希望

781  ヘレスポンド(ダーダネルス海峡)に立って



アジア大陸とヨーロッパ大陸を分け隔てつつ、地中海と黒海を繋ぐ位置にヘレスポンドはあります。

古くから今に至るまで、この地を制する為の戦いがくり返し行われました。ギリシャ神話に登場するトロイの町(アジア側
にある)を廻る興亡は、ギリシャ都市国家連合軍が行った先進文化地帯・アジアへの進出(紀元前1200年ごろ)を背
景にして見るのが、的を射ているようです。
ペルシャ戦争(紀元前6世紀前後)では、3度に亘って逆にペルシャがアジア側からヨーロッパ(バルカン半島)へと攻め
込んだ軍事行動でした。マケドニアの勇・アレキサンダー大王は、ヘレスポンドをアジア側へ渡ってペルシャ帝国を打ち
破り(紀元前4世紀後半)、インドや中央アジア、ペルシャ、アフリカの地中海沿岸に及ぶ支配を僅か10年で成し遂げ
ました。
第一次世界大戦では、この地ガリポリ半島をめぐる英国を中心にした(アンザス協定により、オーストラリアやニュージ
ーランド軍も参加)連合軍は、地中海からダーダネルス海峡へ船団を進め、一挙にオスマン・トルコ帝国の都・イスタン
ブールの陥落を計りましたが、共和国建国の父と後日讃えられた若き軍のリーダー・ムスタファ・ケマル率いるトルコ軍
の抵抗に遭って、数多くの死傷者を出し成功しませんでした。
英国の軍事大臣であったチャーチルは、その責任をとって任を解かれたほどです。
今も海峡の底には、戦いで沈んだ船が多く残されているそうです。

アレキサンダー大王は、海峡の上に船をびっしりと並べ、その上に板を渡して軍団をアジア側へ送ったと云われていま
す。川の上に舟を横に並べて、その上に板を通して、人や車、家畜が向こう岸に渡る知恵は、私自身以前、パキスタン
で経験したことがあります。
ヘレスポンドほどの価値を持った要衝の地は,他にはあまり例をみないのではないでしょか?勿論、アフリカとヨーロッ
パ、地中海と大西洋を隔てるジブラルタル海峡やアフリカとアジア,紅海と地中海を繋ぐスエズ運河、南北アメリカとメキ
シコ湾と大西洋を結ぶパナマ運河などが浮かんではきますが…。
さて、日本はどうでしょうか?
平家軍を潮の流れを利用して倒した義経の壇ノ浦の戦いがありました。九州と本州、玄界灘と瀬戸内海を繋ぐ要衝で
の1182年ごろの戦だったそうです。







782  山幸彦、海幸彦神話には陸(平地)幸彦は登場しない



地球上最大のユーラシア大陸では、陸幸彦族たち(モンゴル、アラブ、トルコ,漢など)の勢力争いを主に、歴史が展開
しました。

フェニキア人、ギリシャ人も元々は平地幸彦だったと思われますが、仕方なく海幸彦系に転向して成功したようです。ま
たローマ人やゲルマン民族が陸幸彦系だとすれば、イギリスやオランダ、バイキングなどは海幸彦系とでも云えましょ
う。

国の7割が山林、国の周囲をぐるり海が取り囲んだ日本は、人がゆったりと群れて生活できる平地が少なく、縄文や弥
生時代以降も山地、山間部を中心に生活してきました。
信長や秀吉、家康といった450年前に生まれたリーダーたちが、海に近い平地に目をつけ、海外との交易による利を優
先して、初めて陸幸彦が登場したと見るのは、云い過ぎでしょうか?





783  中古車販売は、のぼり旗と共に


トルコのアジア側の高原(平均海抜五百〜千米)をアナトリアと呼びますが、トルコ語ではアナッデュロといい、お母さん
がいっぱいという意味だそうです。

この地には、旧石器時代の数十万年に亘る人類の生活跡から始まって、現在まで40に及ぶ遺跡が発掘されていま
す。肥沃な大地の賜物(母)は、人々を魅了してきました。
高原をバスで走っていると、町外れの道端の広場に中古車が何十台も無造作に置かれ、のぼり旗が幾つか立てられ
て、風にはためいていました。
ガイド氏(眉の濃い風貌で、西郷ドンと皆で呼んでいました)に何が行われているのか訊ねると、中古車販売をしている
と言います。
新車は日本のほぼ2倍の値段で売られ、15年から20年乗りこなした中古車(日本ではポンコツ車だと思われる)でも40
万円相当で売買されているそうです。
全くと言っていいほど、のぼり旗を目にしなかったトルコで、突然に何本かののぼり旗が風に揺れているのを見て、外
国にもあるのだなと思った次第です。

