希望



566  地下の貯水槽にヘビを放つ



プーリアとは'水がない'という意味があるそうです。

南イタリアのプーリア地方にトゥルーリ(円錐形の石の屋根を持った建物群)が多く残る、アルベロベッロ(美しい木とい
う意味)の集落があります。15世紀のオスマン・トルコ軍との戦いで勲功の高かった貴族が、このあたりの土地を王か
ら賜りました。オリーブや葡萄を育てる農家の人たちを一箇所に集め、冬寒く夏乾燥して暑く水不足の心配もある土地
に適したトゥルーリの住居を考え出したといいます。
ここでふんだんにとれる石灰岩の石を使い、まず地下に貯水槽をつくり雨水を貯めるようにします。その上で、1〜1.
5米の厚い壁を立ち上げ、屋根も壁と同じく石灰岩を薄く切ったスレート状の石をトウモロコシ状(円錐形)に積み上げ
ていきます。そうして出来上がった家は、年間を通して温度が一定していて湿度も程よく保て快適な生活空間となりま
す。屋根に降った雨は一滴たりとも漏らさず樋に受け、貯水槽に貯まるようにしてあります。
地下の貯水槽にはヘビを放ち、水の腐敗や濁り、虫の発生などを防ぐ工夫もされていました。トゥルーリに生活する老
人が子供のころの話してとして語ってくれました。
地下などの貯水槽にヘビを飼い水の浄化をする知恵は、古代ギリシャやローマ時代から行われていたそうです。水な
しでは生きものは成立しません。ヨーロッパの薬局や病院には、緑十字のマークのなかにヘビが水を飲んでいるデザイ
ンが描かれていたり、医学の神アスクレピオスやエルメス、アテネの神などがヘビを従えているのは、水を清潔に保つ
動物としての尊敬が込められているようです。



567  電燈から蛍光灯へ



ぼやっとした、はっきりしない明かりをヨーロッパ人は好むようで、自宅は勿論ホテルなども,トイレ以外の場所は電燈
の光を傘などを使って一旦壁や天井に当て、そこから返ってくる光で部屋を照らしている印象です。

日本でも電燈の燈る前は行灯のぼんやりした光を頼りに生活を長い間しましたし、囲炉裏の木の燃える周りで夜を過
ごしました。
しかし、便利な明るい、熱効率の高く費用の安上がりな蛍光灯を利益や生産性を目指す会社や企業、工場が採用する
のは仕方がないにしても、自宅にまで蛍光灯を持ち込み、昼に似た明るさを夜も作り出し、落ち着いた雰囲気を演出す
る陰の部分を出来るだけ排除した住宅空間に、今の日本の多くの家庭でもなっています。
養鶏がケイジに入れられ、24時間明るく照らす人工の光のもとで卵を産み続ける鶏舎を思い起こさせかねません。
昼と夜、光と影、動と靜、同じだけ大切に思うのですが。



568  ワンパターンから複数パターンへ



イチローが年間最多安打記録をアメリカで達成する活躍を2004年にしました。

西部ライオンズに入団したルーキー松坂投手と5年連続して首位打者の栄誉に輝くイチローの一騎打ちが、紙面を飾
っていたのはだいぶ前のことです。一度はアメリカと肩を並べ、抜き去ったかに見えた日本の勢い(1990)は終わり、
新しい状況の中で機能するニューシステムを作り出せないバブル崩壊後の不安に包まれたころでした。そういった社会
状況下での2人の対決に一喜一憂したように思います。

そして今から45年前の生活は豊かではありませんでしたが、未来に夢や希望を持ち、がむしゃらに生きていた当時の
日本で、大投手金田とルーキー長嶋の一騎打ちに感動したのを覚えています。同じ日本人でありながら自信を持ちつ
つあった青年日本時代と、自信を失いつつある懐疑心を芽生えさせた中高年になり太り贅肉の付いた今の日本では
名勝負の印象も自ずから違ってきます。

