希望



686  三首から妄想すれば


冬が近づいてきました。

風邪が流行る季節です。俗に3首を防御すれば風邪は防げるといいます。一に頭のそばの首、そして手首、足首です。
この三つの隙間から冷たい風とともに風邪が忍び込むのでしょうか?
首はものを繋ぐ細くなった箇所を指しているようで、いかにもそこを通らずしては連絡が出来ず非常に大切な所というこ
とで、恐らく中国語から取り入れられたのでしょうが、重要な単語であり多岐多様に亘って使われています。
例えば、首を賭ける、首が回らない、首相、首実験をするなどあります。

英語でもネックといい、日本語同様重要なことを言う際しばしば使います。
更に興味深いのは、首の中央にある男性の喉仏のことをアダムズアップルと言って楽園でイブと共に食べた禁断の実
(リンゴに似た果物?)の芯に似た形をしているので、そう呼ぶのでしょうか?
日本では喉仏と言うし、英語では聖書の中で人類最初の登場人物アダムの神への離反の印として首が使われている
のは、仏や神に直結する最重要場所ということなのでしょう。
足首の傍には、アキレス腱があります。ギリシャ神話では英雄アキレスの唯一つの弱点が足首にあり、そこを矢で射ら
れてトロイ戦争で死ぬことになります。
薙刀は女性の武道のたしなみでしたが、足首を狙う技を磨きます。剣道では,小手という決まり手で手首を狙います。
また美人の形容に3首あたりを使うのも意味が大いにあるのでしょう。








687  G.P.S.を使って地球を計ってみると!



最先端技術の結晶である人工衛星のGPS(全地球測位システム)を使って測定した結果、南米の国エクアドルの首都
キトの北に位置するカテキーヤ山を赤道が通っていることが分かりました。

1997年のことです。このカテキーヤ山頂から見つかった半円の形をした遺跡の壁の一方の端が赤道の真上(緯度0
度)に当たり、そして半円の両端を結んだ直線は赤道に対して、23.5度傾いてつくられていました。地球軸は23.5度(正
確には23,45度)傾いていて、太陽の周りを1年かけて回る際、最も傾く時に夏至や冬至となり、また赤道上空を太陽が
通過する時には春分や秋分になります。
海抜3千米の高地平原の中に300米の岩山群(カテキーヤ)が周囲を圧して立っています。遠く東西には5千米級のア
ンデス山脈が見え、太陽の動きを観察するには絶好の場所でした。
スペイン人の入植(16世紀前半)やインカ人の支配(1470〜1532年)よりも遥か前に太陽信仰の先住民族が残した
天体観測所や神殿、住居がここにあったと考えられ始めています。この地に住む人々は恐らく、赤道直下のこの山頂
では春分と秋分の日の正午に人の影が消えること、規則正しく夏至や冬至がやってくるのを長い観察で知っていたの
でしょう。
カテキーヤ山から八方に線を引いてみると、その線上では太陽の動きに伴って起る現象(夏至や冬至、春分や秋分な
ど)が山頂と同様に生じるのが分かっていて、線上には遺跡や神殿があったことや今も古い町には人が生活していま
す。この八つの線は、このあたりから見つかった八つのポイントを持った星型のデザインの入った陶器に描かれていた
り、売られているタペストリーやバッグにも使われています。
農事を主に生活した先住民族にとり、太陽の恵みは最も大切だったと考えられます。
今後の発掘が大いに期待されています。

興味深いのは、1936年に建設されたキト近くの赤道緯度0度を記したモニュメントはGSPの測定の結果、赤道から30
0米ずれているのが分かったことです。この記念碑はフランス学士院による赤道調査2百年記念として建てられました。
18世紀と言えば、啓蒙の時代(科学と実験、理性や経験を大切にした)で未知の世界へと探検や調査に出かけました。
地球の形を実際に調べる為に二つの調査隊が1736年に,片や北極近くのラップランドへ、もう一つは赤道(エクアド
ル)に派遣されました。結果は、北極や南極近くがやや平らになった形をしているのが地球だとわかりました。

