスト教の教会として長く使われたので破壊を免れました。

遺跡近くのオリンピア博物館には遺跡跡から見つかった、赤ん坊のディオニソス(酒や演劇の神)を腕に抱くエルメス(死者の魂を冥界へと運ぶのが役目)の大理石像(紀元前4世紀末)が、どんな強度の地震にも耐えうる工夫のされた床の上に置かれていました。
ディオニソスはヘラクレスと同じように、ゼウス神が美しい人間の娘に恋をして生まれた星の下にあり、ゼウスの妻ヘラに見つかれば殺されてしまうので、ゼウス神に頼まれたエルメスは赤ん坊を預かり安全な場所へと運んでいったエピソードを、彫刻にしたものです。
素晴らしい出来栄えの逸品です。
又、博物館の大広間には、ゼウス神殿の西の破風を飾っていたケンタウロス像(半人半馬で、人間がバランスを失うことへの戒めを表す)と、目指すべき円満な穏やかな性格の代表としてのアポロン神(音楽、太陽神)が描かれていた彫刻や、東の破風にもオリンピックの起源の話(ペロスが4頭立ての馬車競技で八百長で勝利した)がモチーフで描かれていて、八百長がオリンピックの起源だったとは多少ショックでしたが、人間の本性が表わされているようにも感じ、妙に説得力がありました。
      



1094  ギリシャ人はコカ・コーラを飲まなくなった



チベット自治区でのダライ・ラマを支持する人達の人権拡大を訴える運動を、暴力で抑えた中国政府に対して批判が巻き起こった最中、四川省で大地震が起り、首相自ら陣頭指揮に当たったことが報道され、2008年夏の北京で行なわれるオリンピックを目前にして、中国関連の話題が起っています。

2004年のオリンピックはアテネで開かれましたが、ギリシャでは近代オリンピックがアテネで始まった1896年から丁度百年目の節目の年に当たる1996年に、再び行なおうと立候補しましたが、アトランタ(アメリカの南部ジョージア州の州都)に負けました。アトランタで生まれた炭酸飲料こそコカ・コーラであり、今も本社ビルはアトランタにあり、ランドマークになっています。
そんなアトランタにオリンピックを奪われた恨みのしわ寄せで、ギリシャ人はコカ・コーラを飲まなくなったと言って、ギリシャ人ガイド女史は笑わせてくれました。

また、旅行参加者のある日本女性からも、次のような含蓄ある情報を貰いました。
炭酸入りの水(ミネラルウオーター)は、同じプラスチック・ボトルでも固く出来ているが、炭酸の入っていない水のボトルは柔らかいのだそうです。日本で起きたペット・ボトルによる殺人事件を解く鍵は、炭酸入りの固いボトルにあったテレビのニュースで聞いたそうです。旅行をすると、炭酸の入っていない水をどのようにして見分けるのか話題になりますが、その簡単明瞭さに驚き感心した次第です。
      




1095  スエーデンとノルウェーはライバル?!



神戸で生まれ、7歳まで育ち、神戸・淡路大地震にも遭遇し、日本食も温泉風呂も野球も大好きというノルウェー人青年(20歳前後)が、ベルゲン市内のホテルから郊外の空港まで、バスのトランスファー・アシスタントをしてくれました。

18歳になったのを期に、宣教師の両親の元を離れ、オスロ大学で神学や心理学を学んでいるそうで、夏休みを利用して今はベルゲンで日本語を生かした観光案内のアルバイト中でした。彼に、デンマークとスエーデンとノルウェーに関係するジョークでも話してくれないか?と水を向けると、次のような話を子供だった頃聞いた気がする、と言って話してくれました。

ある時、島まで泳ぐ競争をしたが、デンマーク人は500メートルほど泳いで引き返し、ノルウェー人は700メートルほど行ったがデンマーク人同様引き返した。しかし、スエーデン人は島まで2メートルほどの所まで泳いで引き返した。
次の話は、アメリカのフロリダへ行き、自分で鰐を捕まえて鰐皮で靴を作ろうとノルウェー人が出かけた所、ノルウェー人よりも3〜4日早くフロリダにやってきたスエーデン人に出会ったそうな…。このスエーデン人は手に槍を持ち、首尾よく鰐を殺したが、鰐は靴を履いていなかったと云ったそうな。
以前、スエーデン人のバス運転手聞いた話を思い出しました。
ノルウェー人に部屋の天井の切れた電球を取り替えるように頼んだ所、彼は家ごとぐるぐる回して取り替えようとしたと。

こういった話を通して感じることは、どうやらデンマーク人は別格扱いになっている様子です。察するに、ノルウェー人とスエーデン人との間には相当なライバル意識があるようで、デンマーク人は尊敬する年上の兄貴であり、弟二人(ノルウェーとスエーデン)は互いに馬鹿呼ばわりしているようですね。







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