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希望

         
996  映画のロッキーも好き


'イタリアの種馬'の愛称で親しまれ、ボクシング界のヘビー級世界チャンピオンになったのが映画'ロッキー'でした。

俳優シルベスタ・スタローンが自ら書いた台本を自ら演じたことも評判を呼び、確か30年ほどの間に4〜5作品作られたのではと記憶しています。
愚考ですが、アメリカ東部のフィラデルフィアに住むイタリア系アメリカ青年ロッキーの名は、西部アメリカにあるごつごつした岩山(ロッキー)から成るロッキー山脈をイメージして付けられたことでしょう。若くて荒々しく隆起してできたロッキー山脈に似て、人生にチャレンジして生きる若者に育って欲しいという親の願いが込められていたのでしょう。

さて、カナダのロッキー山脈の懐にあるジャスパーの町に住み、ガイドをしている20代の日本人女性は映画のロッキーも好きだが、何よりも大自然の中にいられるのが楽しいそうです。有名なジャスパー・パークロッジ ホテルで働いたこともあり、あまりにも大きく広いので、敷地内にあるゴルフ場の受付をホテルのレセプションと間違えた新米の頃の失敗を語ってくれたり、ロッキー山脈を境にして西の太平洋側に住む熊は大きく、東側のアルバータ州の熊は小さいことを教えてくれました。理由は、鮭がロッキー山脈を越えてアルバータまでは川を登ってこれないので、食料源とはならず9割のアルバータ熊は菜食で1割がネズミやリスを食べている結果、体格が小さくなったそうです。
アルバータ熊は半眠状態で冬眠をしていて、穴に持ち込んだ食料を無意識の内に食べたり、赤ちゃんすら冬眠中に産むのだそうです。
カナダに住んで良かったことと悪かったことを3点ずつ挙げてほしいと頼むと、
良いのは、のんびりしている。ロッキー山脈に魅せられていて、そこに住んでガイドができる。カナダドルが強くなってきたので、個人の旅をするチャンスができた事だと言い、
悪い点は、周りの人がよく食べ太っているので、つられて食べてしまい太りがちになってしまう。カナダ人はルーズで、約束した時間を守らない。広すぎて移動に時間がかかり過ぎるのが、玉に瑕ですと早口に結んでくれました。



997  パシフィック・セントラル鉄道はゆっくり走る


太平洋(バンクーバー)と中央(トロント)を結ぶ全長4500キロの単線の鉄道は、19世紀末にできました。

北西カナダを流れるユーコン川で砂金が見つかったことが一段と拍車をかけ、有名な北西号(ノースウエスト)に乗って大勢の人が、バンクーバーへとやってきました。
今も、週に3回バンクーバー/トロント間を丸3日3晩かけて列車が運行しています。
私たちもバンクーバー/ジャスパー間870キロを一晩、車中で寝る旅をしました。
ゆっくりゆっくりディーゼル機関車は20〜30車両連結した客車を引っぱって走ります。

ロッキー山脈の山懐へと近づく間は、何時も右か左にバンクーバーに流れ出している全長千キロのフレージャー川がありました。どちらの方向に流れているのか分らないほどゆったりしていて、水量も豊かで、川傍には所々に木材集積所があり製材もしている様子です。
バンクーバーの町の発展は、材木の売買に寄ってきたことがよく分かります。
夕方5時半に発車して、しばらくすると私たちの席に中国系カナダ人の中年女性がやってきて、名詞を出してパシフィック・セントラル鉄道会社のバンクーバー支店に勤める部長で、日本の皆さんに旅行一般のアンケート調査に協力して貰えないか?質問は日本語で書いてあり、ささやかな記念にボール・ペンをプレゼントすると言います。彼女の傍には、一人白人の中年男性が立っていました。彼女のご主人だそうで、2時間後にアンケート用紙を集めにきた時も一緒にやってきて、ただ傍に立っていました。一同不思議な光景を目にして、あえて何故ここにいるのか尋ねるヤボはしませんでした。
カナダに長く住む日本人?が作文したアンケート用紙も質問の内容が、日本語として釈然としないものが多くありました。

