希望

826  ハエを追いたくなる心情



エアコンのない家に住み、金網を隔てて畑や雑木林や庭に囲まれた生活をしていると、ハエ取りリボンを天井から吊る
し、手元にはハエ叩きが必要になります。

初めて男性用のトイレの小便器の中にハエの小さな絵を見たのは、大分前のオランダのスキポール空港でした。久し
振りで同じ絵を、スイスのサービスエリアにあるレストランのトイレで再会しました。便器の中央より少し右か左にずれて
いる場所に実物大で描いてあり、何故かそのハエ目掛けて放水したくなります。気持ちを集中しての的当てですから、
便器の淵や外には飛び散らず汚さないで済む効果が大いにあることでしょう。
わが国のように哲学的に、
'急ぐとも心静かに手を添えて、当り散らすな松茸の露'と書かれた張り紙よりは、実践的ではないかと思います。
何とスイスやドイツでもトイレが有料になりつつあるのには、驚かされました。
監視人のいないトイレでは、ゲートがあり50セントを入れると領収のチケットがでてきてバー〔回転棒〕が回り、やっと便
所にたどり着ける仕掛けのものもありました。
聞くと、何か売店で買いトイレを使用したチケットを見せると50セント引いてくれるのだそうです。
2006年7月の旅行でのことでしたが、きっとこの仕掛けは広がりを見せることでしょう。





827  太陽王の愛した女性のタイプ


1715年に77歳という高齢で亡くなった専制君主ルイ14世は、数多くの女性を愛したそうです。

父であるルイ13世の晩年に生まれ、幼くして(5歳)王位につきました。
君主として72年の長い間在位しましたが、ヨーロッパ世界に君臨し戦争でも多く勝利しました。パリ近くのベルサイユの
森の中に、セーヌ川から水を引き運河を巡らせた広大な人工の庭をつくりました。
小高く土を盛った丘の上に、壮大なバロック様式の宮殿をつくり、太陽の動きに合わせたリズムの生活を自ら考え行っ
た、生きながらにしてすでに伝説の人であったように思います。

初期の頃は、お母さんタイプのどちらかと言えば静かで優しい、バリエール夫人に代表される女性を好んだようです。
そして、長じて自信に満ち野心に溢れた壮年期には、相手の女性も美人でエリート貴族であり、権謀術策(ブラックマジ
ックを使ったという)に長け並みいるライバル女性達を押しのけて、トップの座にのし上がったモンテスパン夫人がいま
す。彼女は王との間に7人の子供をもうけ、夫であるブルボン公のパリでの館は、今でもブルボン宮殿として知られてい
て、下院議事堂として使われています。
マントノン夫人は太陽王の後半、晩年を飾る人で、23年の長い間一緒にいて年上の女性でもありました。子供たちの
家庭教師でもあり、ルイ王と政治の話ができる女性だったそうです。

後を継いだルイ15世王も幼くして王位についていますが、バロック期からロココ時代と一段と華やいだ王朝文化を生き
た人で、認知しただけでも百人を軽く超す子供をつくらせた好色王でした。





828  アルペンの名花はりんどう、アルペンローズそしてエーデルワイス


2006年7月9日の前日は雨が降り、夜半になって満月に近い月がインターラーケンの町の正面に見えるユングフラウ山
の右横にぽっかりと浮かびました。

快晴となった9日は、ユングフラウ鉄道駅のひとつアイガー・グレッチャー(アイガー氷河)で降りて、クライネシャイデック
駅まで標高差約300米(海抜2300〜2000米)をアルペンガイド(スノーボードが得意と言う日本青年)をお願いして、1
時間半のハイキングをしました。トップ・オブ・ヨーロッパ(ユングフラウ・ヨッホ駅3454米)へは、20世紀の始めにアイ
ガーやメンヒの岩肌の中をくり貫いてつくったトンネルを通って行きます。トンネルに突入する直前の駅がアイガー・グレ
ッチャーで、歩き始めると直ぐに駅の上方に1921年に日本人登山家・槇有恒氏がアイガーの東稜を登って登頂に成功
しましたが、彼が使用したヒュッテ(山小屋)がありました。元々は東稜にあったものですが、槇さんの偉業を讃えてここ
に移してあるそうです。
緑一面の野原には、色とりどりの野生の花が咲いています。約500種に及ぶ野草が育っていますが、人による手入れ
は一切していないそうです。見事な花の絨毯の傍にそっとよって匂いを嗅いだり、色や形を愛でたり、初めて聞く花の
名前に感心したり、耳慣れた名前には相槌を打ったりと少年に戻ったような、皆さんはしゃぎ振りでした。

ガイド氏は6月にはりんどうの花が、7月にはアルペンローズが、8月にはエーデルワイスの花が咲きますが、エーデル
ワイスは栄養分が少ない所を選んで断崖絶壁などで咲くため、大切な人へのプレゼントに使われるといいます。
エーデルワイスにめぐり合えないだろうか?の質問には、遠くに見える雪山を指差して、3時間ほど歩いて、若しかした
ら見つかるかも知れないと答え、幻の花になってしまったような表現をしました。
琵琶湖畔の大津市とインターラーケンの町は姉妹町となっていますが、大津号と書かれたアプト式電車が傍を通って
行きました。

