希望


861  ビエンチャンからローアンフランバンまで船旅がしてみたい


メコン河は遠くヒマラヤの山中に発し南シナ海に注ぐ、全長4300キロに達する東南アジアで最も長い河です。

およそ半分の距離は中国領内を流れていますが、その間山間を縫い滝を下り国境(ミャンマーとラオスとの)の町ラン
カンに達するまでに4千米も落下する水の流れは、怒涛の若者の進軍のような勢いだそうです。
しかし、その後はミャンマーとラオスの国境沿いを流れラオスに入り、やがてラオスとタイの国境を長く形成し、カンボジ
ア領内を貫通して後、ベトナムのデルタを肥沃にして南シナ海に出ますが、後半の水の高低差は500米ほどです。
静かにゆったりと流れる大河へと変貌を遂げている様子です。
メコン河は6つの国にまたがり、100近くの土着民や民族を含む1億人の人々を養い、年間130万トンの漁獲を誇って
います。
南ラオスにあるコーン滝の水量は、カナダとアメリカの国境にまたがって流れ落ちるナイアガラ滝の2倍だといいます。
ベトナム内では、7つの川となって全長3千キロに及ぶ水路を形成し、この巨大なデルタ地帯を利用しての米の3毛作
でタイに続いて世界2番目の米の輸出国になっています。
川魚も1200種に及び、えび等も養殖しています。トレイ・リエルという名の魚は、カンボジアの通貨リエルになっている
ほどです。絶滅の危険があるとされているナマズもいますが、全長3米にも成長する巨大ナマズで、300キロ近い重さの
ものが網にかかったこともあります。川沿いのレストランの魚料理は何れの国も美味しいとの評判です。

プノンペン(カンボジアの首都)やビエンチャン(ラオスの首都)もメコン河の港町として栄えてきました。ビエンチャンは
千年の長きに亘り商業や政治宗教の中心地であり、多くの水路沿いには美しいパゴダ(仏教寺院の塔)が立ち、水の
中に竹を組んで土台を固定させた水上住宅があるそうです。マレ−シアからタイ、そしてラオスを旅してきた若者の印
象では、国を超えるに連れてより一層田舎に来たなというのんびりさが増したそうです。
ラオスのビエンチャンでは、今でも町で一番背の高い建物はフランス統治時代につくったフランス・ラオス折衷様式の凱
旋門だったそうです。しかし、見せてくれた凱旋門の写真を注意して見ると、高圧電線の鉄柱が写っていて、ひたひたと
近代化が迫ってきているように感じました。

ビエンチャンから上流へと船旅をすれば、過ってのタイ・ラオ国の都でありフランス統治下にあっては、ラオス王室の住
まいであったフランス風の雰囲気は漂うローアンフラバンの町に行けます。ゆっくり、のんびりしたアジアならではの船
旅の夢がしてみたいなー。





862  フライドチキンが大人気!


南ア連邦の旅から帰ってきた友人が驚いて言うには、彼ら黒人の多くが異常に太っていて、その原因は食事の偏り飲
み物の偏りにあるのでは?と思ったそうです。

衣をつけて揚げたチキンと水代わりにコーラを飲んでいる人達をよく目にしたそうです。

ニュージーランドには大勢のアイランダーズ(ニュージーランドも島国ですからアイランダーズに入るかも?)が住んでい
ると別の友人が言います。
南太平洋のクック諸島やトンガ、サモア、ケルマデック諸島、チャタム諸島、フィジなどの島々の人々をさしているそうで
す。クック諸島に久しぶりに里帰りするアイランダーズの家を訪ねると、部屋の中は買ったばかりの未だ暖かい湯気が
出ているケンタッキー・フライドチキンが紙箱に入ったままで、うず高く積んであったそうです。
冷ましたあとアルミフォイルに包み直して、親戚や友人のお土産にするのだと言われたそうです。故郷のアイランダー
ズは、みんなこのフライチキンが大好きだそうで、里帰りの土産に欠かせないものだそうです。

土産がコミュニケーションに大切な要素になっているのが、アイランダーズの文化だと見抜いた友人でしたが、日本も
島国(アイランダーズ?)であり土産は同様に重要な地位を占めていると思えますが、フライドチキンを土産に考える人
はないようです。そのお陰でしょうか?異常に太っている人を余り見かけないのは?





