希望

736  エルチェの貴婦人はヤシの木の茂る町に



マドリッドのコロンブス広場近くに、国立考古学博物館があります。

地下1階から1階へと時代順にイベリア半島(カナリア諸島も含む)に生きた人たちの足跡が辿れます。この館の誇るエ
ルチェの貴婦人と呼ばれる石像は、地下1階の大広間に置かれています。頭部だけですが、両耳をおおうゴージャスな
飾り物には彩色が未だ残っていて、上品な顔立ちと相まって訪れる人の目を引きます。紀元前の何時の頃かフェニキ
アの影響でつくられたと考えられています。

アリカンテからムルシアへと向かう街道沿いにエルチェの町はあります。
今では、郊外に工業団地が立ち並ぶ近代都市になっていて大学もあり、大学の正面前でアリカンテからやってきたガイ
ドと会い、町の中へと入っていきました。エルチェの貴婦人の石像が見つかったフェニキアや古代ローマ時代の町は、
現在の町の中心からは数キロ離れているそうで、今も発掘が行われているそうです。
今の町の中心はアラブ・イスラム時代に栄えた所を土台にしています。元々はフェニキア人によってヤシの木が植えら
れたそうですが、その伝統は受け継がれていて市民公園やクーラ農園、街路樹に見ることが出来ました。ヤシの木は
温暖な気候と灌漑設備の整った、半乾燥地帯に育つ植物です。
市民公園の前には地上から数メートル下になってしまった、過ってアラブ支配時代につくられた要塞跡があります。

その近くには、17世紀のサンタ・マリア聖堂があり聖堂前の広場に面して建つペルピニアン宮殿は、九州のキリスト教
大名が送った天正遣欧少年使節団一行(1582〜1590)が宿としたと言われています。








737  パラダイスもユートピアも怖い
 


楽園(パラダイス)は過去にあったとされ、そこでは時もなく全てが満ち足りていて変化することはありません。

そういう世界(状態)に戻ろうとする考えが、キリスト教を始めとする一神教には強くみられます。死後の世界を語らず、
今の生をどのように生きるかを説き続けた釈尊も、理想の世界はニルバーナ(涅槃)にあるとし、生でもなく死でもない
永遠に変わらない苦のない状態だと考えました。そこはマンダラ(曼荼羅)の世界で、悟りを開いた覚者建が多く住んで
いて、私たちも努力すれば入れるとした点で、過去に出来上がっている世界へこれから行く構図になっています。

一方、ユートピアは未来にあり、これからつくるものです。
これから理想の世界を目指すユートピアでは、考えを異にする大勢の人が共存して生きることは難しいことでしょう。
過去には、ユートピア世界の実現を高く掲げ、それに向かって邁進した例は多々ありますが、どれほど他者に迷惑をか
けたことでしょう。ユートピアとは空想、夢想と言う意味で、16世紀にトーマス・モアにより書かれた話の題名でした。

日本は、日本列島という北東から南西に弧を描いて長く伸びた、風土も文化も人も多様性豊かな世界です。共存,共
生、多様性、独自性こそ未来(ユートピア)への希望だと思う人達は目を覚ましていましょう。

パラダイスに帰る(ノスタルジア・過去への感傷的郷愁に似ている)にしても、ユートピアを目指すにしても、並大抵のこ
とではありません。







738  闇を返せ



日本では1950年代から陰のない世界になったそうです。

暗いものを排除し、ネクラ人物は嫌われるようになりました。明るいことは良いことで,電燈に変わり蛍光灯の光が会社
だけでなく住まいの中にまで入り込み、プライベート空間の陰の部分まで照らし出すようになりました。
光に満ちているのは一見素晴らしく思えますが、そこは管理された世界だということにヨーロッパの人々は百年ほど前
に気付きました。明るいということは、闇の部分があるから一層引き立ってそう見えるそうです。暗闇の中に所々に光
があるのが、ヨーロッパの町の夜の風景です。昔の日本もそうでした。
パリの町が美しいと云われるのは、ひとつにはショーウインドーなどで、ガラスケースの中に電球が使われていて光の
島を演出していると見る人もいます。
点と線と面とは互いに違いを持った特長があり、部屋に陰の部分があり、天井には灯りがなく、その方が人間にとって
必然の世界であったことに、ヨーロッパ人は百年前に気付いたといいます。

