希望

      

906  タイで生まれ育ったスイス人のオリバー君


オリバー君は11歳です。

青い目の金髪少年ですが、スイス訛りのドイツ語や英語、タイ語が堪能です。
3年ほど前に両親に連れられてスイスへと行ったそうですが、タイで食べていた米のご飯を恋しがったそうです。
タイでの教育はお母さんとお父さんの友人たちが受け持って教えているそうですが、よく観察していると、タイ人の子供
がよくする人前で鼻くそをほじくったり、女性を見ると口笛を吹いたりするクセがしっかり身に付いているそうです。
朱に交われば赤くなるの類で、知らず知らずの内に遊び仲間のタイ少年たちの真似がでるのでしょう。

日本では西暦と日本暦(?)を使い2006年とか平成18年と言いますが、イスラム世界ではイスラム暦(マホメットがメ
ディナへ移ったのをヘジラと言い、イスラム暦元年とする)で今年は何年と言います。
タイでは、ブッダが亡くなった年から数えて何年と言うそうで今年は25??年となり、みんなリラックスして生活している
そうです。
      


907  午前10時過ぎ、電車の中での会話


ある冬の朝、60歳を少し出た男性二人が久し振りに出会いました。

片方は相手を覚えています。しかし、もう一方は相手を忘れているようです。
忘れている男性は毎日が日曜日の生活のリズムですが、珍しく今日は奥さんと連れ立って東京までお出かけのよう
で、奥さんの仲介でようやく思い出します。覚えていた人は背広にネクタイのいでたちで、これから出勤だそうで夜9時ま
で働くそうです。
そこで忘れていた人が、'お仕事は楽しいですか?'と訊ねますと、'単調なリズムのくり返しで楽しいといったレベルの話
ではありませんよ。'と答えが返ってきました。
忘れていた人は海外旅行の添乗員の仕事を30年あまりしてきた人ですが、様々な楽しかった旅行のことを夢にみるこ
ともないと相槌を打ち、更に2百年年前に生きた海の英雄でイギリスのネルソン提督はスペインのトラファルガー沖で
の海戦で、流れ弾に当たって死ぬ時、'自分は義務を果たした'という名言を残していて、指揮官という役職を忠実に果
たしたというほどのことを述べ、死体を海に流す慣例に反してロンドンに持ち帰るよう指示した話を持ち出してきて、当
時は産業革命の勃興期であり工場で働く人は機械の部品同様、与えられた仕事を黙々とこなすことで、全体の効率が
上がる新しいリズムが形成されつつあったので、ネルソン提督の言葉はその後の模範とされるようになったそうですか
ら、あなたも英雄ネルソンの如く仕事場へ向かわれると良いでしょうと、へんちくりんな勇気付けをしていました。
やがて途中駅で覚えていた人が降りると、忘れていた人は妻に向かって、人生第2の職場(定年後の再就職)に行った
のだろうか?と訊ねていました。


電車の中は通勤ラッシュが終わっていて静かな中、周りによく響く会話でした。
       


908  西洋男性の伝統の服装はスキタイ人をモデルに



古代ギリシャ人の記述により、南ロシアを舞台にして活躍した文字を持たなかったスキタイ人は知られていました。

優れた馬の乗り手であり、短い弓を射るのを得意とする戦さ上手な人たちでした。
素早い身のこなしと敵の投げる槍や剣が届かない距離で、馬上から矢を続けざまに放ちました。武勇を尊ぶ社会で、
戦場では敵の首を容赦なく切り落し、乾燥させた頭蓋骨を馬の鞍やくつわにくくりつけて飾ったり、、馬の揺れを押さえ
る重石代わりや飲料カップとして使いました。狩りにおいても、兎や猪、虎に至るまで一矢で射止めました。
後に登場してくるフン族やモンゴル族の原型をつくった人たちでした。
馬の性質を熟知していて、更にその売買やブリーダーとしても天馬と呼ばれた中国産の馬を繁殖させました。
メス馬は乳や繁殖用に、オス馬は繁殖用に用い、戦場では虚勢した馬だけを使いました。
オス馬は虚勢馬と比べると突然にいなないたりするので敵に居所を悟られたり、メス馬に関心がいったり、縄張りを示
す為に頻繁に立ち止まり放尿する癖があるので、信頼性に欠けていました。
スキタイ族、フン族、モンゴル族の武人に共通しているのは、馬上で放尿や睡眠、セックスにまで及んだそうです。
馬の背にまたがって生まれた人!?と云われるスキタイ人の服装は、毛織のズボンに皮靴、暖かい頭巾付きのシャツ
に似た膝までの下着(チュニカ)で着用していて、後の西洋男性のいでたちの原型になったそうです。

20世紀に入りスキタイ族の墓が見つかり始め、ギリシャ人の記述を裏付ける証拠となる品々が明らかになっていま
す。
その他スキタイ人と同時代の騎馬民族としてはパルティア人やペルシャ人などがいますが、アレキサンダー大王の登
場(336〜323BC)で草原の人に替わり理性に導かれたギリシャ人や実務に長けたローマ人を生むことになりました。
      



