希望

806  ナスレディン・ホジャの国の伝統



トルコの内陸コンヤあたりを走っていると、ロバの背に後ろ向きに乗った賢者ホジャの絵看板を目にします。

12〜13世紀のころ、セイジュク・トルコ族が斬新な魅力に富んだ政治を展開しましたが、その時代に生きたイスラム
学者で、日本で言えば一休禅師のような頓知に長けたユーモアのセンス抜群の、庶民に人気のある人だったようで
す。
今でも、彼の語った話は、本となって売られていて、日本語版が温泉町パムッカレの宿の売店で売られていました。
現代版のユーモア話は、ガイド氏がバスの中で語ってくれました。
イギリスで土を掘っていると、地下30米の所で電線が見つかりました。イギリス人は3千年前には電話を使っていたと
発表したそうです。
同様に、フランスでも地下50米の所から電線が見つかり、フランス人は鼻高らかに5千年前から電話を使っていたと
公表しました。
しかし、ここトルコでは、地下を掘れども掘れども電線は見つかりませんでした。そこで、トルコ人は、次のように考えた
そうです。
昔々から、わが国では携帯電話が普及していたのだと。





807  目玉飾りの由来について


トルコを旅すると、至るところで丸い形をした濃いブルーや薄いブルー,白の混じった同心円状の目のように見える、お
土産物を売っています。

何処から、こんな変わった図柄が生まれたのでしょう。
メデゥーサの目だと言う人もいます。ギリシャ神話の中で、髪の毛がヘビでできていて、彼女の目を見た人は死んでしま
うという、怖い怖い存在でした。
シャーマン(祈とう師)時代の、空の神様だったという説もあります。
他には、古代アッシリア人が魚の目を魔よけとして使ったと言われ、その影響によるのではないかと考える人もいるそ
うです。

いずれにしても今では魔よけとして、とても人気があり、この目玉飾りを持つといいことがあるそうで、お土産やでは20
個で1ドルで売られているのを目にしました。





808  トルコに植物の種類が多い理由


20年近く前のことです。

シリアとトルコの国境まで迎えにきてくれ、その後地中海沿いに古代ローマ時代やそれ以前の都市遺跡、イスラム建築
などを見ながら、イスタンブールまでゆっくりバスで登っていく行程を案内してくれたトルコ人女性ガイドが語った言葉が
忘れられません。
トルコは、アメリカに次いで世界で2番目に植物の種類が多い国ですと胸を張ったことがありました。確かに、地中海沿
岸は温暖な気候ですし、黒海に面した北側は雨がよく降る肥沃な森林地帯です。また内陸のアナトリア高原は、標高も
かなり高く砂漠化した所もあれば、塩湖もあるし、灌漑用水網が整備されていて適地化した作物を作っているし、東の
イランやイラク、シリア国境近くではアララット山に代表される5千米級の山もあるし、チグリス・ユーフラテス河の源流も
トルコに流れを発しています。

風土、地形が変化に富んでいて、地理的に云っても東西(アジアとヨーロッパ)南北(アフリカとロシア)を繋ぐ文明の交
差路にあたり、また地中海と黒海に面した格別な位置にあります。
そして今回、コンヤを故郷とする素朴で顔は小型武蔵丸、いや西郷ドンに似たイスタンブール在住の名ガイド氏が、ユ
ーモアたっぷりに植物の種類が多い訳を語ってくれました。
一つは、コウノトリがアフリカとトルコの間を渡りすることによるといいます。その際、アフリカ原産の植物をこの国にもた
らし、赤ちゃんならぬ植物の種という幸せを持ってくるといいました。
また昔から、人々や荷物を運んだラクダが、シルクロードや南の中近東諸国、アフリカで食べたものを消化して出す糞
の中に混じって、各地の植物の種がやってきたのだそうです。
 
確かにトルコでは、魚も肉も穀物も野菜もふんだんにありますし、味付けも私達日本人に合います。彼らが言うように、
世界3大料理(中華、フランス、そして?)にトルコ料理を入れたくなる気持ちも良く分ります。飲み物も、コーヒーや茶、
ワインにビール、アラックと納得のいく品揃えです。





809  結婚は臭くない内に



ジューン・ブライド(6月の花嫁)という英語圏での一般化した表現があります。

何故、6月に花嫁なのか理由はよく分かりませんでした。1850年代にホテルとして建てられたシスル・ビクトリアは、ロン
ドンのバッキンガム宮殿近く、ビクトリア駅に隣接しています。鉄道駅は産業革命の華ともいえる存在で、貴族や産業
資本家など当時のエリートたちが、利用する為の宿泊、パーティー用に使われました。当時としては、いち早くリフト(エ
レベーター)もつけられ、広い廊下は着飾った淑女の裾の膨らんだドレスが、互いに触れ合わないようにと考えてつくら
れたほどです。
しかし、部屋に風呂はなく、各階に一つか二つあっただけでした。

さて、古代ローマ時代のイギリスは知りませんが、中世から近世にかけてのイギリス人は、殆ど風呂には入らなかった
そうです。迷信も横行していて、コロンブスの新大陸発見と共に西インド諸島の風土病であった梅毒がヨーロッパにもた
らされると、風呂に入ると梅毒に罹るという噂もありました。
長い冬をじーと耐えて過ごし3〜4月は農繁期で、6月頃になると体中が臭くなったそうで,教会では6月のミサに来る際
は、風呂に入ってからにしなさいと指導したそうです。
臭くなる前に早く結婚しなさいということだったようです。
ウエディングケーキは教会の形をしていますが、ロンドンの旧市街にセント・ブライド(聖花嫁)教会があり、どうやらこの
教会の姿見がケーキ職人の脳を刺激して生まれたようです。

セント・ブライド教会も、大火記念塔もセントポール大聖堂もバロック期を代表する、偉大な建築家クリストファー・レーン
の手になるものです。





810  カラス麦をめぐる軽いパラノイア論争


英国のエリザベス2世女王は、本当は4月ごろ生まれたそうですが、公式の誕生日は6月17日となっているそうです。

2006年のこの日は、満80歳になられたというニュースをスコットランドのグラスゴーのホテルのテレビで知りました。
ホテルの受付にいる初老のスコットランド紳士にそのことを言ってみると、スコットランド人はさして喜ばしいとは思わな
い。一人の女性が誕生日を迎えたというだけだと、言下に答えてくれました。ホテルの前の通りを1本隔てた通りにジョ
ージ・スクエアーがあり、18世紀の英国王の名がつけられていますが、広場にはスコットランドを代表する詩人や作家、
軍人や政治家などの石像彫刻が置かれていて、スコットランドの誇りで満ちていました。

イングランドで最初に辞書をつくったのはジョンソン博士だそうで、カラス麦の項には、わざわざ説明書きがあり、イング
ランドでは馬の飼料にするが、スコットランドでは人が食べると書かれていたそうです。
それに答えて、スコットランド人のボスウェルは、次のように切り返したそうです。
イングランドでは馬が優秀ですが、スコットランドでは人が立派になったと。



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