希望

691  男の一生を動物に譬える人達



生まれて一歳の赤ちゃんは王様だという。
皆であやしたり機嫌をとってあげるからだそうだ。

2歳の頃は豚だという。
何故なら泥の中でも走り回るから。

10歳の頃は小ヤギに譬えられる。
笑ったりはしゃいだり、駆け回る頃である。

18歳の頃は馬だという。
自分の力を見せたがるそうだ。

結婚期になるとロバが相応しい。
家庭という重荷を背負い,とぼとぼと歩かなければならない。

中年の頃は犬だそうだ。
人々の好意をせがむ。

そして、老齢期は猿に似ているという。
子供っぽくなり、それにもかかわらず誰も関心を払ってくれない。

このたとえ話を語る人々はユダヤ人で、彼らの知恵の書と呼ばれるタルムードの中に記されているそうだ。印象とし
て、身近にいる家畜を中心に動物の生態を観察した成果が表れているのでしょうか?
旧約聖書の中に多くたとえ話として、あるいは神への捧げ物(生贄)として家畜が用いられていますし、人間を楽しませ
る為に神は生きものを創造されたとあります。
生活の中で動物が必要不可欠な存在であり、財産の重要な位置を占めていたことでしょう。

ロンドンのナショナルギャラリーで、顔を三面に配した絵を見たことがあります。
左から中央そして右へと人の一生を表しているようでした。16〜17世紀に描かれた男性像だったようですが、左は犬
か小羊の顔だったと思う少年期の従順なもので、中央はライオン(青年、壮年期の自信に満ちた)で、右はキツネ(経
験が生み出す老齢期の老獪さ嫌らしさ)でした。

さて、日本の場合はどのようになるのでしょうか?
新芽、早苗、若木、青年の木、大黒柱、老木、頭をたれる稲穂かな
何となく静的で,動物ではなく植物系のもので表現するのが合っている感じがするのですが??。どう思われますか?





692  Look locally think globally!



足元をしっかり見つめ、同時に周囲にも思いをめぐらすとでも訳すのでしょうか?

大学で教鞭をとりつつ、フィールドワークとして開発途上国の人口推移調査をしている友人がモットーとしている言葉で
す。
調査の対象は中近東のヨルダン南部の農村で半世紀前に遊牧生活(ベドゥ)に別れを告げ、定住し農耕を始めた人達
(ベドゥイン)ですが、今でも伝統のアラブ規範を守り高出生率を維持しているそうです。一夫多妻や部落の中での血縁
の結婚が行われているのが分かったり、水資源の確保が難しいのが生活環境や生存を脅かしているそうです。
国として子供たちに教育の機会を与える為にも遊牧民の定住を押し勧めているのでしょうが、長い間培ってきた遊牧の
リズムを捨てて定住するのは、さぞ大変なことでしょう。

海外旅行の魅力の一つは、日本というローカル(風土、人種、宗教、言葉、文化や習慣など)な、しかし日本に生活する
為には大変に大切なリズムを、もう一度客観的な視点から見てみる絶好の機会になり得ると思います。
他の国のローカルな面を体験することで、互いに理由があって違った社会が出来たのだろうと思えるようになります。
異なる生き方をする人達に接することで互いに理解が深まり、誤解や一人よがりの思い込みが減っていきます。
自分だけが正しく相手が間違っていると考えるのを少なくすることで、周囲(グローバル)に配慮ができるようになりす。

それが愛の芽生えのようです。
人は誰でも幸せになりたい、不安から逃れたいと願って生きています。弱い心に芽生え易い嫉妬や蔑視、優越感や劣
等感は旅が吹っ飛ばしてくれます。
          




693  ニュージーランドで知った格言二題

Yesterday is a history.
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift that's why it is called the present.

昨日は歴史。明日は謎。今日はギフト。
何故ならプレセントと言うから。

Today is the tomorrow that you worried about yesterday and all is well.

昨日心配していた明日は今日のこと。
そして、全部うまくいっているじゃないか!