863  鉢植えの植物は大きく育たない


花好きな友人が、我が家の玄関横に植えてあるハーブ種の植物が、元気に大きく葉を茂らせて育ったのを見て、ため
息交じりに言いました。'鉢植えの植物は、こうは大きく育たない'と。


玄関横には以前は、ツゲ(黄楊)の木が植えてあったのですが、棘が通行の邪魔をするようになったので、引っこ抜き
半年ほど前にバジルやペパーミント、アップルミントやセイジ,しそなどの小さな苗を買ってきて、娘が植えたのが始まり
でした。小石交じりの土壌に肥料を入れて隙間だらけに植えたものが、今は互いに自己主張をしながら根をしっかり張
り、逞しく太陽に向かって育っています。
中にはライバルに場所を取られ、姿を消してしまったものもあるようですし、逆にしそ(日本に古来からあるハーブと言
われている)は緑や赤系の葉を大きく広げて、勢いが益々盛んに見えます。
限られた土と周囲や底が陶器で囲ってあり成長を妨げる鉢の中で育つ植物は、自ずと違った道(結果)に行き着くよう
です。
アパート暮らしの友人がふと漏らした言葉でしたが、植物だけに留まらない人間にもあてはまるように聞こえました。





864  10分話して3円


オーストラリア人の友人が電話をかけてきました。

彼にとっては初めての海外旅行でしたが、奥さんと一緒に彼らの先祖の地であるヨーロッパにチャレンジしました。3ヶ
月間背中に重いリュックを背負い、スコットランド、ポルトガル、フランス、ドイツ、ベネルックス3国、スイス、イタリア、ス
ロベニア、オーストリア、ハンガリーなどの国を回りました。5月の末から8月の末にかけてのことでした。
その旅では、行きと帰りに日本の我が家に立ち寄ってくれました。
2人ともよく笑い、よく話す明るいオージーです。それだけに心配になりパスポートや財布、クレジットカードなどを盗まれ
ないように忠告しましたが、案ずるよりは産むが易しの言葉通り、無事にそしてとても数日では語り尽くせないほどの体
験談を持って帰ってきました。
帰りに我が家に立ち寄った際には、オージーがこよなく怖がり憧れている地震(震度3)を体験するというおまけ付きで
した。
帰国してから1ヶ月が経ち、元の仕事に復帰しているそうで、少しずつ旅の興奮が収まってきている近況報告を兼ねて
の電話でした。しかし、何故か話している自分の声がしばらくエコーして後、相手の声が私にストレートで聞こえてくると
いった会話です。
30年も昔、よく旅したインドで日本へ電話すると、同じようなことがあったのを思い出しました。
この友人はパーソナル・コンピューターを使って電話を掛けてきていると言い、料金は10分が3.5セント(3円)だそうで
す。

先日、飛行機内で奇妙な風景に出くわしました。
前の席に座っていた中年のビジネスマン風の外人男性が、ラップトップ・コンピューターを両手に抱えて耳に近づけた
り、語りかけたりしている風景でした。PCに弱い私は、変ったことをする人もいるものだと思っただけでしたが、これこそ
電話をしていたのだと今分りました。

しばらくエコーする会話を楽しみましたが、オーストラリアの友人たちが何よりも羨ましがったのは地震体験の話だった
そうです。彼ら二人は、日本で食べた日本食の美味しさが忘れられない、寿司の味が懐かしいなどと(本当はあまり口
にせず,合わなかった様子でしたが)語り、安いチケットを見つけ、また日本にやってくるそうです。

旅は人を楽しませ、希望を与えてくれる特効薬の効き目があるようです。





865  空港、ホテルは農耕民族、旅行業は騎馬民族


アメリカで小説'ホテル'あるいは'エアーポート'がヒットして映画化されたのは、1970年代頃だったでしょうか?

その中で語っていたのは、町と同じように衣食住と文化(娯楽)の全ての機能を持つほどに巨大化したホテルやエアー
ポートでは、常にドラマ(事件)が起きていて、その処理解決に当たっては、リーダーのもとスタッフが日夜活動してい
て、それは市長を中心に各部署の責任者、スタッフが町で日夜起きる事件の処理、あるいは将来に向けての計画作成
に苦心しているのに似ているといった内容だったと思います。
21世紀になった現在、エアーポートは益々その存在感を増していて、日本のように周りを海に囲まれた地理的条件に
ある所ではなお更のことと思います。
ただ本当の町や海外のエアーポートにはあるのに日本の空港に今もってないものは、祈りの場、もしくは一人静かに瞑
想する空間です。
弱い不安定になりがちな人間が、勇気を与えられ自分を見つめなおす神との交信できる空間を日本の空港では見たこ
とがありません。この事は日本のホテルについても、ある程度あたっているように思います。
ビジネスとしての結婚式場や宴会場の機能は、日本のホテルは他の国の上を行く仕掛けを持っていますが…。

