希望

       
1021  一枚の絵が語る


オスロの王宮近くに、国立美術館があります。

エドワルド・ムンク(1863〜1944)の絵があることで有名ですが、1905年にノルウェーが独立して未だ日が浅い何かと物入りだったはずの1920年にできたのだそうで、芸術を愛する人々の心意気が感じられ、郊外にある彫刻のビーグラン公園と同じく無料となっています。

そんな美術館の中に久しぶりに入りましたが、ムンクの作品を収めた部屋(24室)は既に団体客で一杯でした。ガイド女史がムンクの部屋に通じる隣の部屋に飾ってある一枚の絵に目を留め説明をしてくれたお陰で、クリスチャン・クローン(1852〜1925)という画家を知りました。クローン氏はジャーナリストであり、教師そして画家として政治や社会の矛盾を訴えた文化人でした。
社会一般に敷衍していた貧困、結核、売春そして性病という一連の問題を、1880年に'警察医に面会するアルバータイン'という絵の中に閉じ込め、売春婦になったばかりの少女アルバータインが他の様々な人たちに混じって、性病の正否の判定を待っている待合室の姿を描いたものです。この作品は広く人々の関心を呼び覚ますことになり、1887年にノルウェーでは売春が法律で禁止されることになったそうです。
クリスチャン・クローンはムンクに先行する社会派の画家だったことを知りました。

この美術館の、もう一つの魅力と言われている別の部屋には、同時代(19世紀後半〜20世紀前半)に活躍した他のヨーロッパの国々の芸術家達の作品(絵や彫刻などで、マネやドガ、セザンヌにモネにロダン、ルノアール、ゴーギャン、ゴッホにマチス、ピカソやリジェールにブラック、モジリアーニなどのもの)がありますが、正直霞んでみえました。

また、美術館の正面入り口を入って右に行くと、絵葉書や本などを販売している部屋があり、更にその奥にはとってもお洒落な喫茶店ができていて、室内装飾が見事でクラッシックな雰囲気を演出しています。客を待ついくつかの丸いテーブルの上のロウソクには小さな灯りが灯っていました。
      



1022  国の名は小さい集落

  

世界で2番目に大きな国カナダには無数の湖水がありますが、氷河期時代に削り取られた大地の跡に水が溜まった氷河湖が多いようです。

そんな水の中を住処にして生きているのがビーバーです。
300年〜400年前から入植してきたイギリス人やフランス人は、ヨーロッパ上流社会で珍重されたビーバーの毛皮を求めて争い、先住民族(カナダ・インディアンやイヌイット)の求めるウィスキーやワインを物々交換の商品として使いました。
そんな中、フランス人に国の名は?と尋ねられた先住民族は、カナダと答えたそうです。
'自分の住む小さな集落'を意味する言葉カナダが巨大な国の名前になりました。

オンタリオとは美しい水を、トロントは人の集まる所を表す先住民の言葉であり、ビーバー争奪戦の軍配はイギリスに挙がり、今も名の残るハドソン・ベイ・カンパニーが活躍しました。
アメリカの経済誌'フォーチュン'に、人口が五百万人に膨れ上がったオンタリオ湖畔の町・トロントは数々の世界一の称号を持つ町として紹介されています。
CNタワーは世界で一番高い塔、世界初の開閉式のドーム球場、そして80カ国以上から様々な人種が集まり100を越える言葉が話されていて、冬の寒い季節を快適に過ごす為の地下街が発達していて、地下鉄のネットワークも張り巡らされ、住み易い町のトップになっているそうです。