ワンパターンでない複数パターンがある希望の道の設定を怠った指導者(政治家、経済人、官僚、マスメディア,教育
者や親)の責任は重大ですが、考えてみると日本の歴史はいつもみんなでワンパターンを選択して、わき目も振らず生
きてきたように見えます。
稲を育てる、蒙古襲来の準備、明治維新後の富国強兵や殖産興業、東大一辺倒などがざーと浮かびます。そういった
ワンパターンが崩れてしまうと代わりのモデル(システム)が用意してないだけ、舞台での主役(アメリカのブロードウェイ
のミュージカルでは、幕が開く直前に主役級の代役の発表をしばしば行う)が熱などで倒れた場合、同じレベルの代役
を持たないワンパターンの弱さがあります。日本海海戦(1905)のように乾坤一擲のワンパターンの戦略が幸いにも
当たり、大勝した後の悪影響(軍人の横暴、不敗信仰など)もありました。

敵の出方によっては複数の対応を常に考え生きてきた大陸の人達の生活パターンとの違いを感じます。複数のパター
ンの準備を個としても集団としても始め出す時期のように思います。過去、現在そして将来を見据えたスケールの大き
い、心の優しい人材こそ日本を世界の一員として長く共に手を携えて生きていく知恵を生み出せると思います。



569  ピッツァ・マルゲリータはサボイア家の紋章の色



アメリカ自動車業界のビッグスリーのひとつだったクライスラー社を立て直したリー・アイアコッカは、イタリア系アメリカ
移民の2世です。彼の自叙伝にピッツァやパスタは各家庭で作る'おふくろの味'的なものだったと書いています。

中南米原産のトマト味をいち早く認めたのがイタリア人でした。そして、ベスビオ火山の台地から獲れる小麦をベースに
した生地を使い、トマトソース、モッツァレーラ(水牛の絞りたてのミルクからつくる新鮮なチーズ)そしてバシリコの葉を
加えてつくられるのが、有名なピッツァ・マルゲリータです。このピッツァは19世紀末、サボイア家の王妃マルゲリータが
多くのピッツァを試食した末、選んだ彼女お気に入りのものだった所から名づけられたそうです。
今もこのピッツァを最初につくった人の店、ブランディがナポリの王宮近くにあります。
面白いのは、トマトソース(赤色)、モッツァレーラ(白色)、バシリコの葉(緑色)の三色の色はサボイア家(イタリア国王
となる)の家紋であり、もしかしたらこの色合わせに多少王妃は心を動かされたかも?



570  アテネ国立考古学博物館の中にオリンピックのマスコットのモデルが
あった



第一室に入ると、土を焼いてつくった巨大な壺(埋葬用)が目に入ります。

紀元前8世紀のもので、幾何学模様のデザインに加え、嘆き悲しみ泣く男女の一群が描かれていたり、メアンドロス(永
遠を表す)の模様などもあり、この時期の最高傑作と讃えられるものです。この壺の後ろ側、窓よりにガラスのケースに
入った小さな土人形があります。下半分の足は、ぶらぶらと動くようになっている女性像で全体としては、鐘の形(ベル
 シェイプ フィガー)をしています。後期幾何学模様時代(紀元前7世紀)につくられたそうで、このボエシャン人形がフ
ィボース(ギリシャ神話のアポロンの愛称)やアテナイ(ギリシャ神話の知恵と戦の女神)とと呼ばれ親しまれた2004年の
アテネ・オリンピックのマスコット人形のモデルになったそうです。

ギリシャでは、最近は洗礼名も聖書の中の人物に代わり古代ギリシャ時代のヒーロー、ヒロインが復活しているそうで
す。オリンピックの影響があるようです。
また別の部屋では、紀元前5世紀を境にして墓石が立った人物像から座った人物彫刻に変化していく様子や彫刻の素
材も大理石から青銅へと人気が移り、あるいは紀元前3世紀(古代ギリシャの衰退期)ごろから作品も小さくなっていっ
たことが分かります。
ローマ時代には、前もって大量につくってある同じデザインの胴体の上に、注文を受けた人物の顔をつくりのせるという
分業が行われていたことも知られています。中には女性の横たわる石棺像ですが、顔は男性といったものまで展示し
てあり楽しさを通り過ごしてグロテスクさまで感じます。
この博物館の至宝の1つは、ミケネ時代(紀元前16〜11世紀)の遺跡から発掘されたものです。ドイツのシュリーマン
などの努力が讃えられますが,興味深かったのはペロポネソス半島の中央で見つかったこの遺跡の小高い丘の上に
は神殿ではなくて王の宮殿があったという話でした。古代ギリシャ時代(紀元前8世紀以降)には丘の上(アクロポリス)
には神殿が建てられるのが常でした。
時間をかけてゆっくり、歴史に造詣の深い人の説明で観賞したい博物館の1つです。
  

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