希望


716  イギリス映画'炎のランナー'考



10年以上も前のことでした。

日本からヨーロッパに向かう飛行機の中でこの映画を見ました。
内容は第一次世界大戦(1914〜1918)が終わって、ようやくヨーロッパに平和が戻り落ち着いた1920年代の半ば、
パリで行われたオリンピックに出場した英国の2人のランナーをめぐる話だったと思います。1人は金持ちのユダヤ系
の若者で、オックスフォードかケンブリッジ大学生であり、スポーツ史上初めてプロのコーチを私費で雇い、見事に短距
離走(百メートル?)で優勝します。金目当てのプロの人達を低く見るアマチュア精神(フェアーな競争を重んじる)を大
切にしてきた、それまでの英国の伝統を無視して個人の栄光のために金で雇ったプロのコーチと二人三脚で、世間の
非難の目を気にかけず科学合理主義に基づいた訓練方法で勝利するという、新しいタイプのスポーツ選手でした。
今日のスポーツが金万能で大衆化プロ化していますが、そのさきがけ的な人物として描かれています。

もう1人の若者は、確かスコットランド長老会(プロテスタント・キリスト教の一派?)の牧師で中距離ランナーですが、何
よりも神の教え、聖書に忠実に生きる人です。神から恵んでいただいた才能のお陰で、趣味としてスコットランドの草原
を胸を張り思いのままに走っている謙虚な姿勢で生きる人ですが、あまりの強さに英国中の注目を浴びオリンピックに
出場します。順調に勝ち上がっていきますが、皮肉にも決勝レースは日曜日に行われることを知らされ、安息日に走る
ことは出来ないと固辞しました。その事を伝え聞いた英国皇太子はオリンピック運営委員会の長である権限を使って、
平日に決勝レースを行う変更をします。結果として、この若者は優勝しました。
日本名では炎のランナーとつけられていて、英国の国威に後押しされた2人の若者が,新(スポーツ科学に基づいたプ
ロ化への流れ)旧(神の恩寵に感謝する謙虚な生き方)それぞれが成功したように感じさせました。
今になって考えて見ますと、英語名のタイトルは'Chariot of fire'であり、日本語に訳すとすれば'炎の戦車'とでもなりま
す。
旧約聖書の中に、炎の戦車に乗って強い風に後押しされ生きたまま天国へと召された預言者エリアの話があります。
神への強固な信仰に生き、時の最高権力者に屈することなく堂々と神のメッセージを述べ伝え、荒野にあっても水や食
物が神の計らいで与えられたエピソードを残した人です。おそらく英語タイトルは、映画を見る人に聖書のエリアの偉業
を牧師のランナーを通して思い起こさせる効果があったことでしょう。また現実の社会の金や権力の強さも合わせて語
っています。

映画のタイトルを変えてしまうことで俗化してしまい、聖書を背景に生きてきた英国を始めとするヨーロッパを理解する
チャンスを逸したのかも知れません。








717  ジェームズ・ディーンのころ



僅か3作品だけで、この世を去った若者は1950年代を飾るアメリカのヤング世代を代表する人となりました。

その頃のアメリカは、自信に満ち自由と民主主義の旗の下、世界の人々が理想の国として憧れる存在でした。家庭は
父親が主導権を握り、母親はほぼ専業主婦で良妻賢母型、家には家庭電化製品が溢れ、外では大型の乗用車が走
るという平和なイメージです。
そんな中、安定した大人の縄張りに不良っぽく、情緒不安定で両親や恋人の愛に飢えている役柄の若者(ジェームズ・
ディーン)が挑戦するといった3作品(エデンの東、ジャイアント、理由なき抵抗)でした。
映画のタイトルとなったエデンの東は,聖書の中でエデンの園の東に神がアダムとイブを住まわせた所からつけられた
ようです。神との約束を守れば永遠に平和に暮らせるはずでした。映画では、20世紀の始め第一次世界大戦の近づ
いたころ、とあるカルフォルニアの農園に住む真面目な父親と従順な長男、そして何時も兄と比較され小言をもらう弟
に起きる話です。死んだと教えられていた母親に次男は会い、母親から自由が欲しかったから家庭を捨てた。何時も
がみがみと、聖書の生真面目な生き方を強要する夫に我慢がならなかったと聞かされます。聖書ではイブがサタンの
誘惑に乗り、神の言いつけに背いて知恵の実を食べてしまい、その後物語は急展開しました。
それを暗示させるような自由を求めての母親の家出が、この家族を変えることになりました。次男には母親の悪い血が
流れていると考える父親の目には、次男がどんなに努力して父親に愛されたい、手助けしたいと思い行うことが全て気
に入りません。兄は、母親に会ったショックと恋人の離反で突然入隊してしまい、その影響で父親も半身不随の寝たき
りのどん底に落とされた時、長男の許婚の一言で父親と次男は和解するといった話でした。

永遠に変わることのない満ち足りた状態(パラダイス)におかれはしたものの、神の言いつけを守るという条件に反し
て、自由裁量で生きる決断をしたことで大変な波紋を生みますが、やがて次なる調和へと進んでいくように人は定めら
れているのでしょうか?