そんな前進するカナダの象徴になったトロントですが、今でも伝統のビーバーの毛皮を使ったアパレル産業が集中している古いレンガ建ての建物が残る通りがあり、その界隈は過っては先住民の部落のあった森だったそうですが、今は高層ビルの立ち並ぶ中心街の傍に当っています。
帰宅ラッシュのそろそろ始まる夕方4時半前後でしたが、駐車場横の角でコーンド・ビーフ専門の看板を出したレストラン入り口前のバルコニーでは、のんびりと日向ぼっこをしながら3人の中年の男性がコーヒーをすすっていました。以前、オーストラリア人の家庭でコーンド・ビーフをご馳走になったことがあり、懐かしくて近づいて話しかけてみました。すると、彼らはレストランで働く人たち(経営者も含む)であり、コーンド・ビーフは牛の生肉を塩で包んで保存したものだそうで、その形がコーン(とうもろこし)に似ていたので名前がついたと言い、元はアイルランド人が思いついたのだそうです。
そこで、あなた方はアイルランド人か?と問うと、イタリア人だと言います。何故、イタリア料理店をしないのか?と問い返すと、スパゲティは日本(うどんの事を云っている?)から学んだように、今度はアイルランド人からコーンド・ビーフを学んだと笑わせてくれました。

通りでは、勤め帰りの人たちがバス停で待ち始めたり、歩道を会話に夢中になりながら歩いていく姿が見えて、暖かい日差しが過っての先住民の森を照らしている、9月の末のある日でした。
    



1023  I try と答える姿勢の大切さ



カナダのトロント国際空港の広い入国手続き場では,さまざまな国から到着した人たちでいっぱいでした。

20以上オープンしている入国審査官の座るブースの前は、長蛇の列ができていました。
航空会社関係者(パイロットや客室乗務員)や外交官など特別な人以外は、カナダ人も含めて全ての人に平等に接している様子で、Welcome to Canada (カナダにようこそ)と電光掲示板が出ているだけで、どの列に並んでもいいようでした。
飛行機の中で配られる入国書類を兼ねた税関申告用紙には、カナダ人とそれ以外の国籍の人を分け隔てる質問が一つだけあるだけで、他は全く同じものであり、英語かフランス語いづれかで答えるようになっています。
その背景には、カナダに長年住んで働いていて、あるいは年金生活する永住者の人たちが大勢いて、国籍は未だカナダになっていないか?むしろ、その気が全くない人を認めていることがあるようです。
実際にカナダでお世話になったバス・ドライバーの二人は、それぞれドイツ、英国の国籍を持ちつつカナダに移り住んで30年ほどになると云っていました。
選挙権がない以外はカナダ人と変わらない待遇が与えられていて、不自由はまったくないそうで、むしろ年金が両方の国から貰える利点があると言い、広い大地に僅かの人口しかいないカナダでの生活ののんびりしたリズムを満喫しているようでした。

キャン ユウ スピーク イングリッシュ?(英語が話せますか?)と聞かれた60歳前後の日本女性がノーと返事したのを皮切りに、その列に並んでいた他の日本女性3人も次から次へと、書類に大きく赤インクで斜線が引かれ、別室へと連れ去られて行ったそうです。入国手続きの次は預けたスーツケースがターンテーブルに出てくる税関のある広い場所に行きますが、そこでグループの人から4人が連れ去られた事を聞き、急いで引き返して、別室で列になって順番待ちをしていた彼女たちのそばへ行き、話しを聞きました。
パスポートも書類も全く不備がないにも関わらず、たまたま入国係官に言葉が話せないと答えただけで、明らかに危険のない観光客である中年日本女性を面倒扱いにしてしまい、別室に送ってしまった不親切で短気な審査官だったことが分りました。
30分ほど待って順番がやっていて、年配の検査官に有様を言うと、直ぐにスタンプと署名をしてくれました。

学んだ事は、他国の縄張りに入り相手の言葉が話せないと最初から拒絶する(ノー)のは、不利や災難を自ら招くことになり、そうかといってイエスと答えるにはあまりにも無理があるので、せめて'I try (頑張ってみます)'と笑顔で答えるのが、ビジター(観光客)に相応しく、また国際化のマナーの基本になるだろうと皆さんで話し合って、不愉快な思いを水に流しました。