909  パラダイスを捜して



アダムとイブが永遠に変ることのない生を満喫していたという地上の楽園(パラダイス)は、何処にあったのか?今も世
界の何処かにあるのだろうか?あるとすれば行ってみたい、住んでみたいとヨーロッパ人は想ってきました。

エチオピアにあるのでは?と考えた人もいれば、6世紀の神父ブレンダンは大西洋の南西にあると言いました。他の人
は山の中だと言い、コロンブスは赤道の南にあるはずだと言ったそうです。
16世紀の英国の政治家トーマス・モアはユートピアの中で、パラダイスは失われたので帰るのではなく未来において人
間がつくる完全な社会を目指す(新しいパラダイス)と述べたそうです。ユートピアとは何処にもない(No Where)という
意味です。
18世紀になると、南海に最後の望みを託してフランスの探検家ブーゲンビルは太平洋へと航海して、遂にタヒチに17
66年にやってきました。
そこで見たのは正にユートピアの世界でした。
青い海と珊瑚礁に囲まれた緑豊かな島であり、川が流れていて滝もあり自然の恵みに満ちていました。ヘビや毒虫も
いないし、活火山もありません。そして何よりも客人を大切にもてなす心優しいタヒチの人に出会いました。彼らは背が
高くハンサムで健康に恵まれ親切で、平等な社会の中に生きているようでした。
しかし、実際は違っていました。
病気もあれば死もあるし、階級社会であって部族間の争いや人身御供もありました。

19世紀末に生きた画家ゴーギャンはヨーロッパでの生活を嫌悪して、自然と太陽に恵まれた南太平洋のシンプルな生
活、島民のシンプルな美しさに憧れてマルケサス諸島(タヒチのある)に移り住みました。
しかし、そこでも金が必要とされ健康を損なうことがあり、パーフェクトからは程遠いことを知らされました。
人は何処から来て、何者であるか?何処へ行くのか?と題したアレゴリカルな絵を私たちに残しています。
ゴーギャンは1903年にマルケサスにあるヒバオア(小さな島)で亡くなりました。
        



910  原油はワイン樽に入れられていた


アメリカのペンシルバニア州・ティツビルにおいて,最初の原油が地面を20米ちょっと掘った所から吹き上げました。

1859年のことでした。動物の脂肪や植物油、クジラ油を使っての揺らめく光に代って、安定した人工の光が夜を照ら
すことになりました。米国では油田発掘競争が激化し、一夜にして成金も出れば破産者も出るといった最中、最初の石
油を掘り当てたエドウィン・ドレイクも破産しています。19世紀後半は、油以外の金や銀、ダイアモンドといった鉱石の
発掘に世界中が血眼になった時代でもありました。

当初のころ、原油は48ガロン入り(1ガロンは約3.8リットル)のワイン樽(ワイン・バレル)に入れて貯蔵されたり運ば
れたりしました。今でも、原油量のことをバレルという単位で云うのは、最初に原油をワイン樽に詰めたことに因ってい
て、1バルルは42ガロンと決められています。イギリスで最初に走った蒸気機関車の線路の幅が、馬車のわだちの幅
に合わせたのと似ています。
1870年にはジョン・D・ロックフェラーがスタンダード石油会社を立ち上げたり、マーカス・サミュエルも後にロイヤルダ
ッチ・シェル社として世界に名を知られるようになった企業を興しています。また、ノーベル兄弟もロシアのバクーで油田
開発を始めていました。兄弟の一人(アルフレッド)は後にノーベル賞財団を創設しました。
19世紀末までには、電気の使用が普及したことで石油業界は峠を越えたように見えましたが、20世紀に入ると内燃機
関の発明と自動車の普及に伴い、ガソリンの需要が上がりました。

原油はどうして出来たのか?長い間生物の屍骸の堆積によると考えられて(biogenic theory)きました。最近では、原
油の主成分が炭化水素であることから、地球の誕生期にまで遡る自然発生(abiogenic)ではないかと考える人もいま
す。
油田のサイズは、取り出し可能な埋蔵量が50億バレル以上だとスーパージャイアント、500万バレルから50億バレ
ルでワールドクラスと呼ばれていて、ペルシャ湾付近やカスピ海、グリーンランド、アフリカ、シベリアなどが有望視され
ています。

軍事面では第一次世界大戦を契機に現在に至るまで、石油の確保が武器の運搬や使用に欠かせないものになってい
ますし、石油の利権をめぐる縄張り争いが戦争の火種になっています。
また日常生活自体が石油と天然ガス(炭化水素が主成分)からつくられる製品に負っていて、'炭化水素社会'と形容さ
れるほどです。生活が快適で便利になった反面、地球の環境を悪化、汚染、温暖化しているとの指摘もあり、物事には
いい面と悪い面の両面があるとの古の教えの通り、石油も例外ではありません。

ノルウェイ(人口500万)に過って行った折、北海油田による利益は神様からの贈り物と思い、ムダ使いをしないで人
材育成の為の資金として使うと言っていた教育者の話が懐かしく思い出されます。
最近タイから帰ってきた人の話によると、日照不足に悩まされるノルウェイの人たちが大勢、暖かく太陽がいっぱいの
タイにやってきていて休暇を楽しんでいて、その費用は国が負担してくれると語っていたそうです。







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