三つか四つの車両で1セットになっていて、食堂や展望台がついています。トイレにある洗面台の水は、シンクの奥についているセンサーまで手をしっかり近づけないと出てきません。最初の内は、手を洗ったふりをして出てくる人も何人かいて、やがて使い方が分りホッとした人もいました。夕食はバンクーバーの日本食レストランから仕出ししてもらった巨大な幕の内弁当でしたが好評でした。今は世界的な寿司や日本食ブームで、健康に良く太らず神秘的で,箸を使える喜びの虜になっている人も多く、バンクーバーの街中でも日本食レストランを数多く目にしました。
展望車は食堂車の上に乗っかっていて2階にあり、360度ぐるり見渡せます。
景色の抜群なのは言うまでもないのですが、客車を長く連結して走る私たちの列車の姿の前も後ろも展望台から見え、それに時々引き込み車線で待つ長きは百車両以上も連結した貨物車にビックリもしました。
一番驚いたのは、展望車は何時も冷房が極端に効いていて、皮下脂肪の蓄えのラードの薄い日本人には寒すぎました。カナダでは10月から4月までは冬であり、熊のように冬眠する為にもラードをお腹の周りに沢山蓄えて室内を冷やしている方が適している所為かな?と愚考しながら白夜に近い夜中の雄大な外の景色に見入っていました。
翌朝の11時にジャスパーで列車を降り、その夜はジャスパーで一泊、次の夜はバンフ国立公園の隣の村・キャンモアで泊った後、明けて翌朝の飛行機で2時間の時差のあるカルガリーからトロントまで空の上を4時間かけて飛んで夕方トロント空港に到着して、バスに乗り換えて1時間半かけてナイアガラ滝へと向かいホテルにチェック・インして後、歩いて近くのレストランで夕食を終えた頃の10時に、もしあのまま列車に乗っていたらトロント・ユニオン駅に到着したはずでした。

日本のプロ野球はパシフィック(太平洋)リーグとセントラル(中央)リーグの二つありますが、その名前はパシフィック・セントラル(PC)鉄道から付けられたのでしょうか?



998  暖簾の奥で金勘定しているのがスイス人経営者と思っていたが…


トーン湖とブリエンツ湖の二つの湖に挟まれた景勝の地、ユングフラウが正面に見える町がインターラーケンです。

その西駅近くの大通りの角のレストランで夕食でした。レストランの入り口は通りから一段高くなっていて、通りに面してバルコニーが広くできていて、テーブルや椅子が並べてあり、通りを行き交う人や車などの騒音と共に外で食事をしている人もいれば、レストランの中にも70〜80人は座れるように席が出来ていました。
ここ数日間、猛暑が続く夏の夕方7時近くでしたが、今流行りのポップ・ミュージックがレストラン内に流れていてエアー・コンはなく、バルコニー近くの私たちの席に風を送る為の扇風機が4台フル回転していました。しかし、その日は扇風機の送る風は生暖かく、汗がダラダラと背中を流れ落ち、焼け石に水といった状況でした。食事の内容も前菜にチーズ・ホンデュー、メインディシュはミート・ホンデューと何れもホットなもので、テーブルに据えられた鍋の熱気にも煽られてビールのお替りの注文が盛んでした。やっと、デザートに冷たいアイスクリームが用意してありました。

過ってスイスが貧しかった頃、チーズ・ホンデューをけの料理(普段食べる)として、鍋に安いチーズを入れ、鍋の底に火を当て溶かしパンで梳くって食べたそうです。一方、ミート・ホンデュー(ブルギニオン)は晴れの料理(祭りや祝い事など特別な際にだけ食べた)で、鍋の中で煮えた油の中に肉片を入れ、適当に焦がして取り出して食べたそうです。
滅多に肉は口にすることができなかったのでしょう。

