希望



666  タダでシベリアの観光ができたと笑顔で語った人



ソ連軍占領下の1945年、ベルリンでナチス青年隊に関係していたのではと疑われ拘束された17歳のドイツ青年(ゲー
テさん)は、有名なザクセンハウゼン強制収容所(ナチスがユダヤ人を始めとする体制に反対する人を収容した所)を
体験しました。

その後、遠く離れたシベリアへと人でむせかえる満載貨物車に乗せられ送られたそうです。寝返りをすることすら難しい
棚の上で寝て、家畜並みの食事や排泄まで同じ車中でしたそうです。後に生きて再びベルリンへと帰ってきた時の列
車も似たようなものでした。
3年に及ぶ寒冷の地での冬は、零下30〜50度に温度が下がるそうです。粗末な食事からくる慢性栄養不足に加え赤
痢も流行りました。
冬の夜、風の強く吹くなか宿舎の外にある便所へ行き、用を足す時の怖さおぞましさをジェスチャーたっぷりに見せて
下さいました。辛うじて生き延びて1950年にドイツに帰ることができ、やがて、オーストラリアへ移住されました。当時を
振り返って、ユーモアに満ちた語り口で話され、ソ連軍は国際法で決められていた捕虜を扱うきまりを最低レベルでは
守っていて故意に死に追いやることはなかったそうです。

絵を描く趣味を持たれ、奥様と2人で老後を暮らす家は、不必要な余分なものは処分した末の室内の景色ですが、食
堂の中に大きな真空管の入ったラジオがありました。聞くと、50年前に結婚した時に買ったものだそうです。オーストラ
リアに移民船でやってきたときも船倉にはいっていたことになります。
7人分(ロータ・ローティ夫妻、私達夫婦と娘、ゲーテ夫妻)の夕食を準備して下さり、ワインでおつまみをいただきながら
始まりましたが、70代半ばの2人が台所と食卓テーブルの間を行き来しながらサービスされたスープ、メインディシュ、
デザート、コーヒーにいたるフルコースの正にディナーでした。

本当に楽しいひと時を与えて下さり、不安で明日が見えない時こそ明るく希望を抱いて生きる大切さを教えてくださいま
した。





667  オーストラリアで聞いたジョーク(楽しく生きる潤滑油)


音楽家が眠る墓地を歩いていると、くさい匂いのする墓がありました。ガイドは、そこはベートーベンがディコンポーズし
ているのだと答えたそうです。
コンポーズは作曲するということですが、その前にディをつけると腐るという意味になります。

イギリス人、アメリカ人そしてユダヤ人が順番に天使に連れられて天へと登っていき、地上を見せてもらいました。
やがてユダヤ人の番になり天へと登っていきましたが、途中で何故か天使はユダヤ人を地上へ落としました。大変な
思いをしたユダヤ人は,酷い目に遭わせた天使を見つけ出し神様に抗議しました。神様は、'またおまえか アドルフ!'
と天使の名を呼んだそうな。

朝食にスイスロールのパンがでました。小学校の男の子は木の年輪のでき方を学んだばかりだったのでパンを見るな
り、つくって5年も経ったパンは食べたくないと言ったそうです。

ある男が酒場でビールのお替りの都度、胸のポケットから写真を取り出して見ていました。
そして、またお替りかとみんな思っていると、この男は酒場を出ようとしました。みんな不思議に思い何故かと聞きまし
た。
すると写真の中の人物(妻)が、やっと可愛く美人に見えてきたので家に帰ることにしたと答えたそうな。





668  ママがすべて



オーストラリアに移住して50年になるというドイツ女性はいいました。

ドイツに3度帰ったことがあるが、話されているドイツ語が理解できず、そして冷たい少々高慢な彼らの態度に落胆しま
した。ドイツに暮らしていた母親を失くした今は、もうドイツに行くことはなくなったそうです。もし行くとしたら、母の墓参り
だけになるそうです。

