希望

811  ロンドンのビクトリア駅で昭和天皇の青春を思う



鉄とガラスの時代(19世紀後半)の申し子とも云うべき鉄道の駅として、ビクトリア駅はつくられました。

今も大勢の人が利用していて、オリエント急行の始発駅となっています。昭和天皇ご夫妻は、晩年このビクトリア駅にお
着きになり、馬車に乗り換えられてバッキンガム宮殿へ向かわれました。第二次世界大戦では、日本は英国やオラン
ダを敵として戦った歴史を背負いながら、戦後初めてのヨーロッパの旅でのことでした。

大正天皇がご健在のころ、裕仁皇太子(後の昭和天皇)は数ヶ月英国に滞在されたそうです。その時、互いにファース
トネームで呼び合う英国人の、心の広い打ち解けた話し方に感動され、日本に帰国された後、側近に自分をファースト
ネーム(裕仁さん?)で呼んで欲しいと望まれたエピソードを聞いたことがあります。勿論、そうはなりませんでしたが
…。
昭和天皇の青春は、皇太子として英国に行かれた時が一番膨らんだのでは?と思った次第です。
ビクトリア駅の隣には、1854年にオープンした過ってのグロブナーホテル(今はシスル・ビクトリアホテル)があります。
鉄道を利用する貴族や産業資本家達が宿泊する駅ホテルとして、いち早くつくられ、ロビーの内装や天井はイタリア・フ
ランスルネッサンス様式で、当初から紳士淑女がラウンジを利用してアフタヌーン・ティーを楽しんだそうです。
廊下の広い理由は、裾の広く膨らんだビクトリアン・ドレスに着飾ったレイディーズが,自由に行き交えるように配慮され
ていました。リフト(エレベーター)もありました。
ただ、各部屋に現在のような洗面所やトイレはありませんでしたし、水や湯はメイドがいちいち運びました。オマルで用
を足していました。浴槽は各階に数個だけあっただけで、暖房も石炭を暖炉で燃やす時代でした。





812  ケシは戦没者への慰霊の花


6月の半ば、英国を旅していますと、牛や羊などがのんびりと丘陵や小川の辺で草を食べていたり、腰を下ろして休ん
でいる風景に出会います。

そして、所々に赤いケシの花が艶やかに咲いているのを目にします。
第二次世界大戦のエポックは、1944年6月6日から敢行された、連合軍によるノルマンディ上陸作戦でしたが、多くの犠
牲者が出ました。
そんな中、ノルマンディの丘や野原には無数のケシの花が赤く咲いていたそうで、戦傷者や戦死者の流した血のごと
く、悲しみをこらえ苦しみに耐えているようでした。

中年のイギリス人ドライバーは、私たちには麻薬と直結する必ずしもイメージの良くないケシを見て静かに、戦争犠牲
者への慰霊の花で、この時期に咲くので、誰もがノルマンディで戦った人たちのことを思うと語りました。





813  墓から死体を盗むのが流行った頃


かの文豪シェークスピアも死後の体の扱いを心配して、棺おけの蓋に勝手に触れたり処分したりすると、'呪われる
ぞ!'と警告しています。

シェークスピアの生きた17世紀は、一般的には10〜20年もすれば墓を掘り起こし、死体を焼き残った骨を一般用の大
きな穴へ埋めたそうです。
空になった墓には新たに亡くなった人を埋葬していたそうです。
18〜19世紀になると、中世の時代への反動もあってか,科学や実験、体験思考が高まり、医学向上のために人体解
剖する実験が試みられるようになりました。
エジンバラの旧市街にある大学の医学部教授たちは、実験用の死体が不足する中、墓から死体を掘り起こし持ち去る
死体泥棒業者と手を組んでいたそうです。
金持ちの墓では、対抗策として盗まれない為に石づくりの見張り塔をつくり、常時番人を置いていました。

18世紀の末、日本ではオランダ語で書かれた人体解剖した簡単な絵図を見ながら、幕府の許可をもらい処刑された罪
人の体を初めて解剖して驚いていました。
  




814  ヨークシャープディングやサマープディングは貧しい時の工夫から


レーク・ディストリクト(湖水地方)を案内してくれた大柄な中年女性のバーバラさんは、この辺りはバイキングが千年以
上の昔から入植した所であり、その証拠に自分は青い目をしており、フェアースキン(白い肌)なので、その末裔だろう
と言います。

背の小さい自分のおばあさんは、先住民族のケルトの血が入っているし、アングロ・サクソン系も混じっているようだと
語りました。
観光用の蒸気機関車に乗り込んだ駅はハーバーズウェイトといいバイキング語であって、穀物を収穫するという意味だ
そうです。そこには今が盛りと、シャクナゲの大きな花が咲いていました。
ヨークシャー出身の彼女と昼食のテーブルに座っていると、出されたローストビーフとヨークシャープディングについて子
供の頃を振り返り、次のように語りました。
貧乏だったので、肉は少しだけで空腹を満たす為には、小麦粉とミルク、卵を混ぜてクリーミーにしたものをホットオー
ブンに入れて20分焼くと、ヨークシャープディングが出来上がり、グレービーソースをたっぷりかけていただいたものだっ
たそうです。
また、デザートに出てきたサマープディングは、残り物のパンと残り物のフルーツを替わりばんこに詰めて型に入れ焼
き上げたもので、これも生活の知恵から生まれたものですが、今はデリカシーなものとして、高く売られているそうです。





815  アマゾン河の名はこうしてつけられた!



髪を長くした女性と思われる勇者に、南米の大河流域でスペイン人探検家たちは出会い、アマゾン河と呼ぶようになり
ました。
ギリシャ神話に登場するアマゾネスたちは、カスピ海付近で強大な勢力を誇った女性軍団であり、男をレイプしては子
供をつくり、左の乳房は子育ての母乳用に使い、右は強弓を引くのに邪魔になるので削ったそうです。

古代世界の7不思議は、アレキサンダー大王の考えた統治策から生まれたという説があります。地方に反乱を起こさせ
ないために、観光で金を使わせる知恵だったとか?
チェアーマン(会長とか議長と訳す)の語源は、大英博物館内のエルギン卿コレクションのパルテノン神殿彫刻飾りの
祭りの場面がありますが、ゼウス神だけが肘掛け椅子に座っていて、他の神々はストゥール(長床几)に一緒に腰を下
ろしているところからつけられた説が濃厚だと聞きました。

皆意外に当たっているのかも知れませんね。








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