それから丁度1ヶ月後の8月の半ばに再び、同じ場所をハイキングしたら丸々と太った乳牛達が、あざみとトリカブトの
花を残してあとの花は綺麗に平らげてくれている作業の最中でした。あざみはトゲが硬く、トリカブトは毒があるのを
牛は承知しているのだそうです。





829  三田演説館に明治を嗅ぐ


JRの田町駅近くに用事があり出かけました。

駅付近の看板地図の中に、慶応義塾大学があり三田演説館の文字が目に入りました。演説館を見たくなりました。
西暦2000年に立て替えられたと思われる大学正面建物の吹き抜け通路の掲示板に、慶応義塾が1858年創立で、もう
じき150年を迎えるというポスターが貼ってありました。ポスターには、1862年徳川幕府の随行員としてヨーロッパに同行
した、ちょんまげ姿の福沢諭吉29歳の写真がありました。確か、1860年にはアメリカにも行っていますし、義塾を立ち上
げたのは、弱冠25歳ということになります。
大阪の緒方洪庵の適塾でオランダ語を学んでいますが、開港したばかりの横浜の外人居留地にやってきて、オランダ
国やオランダ語は最早主流ではない現実に気付き、英語やフランス語を学び始めた人物だったと記憶しています。

雨の降る7月半ばでしたが、キャンパスには留学生を含む若者たちが行き交っていました。
守衛さんに演説館への道を聞き行くと、二階建てのナマコ壁でできたこじんまりした建物が、木立の中にありました。

新生日本の若者は、これからは欧米の流儀にならい、自分の志を堂々と人前で演説できるようにならなければとの強
い思いから演説館をつくりましたが、実際にやってみると遠く及ばないギャップに落胆したとも聞いています。
'明治は遠くなりにけり'とは云うものの、果たして人前で語ることで感動を与える弁論術は、この国に根付いたのでしょう
か?あるいは、私たちの体質に合っているのでしょうか?





830  シオン城はスイスの誇り


レマン湖畔の東の端に自然の岩石の上につくられた、要塞シオン城があります。

高層建築や華やいだ雰囲気の近くにあるモントレーの町とは一線をがして、低くうずくまって周辺からの変化の波を拒
絶しているように見えます。
先史青銅期、さらに古代ローマ人もこの地に住んでいたようで、今の佇まいは12世紀に名門サボイ伯爵領となって以
来、建てられたものだそうです。交通の要衝(サン・ベルナール峠を越えてイタリアに繋がる街道やレマン湖を行き交う
舟など)に当っていて、税の徴収や見張り塔として古来使われてきました。
また、16世紀には宗教戦争の中で、カトリックとプロテスタントの争奪の的になったこともありました。その際、シオンの
囚人となったボニヴァールのことを詠った、ロマン派の詩人バイロンによりシオン城は世に広く知られるようになりまし
た。

現在でも大広間を利用して、国賓を招いての晩餐会が行われることもあるそうです。
大広間に展示してあるものの中に、錫製の湯タンポがありました。この辺りから錫が多くとれたことで、錫の食器類と共
に寒い冬を耐える助けにユタンポが使われていたようです。
湯タンポ愛用者の私には、冬のレマン湖面を渡って吹き付ける冷たい風に震えながらユタンポに包まって寝た当時の
人々が、身近に感じられました。
武器の中に短槍があり、先が三つの刃に分かれていました。右の刃で馬上の敵の腿を突き刺し落馬させ、すかさず真
ん中の刃で胴を刺したそうです。左の刃は行軍の際、邪魔になる木々の枝を切り落としたそうです。この短槍を手に持
つスイス人歩兵の強さは、ヨーロッパに知れ渡っていたそうです。そして、この短槍が元になって、後に有名なスイスの
アーミー・ナイフが生まれたのだそうです。
1時間ほど城内を案内してくれた城付きガイドの20代の日本女性は、近くの山間の町に住んでいるそうですが、ご主人
がスイス防衛軍の職業将校だそうで、アーミーナイフの由来は彼から聞いたそうです。
また彼女は、シオン城は1人の王の思い入れでつくられたドイツのノイシュバン・シュタイン城やフランスのベルサイユ宮
殿とは大いに異なり、長い期間に亘り実践要塞城であったことも強調してくれました。

別の機会に訪れたときには、兵隊が上官に敬礼する始まりは、中世の時代兵隊はすっぽりと全身を鉄の鎧で蓋ってい
ましたが、識別認証する為に兜の目覆いを手で上げた行為が、元になっているとも、他のガイドが教えてくれました。

ロマンとは程遠い,がしんたれ野郎と評判のスイス人の愚骨頂を、この城は教えてくれました。








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