希望




636  医学生の演奏に合わせて踊る人達



スペインのグラナダ大学の医学部は優秀だとの評判です。

17世紀の医学生の服装でやってきた現役の医学生が、学資稼ぎに昔からの伝統だそうですが、マンダリンやギターを
手に楽しく明るく、そしてセンチメンタルなリズムの演奏をしながら歌ってくれました。ホテルでの夕食の際のことです。
私たちの近くでは、フランスからやってきた老人グループ(50名近く)が食事をしていました。すると、彼らの中の一組
が席を立ちテーブルの傍でダンスを始めました。私たち(老人、中年、若者の混じる30名)はただ微笑んで見ていたも
のです。多様な音楽のリズムに合わせて気軽に席を立って踊る人達や、医学生が売るCDカセットテープを買いたと、
わざわざ部屋まで財布を取りに戻る年配のフランス女性を見ていると、いかにも個性的に活動的に体や言葉で表現し
て生きているヨーロッパ人の骨頂を見た思いがしました。
            




637  217人が3年後には17人に



19世紀のフランスの作家メリメエがセビリアを舞台に、タバコ工場で働く美しい自由に生きようとする一人の女性カルメ
ンを廻って、2人の男性ドン・ホセとエスカシリエの絡みを描いて見せました。

この小説はビゼーにより歌劇のオペラになり、不朽の名作となりました。
この話の背景には、グアダラキビル河中流の町セビリアが、中南米のスペインの植民地から持ち帰った物産を一手に
引き受けて売買する権利を16世紀から18世紀に亘ってスペイン王室から与えられ、繁栄していたことがあります。そ
して、タバコを加工する工場では、4千人もの女工が働いていました。このタバコ工場だった建物は、今は大学の本校
舎として機能しています。
またここから船出して3年後に世界一周(1519〜1521)に成功したマザランやエルカーノの快挙もありました。出航
時には5隻の船に217人の乗組員がいましたが、帰国した時は1隻のみで17人の乗組員になっていたそうです。

その船ラナ・ビクトリア号は複製だと思いますがセビリア港に係留されています。
             



638  女性町長は気さくな方



中部イングランドの町、ニューベリーに1週間滞在しました。

春休みを利用しての語学研修とホームステー体験を組み合わせた中学生を対象とした旅行の案内でした。人口2万8
千人の頂点に立つ町長を130年前につくられた町庁舎に表敬訪問しました。女性町長は伝統のガウンを身に纏い,
黒い帽子を被り首にはずっしりと重く見える歴代の町長の家紋と中央には町の紋章の入ったメダルの首飾りをしてい
ます。
一段と立派な町の紋章のデザインは、1600年代の市民戦争の場面、町を流れる川、代表的な町の産業が描かれて
いました。ニューベリーは400年前に自冶体として出発したそうです。24人の町会議員は4年に1度選挙により選ば
れ、その中から1年交代で町長が議員により選ばれ勤めます。月に4回集い活動プログラムを決定(立法)し、行政は
役人が行います。町会議員は無報酬です。長い伝統が今も生きているのがよく分かりました。

30分余り日本からやってきた子供たちに気さくに話をしたり、カメラに共に納まったりと優しい対応振りでした。過去に
10名の女性町長が出たそうですが、この方もガウンを脱げば近所の叔母さんといった風に見えました。

