希望



641  ブラウニング夫人について



ロンドンの北方、サッフォーク地方のベリーセント・エドモンズの町で世話をして下さったブラウニング夫人は、この町の
近くに住む農家の奥さんであり、公立中学・高校の先生でもありました。

中学校の頃、日本の女子中学生と文通を始めたのがきっかけで、日本語を一生の仕事にされるようになった50代後
半の女性です。日本に住んだこともあり、また文化交流や学会で日本へやってこられたり、日本から英国にやってくる
人たち(学者や学生など)を世話しておられます。その方に連れられて日曜日に近くの教会で行われるミサへ行きまし
た。場所はEYEと書きますが、うなぎのEELと関係があるようです。少し小高い丘の上に立つ石組みの素晴らしい歴史
を感じさせるアベー教会でした。周辺は低地で水はけが悪い土地柄だったそうですが、オランダの干拓技術者のお陰
で土手をしっかりつくり、風車を備えると水はけが良くなり地味の超えた畑に変わりました。今も風車がいくつか見えまし
た。

イースター(復活祭)の近づく頃のミサとあってか,大勢の参列者でパイプオルガンの演奏と4人の方が歌う賛美歌の美
しい声が堂内に響き、素晴らしい1時間半に及ぶものでした。生まれて初めて、初めから終わりまで英国国教会のサー
ビスを体験しました。カトリックのミサに似ているそうです。
式の終わり近くには、寄付を募るカゴが回されましたが,ほとんどの人が小銭かもしくは入れる振りをするだけのようで
した。パンとぶどう酒の祝福を授かるために信者の人達は席を立って前方の僧侶たちの所まで順序良く並んで行って
いました。
式が終わると、教会内の入り口付近で紅茶やクッキーのサービスがありました。昼食は、サンデーディナーと言うそうで
近くの町のパブで、ブラウニング夫妻や知り合いの中学校の先生家族(赤ちゃんも一緒)と一緒になり、3時過ぎまで過
ごしました。その後、ブラウニングさんの家へと連れて行かれました。またそこでも、紅茶とクッキーを頂く羽目になりま
した。ご主人は今は農業を辞め人に任せておられるそうですが、土地は600エーカー(約24平方キロメートル)もあり、
住んでおられる家は石とレンガで出来ていて、家の外壁はツタが這い広い庭では大勢の人を招いてパーティなどを暖
かい時期にされた様子で、その写真を見せていただきました。家の中では、一番新しい部分が50年も前にお父さんの
代につくった玄関であり、古いところでは300年前に建てられたものもあり、今も使っておられるそうです。

自分の土地の中を走る自動車道は、なんと古代ローマ人がやってくる以前の先史人が通った道だそうです。この土地
からもあるいは近隣で先史時代の集落跡が見つかり、発掘がされました。ご主人は今は、地元の教会の世話や考古
学研究の手伝いをされています。家の中には、2匹のラブラドル犬がいました。学校に入れて訓練したことはないそうで
すが、おとなしく家族の一員として可愛がられているのがよく分かり、静かにご主人の傍に横になって、私たちが飲んだ
り食べたり話している間中見守っていました。

英国の田舎のゆったりとした生活を内側から見せて貰えた一日でした。
           




642  日本通のブラウニング先生の目には




ご主人と暮らすベリーセント・エドモンズの町が2千年前のローマ人のつくった道路や区画によって出来ていることは、
ブラウニング夫人は日本でも同様に奈良や京都が平城京、平安京と呼ばれ、唐の都長安の何分の1かの縮図でつくら
れたことと結びつけて考えられるようです。

英国の鉄道線路の幅は4フィート8インチ半あり、古代ローマ時代から使用してきた馬車の車輪の幅がそのまま鉄道の
線路のそれになっていると説明してくださいました。英国は島国ですが大陸ヨーロッパと近く,歴史の中で時には友好的
にあるいは戦争を繰り返してきました。好むと好まざるとに関わらず、強い圧倒的な力の前には屈服せざるを得ない
し、その人々の生活様式が持ち込まれ、そのまま文化として継承されます。
どうしても日本を考えるのですが、日本の歴史はなんと言っても狭くない海が大陸からの侵略を防ぐ役割を果たしてき
たと思われ、極端に言えば江戸時代の末期まで安心して人々は、大陸の進んだ文化文物、思想、技術を輸入し、日本
流に日本のサイズに仕立て直して使用料も支払うことなく、のうのうとやってこれたようにも見えます。

