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576 ピアノの上は小物の土産で花盛り
スタンドピアノの上の、縦30センチ横140センチほどの空間は、旅行で買ってきた小さな民芸品でいっぱいです。
日焼けしたブラジルの農家の人々の農作業する土人形や剥製のピラニア、色とりどりの果物を満載したメキシコのセラ
ミックのバス、トレドのダマスキ細工の飾り物、針金で出来たインドのミニチア自転車,死海の塩の固まった石、アメリカ のおもちゃのトレーラー、伝統の土釜でパンを焼くエジプト女性の土人形、石でつくった小さな色付きアヒルは中国か ら、そして今日新たに仲間に加わるのは、パウア貝の土台の上に立つキューイ鳥の人形と羊毛でできた羊の人形がニ ュージーランドです。思いで深い逸品ぞろいです。
ピアノさん 重いでしょうが辛抱してくださいね!
577 フランス人の洗練された会話の内容が知りたくて
夢を抱いてパリに旅した日本青年がいました。
カフェ(喫茶店)に入って休んでいました。すると近くの席でフランスの若者2人がしきりに話をしていました。耳をそばだ
てましたが、フランス語を早口でしゃべっているので、さっぱり分かりませんでした。この青年は発奮しました。2年間夢 中でフランス語を勉強しました。そして同じカフェに出かけたのです。
同じ席に座り、近くから聞こえてくるフランス人の会話に聞き入りました。そこには居合わせない共通の友人の悪口を
話題にしていました。やがて悪口を言われていたその青年がやってきて、仲間に加わりました。そして話題は、次なる 共通の友人の悪口へと自然に移りました。するとその4人目の悪口を言われている当人がやってきて、何もなかったか のように、そこにはいない5人目の悪口を延々云い始めたそうです。
エスプリに富んだ世界一美しい言葉フランス語で話される、内容の高さを知りたくて一生懸命勉強して臨んだ晴れ舞台
でしたが、内容はどこの国でもありがちな仲間の中傷という程度のものでした。あ〜あ〜。
578 名物料理のルーツは?
冬フランスに行き,通りを歩くと名物のクレープを口に頬張っている人に出会います。
ジャムやその他のたれをつけたフランス版お好み焼きは、底冷えする寒い中、お腹の中からぐっと温まる最高のスナッ
クと云えましょう。さてこのクレープですが、ブルターニュ地方の冬の主食だったと聞いたことがあります。パンケーキを 薄く延ばしたような土台の上に、イワシやその他の雑魚,残り物を載せて食べる生活の苦しい人達の食物だったといい ます。またこの地方の名物料理の代表としてムール貝の煮込みがありますが、これも高級な貝や牡蠣、蟹を口にする ことができない漁師たちの間で,誰も見向きもしないムール貝を食したものだそうです。
マルセイユのブイヤベースも売れ残った雑魚でつくる煮込みとして出発しています。
チーズや加工肉、野菜、穀物や雑肉を煮込んだスープ、ザワー・クラフト(酢漬けの野菜)などどれも皆、食物の不足す
る長い冬の間をいかにして生き延びるか、工夫する知恵が生み出したといえましょう。
日本の漬物や梅干、くさやの干物などもその系統となります。
579 コンスタンチヌスの間からラファエロの間へ
バチカン博物館の見学路は、システィーナ礼拝堂の天井や壁に描かれたミケランジェロのフレスコ画観賞へ導かれる
ようになっています。
その途中に歴代の法王が描かせた壁画が残る日常生活に使った部屋がいくつかあります。その中にコンスタンチヌス
の間と呼ばれる大きな広間があります。四方の壁一面に、4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンチヌスのキリスト教に改 宗に至る数々のエピソードが描かれています。皇帝の座を争ったマクセンチウスとの戦いに先立って空に十字の印を 見たことや、キリスト教の後押しで勝利する戦争の場面、洗礼を受けキリスト教徒になるシーンなど壮大な作品です。ラ ファエルの弟子や仲間たちがラファエロの構図に従い描いたそうです。そして天井の中心には、古代ローマ時代(ロー マの神々や皇帝を崇拝した)を思わせる壊れた大理石像が一体描かれています。キリスト教の神による統一、平和の 到来を指呼する部屋となっています。
そしていくつかの部屋を通って有名なラファエロの間へと導かれます。
そこには中世ローマ・カトリック教義の中心となったギリシャ哲学との調和を主張したスコラ哲学の思想が、ラファエロ自
身の手により表現されています。コンスタンチヌスの間とは違って色は明るく構図もすっきりしていて、登場人物も古代 ギリシャ人の多分野の碩学(数学、天文学、医学、哲学など)をルネッサンス期の学者として艶やかな衣装を着せて登 場させて描いています。
キリスト教学はギリシャ以来正当であると主張しています。
580 オスティエンツェ門近くには
ローマをぐるりと囲んでいた全長19キロに及んだ1700年前のアウレリアの壁の中で、南へと向かうオスティエンツェ
門(テベレ河の河口にあるオスティアの町へと向かう街道の出入り口)近くには、19世紀のロマン主義時代の英国の詩 人キーツやシェリーの眠る外国人墓地があったり、エジプト遠征で見たピラミッドに魅せられた古代ローマの将軍の大 理石製の正四角錐のピラミッドの墓があります。
あるいはキリスト教布教の立役者、聖パウロの眠るバシリカ教会も遠くはありません。
そんな界隈に和食のレストランが目立たずビルの地下に営業をしています。
客の大半はイタリア人で,昼はサラリーマン夜は近所に住む人たちで賑わっています。昼食は1時から3時、夕食は9
時から11時ごろです。回転寿司台まであり、コンベアーの上には日本では見ることのない巻き寿司、酢の物、魚の揚 げた物などが皿に載っていて、一皿夜は500円ぐらいのようです。ダイアット食として高級エスニック料理として、寿司 は今ブームの真っ盛りです。旅行中に日本食を手配して食べる事に関しては、アンケートによると評価は珍しく賛否き れいに二つに分かれています。
カルフォルニアのサンタ・バーバラの町で食べた日本食レストランでは、皿に山盛り一杯出していたのを思い出します。
アメリカ人は質もさることながら量を好み評価するクセがあるようでした。 ![]() |