闇をかえせと叫んだのが、パリコミューン(1871)でした。








739  考えを表現する訓練を小さい時から




世間の評価を気にする社会では、おざなりの表現しか時間をかけても生まれにくい狭い世界になりがちです。

普段から、そして旅先にあって感じたことを友に口にしたり、メモに書いておいたり、デッサンすることが大切だと考える
人がいます。そうしないで後になって感じたり思ったことを、まとめて表わそう人に伝えようとすると、通常中身の抜け落
ちた当たり障りのないものになってしまいます。
日本に独創的な人材が出にくいのは,直ぐ表現しないからでしょうか?
人前に出ると固まってしまい、話そうとしても考えがまとまらず、デッサンしようにも才が全くなく、メモってみたこともなか
った没人間でも旅で体験したことを思い出しながら、50歳を超えて少しずつ箇条書きし出したメモを素に60歳に近づく頃
から文章にまとめたのが、私のエッセイです。

それにしても、生まれて3年近く文章らしい言葉を話さない幼児が、堰を切ったように突然に話し出し、思いつくままの自
由な感じたままの話を作っていくあの頃は、クレヨンと紙さえ渡してやれば何でも描いていきます。
福沢諭吉の目指した新しい日本人像は、人前で堂々と言論で渡り合える人材の育成でした。
演説館を造ってはみたものの、時期が尚早と挫折してしまいました。


自分の考えを表現する訓練を、小さい時から大切にして育てる社会の到来が待たれます。







740  エレクトリック・タウンはアイ・キャンディがいっぱい
 


過っては人家がまばらで、秋には木々の葉が色づき雑草が茂る茫とした原っぱが広がっていたのが、秋葉原だったの
でしょうか?

新装なったJR秋葉原駅のエレクトリック・タウン出口を目指し階段を下り、改札口で駅員さんに多色刷りのマップをもら
いました。ここは、海外にあまねく知られる電子・電気製品や部品を扱うエレクトリック・タウンです。
ニュージーランド人のオークランドに住む同行の中年男性は、日本に持参したデジタルカメラに高性能のレンズを加え
たい願望がありました。午前というのに結構人通りもあり、通りでは宣伝用のティシュやビラを配ったり呼び込みをして
いる店員もいます。狭い路地に沿って各店頭では、カゴに無造作に小さい電子部品などが入れられ並べられていま
す。
ニュージーランド人の目には、フィシュマーケット(魚市場)の中にでも迷い込んだ印象に映ったようで、テレビなどで知
った築地の活気ある早朝のそれに似ていると言い、品数や種類の多さに驚いていました。
7階建てのビル全部が各大手電化製品メーカーの商品を一手に取り扱う有名な大手の電化製品ディーラーの中に入
り、レンズのシリアル番号を書いたメモ用紙を若い店員に見せると、日本語で対応するこの青年は直ちにコンピュータ
ーに打ち込みをして、求めるレンズの在庫があるのを確認、数分後には品物がニュージーランド人の目の前に出てくる
という手際良さでした。カメラに精通していて、充分に下調べを済ましている様子の友人は、躊躇うこともせずクレジット
カードを出し購入しました。日本にやってきた目的の一つが達成され、5%の消費税免除も勝ち取り,包装され紙の手
提げ袋に入れられたトラの子のレンズをその後、昼食時にも博物館を見て回った時も電車の中でも、雨傘を手にして
の1日でしたが彼の傍にありました。

大人の目を引く電子・電化製品が溢れている店内、似たような店の並ぶエレクトリック・タウンは、彼は子供の欲しがる
キャンディのように、大人の気をそそる目を欲しがらせる大人向けのキャンディが溢れている所だったと言いました。








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