それにしても別室で待っている人の多くがアフリカ系の女性で、大半が子供や赤ちゃんを連れています。長い時間をかけて係官と話をしていたのが印象に残りました。
7〜8年ほど前、中欧のハンガリーの首都・ブダペストで、街中にある移民事務所に半日行ったことがあります。生活をかけて一生懸命に生きているアフリカや中近東、アジアからの就業ビザの取得や滞在の延長を求める人たちでロビーがいっぱいで、朝から夕方まで不安な目つきで順番を待っていたのを思い出しました。
ケニアで以前目にしたコーヒーのブランドに'アウト オブ アフリカ'(アフリカを出て)がありましたが、人類の祖先が何波にも亘ってアフリカを出て、他の大陸や島へとチャレンジした結果が現在の人類の繁栄をもたらしたとすれば、国境こそ最大最高の旅の魅力が凝縮した所と云えましょう。

平和な経済大国と言われる日本に生きている私たちですが、海外への旅は生きるとは何か?という原点に立ち戻らせてくれる機会にもなります。
      




1024  ロッキーの姿は変わらない



カナダのロッキー山脈の観光で3日間一緒したドライバー氏は、60歳前後に見える背が高く痩せ型で、少し頭が薄くなったハンサム顔の話し好きでジョークが上手な人でした。

1970年代の末頃からオランダへ目だって中東からの労働移民が増したそうです。父親の経営する建築会社を手伝っていたそうですが、オランダ航空に勤めていた妻と何度か旅行した折、印象の良かったカナダへ移り住む決心をして1980年代の初めにカルガリーにやってきたそうです。
石油の掘削機械メーカーのエンジニアとして長年働いてきましたが、ロシアや中国、インドネシアやアフリカ諸国へ技術指導の為長期滞在したこともあり、5年前に奥さんの助言もあって退職したそうです。
同じオランダからやってきて、カルガリーで40台近く大型バスや中・小のバス、リムジンなどを所有する観光会社の社長に誘われ、今はパートでバスを運転しているそうです。
カナダでは、運転免許は5つのクラスに分かれていて、あらゆる車種でも運転できるクラス1の資格を持っていて、去る8月にはドイツからやって来た団体客を3週間かけて、アルバータ州のカルガリーからアラスカのアンカレッジまでドライブしながら合わせてガイドもしたそうです。そのドイツ人一行は彼と別れて後は、アンカレッジから大型クルース船に乗ってアラスカやカナダの太平洋沿岸沿いに自然を満喫しながら1週間ほど、カルフォルニアへと更に旅を続けていったそうです。

彼の運転するバス会社の名前はサン・ドッグと言いますが、幻日とか部分的な虹、あるいは不吉なといった意味があるそうでオランダ人らしい、どんなものでも飲み込んで前向きに生きていこうとする強かさが見え隠れする社名だそうです。

30年ほど前カルガリーにやって来た頃は、数万人の人が住む静かな町だったそうですが、今は百万人を越え、2006年から2007年のたった1年で土地や建物の値が4割も上がってしまう石油ブームに沸く都会に変貌しています。カルガリーのあるアルバータ州では、石油や天然ガスからの利益を州民に還元することを決め、赤ちゃんまで含めておよそ一律1人当り1500カナダドル(16万円)貰ったそうです。新たに従業員を見つけるのが難しいほど人手不足になっています。
数年前、久しぶりにオランダへ帰ったそうですが、失望とストレスだけが溜まったと語り、しかしオランダ国籍は今も持っていて、カナダでは永住権ビザで生活していて両国から年金が貰えるという計算高い生き方は、流石オランダ人の何たるかを持ち合わせておられました。
3〜4歳になる一人孫をバディ(相棒)と呼び、バディと一緒に買い物に行ったり甘いものを食べるのが楽しみだと語る、その目はおじいちゃんの目になっていました。

バンフ国立公園を出て、カルガリーへと向かうバスの中から見えたセメント工場を指差して、丁度カルガリーにやって来た頃から盛んに石灰石を取り崩してセメントにする工場が始まったそうですが、今では西部カナダで一番大きな工場に成長していて鉄道も敷かれていますが、ロッキー(石灰岩からできている)の姿は一向に変わらないと、自然を讃え人間の小ささを笑い飛ばしました。
     





1025  カナダ・ロッキー国立公園内の車の渋滞原因とは?