ジャイアントではテキサス一の大牧場主が独り力を握り先祖の残した財産を守っていますが、東部のメリーランドに旅
をして、娘に恋をすることで話は大転回します。自由でメキシコ人の使用人など誰にでも愛を実践する女性が、不変の
リズム(パラダイス?)で生きてきた牧場主(ジャイアント?)や,あるいは牧場主に復讐することだけに情念を燃やしてき
た過っての使用人(ジェームズ・ディーン)に影響を与え、不安定な状態に2人を連れ込みますが、新しいバランスを求
めて時が経過していきます。
この話もまた、女性(理想のイブ)が大きな役割を果たしています。
聖書の中に、霊者(エンジェル)が地上の娘に恋をして生まれた巨人(ジャイアント)がいたとあります。巨人は人間を苦
しめた為、やがて神に罰せられこの世から去っていきます。大牧場主(ジャイアント)は保守的で独断的な人物でしたが
小さな人間(ジェームズ・ディーン)の執拗な油田採掘熱に脅かされ復讐されます。
父親が絶対的な力を持つ世界に、格の劣る若者が果敢にチャレンジした結果生じるものがあることの大切さを描いて
いるようです。

1950年代の理想に見えたアメリカも永遠に続くものではなく、バランスが崩れ新しい調和を捜して旅していきます。そ
の際、担い手になるのがチャレンジするのを恐れない若者、大人から見れば不良に映る人達のようです。








718  復活祭(イースター)前のヨーロッパへの旅はお奨め



地中海に面した南スペインのバルセロナからマラガまで10日間、バスに乗っての3月後半の旅行は快適でした。

気候も温暖で、雨にも一度も降られませんでした。何よりも観光地が空いていて、ホテルは何時もより一ランク上の四
ツ星クラスでした。朝食は常にブフェで、各種のチーズ、ハム、セラミ、ソーセージ類に加え、スペイン名物のトルティー
リャ(卵と玉ねぎ、ジャガイモのオムレツ)や暖かい料理もあるし、形や味の違ういろんなパン類、果物やジュースなどあ
り、昼食用にサンドイッチをそっと作っている学生もいました。
イエス・キリストがゴルゴダの丘で亡くなって3日後に蘇ったとされる復活を祝うイースター(通常3月の末から4月の半ば
にかかることが多い)が終わってから、ヨーロッパの人々は旅を始めるという話は本当だった気がしました。

冬の最中、キリストの誕生を12月の末から1月の始めにかけて祝い、プレゼント交換をし合い多大な出費も手伝って
か、春の訪れと重なるイースター祭は、長い冬の眠り(動物の冬眠に似た?)からやっと目を覚ますきっかけになるよう
です。








719  今もフランス語、フランス料理、フランスワインが世界一と考えるフラン
ス人




ヨーロッパから日本へと帰るエール・フランス機の中で、40代始めかなと思われる男性キャビン・アテンダント(客室乗
務員)と話をしました。

眼下に見える高度一万メートルからのシベリア平原は3月の末の頃、雪の中に自然に、あるいは人工的に引かれた幾
何学文様の線がくっきりと浮かび上がり、以前ペルーでセスナ機に乗り地上千メートルの上空から見た古代地上絵遺
跡ナスカの文様を遥かに越えたものに感じました。
また今回の旅で、南スペインのネルハ洞窟内に入りましたが、何と2億年以上の歳月をかけて石灰岩と水がつくりだし
た鍾乳洞であり、その壮大な景色の感動もありました。
小さな人間が地球上で縄張りを主張し合い、自国の文化、歴史が他よりは勝っていると考えるリズムに、彼も私も互い
に疑問を感じていることが分かりました。
彼によると、チリやカルフォルニア,南ア連邦、あるいは日本のワインの味は決してフランスワインに劣っているとは思え
ないそうです。奥さんはブラジル人だそうで、時々行くリオデジャネイロでの体験に深く感動している様子でした。







720  マラゲーニャに出会う



マラガの旧市街のほとりを流れるグアダラ・メディナ川の傍に,1630年代につくられた貴族屋敷(Meson De La 
Victoria)があり、今は郷土民芸博物館になっています。

中は2層になっていて、中央にパティオ(中庭)があり葉の大きな植物が茂っていて、2階のベランダの手すりに沿った鉢
の中にはゼラニウムの花が咲いていて、一時の涼を与えてくれます。室内には、20世紀始め頃のポスターが所々の壁
に飾ってあって、民族衣装に着飾ったマラゲニャ(マラガの女性あるいはマラガの踊りという意味)の手書き絵が描かれ
ていて,ひときわ目を引きます。
この博物館を訊ねてくる途中で、川を挟んでほぼ反対側にある建物を郷土民芸博物館ではないかと思い入ったとこ
ろ、そこは舞踊学校であって多くのマラゲニャ達がいました。今のマラゲニャはジーンズをはいていて元気いっぱいの
様子でした。
傍を流れるグアダラメディナ川は,今は殆ど水が流れていません。15世紀の末、この地がイスラムの手からカトリックへ
と帰しましたが、川の上流の山間の木々に隠れて生活するイスラム教徒たちの復讐を恐れ、山々の樹木を伐採してし
まったのが原因で、土地を一層乾燥化させることになりました。
現在のマラガはアンダルシア地方でセビリアに次ぐ2番目に人口の多い都会です。







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