マザータング(母国語)、マザーカントリー(母国)といいますが、父親の出る幕はないようです。





669  昼時の楽しい会話


楽しんで食べられるだけ食べてください(Enjoy all you can eat)と大きく駐車場に書いてあるセルフサービスのレ
ストランに、ロータさんご夫妻といきました。

レストランの2面は総ガラス張りになっていて、外はグリーンベルトが広がっています。
大きな木々の梢の間を小鳥たちが飛び交い、芝生の上ではキューイに似た鳥が歩いています。このレストランは中国
人の経営で、中華料理を主にしたスープから各種のメイン料理、デザートに至るまで品揃えが豊富で地元の人に人気
があり、昼時は大勢のお年寄りも食事にきておられます。
混んでいた店内も2時を回ると空いてきました。レジのある入り口近くにある水槽の中で大きな魚が泳いでいるのをみ
て客の一人が、'何時この魚は食卓にでるのか?'と聞きました。ニコッと笑って給仕人の中国女性は、'来週にはでます
よ'と答えていました。
観賞用のペット魚ですので人が食べるのは有り得ないのを互いに承知した上で、ジョークを言い合えることに感動しま
した。
食事が終わり、車を止めた近くのショッピングセンターの駐車場へ向かおうと店を出て、道を一つ横切ると,角はオース
トラリア料理を専門にするレストランでした。
ここの料理には必ずグリーンピーズとベイビーキャロッツ(小さな人参)が皿にのって出てくるが、気をつけないと皿から
転げて床に落ちてしまう所だと言って、笑わしてくれたのがロータさんでした。

昼時のウイットに富んだ楽しい会話のひと時でした。





670  老後は小さい住まいへ



80歳を少し越えたケイさんは一人暮らしで、平屋づくりの長屋の丁度中ほどに住んでいます。

表通りの広い自動車道に車を停めて、小道を入って閑静な街中の一角にある長屋に彼女を訪ねました。20年ほど前
に出来たばかりの頃、老後の住まいとして決め、ご主人と一緒に引っ越してきました。小さな前庭と洗濯物を干せる空
間がある後庭、応接室、台所、寝室2部屋のこじんまりした所です。ケイさんは白髪で彫りの深い大柄な顔立ちで、背筋
をすくっと伸ばし1米75センチほどもある方で、友人からはコンテッサ(伯爵夫人)のニックネームで若い頃から呼ばれ
たそうで両手を大きく広げ、娘や私達夫婦を一人一人ハッグしてくれました。
応接室や台所の壁には編み物や刺繍をするのが好きだった、10年ほど前に亡くなったご主人の作品が掛かっていま
した。写真のご主人は映画俳優にでもしたら、と思えるほどハンサムで理知的に見えます。生前は炊事洗濯に至るま
で手伝ってくれた優しい理想の夫だったそうで、若い頃は大きな家に住んでゴージャスな生活もしたそうです。

しかし、子供たちが独立して出て行った後は芝生の手入れもしなくて済む、この小空間に2人で引っ越してきました。
今は、糖尿病を患い杖に頼らないといけない生活になった彼女は、主人に会いたいといいます。若い頃の彼女は、ハ
ンサムなご主人を顎で使うワンマンな性格だったそうです。
近所には息子一家が住んでいて、孫が週に数度立ち寄ってくれ買い物などの買出しを手伝ってくれますが、高校に通う
孫の家に対する不平には耳を貸さないそうで、親に相談するよう言い息子一家のことには干渉しないそうです。

5年ぶりに訪ねてきた私たちの娘に会ったのが余程嬉しかったのか、話は淀みなく流れていきました。ドイツから移民
でアデレードへやってきてゼロからスタートしたケイさんご夫妻の足取りが走馬灯のように語られ、糖尿病であるにもか
かわらず,ご自分のコーヒーカップに山と砂糖を入れて強がって見せるなど、GO!GO!人生は健在でした。

お別れは車の所まで杖を突きながら歩いてこられ、何度もハッグしてくださいました。




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