外務省の支援の下に企画され行われてきた10代の若者のホームスティと現地の学校に通い生活体験を2週間するプ
ログラムでしたが、日本の学生が何よりも驚いたのは英国の学生が教室内で意見を活発に述べ合うことだったようで
す。
一方的に授業が黒板を背にした権威ある先生によって行われる日本と違って、情報に対してそれぞれ自分の考えを述
べ合う授業の進め方に圧倒されたそうです。おそらく背景には、人間同士は不完全であるという認識(アダムとイブが
神から楽園追放されて以来,罪びととなった人類)があり、共に意見を出し合ってよりベターな人間になろうというキリス
ト教精神が流れていると思われます。500年前にヨーロッパで興った聖書を中心にした神との直接対話を大切にする
プロテスタント運動や、更に古くはギリシャ・ローマの哲学の中で、ディベート(討論)を重んじる伝統に遡れるのかも知
れません。

同じ島国でありながら、安心して消極的に国の防衛を考えるだけで生きてこられた日本(明治以前)と絶えず不安の中
で積極的に防衛の知恵を発揮しなければならなかった英国の歴史の違いは大だと思います。
        





643  トーマス・エディソンとビル・ゲイツは似ている




NHKの教育番組にあたる英国のテレビチャンネルで1870年代の発明王エディソンと現代のハイテクの革新者ビル・
ゲイツを比べていました。

2人とも科学者としては二流ですが、人類に役に立つものを見つけ出し、それを一般の人に還元する知恵に優れ産業
化した共通性があるそうです。
勿論,もしかしたらよりいい製品を作り出した産業発明人がいたかも知れませんが、競争に打ち勝つ財力、情報力、研
究センターなどのネットワークづくりに圧倒的に優れていた面は二人とも傑出しています。
電気をバルブのなかのフィラメントに流し、発電所をジェネレーターセンターとして考えたエディソン、あるいはウインドー
のネットワークを作り上げたビル・ゲーツです。もっともビル・ゲーツの場合は、マッケントッシュの知恵を上手に使った
結果のようです。

誰でも発明,革新のチャンスがあるという話でした。
           





644  ベリーセント・エドモンズの町には




ベリーセント・エドモンズの町は大学町として有名なケンブリッジから車で1時間の所にあります。

平たい土地柄の中に僅かに盛り上がった天使の丘(エンジェル・ヒル)のアベー(格式のある英国国教会の名称)前の
広場に面した歴史あるホテル・エンジェルに泊りました。
何でもこの町自体が元々はローマ人が住んでいた町だそうで、その名残で東西南北に門があり四方に通じる大通りが
今も残っています。この町の顔は、9〜10世紀のこのあたりのサクソン族の王エドモンズがノルマン(デンマークのバイ
キング)に殺されましたが、後に聖人として認められ、それ以前からあった教会を拡張して以来、セント・エドモンズ・ア
ベーと呼ばれるようになり巡礼者が多く訪れる所となりました。中世の時代には、大変な勢力を持った教会であったそう
です。
また1214年には、25人の貴族がこの教会に集い、ジョン王に対してマグナ・カルタ(大憲章)を認めさせるための決
意、結束を固めた所です。教会の周りは広い公園になっていて、当時の建物の石組みが所々に残っています。説明板
には、ここが文化・技術の中心で各種の品物がつくられたり売買されて栄えた町であったことが書かれています。

天使ホテルの前の広場では、1868年にこの国で初めて町民による直接選挙(挙手による)が行われたそうで,その
時の写真がホテル内のロビーの壁に掛かっていました。帽子を被り馬に乗った紳士が広場を埋め尽くし,仮設につくら
れたステージの方に向いている写真です。ホテル自体も11世紀には巡礼者を泊める宿として機能していたそうで、地
下にあるレストランに通じる壁や天井はその当時のものが残っているそうです。

何と古いものを大切にするヨーロッパ人,わけても英国人とは聞いて知ってはいるものの、そこまで徹底していることを
心底知らされました。
            




645  日本は植民地だったと語った孫文




孫文(1866〜1925)は、晩年に神戸の女子高等学校の講堂で行った講演会の中で、日本は日清戦争(1894)まで
の40年間は対欧米との間に結んだ不平等条約に縛られた植民地国家であったと言いました。

これからの日本の生き方は、欧米の真似をしてアジアの植民地支配を広げるか、あるいはアジアの覇者としてアジア
諸国のリーダーとして共に手を携えて新しいアジアをつくるかは,日本人が決めればいいと述べたそうです。長い間ア
ジアの覇者として君臨した中国に生まれ育った智者孫文先生の歴史への見識は広く深く日本人とは異なったものでし
た。そして、孫文はこの講演の翌年に亡くなりました。
司馬遼太郎さんによると、日清・日露戦争の頃までの日本人は日本そして自分を客観化して、相対化して観る態度を
持っていたそうです。しかし、それ以降の日本人は狭い絶対化した日本をつくりだす方向に行ってしまいました。 

物を観るのに、自分は全体の一部であり、固定したものではなく、相対の中に生きている感覚を学ぶのは普段の努力
の積み重ねしかないようです。



トップへ
トップへ
戻る
戻る