希望

   
1181  ロシアン・ブルーとは? マトリョーシカは何の為?



ロシアのサンクト・ペテルスブルクとモスクワで案内してくれた2人の女性ガイドは口を揃えて、質問があれば喜んで答えます。隠すことは何もない(情報公開 グラスノスチ)と笑顔で言いました。

日本に10回もロシア人観光団を連れてきたり、ご主人の仕事の関係でアメリカで生活した経験を持つ、ロシア大好き人間のベテラン白系ロシア人ガイド女史にロシアン・ブルーって何のこと?と訊ねました。知人から聞いて欲しいと頼まれた二つの宿題のひとつです。
返ってきた答えは、よくは知らないがブルーの毛をした猫のことだろうと言います。
人前に出ることが稀だった良家の女性たちは、珍しい毛並みをしたロシア原産でないこの猫をペットにしたのでは?勿論、不潔にすると湧いて出るネズミも拿捕してくれる猫本来の機能も果たした筈だとの解説でした。
青い目をした美しいスペイン女性(ブルー・スパニシュ アイ)の歌がありますが…)と矛先を変えてみると、最近は生活が苦しく忙しくて、青い目の白系ロシア人は減っていて、逆にイスラムやアジア、その他の人種が増えていて、民族(139の民族がロシアにはいるという)間の結婚も多くなっています。この美人ガイド女史も、残念ながらブルー・アイではありませんでした。

もう一つの宿題は、マトリョーシカ人形は何の為?言葉の意味は?についてでした。
朝鮮民族出身で、ロシア人として3代目という30歳前後のシャープなガイド女子は、高校では理数教科だけの的を絞り勉強して、大学の工学部を目指したそうです。しかし、僅か1点及ばず夢は適いませんでした。仕方なく語学部に入学して日本語を専攻したという人でしたが、精密に物事を考え言葉にする才能は大いに発揮され、優秀なガイドとなって開花していることが一目見て分りました。
彼女によると、マトリョーシカは古代ローマに端を発していて、大家族のお母さんをマトローナと呼んだそうです。そして、17〜18世紀になるとロシアで一番人気の女性の名前は、マトリョーナとなりました。今は、マトリョーシカと呼ばれていて、ロシアでは何所のお土産やでも置いてある人気ナンバーワンの商品となっています。
どうやらマトリョーシカ人形は、箱根の入れ子人形(こけし)にヒントを得て、1890年にモスクワ近郊のザコルスクで作られたのが始まりで、多産で子沢山だった当時の家事情を反映していて、幼児達を遊ばせるおもちゃとして使われたりしました。ロシアの家には'お守り'としてマトリョーシカが置かれているそうです。
元々は、10コの入れ子こけしだったようで、最初のマトリョーシカはルースター(雄鶏)を胸に抱くお母さんのデザインだったそうです。きっとお父さん(種馬?)なくしてはお母さんも子供はつくれない大切な人という意味を込めたのでしょうか?
菩提樹の木を使い作るそうですが、値段もピンからキリまであるそうです。
      





1182  小噺上手なロシア人



ロシア人は仕事は日本人に似て真面目だが、仕事が終わると小噺上手に変じると云う。

・ 一つの仕事では食べられない。二つ三つの仕事をすれば食べる時間がない。(失業者の増加に加え、物価の上昇  が押し寄せてきているそうです
・ 一人の成金(ロシア人の7%)が、エルミタージュ博物館に行きました。館内を歩き疲れたので、椅子に座りました。 すると、監視人がやってきて、それはエカテリーナの椅子ですと注意しました。金持ちは、エカテリーナがきたら椅子 を譲ると答えたそうです。(エカテリーナ女王を知らない成金の無知を揶揄したジョーク)
・ 結婚式と葬式しか、親や親しい人に会えなくなった。(物価が上がり、遠方に住む知人や親戚の人に会えなくなっ   た)
・ 美容整形医と歯医者、弁護士が金持ちになった。賞味期限は食料品やウオッカだけでなく薬にもあり、国立病院の薬は心配。(共産主義時代は平等で安心して生活できたが、今は不安で心配いっぱい)
・ コネと金なしでは、いい大学に入れない。いい大学を卒業しても、仕事が見つかるか心配。子育ても靴や服を買った り、子供が風邪を引けば、医者に金がかかる。ストレスがたまる一方。

日曜日の夜10時過ぎというのに、モスクワの郊外にある空港付近から都心に向かう道路は、大変な交通渋滞でした。ガイド女史は、ダーチャ(郊外の菜園などできる別荘)で週末を過ごしたモスクワ市民が町のアパートへ帰るラッシュに遭遇しているからだと言います。
物価高が続く(1998年以来)ロシアでは、社会主義時代に幸運にも国からダーチャを貰った人たちは、野菜や果物をつくり食費の一部にあてたり、売ったりして家計の一助にしているそうです。空港からホテルまでの30キロ、2時間余りは花火のように小噺が炸裂しました。

