希望



616  スケープ・ゴート は大切だった



スケープゴートは誰かを身代わりに犠牲にして、本来受けるはずの罰や批判を逃れるという意味で今では使っています
が、古来ユダヤ世界では贖罪日(罪が許される日)に、人間の犯した罪を負わせて荒野に山羊(ゴート)を放したことか
ら生まれた言葉だそうです。

落穂拾いはモーゼも述べている通り、貧しい人や彷徨い人、さらに寡婦や父親を失った子のために収穫の一部を刈り
残す習慣がありました。恵まれない者のために配慮した取決めでした。
ミレーの落穂拾いの絵は有名です

聖書では、モーゼに連れられて出エジプトした人々が40年間シナイの荒野を彷徨った時、神の言うことを聞かない人
達を罰するために、神はヘビを野に放ちました。多くの人がそのために死にました。少しでも救おうと、モーゼのつくっ
た真ちゅうのヘビを見るとヘビに噛まれた人も癒されました。
 ヨーロッパに行くと、病院や薬局の入り口にヘビが伸び上がって器の中の水を飲もうとしているデザインの看板を目に
します。1年ごとに古くなった皮を剥いで、新しい皮を身に纏うヘビを見て知っていた古代の人々は、きっと同様に病気
が取り去られ元気が戻ってくると信じたことでしょう。

痛みや犠牲なくしては願いごとは適わず、スケープゴートの重要性を知っていた人々の時代でした。

            





617  時と空間を越えて生きた人




中央アジアから身を起こし一代でユーラシア大陸(インド、中央アジア、中近東など)を網羅するイスラム帝国を築いた
のが世紀の英雄チムールです。

この英雄とも話をした人が、アブドル・ラーマン・カルダーン(1332〜1406)というイスラム教学の学者です。カルダー
ンの先祖は南アラビアに生活していました。8世紀にスペインの地に西イスラム帝国(コルドバが首都)が出来ると、ス
ペインへ移住しました。そして、カルダーンは6世紀ぶりに故郷に近い所(エジプトのカイロ?)に帰ってきて、なお家族
的な雰囲気(イスラム教理の普遍性)を見出し、時と空間を越えた一致を見つけました。アラビア語で書かれたコーラン
(神の教え)を教えるこの人は,たとえ支配者が時と共に変わろうとも神の教える道徳の社会は引き継がれ、巡礼の地
メッカやエルサレムは変わることなく神への賛美、信仰は続いていることを身を持って体験しました。

浦島太郎のおとぎ話をあげるまでもなく、時と共に風景も人も変わり行くのが常と思うのが当たり前ですが、アラビア語
で語られるイスラム教が時や空間を越えて人々を結びつけ、生きていける変わらない世界を体験した人でした。
          





618  ’夢が叶わなかった’を英語では?





ラジオの英語講座で、'夢が叶わなかった'の表現を英語ではどのようにするのか?アメリカの先生が語っていました。

日本人ですと、'The dream was broken'と言う所ですが、このネイティブ・スピーカーの先生は、むしろ'The dream has 
never been realized'という方が自然に聞こえると言います。
日本の文化では、人間を含む全てのものを創造した絶対神を想定していない土壌ですから、自力で頑張った結果、希
望が叶わなかったことをbroken(壊れた)という単語をあてたのですが、欧米の一神教の世界に生まれた英語は
realized(現される)という言い方にするのが相応しいようです。夢が叶うか叶わないかは、人間を越えた神の領域に属
する意味を含んでいるように思います。夢の実現に最大の努力をすることは国境を越えて共通していますが、その結
果に対する姿勢は欧米と日本では異なるようです。言葉一つとっても長い歴史、文化、宗教が作用していることを思わ
ざるを得ません。

何々させて頂きます。という表現が最近テレビなどのマスメディアは勿論、私たちの普段の生活の中でもよく使われる
のが気になります。私の考えでは、させて頂きますという言葉は、人間の領域ではなく神の領域に対して、我が身をへ
りくだり使う言葉だと思いますが、不完全な人間同士(対等)が買い手や聞き手に対して、売り手側が奴隷の如く絶対
者に対する如く使うのは,礼を重んじる日本の伝統とは明らかに違う不毛のもので、聞いた、言われた側も気持ちが悪
く感じるのが正常ではないかと思っています。
         





619  中世のイスラム世界で他の宗教を信じる人は



イスラム教支配の世界で、他の宗教(キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教など)を信じた人達は、次のようなことを守
る必要がありました。

人頭税を払う。
イスラム教徒ではないという印をつけ特別な服を着るが、逆にイスラム教徒の大切にする緑色の服は着られない。
武器を持ったり、馬に乗ってはならない。
許可なしに家を建てたり修繕してはならない。
イスラム教徒の家を覆い隠すような建造物はいけない。
イスラム教徒の財産を引き継ぐことは出来ない。
男性はイスラム教の娘と結婚できない。
反対にイスラム教の男性は他の宗教の娘と結婚できる。などありました。
         




620  ゾロアスター教の寺院の中には何が?



イランのイスファハンの町で初めてゾロアスター教の寺院の中に入りました。

礼拝堂の中央奥に仕切られた場所があり、そこには火が燃えていました。管理人(聖職者)は頭に白い帽子を被り、首
から足先に至るまで服,靴など全て白装束に身を包んでいました。その方の説明によると、現在(1998)イスファハン
の町には400人ほどのゾロアスター教徒がいますが、イラン全体では4万人ほどだそうです。3000年前とも言われる
昔、預言者ゾロアスターによって興された宗教で光(明かり)を拝むのを大切にしている教えだそうです。
光は正しく、暗闇は邪悪なものとなります。信者は、三つのことを行うよう指導されます。一つは正しい思考、二つは正
しい言葉、三つは正しい行いです。月に4回この寺院に集い共に祈ります。基本的には自然の光に向かって祈ります
が、それが難しいのであれば人工的につくった光でもいいそうです。火、風、土、水を聖なるものと考え、以前は死者を
鳥(鳥葬)に与えていたそうです。現在は、土葬になっています。決して火を拝む(拝火)宗教ではないそうです。
社会の中で正しく生きるために意見を異にする人達を受け入れないとか、殺すといったことは否定しています。自然環
境保護に優しく、また隣人との友好親善を大切にしようとの教えです。

イラン人の優しさ、親切な応対の理由の一端が分かったような気がしました。光ある善なるものと暗黒即ち悪との戦い
が人生であると捉える宗教あるいは哲学がゾロアスター教のようです。
陽のあるうちは太陽を、陽が沈めば月の光を拝むそうです。ゾロアスター教を信じアケメネス朝を隆盛へと導いたキュ
ロス大王(紀元前6世紀)は、征服した土地の人々に対して、寛大な態度で接し統治したそうです。

19世紀の末の哲学者ニーチェは、ツァラストラ(ゾロアスター)を克己、超人になるための導き人として捉え、死んだ神
(キリスト教)に代わる生きる哲学を語りました。
  

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