希望

766  ペリカンは救済(イエス)の象徴



聖書では、神が世界を創造(クリエーション)されましたが、アダムとイブが反抗(リベリオン)したので、彼らとその子孫
は苦難の道を歩むことになります。

しかし、イエスの自己犠牲により救済(リデンプション)される道が開かれたと書かれています。自己犠牲こそ愛の最高
表現と考えられ、キリスト教図像学ではペリカンをイエスの体験した、苦悩と救済の象徴にしています。
中世ヨーロッパの動物寓話集の中でペリカンは、産んだ子供を愛し育てますが、子供は両親にやがて反抗するように
なり、そして父鳥によって殺されます。死んでしまった子らを不憫に思う無限の愛に満ちた母鳥は、3日後に子らを生き
返らせたそうです。
その際、母鳥は、自分の血を子らに与え飲ませたとなっています。

象徴(アイドル)を崇拝してはならない厳格な教えから出発したはずですが、時の経過と共に変わっていきました。





767  粗(あら)の煮付けとスペアリブは似ている!?
 


房総半島の先にある、とある魚屋で鱸(すずき)か何かの粗を山盛りにして、200円で売っていました。

粗とは、魚類のおろし身を取り去った後に残る頭や骨、えらのことを言うそうです。
人の欠点を探すことを'粗を探す'と言うと、辞書に書いてあります。
醤油と砂糖で煮付けにして食べてみますと中々味わいがあり、子供のころ母がスープに入れたり煮付けにして、食膳に
出してくれたのを思い出しました。
そして、何故かアメリカで食べたスペアリブを似ているなと思いました。
豚の肉付き肋骨料理がスペアリブですが、僅かに残った肉や筋でアバラ骨が繋がっていました。
粗もスペアリブも料理の素材としては用済みですが、中々どうして中国最高料理のひとつペキンダック(何故か肉では
なく皮を食べる)に負けないのでは?と思った次第です。





768  世界は奇跡でいっぱい



漁業関係者にとって、魚の存在を知る目安になるのが水なぎ鳥だそうです。

流氷がとけて海水の温度が上昇すると、植物プランクトンが大量に発生します。魚類の餌となる、おきあみがそれを目
掛けて集まります。そして、おきあみを好物にする魚類が集まり、そこには水なぎ鳥が魚を求めてやってきます。
足細そ水なぎ鳥は、流氷がとける5月になると、遠く南半球のタスマニア島から1万2千キロの海の上を飛んで、北海道
の知床沖にやってきます。夏の間は知床の海に留まっていて、やがてベーリング海、アラスカを9月には通過してタスマ
ニアへと帰っていく渡り鳥です。11月になると産卵期に入り、両親が交代で卵を温め、50日後の1月ごろ孵化します。
その後、3ヶ月間はしっかり餌を運んでやり、雛を育てます。餌は南極大陸の近くまで、4千キロも海上を旅して取ってく
ることもあります。
そして4月の上旬には、親鳥は再び北半球へ長い旅に飛び立ちます。
残された雛鳥も4月下旬には、親の後を追って1ヶ月半かかる1万2千キロの,途中何も食べない旅へと出発し、5月下旬
には知床の海に若鶏は現れるそうです。

長年に亘る観察の結果、何故渡りをするのか分かったそうで、北半球では5月、南半球では1月の訪れと共に、大量の
植物プランクトンが発生することに原因があるようです。
また、多くの魚も回遊することが分かってきています。
NHKの番組を見ての感想は、'元気が湧いてきました'の一言です。





769  1812年のモスクワ遠征



1812年、ナポレオン軍は総勢60万人にも及ぶ圧倒的な軍事力で、モスクワを目指しました。

この遠征に参加した国は、オランダ、ウェストファリア、バーバリア、ザクセン、ポーランド、プロシャ、オーストリア、クロ
アチア、ダルマチア、スイス、イタリア、スペインなどでした。
夏の終わっていない9月初めには、モスクワの町に簡単に入り、ロシア軍の降伏を今か今かと待ちました。しかし、降伏
はありませんでした。10月の3週目に、やっと退却を開始します。11月に入ると、早々と冬がやってきて、退却軍の足を
引っ張りました。この年の冬の始まりは、例年よりも6週間も早く過去40年に例をみないほどの寒波でした。