豹か虎の皮を連想させるスカートやズボンをはいた全員がアジア系の若者従業員を陣頭指揮して、忙しく立ち振る舞っている小型アーノルド・シュワルツネッガーを思わせる白人リーダーがいました。明るくて、テーブルにやってきて、チーズホンデューの食べ方をデモンストレーションしてくれました。
鍋の中のチーズを何度も何度も長い柄のフォークの先につけた一切れのパンで巻き取り取り出すと、今度は逆方向にフォークを回して尾を長く引くチーズをパンに絡ませます。そして、ユーモアたっぷりに客の一人の口の中に差し込み、頬張らせて笑わせてくれました。

30代後半に見えるその人はエネルギィシュで、若者従業員がすっかり乗せられて働いている様子が見て取れました。聞くと、生粋のスイス人であり若い頃、アメリカの西海岸の町・サンディエゴやシンガポール、そしてドイツに旅して働いたことがあるそうで、故郷スイスに帰ってから外国の方にスイス文化に触れてもらおうと、スイス料理レストランをオープンしたそうです。
他の日本人グループのテーブルでは、ラクレットの作り方(大きなチーズの塊を回転台に載せてゆっくり回し火であぶり、柔らかくなったチーズの表面を削り取って野菜などの載っている皿の上におく)を実演して見せてから、希望者には実体験もさせていました。
食事が終わる頃に、従業員が忙しく飛び回っているフロアーに大きな木のホルンを持ち出してきて、吹いてくれました。
演奏はイマイチでしたが、とにかく愉快に自ら従業員と同じ衣装を着て、上腕の筋肉を自慢して見せるなど、冷房設備のない暑くて堪らない室内でしたが、全てを笑い飛ばしてくれました。

彼曰く、10日前までは大変寒く、誰も外のバルコニーに座ろうとしなかったが、今は皆行きたがると…。



999  バス運転歴30年のドイツ人の目に映る今は…


7月のバカンス・シーズン最中、フランクフルト空港からバスに乗りライン河遊覧、ハイデルベルグの古城や大学町、ロマンチック街道沿いのローテンブルグやフュッセンの町、シュバンガウ村の新白鳥城(シュロス・ノイシュバンシュタイン)や南ドイツでのロココ様式でつくられた教会の傑作と讃えられるヴィース教会を見て後、スイスへと移動、インターラーケンの郊外にある海抜1200メートルのビーテンベルグの高台にあるホテルに泊り、ベルニナ・オーバーランドの3名峰(アイガー、メンヒ、ユングフラウ)を一望できる幸運に出会ったりしながらグリムゼル峠(2100メートル)を越えて氷河特急の走る同じ谷底をツェルマットに向けて走りました。

そこには古い黒ずんだ木組みの家が多く残る集落が見え、中にはネズミ返しの石が床を支える柱の上部に取り付けてあり、昔の人の知恵を感じました。
ヴァリス山塊では、ゴルナグラート展望台(3089メートル)に電車で登り、22もある4千メートルを越える山々を眺めました。ただ残念なことに弧峰マッターホルンは頂上部分が1センチほど雲に隠れていましたが、一方ヨーロッパ・アルプスの中でモンブラン峰に次いで2番目に高いモント・ローザの二つの峰は頂上から谷底まで惜しげもなく傍を流れるローザ氷河も含めて洗いざらい見せていました。
そしてレマン湖のほとりを通ってジュネーブへと行き、パリに向けて新幹線(T.G.V。)の出発するコルナバン駅まで送り届けてくれた1週間のの縁でしたが、片言の日本語をしゃべる強面の堂々たる体格のどちらかと言えば無口タイプのドイツ人運転手がジュネーブでの最後の夜、夕食を一緒に取っていると、急に熱っぽく語り始めました。