先日パリのベルサイユ門(パリの西部郊外にあるベルサイユ宮殿に通じる出入り道の門でしたが、今はなく名前だけが
残っていて自動車の環状線の出入り標識として機能)そばの大きなアトリウム式(建物の中心が天井まで吹き抜けにな
っている)のホテルに泊りました。600室もあり、従業員の親切で優しい客への対応をレセプションでも、朝など大勢の
客で一杯のレストランでも感じました。従業員教育が期間をかけてマニュアルにそって行われているようです。
部屋にはセイフティボックスが備えてあり、暗証番号を入力して開閉する式のものでしたが、真夜中の1時ごろ女子大
生の部屋から電話があり、金庫が開けられていて中に入れていたものがなくなっているとのことでした。金庫の中には
空の小さなペットボトルを2つ入れたといいます。
彼女たち曰く、'パスポートと財布は常に身に着けているので、試しにペットボトルを入れてみた。部屋を留守にしている
昼間に誰かが勝手に入り、金庫を開けて持ち去ったことが不安で眠れない'と。部屋に残していた他の全ての物はある
そうです。
レセプションに連絡すると、昼間のシフトとの引継ぎの際、部屋の金庫が開かなくなったので調べて欲しいとの依頼が
あったことは聞いているが、詳しくは朝のスタッフに聞いてみないと分らないとの返事です。彼女たちは内鍵をかけて、
朝7時15分にはホテルを出発するので、休んでもらうことにして全ては朝一番で確かめることにしました。
もう一件、こちらは本当に金庫の中に小額の紙幣の入った財布や運転免許証を入れたのですが、暗証番号の入力を
誤ってしまい, あせって何度か訂正を試みたのが悪く、金庫が拒否反応してしまい開かなくなりました。前日の朝、観光
に出かける間際に人でごったがえすロビーで言われ、レセプションに行き、ホテルのテクニシャン(金庫の故障を直す
人)に部屋に行ってもらうようにお願いしつつ、バスに乗って待っている他の客のことも気になり、結局後ですることにし
て出発しました。夜8時には部屋にいますから、帰られたら連絡を下さいと告げ、昼過ぎに街中で別れたのですが、電
話がかかってきたのは真夜中でした。真夜中にはテクニシャンはいないそうで、翌朝8時に出勤してくるとのレセプショ
ンの返事です。
7時15分にはホテルを出て空港に行き日本に帰るので、7時にテクニシャンに出勤してもらうようにお願いした所、連絡
がつき早い出勤に同意してくれました。実際にもそのようになり、無事に金庫は開けられて中身は取り出されて日本へ
と帰りました。

一方、ペットボトルの学生たちの言い分はもっともであり、これだけのホテルが安全性に欠けるのはどうしてなのか知り
たい、ホテルに説明を求めるとの朝一番の声でした。7時にレセプションに行き、一緒に責任者に面会することにしまし
た。ハウスキーピング(客室一切に関わる部署)の責任者であるフランス人中年女性は、金庫が故障したので開けて欲
しい旨の連絡メモ(学生たちの部屋番号の書かれた)を見せ、中に入っていたペットボトル2本を取り去ったと説明して
から、事務所に戻りその2本のペットボトルを持ってきて見せてくれ、新たに1.5リットル入りのミネラルウオーターをプ
レゼントしてくれ、迷惑をかけたことを詫びてくれました。
おそらく前日の朝、金庫が開かなくなった方の部屋番号をレセプションに口頭で伝えた際、同じ階に40人近い私たちの
グループが泊っていたので、女子大生の部屋と書き間違えた結果起きた事件のようでした。
それにしても、しっかり記録を残し空のペットボトルまで保管して、テクニシャンの出勤時間を早める手配振りに良きホ
テルの経営のサンプルをみました。

ホテルで起きるドラマは、些細なものから大事に至るものまで、様々あることでしょう。
ホテルというどっしりと足を地につけた建物を持つ、動かない不動産を財産に富を生み出す経営は、正に農耕民族に
似た安定した保守的な生き方をしている人たちであり、私のような旅行業者はさしずめ、輝いた栄光のひと時を持った
騎馬民族に似た、水や草を求めて旅をし、時には村や町に交易に出かけますが、交渉決裂の場合は押し込み強盗に
変身する人たちの流れを汲む職種かも知れません。

ペットボトルの学生たちも、遊び心で金庫を扱った手際の良さはトラベラー(トラブルを承知で旅する人)であり、見事な
騎馬民族の血を継承する旅人だったのでしょうか?







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