行軍の遅れ、士気の低下に加えて食糧不足、ロシア軍の追撃などで、多くの兵士は途中で倒れてしまい、何とか帰還
できたのは僅かに5万人という惨憺たるものでした。
さらに、プロシャ軍の寝返りに続いて、オーストリア、スイス、イタリアといった国々も1813年には離れていきました。
1814年3月には、英国、プロシャ、オーストリア、ロシアで構成した連合軍がパリへと凱旋して来ました。そして、4月20日
に、パリの南にあるフォンテーヌ・ブロー城正面を彩る馬蹄形の階段で、ナポレオンと彼を慕う兵士の涙の別れがあり
ました。
その後、地中海のエルバ島へと送られていったのですが、翌1815年3月1日にナポレオンは、フランスのリビエラ海岸に
上陸します。破竹の勢いでアルプスを越え、グルノーブル、リヨンを通り3月20日には、パリのチュルリー宮殿に入りまし
た。
6月18日にブルッセル郊外のワーテルローの村において、ウェリントン将軍率いる連合軍と戦いましたが敗北、6月22日
パリで2度目の廃位宣言をしました。
ナポレオンは親交のあったアメリカに逃げようと企てましたが失敗し、英国に降伏しました。大西洋上の孤島、セント・
ヘレナ島へ送られ1821年5月5日に息を引き取りました。
この3月から6月にかけての短く輝いたナポレオンを称して、後に百日天下といいました。

モスクワ遠征はロシアの冬将軍に負けたとも云われました。統計によれば、冬の到来はもっと先の筈でした。しかし、
現実は異なっていました。
ベンジャミン・ディズレーリ(イギリスの政治家、小説家)は、次のように言っています。
'3つの嘘(うそ)がある。嘘と大嘘と統計学である。'
そして、ナポレオンは言いました。
'不可能というのは、愚か者の辞書にだけある言葉である'と。





770  息子をラビにしたがるユダヤ人



ラビはユダヤ人社会にあって、最も尊敬され聖書学に精通していて、リーダーたる資質に恵まれていると考えられてい
ます。

息子をラビにと願う父親は数知れず、息子も期待に応えようと大変な努力をするそうです。
万一ラビにでもなれば、聖書学の解釈というアカデミックな面に留まらず、八百万の相談事が地域住民から寄せられま
す。
長い歴史の歩みの中から生まれた知恵の泉の満載したタルムード(格言集)は、ユダヤ人がこよなく愛するものです
が、膨大な数に及んでいてラビはタルムードを引用して話をつくり、相談事に対処するそうです。
幾つかのタルムードを見てみましょう。

教育とは、
 香水やに入って香水を買わなくても出てきた時は、香水の匂いがするようなものだ。
セックスとは、
 ヘブライ語では'ヤダ'という。ヤダの別の意味は'相手を知る'ということです。聖書には、アダムを知って子が生まれた
 とあり、知ってとはセックスをしたという意味をかねています。'愛することは知ることだ'とよく言うが、愛するとは一緒に
 寝ることだと解釈してよい。
お金については、
 人を傷つけるものが三つあります。悩み,いさかい、空の財布。空の財布が最も人を傷つける。
酒とは、
 悪魔は人を訪れるのに余りにも忙しすぎる時は、代理人として酒をつかわします。そして、酒が頭に入ると、秘密が押
 し出されます。
友情とは、
 もし友が野菜を持っていたら、肉をあげなさい。
友とは、
 妻を選ぶときは階段を一歩降り、友を選ぶときは階段を一歩上がれ。
家庭とは、
 世界中で他に置き換えられないもの。若いときに結婚して連れ添った女房。
中傷とは、
 ゴシップは殺人よりも危険。殺人は1人しか殺さないが、ゴシップは必ず3人の人を殺す。
 ゴシップを言いふらす人。反対せずに聞いている人。その話題になっている人。








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