群集心理については、過って日本でトイレット・ペーパーがスーパーマーケットの棚から消えたり、今はバターが消えたことを話すと、彼女は間髪を入れず日本人観光客がバターをロシアで山と買っていると応じ、伝統的に紅茶好きなロシア人による高級紅茶ブランドの買占めで、ロシアでも棚が空になった話をしてくれました。
社会主義時代のロシアでは、ガイド女史は決してチップは受け取らなかった(国の厳しい監視の下にあった?)ので、空港で別れ際にチップを入れた新聞紙を渡し、ゴミ箱に捨てて欲しい。ただ捨てる前に新聞紙を開いてくれとそれとなく言い含めて渡した話をすると、彼女は、あるイタリア人が空港でチップをガイドに渡したが、人前ですので受け取りませんでした。怒ったイタリア人は、チップをゴミ箱に投げ込んで立ち去ったそうです。それ以来、空港のゴミ箱を片付ける従業員は、イタリア人の観光団が現れると、目の色が変ったといって笑わせてくれました。
    





1183  政府はアンケートの結果にショックを受けた!?



サンクト・ペテルスブルクとモスクワの間、イリメニ湖近くに東スラブ人のスロヴェネ族がノブゴロド(新しい町という意味)を5世紀後半につくりましたが、後に内紛が起きたので、ノルマン人(バイキング)のリューリクがルーシー族を連れてきてルーシーの国(ロシア)をつくりました。

ノブゴロドの町には、リューリクの即位(862)から丁度千年経った1862年に建てられた'選ばれしロシアの6人'と呼ばれる記念碑があります。
ルーシーの国をつくったリューリク、東ローマ皇帝の妹アンナと結婚し988年にギリシャ正教をロシアの国教としたウラジミール公、1613年にロマノフ朝の初代ツァーリ(皇帝)となったミハイル・ロマノフ、ヨーロッパへの窓を開いた男・ピョートル大帝、15世紀後半に双頭の鷲を国章としロシア正教を打ち立てたイワン大帝(イワン3世)、そして初めてタタール(モンゴル)を破ったドミトリー・ドンスコイ(ドン川のドミトリーと呼ばれた)です。

去年(2008)行なわれたロシアのヒーローを選ぶコンテストでは、選ばれし6人は選ばれませんでした。国民が選んだのは、スターリンでした。
理由としては、いつも軍服を着ていて、模範となる清貧でストイックな生活を実践し、私腹を肥やさなかったことや、第二次世界大戦での国土防衛戦に勝利したこと、神学生だった経歴の持ち主でロシア正教を大切にしたこと、労働者にダーチャ(庭付き別荘)を与えたことや失業の心配がなかったことが高く評価されたようです。
2位には詩人プーシキンが選ばれました。今でも、モスクワの彼の家の庭にある彼と妻の銅像の前で永遠の契りを交わす若者も多くいて、詩を朗読するのが流行っているそうです。
若く美しい妻の不貞を言触らした男を相手に、公開のピストルでの決闘で亡くなりました。短い37年の生涯でした。

政府はアンケートの結果に大変なショックを受けたそうです。
この話をしてくれたモスクワのガイド女史が言うには、'選ばれし6人像'は遠すぎる歴史上の人物に過ぎないとのことで、きっと6人のスーパー・ヒーローたちは苦笑していることでしょう。宗教弾圧を加えたのはフルシチョフであり、ゴルバチョフは共産党の言いなりになっていたのでダメ、プーチンは演説は下手だか今のロシアを牛耳っていて、政府が国民に期待した答えは、ドン川のドンスコイだったと思うとのことでした。
     



1184  年金支給が始まる前に死ぬ…



ロシアでは、男性の年金は60歳から支給されますが、平均寿命は58歳という統計がでました。

早死の背景には、幾つかの理由が浮上しています。
先ずは酒好き(ウォッカ)、次に自由競争社会になって仕事を失う人が増えストレスになっている。更に浮気が追い討ちを翔けストレスに上塗りをするなどが、トップ スリーだと言います。
小噺では、、3人の男性(アメリカ人、フランス人、ロシア人)が無人島に流れ着き生活が始まりますが、不憫に思った神様は、それぞれの男性に2つだけ願い事を叶えてあげると約束しました。アメリカ人は、先ずはお金、そして帰国を願いました。フランス人は、先ずは女、そして帰国させてくれと頼みました。ロシア人男性は、先ずはウォッカ(麦で作るアルコール精分の凝縮した酒)を1箱、そして仲間2人(アメリカ人とフランス人)を呼び戻して欲しいと願ったそうです。

