希望

681  ワイドマットレスから見えたもの



最近旅したオーストラリアで体験した大きなベッドに魅せられて帰国してから、そんなベッドに寝てみたいと思い,家具
やを数軒覗いてみました。

幅160センチのマットレスをワイドダブルと日本では呼び、一枚のマットレスでは一番大きなものだそうです。次に大き
いのはダブルマットレスで145センチです。
アメリカなどでホテルに泊ると、ベッドは例外なく大きくキングとかクィーンサイズといって、それらは一枚マットレスです。
その事を家具商に問うと、日本でキングあるいはクィーンサイズベッドという場合は、シングルサイズのベッドを2枚くっ
けているそうでベッドの真ん中に縦に溝が出来てしまいます。これは、日本の家事情に因るそうです、例えアメリカ並み
のベッドを作ったとしても部屋に運び込めないし、部屋に納まっても周りとの釣り合いが取れないために、アメリカの様
なジャイアントサイズのマットレスは使われていないそうです。

平城京、平安京の建設など昔から、そして明治になっても鉄道の線路幅や電圧を考えてみても、わが国は日本ザイズ
に仕立て直して取り入れて生きてきたことが分かります。スポーツでも軟式野球や軟式テニスなど考え出しました。
日本国内だけで通用する規格、ルールで例え日本一になっても世界に通じるわけではないと気付いた今は、スポーツ
や音楽などを先頭に若者がどんどん外国に出かけていき、チャレンジする時代になってきました。

日本にいても食べられないから出稼ぎに行くのではなく、メンタルな充足感を求めて共通の土壌で互いに競い合おうと
いうフェアーな時代がやってきています。







682  エジプトの国の骨格は?


タハ・フセイン(1889〜1973)という人は、イスラム世界の勢いが弱くなり反対にヨーロッパやアメリカなどキリスト教
を背景にした圧倒的な軍事、科学技術文明に威圧された時代を生きました。

そんな中、エジプトのアイデンティティー(問題と希望)を捜し求めました。
彼の辿りついたものは、次の三つでした。

一つは、純粋にエジプト発生に因るものであって、大地や気象、ナイル河や砂漠などの 風土がエジプト人を形成した 
     と考えました。
二つには、アラブの影響です。7世紀に入ってきたイスラム教は言葉は勿論、全ての生活規範となりエジプト人をつくっ
     ています。
三つには、外国から入ってきたものです。古くは古代ギリシャ、古代ローマ、ユダヤ、フェニキア、十字軍、トルコ、ヨー 
     ロッパ、アメリカなど様々です。

フセインさんは果たして希望を見出したのでしょうか?
もう一つ大いに気になるのは、わが国日本の骨格なのですが。







683  アイランダーズと日本人は似ている



南半球のニュージーランドに1年半生活した20代の日本女性の話です。

アイランダーズ(南太平洋の島々の人々をいい、トンガやフィジ、サモア人など)の人達は、日本人(私達も島に住む)と
同様に昼時の昼食の選択にも自分の意思を持たず、Go with flow (成り行き任せ)にする人が多いそうです。島に
住む人は、どうも周りの雰囲気に合わせて生活している傾向があるといいます。
日本や南太平洋の島での生活を離れて外国に住むようになると、母国の生活よりも自由と責任を持たざるを得ない、
厳しい個を要求される新天地を好きになるようです。

人は人、自分は自分という考え方を知った元アイランダーズには、以前の鞘は窮屈になるようです。
彼女は北島の中心オークランドの国際空港の中にある免税店で働きました。マネージャーは白人だったそうで、彼の
人を見る価値判断の目安は英語が上手に話せるかどうかだったそうです。ワーキングホリデーを利用してやってきたフ
ランス女性も、たどたどしい英語しか話せないというだけで冷たくあしらわれ辞めて行きました。
店に立ち寄る旅行客を見ての印象は、総じてヨーロッパやアメリカからの人は明るく、店員にも優しい言葉遣いで礼を
逸しない挨拶をするそうです。買い物も気に入った物を自分の意思で買い礼を言うそうです。
日本人やアジア人(中国人が主)は、店にいる他の人や周りの人には目が届かず、商品の値札を見る人が多く値引き
を要求する人もいるそうです。

