希望



701  沈黙の空間を大切にする文化



ニューヨークのマンハッタン島のイースト川に面した一等地にあるのが国連本部です。

誰でも見学でき、平和の大切さ、その難しさを痛感させてくれます。大会議場に隣接してサイレンス・ルームがありま
す。マーク・シャガールの描いたステンドグラスに囲まれた静かな薄暗い部屋で、誰も気兼ねすることなく時を過ごせる
ように配慮されています。

また旅先の空港の中に、よくPrayer's Room(祈りの部屋)が設けられているのを目にします。空港によっては、それ
ぞれの宗教別に部屋があったり、あるいは一部屋の中を区切って分けていたりします。
生きていく上で、最も大切なことは心に生じ漂う悩みを解きほぐすことだとすれば、祈りの場、沈黙の空間が人々の行
き交う空港の中や国連内にあることの意義が分かります。
さて、日本ではどうでしょうか?








702  スタンドプレーが美しかったころ



12世紀の末から13世紀の初めの春先の頃、日本でも西ヨーロッパでも武士(もののふ)の潔い立ち振る舞いが賞賛さ
れました。

箙(えびらと読み,矢を入れる筒)に梅の小枝をさし、源義経らと共に一の谷の坂を馬に乗り駆け下りた若武者、梶原源
太を詩心に長けた平家の武将たちは心から讃えました。
梅の花は散る時にこそ、いい香りを発します。
死を恐れない心意気をアピールした行為でした。

同時代人にジュネの君の別名で呼ばれたヘンリー2世がいます。
プランタジネット家(フランスの名門貴族)の御曹司で英国国王になった人ですが、戦では兜にジュネの小枝(黄色の可
愛い花が咲くエニシダ)をかざして戦ったそうです。








703  入念な打ち合わせの末、執り行なわれたナポレオンの戴冠式



パリの発祥の地、セーヌ川の中洲シテ島に建てられたノートルダム大聖堂で、1804年12月2日ナポレオンの戴冠式は
ローマ法王ピウス7世が列席して行われました。

その時の情景はナポレオンお気に入りの画家であったダビデが描いていますが、ルーブル博物館とベルサイユ宮殿の
中に残されています。フランスの歴代の王(カロリング、カペー、ブルボン家など)は、地上における神の代理人である
ローマ法王から直々に在野の権力者として神聖な認証を戴くことで戴冠式を行ってきました。

ナポレオンの場合は、戴冠式の前日に教会の儀礼にそって愛するジョセフィーヌと結婚を済ませていました。当日は法
王により油を注がれ(王として認められる)法王の祝福を受けた後、月桂樹の花環を自ら自分の頭に載せて、そして王
妃ジョセフィーヌにもナポレオンは冠を載せてやりました。
この前代未聞のやり方は、前もって長い間熟慮検討した結果、そうしたようです。

今では、前代未聞だらけの結婚式が世界中で行われていますが、ナポレオンがその扉を開いてくれたお陰かも知れま
せん。







704  一枚の風刺絵が全てを語る


1805年に描かれたキレーによる風刺漫画ほど、その時代のヨーロッパを象徴しているものはありません。

絵の中では、英国のピット首相とフランスのナポレオン皇帝が同じテーブルにつき、食卓の大皿に載せられた地球儀と
いうご馳走をナイフとフォークで切り分けて食べようとしています。
この年は、トラファルガー海戦で英国が勝利しました。この勝利をきっかけに約百年続くパックス・ブリタニカ(英国の平
和)と呼ばれた大英帝国時代の幕開けでした。
一方、陸ではオステリッツの戦いでフランスは勝利します。その後、ナポレオンの兄や弟、妹(ナポレオンは8人兄弟の2
番目)はヨーロッパの王家や貴族と結婚することで、血縁を固め勢力を伸ばしました。

ピット首相は大海原に、ナポレオン皇帝はヨーロッパ大陸にナイフをそれぞれ突き刺しています。一枚の風刺絵が1805
年のヨーロッパをものの見事に描き出しました。
これぞ究極のインホーメーションであり、歳月が経っても褪せないユーモアを漂わせるものでしょう。







705  知人のガーナ人男性とニュージーランド人女性考



5年ほど前まで日本で約10年間働いて後、ガーナへと帰っていった男性がいます。

プロパンガスの大きなボンベの詰め替えや清掃という日本人が好まない、裏方の力と注意力を要求される仕事をして
いました。ムダ使いなど一切せず慎ましく生活し、信仰深い彼は日曜日には電車に乗って遠くのキリスト教の教会に行
っていたようです。
そんな彼が帰国する前に隣町のユニクロ・ショップに行き、一着数千円するセーターやシャツを買っていました。そし
て、帰国してからも数度電話がありましたが、今はどうしているのか分かりません。

ニュージーランドからやってきた娘の友人の女性は20歳で、結婚していてニュージーランド航空に勤めています。
数ヶ月前、初めて一人で2週間日本にやってきました。我が家に寝泊りしながら、隣町の駅前にあるジャスコや船橋(千
葉近く)に新しく出来た地下階から地上6〜7階まで全館百円で商品が売られている所などを観て回ったようです。
何時間もかけて上から下までくまなく見て周りましたが、結局殆ど何も買わなかったようです。浦安のディズニーランド
は大いに期待していたそうで、実際お気に召したようでした。
そして、今度はご主人を伴って1週間ほど再び日本にやってくるそうで、宿舎は我が家になるようです。聞くところによる
と、ジャスコや百円ショップでの買い物とディズニーを楽しみにしているとか。








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