因みに、女性の年金支給開始は55歳からで、平均寿命は73〜75歳だそうです。
     



1185  タマネギではなくてロウソクの炎


キリスト教が布教する10世紀以前のロシアでは、太陽や自然現象、動物を崇拝していました。

人の名前も、熊(ミハイル)とかレフ(ライオン)などと言った強い動物を名前に付けていました。10世紀以降、1917年の社会主義革命までは聖書に登場する聖人を名前にするようになりましたが、革命後は革命に因んだササリーナ(社会主義の子供)などが、人気のある名前でした。そして、今ではタケシ(ロシアで人気のある北野タケシ)を含む様々な名前があるそうです。

百を優に超える多民族から成るロシア(1億4千万人)ですが、約7%に人がロシア正教徒で信仰の自由が戻った今、熱心な宗教活動が行なわれています。
モスクワの北東に黄金の環と呼ばれる古都群があり、過ってはモスクワと覇を競ったり、タタール人の支配に対して反逆の烽火を上げたり、ツアーリ(皇帝)や大公、貴婦人の巡礼の聖地として栄えました。そして今は、信仰のメッカとして復活したり、観光客の訪れるユネスコの世界遺産になったりしています。
セルギエフ・ポサードの町のトロイツエ・セルギエフ(セルギエフ三位一体)大修道院は、周囲を堅固な壁で囲まれた要塞づくりになっていて、中に12の建物があります。
修道院では修道僧(独身)、司祭(結婚が許されていて信者の懺悔を聞く役目を持つ)、神学生たちが生活していて、私達は神学生の案内で見学しました。中でも一際目を引くのは、ブルーに塗られゴールドの小さな星が散りばめられ、タマネギの形をした塔を持つウスペンスキー(聖母マリアの被昇天という意味)大聖堂でした。堂内ではミサが進行していて、男性によるコーラス(聖歌)が歌われ、天井から壁や柱に至るまでフレスコ画とイコン(板に描いた聖人の絵)で埋め尽くされていて、椅子のない祈り場では男性は脱帽、女性は頭に被り物をして、床に跪いたり体ごと平伏す人もいて、生きた宗教を垣間見た気がして、荘厳な雰囲気に圧倒される思いでした。
教会の塔に塗られた色も、金は主イエス・キリストを、銀は福音の書の作家であるマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネを、青は聖母マリアを、緑は修道者(隠遁者)を、黒は死を、金色の小さな星は天(神の住む世界)を表しています。
また、教会の塔の数にも意味があり、1つであればイエス・キリスト、3は三位一体(神とイエスキリストと精霊)、5はキリストと福音書の4人、9は9つの神に感謝する祭り、12は12使徒を表しています。
ロシア正教の十字架は,十字の他に縦棒の上方に短い水平の横棒が1本と、下方に左肩上がりの斜めの短い棒が1本加わっています。上の棒はイエスがゴルゴダの丘で磔刑になった時、ユダヤの王イエスと刻まれた木が付けられていたことに由来し、斜めの下方の木はイエスと共に死んだ2人の囚人の中で、1人はイエスの教えを受け入れたので天に召された証だそうです。

トロイツエ・セルギエフ修道院全体が望める展望台からの眺めは一服の絵でした。
ロウソクの炎は神の恩寵であり、暗闇に光を当て、人々を神の許(パラダイス)へと導いてくれる象徴であり、ロシア正教の教会の塔はタマネギに似ているが、ロウソクの炎を表しています。
3つの有名なウスペンスキー大聖堂はセルギエフ・ポサードの町の他に、別の黄金の環の町ウラジミールとモスクワのクレムリンの中にありますが、いづれもロシア正教の総本山として大切な役目を担ってきた歴史があります。
ウラジミールでは12〜15世紀、セルギエフ・ポサードでは16世紀、そしてモスクワは革命(1917)までツアーリや大公の戴冠式、結婚式、戦争での必勝祈願と祝福、勝利して凱旋帰還した際の神への感謝の祈りといった具合に、政治と宗教が一体となって国を動かしていた証となっています。

アメリカのボーイング社製の最新型機を導入しているアエロ・フロート ロシア航空で帰国しましたが、成田空港に到着して入国手続き場へと向かって歩いていると、横に襟の詰まった黒装束の神父さんがおられたので声を掛けると、函館の聖ニコライ聖堂に帰るところで、名前もニコライさんで一生日本で過ごす積りですと流暢な日本語が返ってきました。
確か、高田屋嘉兵衛 (2百年ほど前、北前船を操って関西と北海道や千島列島の間を行き来し物産を運んだ商人で、一時ロシアに拿捕されたが、天性の明るさとリーダーとしての類稀な資質に恵まれ、ロシア人と日本人の友好親善の架け橋になった) の冒険に感化された元祖ニコライさんが明治になって日本にやってきて、函館にロシア正教会を建てたのだったと思います。

ロウソクの炎の形をした日本での教会の後継者氏に、ロシアの旅の締めくくりに出会ったことになります。







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