店員への指導の一つに、日本人の客には'この品は皆さん買ってらっしゃいます'と言って奨めることもあったそうです。






684  地下鉄の無賃乗車の罰金よりも雲助タクシーの料金が高かった



ヨーロッパで2番目に長い河はドナウ河です。

全長2千キロで、南ドイツのシュヴァルツ・ヴァルツ(黒い森)辺りから流れ出し、東に向かって流れ遠く黒海へと注ぎ込
みます。ハンガリーの首都ブダペストを貫通して流れていて、河岸に立ち町の夜景を眺めるのは誰もが願う所となって
います。
ペスト側から対岸の小高くなったブダの丘に連なる王宮や教会、漁夫の砦などが夜光照明に照らされて浮かび上が
り、また19世紀後半は鉄とガラスの時代と呼ばれた産業革命盛時のころつくられた俗称鎖橋が豆電球で美しく飾られ
ています。

ホテルでの夕食を終え、有志の方とロンドンの次に古い地下鉄に乗り街中へと繰り出し、この夜景を見たことがありま
す。
帰りも行きと同様に、地下鉄でホテルに帰ろうと駅に行き、切符を自動販売機で買おうとしましたが故障しているよう
で、お札はいいのですがコインは受け付けてくれません。
夜10時を回っていて改札口には駅員はいませんでした。仕方なく私を含む数名の方はチケット無しで、エスカレーター
を下りプラットホームに向かいました。すると、エスカレーターを降りた所でチケット所持を確かめる抜き打ち検査を数
名の検査官がしていました。滅多に行わないこういった検査で無賃乗車が見つかると、乗車料金の数十倍の罰金が取
られる仕組みにヨーロッパではなっています。予め往復券を買っていた方々は事なきを得、無事電車で帰って行きまし
たが私達数名は大変なことになりました。
自動販売機が故障していたので、やむなく下に降りてきたことを説明するのですが取りあってくれないし、ここで検査官
からチケットを買うと申し出てもダメで罰金を払うように迫るので,、業を煮やして集団(3〜4人)で敵前逃亡を企てエス
カレーターを上へと上がりました。駅の周りを見渡すと、タクシーの看板を屋根につけた車が一台目に入ったので、これ
幸いと乗り込みました。本来であれば乗せた客をホテルの正面玄関に横づけして降ろすはずですが、ホテルの敷地の
外で止まり法外な額を要求しました。信じられない思いでウソだろうと我を疑ってみるのですが、これが噂に聞く白タク
でした。タクシーと書かれたサインだけでは信用してはならず、無線のナンバーも合わせて書かれていて初めてO。K.だ
ということやホテルと契約しているハイヤーの方が割高でも安心だというのを身を持って知りました。
21世紀になったばかりの頃でした。







685  水が日本でも客寄せパンダ役を



モロッコの大西洋に面した大都会カサブランカの新市街広場や内陸のオアシス町マラケシュのジャフナ広場では、伝統
の衣装に身を包み、牛か羊の内臓で作った大きな皮袋に水を入れ、肩から担いで水を売り歩く人達がいました。

派手ないでたちですから外国からやってきた観光客には物珍しく、カメラのシャッターを押す人もいます。その際にも寄
ってきて、モデル代を要求していました。過っては水は飛ぶように売れていたのでしょう。今は、観光客を目当てにモデ
ルとして働いているようです。

さて東京のJR御茶ノ水駅近くに、都が経営する水道博物館があります。時間を潰そうと何気なく行ってみました。
入場料はタダで立派な展示室には、四百年の歴史ある江戸と呼ばれた東京都心に上水設備をどのようにして引いた
のか、現在に至るまでの拡張の知恵が分かりやすく述べられていました。
過って江戸市中では、水を桶にいれ肩に担いで売り歩く商売があったことが分かりました。

紅葉の美しい日光国立公園の中にある那須連山の茶臼岳(2千米近い高さがある)へ行きました。山頂の火口近くへ
は、ケーブルカーで登っていきます。そのケーブル駅内にあるうどんやそばを売る店の前に飲料器がコップと一緒に置
かれていました。そして大きな表示で当店の利用客のみ、お飲み下さいと書かれています。高地のこの場所へ持ち上
げる手間賃のかかった水だということで、勝手に飲ませる訳にはいかないようです。

21世紀の日本において、ここでは水は客寄せパンダ役を果たしているようでした。



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