希望



626  ザクロは生命(いのち)のシンボル




イスファハンからテヘランまでは400キロあります。

海抜1500米の高地をバスで8時間かけて行くことになりました。遠くに雪を戴いた山々が見え,木の殆ど生えていない
砂と小石の混じる茶色の大地に葉の細い水をあまり必要としないトゲ科の植物が車窓に見えるだけです。
バスの中では、カセットテープに録音したコーランが流れています。ゆっくりと間を置きこぶしの利いた男性の浪々と詠
うリズムは、不思議と気持ちが静かに落ち着く作用があるようです。所々にある休憩所では,ザクロを売っていました。

ザクロは幸せ、いのちの象徴と古来言われました。
仏教伝説では、鬼子母神が他人の赤ちゃんをさらっては食べる行為を止めないため、ブッダが懲らしめの為,鬼子母
神の末子を隠してしまいます。すると鬼子母神は半狂乱になり我が子を捜します。ブッダは、半狂乱になっている今の
あなたのような不幸な母親をあなたはつくってきたのだと諭しました。ブッダは赤ちゃんの代わりに人の血の色をした
人の味のするザクロを与えたと言います。

スペインのグラナダの町はザクロという意味ですし、シリア砂漠のパルミュラの遺跡やヨルダンのペトラの遺跡にもザク
ロが柱頭のデザインに使われています。地母神、大地、生命のシンボルとしてのザクロは、地中海世界からオリエント
を通り、インドまで共通して採れる果物であり、生命力をみなぎらせてくれます。
           





627  イスファハンに比べてどうか?




フランスの18世紀の思想家モンテーニュは'イスファハンに比べてどうか?'といった表現で物の目安を計る基準にこの
町の名前を使ったそうです。

ヨーロッパから旅してきた当時の人の目には、余りにも美しいイスファハンの広場や宮殿、庭園やモスク、バザールや
橋,街並み,人々の優雅さに驚き、イスファハンには世界の半分がそろっていると言う意味で、’イスファハンは世界の
半分'という形容までして讃えた町でした。
16〜18世紀は正にヨーロッパでは、ポルトガル、スペイン、フランス、イギリス、オランダが、中近東にはオスマン・トル
コ帝国、そしてペルシャのサファビー王朝(イスファハンが首都)、インドにはムガール帝国、中国には清など大国が群
れて興っていました。

世界が海を通じてひとつになった時代でした。。
イスファハンはザグロス山脈の西麓にあり、ザーヤンデ河の水により発展しました。町には今も5つの古い橋が残り機
能しています。ハジェ橋の中ほどの橋脚には茶店があり、茶店の中では絨毯の上に座って水パイプを曇らす人もあれ
ば、窓に寄りかかってお茶を飲む家族連れや恋人など様々に、ゆったりと時の流れ水の流れ人の流れをを楽しんでい
る風情でした。シオセポリ橋では33本のレンガの橋桁のアーチが、完璧なまでに美しい姿を保っていて、急ぐ人、休む
人、車に乗る人、歩く人、話に興じる人それぞれに橋を仲介にして充足している様子です。河によって遮断された人々
の思いを繋ぐ用途の機能以上に,人々の優しさ優美さをこの橋は与えてきたようです。若い人達が夕食前後のひと
時、橋の上を行ったり来たり、ゆっくり歩いて楽しんでいるの見ると、橋が人々の生活の中心になっているのを強く感じ
ます。楽園(パラダイス)はさもあらんと思わせるほど見事な公園や庭園をつくり、乾燥とオアシスという環境であればこ
そ、水を巧みに使い庭園に永遠の美しさを表現したのでしょう。
             





628  自然に育まれた芸術の歩み




ギルガメシュの伝説神話には、ノアの洪水やバベルの塔の元になる話が出てくるそうです。

そしてこの神話は聖書よりもはるか以前につくられたもので、オリエントの沃地の中から出た粘土板に楔形文字で書か
れ残されていました。人は丸いもの、流れるもの、二つとして同じでないものを最初に意識したと思われます。自然界に
あるものは、全て人間の力では一つとして同じようにつくることは出来ないと思ったのではないでしょうか?

