希望



661  緑色の効き目



以前、ヘヤードレッサー(美容師)の卵(学生)さん達とロンドンの学校へ研修に行ったことがあります。

学校の前を歩いている人に呼びかけ、ヘアーカットをタダでするので試験台になって欲しいと頼んだことがありました。
オーストラリアの歯科衛生士の卵達も歯の治療の訓練の為、ボランティアーを募り実践の訓練を2年目の終わり近くに
行うそうです。ブレーメン出身で、オーストラリアに移り住んで45年になるロータさんですが、娘さんが歯科衛生士養成
学校に通っていて今日は自分はギニアピッグになる日だと言い、歯垢を学校で卵さんたちに取ってもらうそうです。
ギニアピッグとは天竺鼠のことで通常モルモットと呼ばれ、実験材料になります。
ドイツ出身のこの人に言わせるとドイツ語では、この場合は実験に使う小動物というディスクリプティブ(正確に詳細を
述べた)な単語があるそうです。ただ長年使って学習してきた英語の良さは簡単で分かりやすいところにあるそうでです
が、発音やスペリングは出鱈目でドイツ語に遠く及ばないそうです。

娘さんによると、オーストラリアでは医者は手術の際は緑色の手術着を着るそうです。赤つまり血と反対の色である緑
は、人を落ち着かせ安らぎを与える効果があるそうです。
歯の治療にも緑色のシートとを使い、治療する歯を残して他の歯はシートで被い隠します。このシートは湿り気もあり血
も見えませんし治療する歯を浮かび上がらせ、治療し易くします。
又、救急車も前面は緑に塗ってあり、事故を起こした人に安心感を与えるそうです。
昔、白黒テレビで見たベン・ケーシー(医者)の着ていた手術着も,おそらく緑か濃いブルーだったような気がします。

帰国後、私の娘の友人の歯科衛生士に聞くと、日本でも緑色のシートを葉の治療に使うそうです。






662  今日もピクニック・ランチ



安上がりで自然の中でゆっくりと食事する、こちらの習慣をここ数日しています。

ローティ(ロータさんの奥さん)さんが、前夜の夕食の残り物やハム、チーズを挟んだパン,家で焼いたケーキそれと湯の
いっぱい入った魔法瓶、コーヒーに紅茶に砂糖にミルクをそれぞれ別のビンに入れ、さらにカップやスプーン、ナイフに
ホークとテーブルクロスをピクニック用のバスケットに入れてくれました。

レンタカー(1日3千円ぐらい)に乗って出かけ、友人を訪ねたりアデレードの街中に出かけたり郊外へ行ったりしました。
娘の友人たちの多くは今は年老いていますが,40〜50年前にヨーロッパから移民してこられた方々です。5〜6年振り
に会う日本からの娘の訪問を心から喜んで下さり、私たちまで暖かい声を掛けていただきました。
街中では、古いマーケットや郵便局,大学のキャンパン内に建つ素晴らしい州立美術館、博物館の中でヨーロッパ絵
画から日本の屏風絵に至るまで、またアボリジンの生活が詳しくフィルムや生活用具の展示で分かりました。
郊外では南オーストラリアの誇るワイナリーに行き試飲の梯子をしたり、ドイツ人が入植した町、ハーンドルフも訪ねま
した。
アデレードの町の中心に無料で市民に開放されている歴史ある植物園があります。
入り口を入ると冬が終わったばかり(9月始め)と言うのに濃い君子ランの花が群生しています。植物園内は、ゆったり
としていて大木が茂る所もあれば緑の芝生が広がっている所もあり、また昔から流れている小川がそのまま残されて
います。芝生にビニールシートを広げて、早速ピクニックランチの始まりです。寝転がってサンドイッチを頬張っていると
小鳥たちも近寄ってきます。車の騒音も聞こえてこないほど広々しています。

次の日に行った郊外の町ハーンドルフは200年前に出来たそうですが、大通りに沿ってレストランや手作りの民芸店、
ホテルなどがレトロのイメージで残されていました。店の庭に展示してあった馬車の車輪はゴムではなく鉄の輪で出来
ています。1万人の人が現在は生活していますが、小学校の校庭では子供たちが緑の芝の上でクリケットに興じていま
した。それを見ながら公園の一角にあるピクニックテーブルにピクニックランチを広げて食べました。

夜のテレビのニュースはアデレードで起る事件を流していて、決して安心していられない世界共通の都会生活の厳しさ
を感じますが、こうして知恵あるリズム(安上がりのピクニックランチで最高の雰囲気の中で時を過ごす)を大切にして
いる人達を、懐かしくそして羨ましく思いました。