それにしても先人、アンデスの人達が太陽測定した正確さには、ただただ驚くばかりです。







688  スペイン階段、スペインの雨、スペイン風邪



ローマの市中、スペイン広場に面して有名なスペイン階段がありますが、階段を登った所にあるフランスからの巡礼者
の為につくられた教会に行く近道でした。

つくらせたのはフランスの人たちでしたが、階段はスペイン大使館(中世の時代、ローマ法王がローマを含む界隈を支
配していてスペイン大使館は法王国へ伺候するスペイン大使官邸でした)が広場近くにあり、今もありますがスペイン大
使館の方が人々に知られていたことによるそうです。

ミュージカル'マイフェアー・レイディ'の中で、ロンドンの下町に住む下層階級出身の花売り娘イライザが上流階級の話
すキングズ・イングリシュを訓練するシーンがありました。The rain in Spain stays mainly in a plain (スパインの雨は主
に広野に降る)と歌いましたが、この歌は映画と共に有名になりました。実際には、広野(スペインの中央辺りのメセタ
地方を云うのだと思う)には雨はあまり降らないのですが?。

1918年から1919年にかけて、世界第一次世界大戦の終わり頃はやったスペイン風邪で大勢の人が亡くなりました。当
時参戦国の間では情報統制していましたので、詳しいことは知らされませんでした。世界的な規模で戦った歴史上初め
ての戦争でしたが、スペインは参戦しませんでした。
そのスペインで風邪の流行(インフルエンザ)が発表(1918年3月)され、後にスペイン風邪として知られ、歴史に名を残
すことになりました。病原菌はアメリカのカンサス州からやってきた兵隊がフランスに持ち込み、一夜にしてヨーロッパ
中に広まったのが原因でした。

これからも偶然がつくる名前が歴史の中に刻まれることでしょう。







689  サンタ・クロースがサーフィンをする話を聞いて



娘たちの話では、中学校の英語の教科書の中にオーストラリアでは、サンタ・クロースがサーフィンをする文章があった
という。

南半球では師走の月は真夏に当るので、こういうユーモラスな風景があるというほどのことだったのでしょう。
ある時、ハワイのホノルルの海岸近くの公園傍の道路に車体全体を真っ黄色に塗った大型消防自動車が止まってい
ました。そして、サーフィンボードが胴体にくくりつけてあります。消防士に聞きますと、海で人命救助をする際にサーフィ
ンボードに乗って行うことがあるそうです。
所変われば品変わるとは言いますが、本当にそうなんだと実際に目にする経験をすると、旅が一段と楽しく思われ一人
で悦に入るのです。






690  酒が度を越すと



冬に毛皮の頭巾帽子を被らないで外に出ると、頭の脳みそが凍るような感じで頭の芯がじんじん痛くなると、モスクワに
半年生活して日本に帰ってきた青年が話しました。

そして、多くの人々はアルコール度の高いウォッカを飲むことで体を暖めているそうです。
夜が明けた路上ではウォッカを飲み過ぎ、家に辿りつけなかった人の凍りついた死体が見られることもあったそうで
す。ゴルバチョフさんが政権の座にいた頃(1985〜1990)、この強度のアルコール飲料を飲むのを禁止する法令を
出し、健康面の向上を試みたことがありましたが、結局は人気が悪く止めてしまったことがありました。
アメリカでは、1920年代に有名な禁酒法が出されましたが、密造酒が出回ったりカナダから持ち込んだりと、アル・カポ
ーネなどのギャング団や一部の資本家、政治家を富ませただけでした。
建国期のオーストラリアやアメリカなどの新大陸でも、先住民族の人達の生活のリズムを壊し生きる勇気を奪ったの
は、白人が意図して提供したアルコールでした。

ユダヤ教徒にとり知恵の書と讃えられるタルムードでは、ワインは悪魔が'人間の行いに対して与えた贈り物'として位置
づけられていて、少量、適量、度を越す、過度に飲む順に羊(おとなしい)、ライオン(強くなる)、豚(汚くなる)、猿(踊り
歌う)といった動物に例えられているそうです。