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656 ドアノブや室内照明のスイッチが肩の位置に
3週間オーストラリアで滞在した一般住宅(アデレードでは郊外の一戸建て)や内陸の鉱山の町ブロークンヒルでは長屋
風の家での生活、また訪れた30年から50年前にヨーロッパ各地からやってきた友人たちの住宅をみて、共通した印象 があります。
前庭よりも裏庭(バックヤード)がかなり広くつくられていて、裏庭にはバーベキューセットやテーブルや椅子、傘を広げ
た形の洗濯物干しは地面に埋め込んであります。また、雨水を貯めておく貯水タンクなどが置かれていました。
前庭の芝や花壇の手入れは入念にどこの家でもしています。夜は玄関の近くを通るだけで警備用の灯りがつくしかけ
もありました。鍵文化圏だけあってしっかり出入り口はガードしてあります。
友人たちの多くは60歳代から80歳前後のセミリタイアー組でしたので、過って住んでいた大きな家を売り年老いて活
動範囲の狭くなる自分たちに合ったサイズの家へと引っ越して住んでいます。総じて、500〜1000平方メートルぐらい の敷地に平屋の家といった感じです。
家には土足で出入りし、床はタイルか木、天井は高く、トイレはプラスチックの便器、風呂はシャワーを使うのがほとん
どでバスタブはあっても使っていない印象です。
台所と食堂そして居間が一体となっているつくりがほとんどでした。壁や居間の棚には自分たちの若かった頃の写真を
主に子供や孫たちの写真も多く飾ってありました。
寝室は総じておしゃれで大きなベッドが一つ置いてあり、衣服などはスライド式もしくはアコーデオンカーテン式の扉の
奥の広い空間に収納されています。総じて各部屋空間は目を遮る障害物はなく、すっきりした印象です。
初めて会った私たちに各部屋そして裏庭まで案内して下ったり、いちいち写真の人物まで説明された移民組の年長者
たちでした。
ドイツ、オーストリア、イタリア、ギリシャ、マケドニヤ、ユーゴスラビア、イギリス辺りからオーストラリアにやってきてゼロ
から出発した人たちですが、遠方からやってきた神秘の人(ハイハイと返事を返しお辞儀をしきりにする私たち日本 人?)に友情を示して下さいました、
657 ペットの躾と子供の躾は同じ
両者に共通しているのは、しつける側の辛抱強さと一貫性が大切だと語ったのがロータさんです。
ロータさんはオーストラリアに移り住んで45年になられるドイツからの移民です。私はこれまで何となくヨーロッパでは、
伝統として犬と子供の育て方は似ていて、いい子で言いつけを守れば褒めてやり、悪い子で言うことを聞かなければ言 って聞かせ、それでもダメならば多少の罰を与えると思っていました。今でもヨーロッパでは、よちよち歩きの幼児のお 腹あたりに紐をつけ遠くに勝手に行けないように親が犬並みに監視している散歩風景を見かけることがあります。
若い頃からロータさんはドイツでも、そして移り住んだオーストラリアでもアマチュア選手としてボクシングをしたそうで、
居間の棚には4つ小さなトロフィーが飾ってありました。
ある時などは、試合後に皆で飲みに行った際に初めて耳がひどくはれ上がっていて、痛みを感じたそうです。それまで
は試合に集中するあまり興奮した状態で気が付かなかったそうです。
規律(ディシプリン)と意思力(ディターミネーション)が大切だと言い、それを養う為にも、男子は15〜16歳頃に厳しく集
団で訓練を受ける制度があった方がいいと言われます。
私の見た限り、この方は奥様やお嬢さんに甘く、決して声を荒げない笑顔を絶やさない人でした。勿論、飼っている猫
に対しても同様に接しておられました。歳を召されて角もとれ人やペットに対して優しくなられたのでしょう
658 職人の大切さと経営者からみた職人観