663  オージー式フットボールに魅せられて



色とりどりの野鳥が花の咲き出した街路樹の間を飛び交ったり、庭の餌箱にやってきてさえずる9月はじめ頃、オースト
ラリアは冬が終わり春の訪れとなります。

週末は、主に男性お待ちかねのAFL(オーストラリア式フットボール・リーグ)の試合があり、テレビ観戦の時間です。
この時期はプレミアリーグ(16チームからなる)の大詰めを迎えていて、テレビでの実況時間に合わせて大切な会合ま
で変更する人もいるそうです。
正味20分ごとの4クオーター制で、それぞれ21人の選手が大きなオーバル(卵)型の球場の中で、丸くない球の両方の
先が尖がったラグビーボールを蹴り,投げ,追っかけゴールを目指します。地面に叩きつけられた球は、どちらの方向に
バウンドするかは神のみぞ知るのでしょうか?ゴールには高いポスト(柱)が4本立っていて、真ん中の2本のポストの間
をボールが通れば6点、球がポストに当たって入ったり、他のポストの間を通った場合は1点です。ボールを持って20歩
以上走ることはできず、味方に投げてパスするか蹴って味方に捕ってもらうかします。マンツーマンでディフェンスがつ
いていますが、地面にこぼれた球を追ってぶつかり合う男たちの真剣さ、激しさはオージーラグビーのたまらない魅力
になっています。
入場料も25ドル(約2千円)と安く誰もが足を球場へ運べるので、超満員です。
1シーズンに23試合戦うそうですが、エレガントでない野蛮なスポーツと見なし毛嫌いする恋人や妻にとっては,憎い恋
敵になっているようです。
テレビ中継のパトロンはトヨタで、両チームの着用しているユニホームまでトヨタのロゴ一色だったのには驚きました。
アデレードには庶民のサポーターの多いポート(港)チームとインテリや中流層に後押しされたクロー(カラス)チームが
あります。

南米のアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに行った時、サッカーですが下町の港近く庶民に絶対人気のボカジュニア
と中流、インテリ層に支持されたプラターチームがあり、永遠のライバルだと聞いたのを思い出しました。






664  グローリー・ボックスを持たなくなった時代


アデレードで一晩、夕食に招いて下さった方は玄人が顔負けするほどの風景画を描く老人で、居間の壁には幾つかの
作品が掛かっていました。

わざわざ奥の部屋に行き、居間へと持ってきて私たちに見せて下さった絵には、ベルリン市内のとある街風景が描か
れていました。その絵の裏には死んだ後、差し上げる方の名前が書き込まれています。日本風に云うとすれば、形見
分けとでもなるのでしょう。
そして、形見分けでこの絵の持ち主になる人は、絵に描かれている建物の一つで生まれ育ったそうです。私たちがお
世話になっているローティ(ロータさんの奥さん)さんがその人です。ロータ・ローティ夫妻を前にして、長年の親しい友人
である70代半ばのドイツ移民の彼は、茶目っ気たっぷりにこの絵のお陰でローティが毎日電話を掛けて安否を気遣っ
てくれると話し、皆で大笑いしました。

そのローティさんが言うには、以前は女性は若い頃から将来の結婚に備えて、必要な物を小さいときから集めて準備し
たそうです。準備した品々が入っている箱をグローリーボックス(栄光への入れ物?)と呼び、胸を躍らせた宝箱だった
そうです。
今でも、チュニジアの女性はカーペットを自分で織り、最初の作品はモスクへ寄贈し最もお気に入りのものは,嫁ぐ先
へ持っていくといいます。

しかし、オーストラリアでは今の時代、親が子の為にこれはと思って大切にとってあった物を子は、それが食器セットで
あれベッドカバーであれ好みではないからといって拒絶するそうです。親の心子知らずが増えていると共に、結婚生活
への安易な考え方をする女性が増えているそうです。







665  バロッサ・バレーに入植した人達の誇り



アデレードから内陸へ北に向かって百キロほど行った所が、オーストラリア・ワインのメッカの地、バロッサバレーです。

この地の歴史は、19世紀の哲学者達の夢(宗教や政治のしがらみや拘束された状況を脱却した自力で興した企業や
農園をつくろう)を思い出させてくれます。
東部オーストラリア地域(ニューサウスウェールズ州、ビクトリア州、タスマニアなど)は、英国から流刑の地として送られ
てきた囚人達により始まりましたが、南オーストラリアやバロッサバレーは勤勉に働くことをモットーに入植した富裕なイ
ンテリ層のイギリス人やルーテル教会派の南ドイツからの移民団により開拓されました。

訪れた9月は南半球に位置しているので、北半球(9月が葡萄の収穫期)と異なり冬が終わり春が来たばかりのこの頃
は、ぶどう園では新芽が未だ出ない裸の蔓木があるだけでした。
点在するワイナリーでは試飲が無料で出来ます。気軽な話題に打ち興じながら対応する業者側の知恵を見ていて、リ
ラックスして楽しめました、
乾燥した土地に水を引くために20世紀の初め、川を堰き止めてつくったバロッサ貯水池にはウィスパリング・ウォール
(囁きの壁)があり、今では文化遺産になっています。山間の谷をつなぐコンクリートの歪曲した140米に及ぶ壁がそれ
で、両端に分かれて小声で壁に向かって話すと、声が伝道して鮮明に会話が出来ます。子供ならずとも大人でも楽しめ
ました。
また、途中に寄ったヌリオートパーの人口4千人の町ものんびりとしていて、通りには日常生活に必要な店が並んでい
ました。元々は、この辺りに入植した人達は自給自足していたそうです。通りに面して軽食を出す店に入ってみました。
グラス一杯のワインとローカロリーの肉と野菜の盛り合わせ皿が昼食のお奨めのようでした。室内は、壁のレンガの地
色が露出していたり天井が少しめくれていました。新婚間がない20代の若夫婦が口をそろえて目を互いに合わせなが
ら語る店の経営については、、週末にはワイナリーで時々、パーティや結婚式、会社のミーティングを兼ねた会食があ
るそうです。
ワイン樽の並ぶ室内空間や広い庭を利用して開かれますが、その際は主張ケータリングサービスの注文があるので
助かるといいます。店の奥の庭にはケータリング用のトレーラーがありました。この軽食堂の隣は、中古のがらくた小
物を扱っているお店で、軽食堂の若主人の母親が一人でやっておられ、さらにその隣は美容室でしたが叔母さんの経
営する店だそうです。

この3つの店は、レンガの壁を隔てて繋がって建っていて年代を充分に感じさせてくれました。ここでは、時間はゆった
りと流れているのを実感しました。





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