英語圏の人達も何処に住んでも、人生決して楽じゃない。
国や人種を超えて、大なり小なり似たような悩みを持っている。
取り越し苦労をやめて、明るく前向きにやろうじゃないか と言っているようです。
      




694  一枚の写真が30年の歳月を経て身近に



私が養子に入った大塚家の本家の応接間に、セピア色にあせた軍人が居並ぶ一枚の写真が壁に掛かっています。

奉天の会議というタイトルが書いてあったと思います。
他の部屋には、軍服姿で軍刀をステッキ替わりにして立つ,ちょぼひげをつけた凛々しい亡くなった明治生まれのお祖
父さんの写真が飾ってあったりする家ですので、指して気に留めないで時々挨拶に行っていたものです。

先日、NHK の特集番組の中で日露戦争(1904〜1905)の際、満州の奉天での戦いの勝利がロシアとの戦争終結
に大きく貢献したことを知りました。
奉天の戦いでは、児玉源太郎参謀による周囲の疑問視する乃木大将の格別の起用が功を奏し、乃木の名声が世に
広く認められるようになりました。乃木大将はそれに先立つ旅順港の背後の203高地を守るロシア軍を落とせずムダに
兵を死なせた責任を問われていました。

明治維新以来、欧米の列強諸国に対して追いつけ追い越せの悲願がようやく達成したエポックとなった奉天での戦い
でした。このことをテレビで知り、もう一度セピア色の写真を見直して見ると、そこには児玉源太郎、乃木、山形有朋と
いった軍人たちがいるではありませんか。第二次大戦を境にして戦後は戦争アレルギーもあり、ほとんど明治以降の
軍人に関する話を学ぶことはありませんでしたが、戦前はきっと軍神たちについて誰もが知っていて身近に感じていた
ことでしょう。
            





695  ジルベスタ聖人の日が近づくと



北ドイツのリッペ家の小王国の都であったデットモルドの町で2005年の年瀬を過ごしました。

今でも、この小都市の中心はお城であり水を湛えた堀で囲まれています。そして、このお城にはリッペ家の当主が今も
住んでいます。19世紀初めごろ、ここでヨーロッパ最初の幼児の為の福祉教育が始まりました。ポーリン王妃の発意に
よるものでした。閑静な住宅街の一角に1911年に建造されたその施設があり、泊ったホテルの裏側で繋がっていて、
過って雨や雪の降る時など屋内遊技場として使った所は、ホテル客をもてなす空間として宴会や会議場に使われてい
るようです。正面の壁にはステンドグラスがはめられ中央に女神に似たポーリン王妃が描かれ、彼女の前には男女の
幼児が跪いていて、傍には英知の象徴であるフクロウがデザインされています。

この町は伝統の靴製造産業や豊富な木材を利用しての家具調度品の製造に加えて、音楽アカデミーがあり日本から
の留学生も多く学んでいます。
12月31日はジルベスタ聖人の日で、英語ではシルベスタとなり映画ロッキーでお馴染みのスタローンの名前になるよう
です。教会や音楽堂ではコンサートが開かれていました。
ただこの聖人の故事来歴については訊ねても、誰も知らないようでした。ベートーベンの第九シンホニーでは合唱が入
る部分が歓喜の歌だそうですが30日の夜、百名の日本からのアマチュア合唱団が当地のオーケストラと一緒になっ
て、地元の人々で埋め尽くされた音楽堂で歓喜の歌をドイツ語で披露しました。
地下にある出演者の控え室で着替えた服や貴重品の番をしていた私の耳にも、公演後しばらく鳴り止まない拍手が聞
こえてきました。

指揮者は、この町で音楽教授としてご活躍のドイツ人ですが、打ち上げパーティ後もご一緒してくださり街中の居酒屋で
お話を聞きました。
音楽こそが耳を通して愛や悩み、喜びや苦しみ、ときめきや別れ、平和や葛藤、親切や虐待、忍耐など人間のフィーリ
ングを表現できるものであり、誰でも何処でも何時でも共感できるもので、演奏者がドイツ人,日本人、フランス人、アフ
リカ人であれ差はなく、ともすれば機械のように無感覚に無表情になりがちなプロフェショナルよりはアマチュア精神で
臨む出演者の姿勢こそ大切だと語ってくださいました。

夜が更けて通りへ出ると、丸い大きな雪が止むことなく降っていました。道はすっかり白く化粧していて、日本の童謡'雪
やこんこん,あられやこんこん'を歌いながらホテルへ歩いて帰りました。







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