尚武の印に源平の合戦や戦国時代にあっては、日本で盛んに使われましたし、江戸時代の平和な時でも5月5日に
は、勇ましい竜や虎の描かれたのぼり旗を立てて、男の子の節句を祝ったと聞いています。
今は、中古車セールの目印に、日本でもトルコでもなってしまったようです。





784  青いドルムッシュが活躍するイズミール


古代はスミルナと呼ばれ、西洋2大叙事詩(イリアド、オデゥセイア)の作家で盲目の詩人で知られるホメロスは、トルコ
を代表する港湾都市イズミール出身です。

高層ビルが建ち並び、街中を高速高架道路が走っている現代都市ですが、庶民の足は車体が青く塗られたマイクロバ
ス(ドルムッシュ)が利用され、何処でも停まり客を乗せ降ろしします。行き先は車の前に表示してあり、走りながら料金
(1リラ丁度で80円相当)の受け渡しを行います。客が後部座席にいる場合は、間に座っている人が手伝って、運転手
に渡してあげるそうです。個人経営だそうですが、市役所の許可が必要で相当のお金が掛かります。町によりマイクロ
バスの車体の色は違っているそうです。
私たちは、この町を素通りしてエフェソスへと向かうバスの中で、ガイド氏が話してくれたイズミール紹介の話で、もう一
つ興味をそそるものがありました。
この町の女性の多くはスカーフを被らず、しかもトルコ中で一番美人が多いそうです。
残念ながら、高速高架道路を走っている車窓からは見えませんでした。一方、一番保守的な町がコンヤだそうで、顔は
スカーフで隠していて、カメラを向けると未だ生気を抜かれるのでは考える人もいるそうです。

コンヤには、アシタ(明日)泊ります。





785  メブラーナの七つの教え


古代ローマ時代はイコニウムと呼ばれ、聖書にも言及されていて、特に12〜13世紀にセイジュク・トルコ朝の都になっ
てから古都コンヤは、脚光を浴びることになりました。

現在のトルコ共和国の首都アンカラを東京に例えるとすれば、イスタンブールが京都や大阪に、そしてコンヤはさしず
め奈良に当たるのでしょうか?
アナトリア高原の中央部に位置していて、人口は60万でトルコで6番目に大きな都市で、平らな土地柄ですが、何故か
交通事故が多いそうです。保守的な人が多く、女性にカメラを向けないようにと入念に前もって、コンヤ出身のガイド氏
が注意するほででした。

トルコ民族の一派、セイジュク族がアナトリアを支配した時代(11〜13世紀)は、イスラム教の教義の解釈が多岐に分
かれていたので、多くの新しい教団が生まれたそうです。
そんな教団の一つがメブラーナ・アラエッディーン・ルーミ(13世紀の宗教家、詩人)が始めた、踊るデルヴィシュ(托鉢
僧)と呼ばれた神秘的な修道僧団です。
世界は回っている。神様と一体化するために人も回るそうです。ただ、ひたすらくるくる回ります。スカートをつけた僧が
回り続けます。左足を軸にして右足で蹴りながら回ります。
この教団の七つの教えとは、
1. 恵みと助けは、流れるように与えよ
2. 情けと憐れみは、太陽のように与えよ
3. 他人の欠点は、夜のように隠せ
4. 怒りと苛立ちは、死のようにあれ
5. 傲慢と謙虚さは、土のようにあれ
6. 寛容は、海のようにあれ
7. あるがままに見せるか、見かけのごとく振舞え
だったそうです。あまりにも影響が大きく弊害が生じたので、共和国となった後、1925年に解散させられました。
メブラーナ霊廟は博物館となっていて、聖者と崇められた僧の墓石に巨大なターバンが巻かれていたり、イスラム教の
開祖マホメットのあごひげの1本が、ここにはあり、今も巡礼者や参拝者が多いそうです。








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