通常の車の渋滞原因と言えば、朝夕の通勤ラッシュによる自然渋滞が考えられますが、カナダ・ロッキー国立公園では大いに異なっています。

公園内は、人間以外の様々な生きもの(動物、鳥、昆虫、魚、植物)や石や水に至るまで、自然にそこにあるものが主役であって、人間はBy−Player(脇役)に徹しています。公園を訪れる人は、三つのことを守らなければいけません。
  物を捨てないこと。
  物を与えないこと。
  物を持ち帰らないこと。
食べた後の残り物は必ず持ち帰るか、力も知恵もある熊でも開けられない頑丈なゴミ箱に捨てます。町の中でも道路脇でも出没する鹿や熊、兎などに決して食物を与えてはいけません。若し与えれば、餌を自然の中で捜して見つけて生きていく本来のリズムを忘れ、人間に依存するようになり、動物園の檻の中にいる生きものと変わらなくなってしまいます。
一度飼われた動物は自然の中に戻しても、再び順応して生きるのは不可能に近いことが観察で分っています。
そして、小さな草花や石一つに至るまで、そのままにしておき、花を摘んだり石をポケットに入れて持ち帰ってはいけません。

広大な国立公園内の見学は、1929年の世界経済恐慌で失業した大勢の労働者の救済を兼ねて9年かけてつくったナショナル・パークウェイ(国立公園道)を中心にして、枝分かれしている道路を車に乗って(中には自転車に乗っている人も)行ないますが、必ず入り口で通行税を支払います。この通行税が国立公園内の諸々の維持管理に使われています。

カナダの西部一帯は4億5千万年前は浅い海の底だったそうですが、約1億6千万年前にロッキー山脈が海底から地上に現れ隆起したのだそうで、山肌にはっきり残る岩質の違う断層が見られたり、あるいは海に生きていた生物の化石が岩の表面に刻まれていたり、ウェイブ・ロック(波の打ち寄せたカーブ状の跡が残る岩)もあります。
過って、西オーストラリア州の内陸で巨大な波型岩山(ウェイブ・ロック)を見たこともあります。そして、4百万年前ごろから氷が地球を覆う氷河期が間隔を置きながら始まりましたが、ロッキーの大地を少しずつ削りながら山と渓谷、川や湖が形成されていったのだろうと考えると、長い地球の歩みを教えてくれるかけがいのない場所だということが分ります。

そんな貴重な自然の中を車で走っていると、時には渋滞にぶつかることもあるそうです。
一つは、道路わきに動物が出てくることもあり、道行く車は停まり、暫し動物観察タイム  となってしまいます。
二つには、バカンスシーズンには大型キャンピング・カーを運転したり、あるいはキャンピング・キャビンを連結した乗用車が多く出現して、普通免許で運転できる国ですので、滅多に乗らない巨大なサイズの車のコントロールは、渋滞の原因となっています。
三つには、道路工事によるものです。昼と夜の温度差が激しく異なる気候ですから、道路にヒビが入ったり波打ったりすることになり、修理修復は気候の良い夏場に集中します。
四つには、春先に発生し易い雪崩による道路封鎖だそうです。

自然のない都会へと益々人口が集中する世界的な傾向ですが、自然が人を育てた恩を忘れ、自然の恵みに感謝する気持を感じなくなりつつある私たちの行く先は…?。
アンモナイトの化石のように、人の化石が何億年か後、木や石に刻まれて見つけられるのかも知れませんね…。







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