老後を意識する年齢になった今、年金局から毎年知らせてくる年金受取予想額が減ってきていて、これまで国を信じて働いて税金を納めてきたのに裏切られた思いでいっぱいだ。
住んでいる町には見知らぬ外国からの住人が増えていて、ドイツ人の失業者は増える一方だ。この上は妻の出身地である日本に本気で移住しようかと考えている。
日本人の友人の数がドイツ人の友人を上回っていて、ソテツの茂る宮崎県は、どこかハワイに似ていて温暖なので庭付きの小さな家も買ってあり、日本の大学に通う一人息子がそこに住んでいるという。
顔つきが日本人に似ている中国からの旅行者はバスの中でのマナーが悪く食べ物を食い散らかし床を汚してしまうし、インド人の大学生のグループを乗せた時などは怒り心頭に達したそうです。インド人は良家の坊ちゃんや嬢ちゃんの修学のための旅行だったそうで、普段は召使が世話を焼いていて甘やかされて育ってきたようで、先生の忠告にも耳を貸さず、運転手を一段低く見下す傾向があったそうです。
トイレ休憩の為、サービスエリアの店に行ったそうですが、出発の時間が来ても何人かがバスに戻ってこないのでバスを発車させて少し走り出したところで、大慌てで走って追いかけてきたそうです。
レッスンその一として、約束した時間にバスに戻らないと置いていく。置いていかれた者は自分の責任で追いつくこと。運転手の知ったことではない。
レッスンその二は、夕刻バスが目的地に到着した後、学生3人がバスの中の掃除をすること。もし掃除しないならバスの出発時間を遅らせると脅したそうです。車中で食い散らかし床が汚れてしまい、毎日ホテルに到着した後で掃除するのに時間が余計に係り、肉体的にも精神的にも極限だったそうです。
レッスンその三は、インドでの運転手の身分はいざ知らず、ドイツではバス運転手はバスのキャプテン(頭)であり、時間外労働ををして場合は休息を取る権利が認められているので、次の日の出発は遅くなるのは当たり前で、その結果学生たちが困ることになろうとも知ったことではない。
彼の不動の姿勢は、インドの若者たちの態度を少しずつ変えさせたそうです。

暑い中での旅でしたが、バスの冷蔵庫に冷たく冷えている1本1ユーロの500cc入りのミネラルウオーターが売れるたびに、有難うと言って手渡していた日本人の客には優しい人でした。



1000  ランタオ島と聞いて二つのことを思う


キャセイ航空に乗って香港に行き、飛行機を乗り換えてヨーロッパへと往復するツアーだという。

キャセイとは、マルコ・ポーロが東方見聞録の中で中国をカラ・キタイの国と呼んだキタイの英語読みだと思うし、乗るのは初めてで1946年に2人の青年(アメリカとオーストラリア)がアジア近隣の主要都市と香港を結ぶ航空会社として始めたと機内誌に書かれています。
香港と聞けば、つい最近まで英国が長い間統治した租借地であったことや、夜景の美しいこと、あるいは九龍半島側で生活する中国本土から逃れてきた人たちの住む難民アパートの立ち並ぶ前に観光中にバスで立ち寄り写真を撮ったことや、アバディーンの水上レストランの夕食、そして旅情やスージーウオンの世界の名作映画を思い出します。

珠江湾に浮かぶ島の一つが香港島であり、ランタオ島が一番大きな島であって、そこには著名な仏教寺院があり精進料理を食べに行くツアーが30年も前から日本にはあったのを思い出しました。地図を見ると珠江湾の最奥に広州があり、大きな湾の南側にポルトガル領だったマカオが、そして北側に香港島や九龍半島、真ん中にランタオ島があります。
そのランタオ島に中国の威信をかけて海岸線を埋め立ててつくった、滑走路2本を持つ香港国際空港が出来、メインターミナル・ビルとゲイトのあるウイングは歩けば15分はかかるほど離れていて電車が走っていました。
英国から1997年7月1日に返還され、翌年の1998年7月に開港したしたのだそうで、開港9年目を祝うと共に中国の中の香港として出発して10年目の節目を今年は迎えていて、空港に働く人たちに訊ねてみると、一様に将来に不安はないと語っていました。
空港で働く人たちの多くは、鉄道やバスを使い30〜40分かけてランタオ島へと通ってきているそうです。

九龍半島と香港島との間の狭い山間を潜り抜けて着陸したり飛び立っていたカイタク空港は、今はフェリーの乗り場に変わってしまったと聞いて、全ては時と共に変化していく感傷に少し浸ってみたり、どこかカナダのバンクーバーと香港は似ているようにも思い、やはり海の世界帝国を築いた英国の所為なのかな?と思ったりしました。
未来に向かって着実に歩む若者たちが香港には育っているようです。





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