オーストラリアの首相が建築現場を訪れ、レンガ職人(ブリックレイヤー)が作業している姿に見入り、自分も同じことを
やってみました。
しかし、レンガとレンガの間に入れるセメント材が周りにこぼれ出し、熟練工のさも簡単に行う仕事は、実は忍耐と訓練
の結果、初めて可能になることをテレビは伝えていました。
職業訓練を兼ねた専門学校(2年制が多い)の存在が大切だとオーストラリアへ移民し、ゼロから出発した人達は、肌
で知っているそうです。
4年生の普通大学を卒業して理論をいくら習得しても、実際の経験を積んでない人材は社会では役に立ちません。経営
者は、自分の金をムダにしたくないのが本音であり、使いやすい実務に長けた時間をムダにしない人を求めます。
いくらその道に長けたベテランの職人でも,終業時間の20分前には後片付けを始めて道具や作業場をきれいに掃除
するタイプの人は、経営者にとっては好ましくない使用人となります。自分で人を雇わないでやっていくタイプの人と、人 を雇ってやっていく場合とでは違いがあるそうです。
10代の後半にドイツから移民してオーストラリアにやってきてレンガ工として働いた後、友人とオパールの鉱脈探しに
奔走し,掘り当てたオパールを自分で研磨してメルボルンのユダヤ系商人に売って生計を立てたり、古い家を買い修理 修復してから売るなどしてやってきた沈着冷静な家族思いの初老の方の夜話でした。
659 芝生にもヨーロッパとオーストラリアでは違いがある
オーストラリアでは普段は庭の芝生は2週間に1度刈るそうです。
夏の終わりから秋へと季節が変わる頃(3月から4月)、待っていた天からのお湿り(雨)が降り始め,枯れて生気を失く
していた芝が元気を取り戻し緑へと変わります。その頃は1週間に1度芝生を刈ります。
オーストラリアでは、芝生の上は誰でも歩いたり寝そべったりしても文句を言う人はいません。雨の少ないこの地の芝
生は,質としてはそれなりのものだそうです。
一方ドイツなどでは、芝生の上に土足で上がることは厳しく禁じられているそうです。
そして、芝生の質は遥かに上質で雨も結構降るので、それに合った芝が植えられます。
付け足しましょう。オーストラリアのご主人方(芝生を刈る担当)の名誉のために。
各家庭には一台必ず芝刈り機があり、エッジの刈り込みには別の高速回転の器械で綺麗にそろえるそうです。刈り取
られた芝は風を吹き出す器械で集め、ゴミ箱に捨てます。
近所の家の前の景観と調和して生活しているそうで、中々気を使ったリズムのようです。
660 御のぼりさんは何処も同じ
オーストラリアに移住して15年目に一家(親子4人)で、ロータさん一家はふるさとドイツへ里帰りしたことがあるそうで
す。
1970年代のことですので往復船でした。ギリシャ船とイタリア船とでは、食事に微妙な違いがあったそうです。イタリア船
ではデザートの後にチーズがついていました。ただ、どの船であれ4〜5日すると厭きてきたそうです。
おいしいパンにありついたのは、長い船旅の末上陸して味わったポルトガルでした。私は、ご飯の良し悪しを詮索する
ような感じで聞いていました。
そして、週末のパリで数日過ごしたそうですが充分な両替をしていなかったので、夕食を安く食べようとモンマルトル辺
りまでレストランを捜して行ったそうです。言葉は通じないので、最初に財布の中身を全部見せた上で食べられるもの を頼んだそうです。結果は、親子4人ではとても食べきれないほどの料理が出され、おまけに最後に山盛りになったフ ルーツが出てきたそうです。
次の日は町の中心にあるレストランに入った所、前日払った料金ではスープぐらいしか食べられなかったそうです。
オーストラリアからの御のぼりさん一家が花の都パリで体験した、フランスフラン札が使われていた頃のお話です。
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