足が地についた政治が行われている一端を見た思いでした。
           




639  愛する子を思うが故の母親の悩み




中部イングランドのニューベリーにある語学学校に6歳の子を連れ、2週間語学を学ばせるためについてきておられる
日本のお母さんに出会いました。

今回が初めてではないそうで、4歳過ぎの頃から他の英国の町とかオーストラリアへと短期滞在で、子供の教育・成長
を願って機会を捉えて出かけておられるそうです。
この母親は西欧の子供たちの考え方にかなりショックを受け、感銘していました。例えば、幼稚園での先生と幼児との
関係では、耳で聞かせて少しずつ継続したやり方で、ものを考え発表して書き表す方法や、興味を示さない子供を無理
やり引き込むのではなく自由にさせ、但し一定の制限(例えば集団と少し離れた所で、声を出さず1人で好きなことを静
かにするのを許す)を与えた上でさせるとか工夫して、自ら考えて行う態度を養おうとしているそうです。
ニューベリーの語学学校の宿泊所では、9歳のスペインからやってきている子供がしっかりエコロジーの考えを持って
いて、ゴミを仕分けして出しているのを見たり,浴槽に1/3しか湯を入れず石鹸を使わないで体を洗っているのを見た
そうです。水を汚さず使うことの大切さを考えて、そうしていると本人から聞くにつけ、日本での形ばかりの欧米の真似
をする中身の抜けた学習に疑問を感じ始めているそうです。日本の伝統である思いやりが失われつつある日本での生
活に危機感を感じると、目覚めた母親のジレンマを語っておられました。

古いものを大切に、新しいものはゆっくりと指示書を読みながら生活の中に加えていく生活態度に、ヨーロッパの凄さを
見ておられました。
愛する子供の為に精一杯チャレンジする母親の姿に,正直感動を覚えたひと時でした。
     




640  カレージュがカレッジに、カレッジが集まってユニバーシティに


イギリスのケンブリッジ大学はオックスフォードの僧侶たちが意見の仲たがいをした結果、何人かの人が集まってケン
ブリッジ(カム川にかかる橋)の地に移り住んだのが始まりだそうです。

神学を通して真理を究めようと考える僧侶や学者、そして彼らから学ぼうとする学生たちが集ったのがカレッジの始ま
りだそうです。そこには、祈りの場所や食事を共にする場所、寝泊りする場所、仕事をする場所などモナスタリー(僧
院)が生まれます。そのことをラテン語でカレージュといいました。
複数のカレージュが集まり,神学以外の学問を教え学ぶ建物が別個につくられるようになりました。カレージュに生活し
ながら、神学以外の学問を他の校舎に学びに行くのです。
医学とか法律とか歴史とかいろいろな特徴を持つ校舎が集まってオックスフォード大学やケンブリッジ大学は昔ながら
今に至っています。オックスフォード(川のほとりの堤で牛が草を食べているといった風景をイメージさせる言葉)は、土
地空間が狭くカレッジが寄り集まっていてこじんまりした町となっています。翻ってカム川沿いにつくられたケンブリッジ
大学は、緑が豊かで町全体もゆったりしている様です。

学生たちの公式の行事に着る黒いガウンは、昔ながらの僧侶の服(黒い僧服)からきているそうです。学生は半サイズ
のガウン,学院生はフルサイズのガウンのようです。
ケンブリッジの街中でブラス・ラビングの体験が出来るドームを持つ、過って教会であったと思える場所に行きました。
そこで説明してくれた女性は、手話と表情、言葉が一体となり明瞭にブラス・ラビングの歴史をビビッドに描いてくれた
素晴らしい人でした。
北ドイツやフランドル(ベルギー,南オランダあたり)でつくられ輸出していた合金(アロイ)の真鍮の板を使って中世の時
代、墓の表面を飾り模様を彫りました。そして、今では描いた模様が観光客の人気の的になりました。十字軍に参加し
た勇者の姿や14〜15世紀に流行った女性の髪形や服、聖人や動物、宴会の場面など様々です。
気に入った真鍮の上に紙を置き、上からゆっくりとこすっていきますが、結構力がいります。写し取った作品を丸めて筒
の中に入れ貰って帰ります。当時の人の多くは文字の読み書きは出来ませんでしたから、衣装や何かの印を使い自己
主張をしました。

トリニティ・カレッジの中に中庭(クロイスター)を囲む長く続く回廊があります。過ってここで科学者たちが、音速の実験
をしたそうです。拍手を打つと全体に音が響きわたりました。階上には教授やドクターたちの部屋や図書室がありま
す。
中庭を囲む廊下や建物の線の美しさに目を奪われていました。
  
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