もし宇宙人(飛びぬけて優秀な能力の持ち主)が地球にやってきて人間と接触して人間の能力を測るとすれば、人間が
つくった幾何学模様の作品がどれほどあるかで判断するかも知れません。三角といい四角といい角をもつ、くり返しの
模様は初めて空間を分割する知恵を人間が発揮したと見なすかも知れません。

定住して農業の再生産を始めて文明をつくることが可能になりました。農業は耕す所を区分してそこに水を入れること
で可能となります。区分とは幾何学模様であったと考えられます。19世紀半ばには、カメラが普及し始め自然の姿はカ
メラが写してくれる時代が来ました。
人は更に次なる抽象の世界,次元へと歩み始めました。そういった中で芸術家は自然に帰れという運動を起こし、アー
ル・ヌーボー(新芸術運動)が始まりました。ある人は幾何学模様をさらに突き進め、再生産運動の中に普遍性を見つ
けようとし現実の姿の奥にあるもの、スール・レアリズムを追い求めました。具象といい、抽象といい人類が最初に丸い
ものである太陽、月、星、石、植物、動物、虫に接して以来歩み始めたもので、隔絶した世界ではなく一つのものから
(自然)生まれたもので、自然とのつながりを求め、あるいは離れ、人の意識内で発酵した結果にすぎないものであると
考えれば、20世紀の歩んだ混沌とした芸術界の作品は理解が可能に見えてきます。
他方、20世紀に顕著になった通信、交通、エネルギーなどの発達は、科学的思考を推し進め機械やコンピューターに
よる便利を追求した生活面における自然界の有効利用でした。

ここオリエントあるいはザグレス山脈の雪解け水を利用した乾燥地帯のイランなどに幾何学模様のデザインを使ったモ
スクや宮殿が出来、生活と信仰が一体化したイスラム教のシンプルさやゾロアスター教の明るい教えが広まったこと
は、自然の賜物によることは勿論ですが、人類のチャレンジし続けた結果、生まれたものであるとすれば大きな感動を
感じます。  
           




629  公園、庭園、橋をテーマに見たイラン




シラーズの詩人たちの詩が石碑に刻まれた詩人公園やイスファハンの宮殿の庭園の中で、ハジェ橋やシオセポル橋
のたもとや橋の上で憩う恋人、家族連れ、仲間同士など何と多くの人達に出会ったことでしょう。

そして、人でごったがえしていた大通りや中小の通り、バザールの中にモスクの内外に何とただぶらぶらと人がいたこ
とでしょう。
バスで通り過ぎていった街道沿いの村や道端で僅かな商品を並べ、退屈する風でもなくただ座っている商人(?)を見
たり、公の場所(通り、橋、公園、庭園、公衆浴場、モスクなど)が今も人々を繋ぎとめる大切なコミュニケーションの機
能を果たしているのをつくづく感じます。みんなで目的もなく集い、時を過ごす素晴らしさを知っている人たちでした。

日本人の嫌がる3Kの仕事をする為に日本へやってきた、週末になると上野公園に集まってきた中近東の人達を奇異
な目で見、取締り対策をした警察や日本人こそ精神的に異常(目的もなく集い時を過ごす素晴らしさを忘れてしまった)
をきたした者として,取締りの対象にした方が的を射ているのかもしれません
         




630  1日に17回も同じ祈りのお経を唱える人達


イランでは1日に5回お祈りします。

決められた祈り用のお経を朝は2回くり返し行い、昼は4回、就寝前の最後の5度目のお祈りまで加えると17回も神ア
ラーを讃えるのだそうです。
そして、決められた通りのお祈りのお経を言った後には、お願いごとをしてもいいとアラーは言っているそうで、神との
直接対話も可能となっています。更に、金曜日の正午のお祈りは特に大切で、皆で一緒に集まって行うよう勧めていま
す。金曜モスクと呼ばれる大勢の人が集える集会所があり、人々の結束、信仰を強めるのに役立っています。モスクの
傍にはバザールがあり、その賑わい振りは大したもので、皆が集うモスクはそのまま商業経済の中心地になっていま
す。
キリスト教の教会に集って行うミサが、教会傍の広場を利用しての商品流通の場(メッセ)となっていった以上にイスラ
ム世界では生活と宗教は一体化していることを再確認しました。




  

トップへ
トップへ
戻る
戻る