希望



551  日干しレンガが今も健在



ペルーの田舎を車で走っていると、土を入れ型押ししてつくっている日干しレンガ工房が目にとまりました。

20年ほど前、同様にインドの田舎を走っていると、焼いてつくる焼きレンガ工房があったのを思い出しました。いづれも
あたりの土が削り取られ、かなり凹んでいました。
文明の発生の地といわれるチグリス・ユーフラテス河流域の都市国家は、日干しレンガでつくられた家が主であったと
いいます。洪水や戦争などで,ほとんど当時のものは残っていませんですが。

インカ文明(14世紀〜16世紀)の都であるクスコの町は、土台はしっかりした石組みでつくられ、その上の通りの壁や
建物の壁は日干しレンガで造られていたようで、スペインの侵略によりレンガを含む上部は壊されました。今のクスコ
の街並みは、屋根瓦が使われ、朱色の焼いてつくったレンガ瓦で色が統一され美しいのですが、もともとはワラ(麦や
葦の)の屋根でした。スペインにより焼いたレンガ瓦か持ち込まれたそうです。
日干しレンガは,漆喰で上塗りしてやれば、強くなり長持ちするそうです。こうして造った家でワラぶきの屋根のものを、
ペルーの内陸や海岸でも見かけました。
愚考しますが、日本でも20年程前は左官屋という職業があり、竹を組みワラや土を塗りこめていき、上仕上げをしてで
きた土の壁が一般住宅の主流でした。そしてこの土の壁は生きていて、呼吸をしているので健康にも良く、家も長持ち
すると言っていたように思います。日干しレンガの一種と考えていいのではないでしょうか?



552  旅の中で演出すると更に楽し



旅行で行き先や時期を決める際、次のようなものを考慮しておくと、より一層楽しめるのではないでしょうか?

団体旅行であっても、個人の願いやしたいことが優先されると思うし、個人行動にについては自分で責任を取ることさ
えしっかりしていれば、問題ありません。
旧正月のころ、中国語圏(ニューヨークなどのチャイナタウンや台湾、中国、東南アジア)を旅すると、赤い紙に祝い言
葉が書かれ、壁に貼ったり天井から吊るしたりと賑やかです
カーニバルのころのカトリック文化圏ではパレードなどして村ごと祝っていたりします。
ラマザン(断食月)のころイスラム圏を旅すると、日没後特別料理で祝う人達の楽しい食事風景に出会うこともありま
す。
特別展を調べておくと楽しいイベントに出会うこともあります。絵、劇、コンサート、サッカー、など数多くあります。
食事がついていないときとか、自由行動日などあればなおさら楽しく過ごす工夫を前もって考えてみるべきでしょう。
例え、思いがけない予定外の事態が起きようとも、動ぜず新しい状況の中で、旅を楽しもうという気持ちを持つことだと
思います。
何となく哲学めいてきましたね。旅は人生の縮図かも知れません。



553  ジオットとティントレット



ティントレット(16世紀の人)は、大変に筆の速い人だったそうで、ベネチアの数多くの教会の中に作品が残っていま
す。

デュカーレ宮殿(ベネチア共和国政庁)の中で、つり天井で柱の一本もないつくりの大広間(縦26米x横52米x高さ13
米)のポディウムの後ろの壁いっぱい(縦26米x高さ10米)に描かれた天国と題された、数え切れないほど人物が登
場する油絵は、5年で仕上げています。ベネチア本島発祥の地といわれる大運河にかかるリアルト橋付近から程近い
ところにあるのが、スクオーラ・ディ・サン・ロコの建物です。地元の有力貴族の集会場として、慈善事業などを行ったよ
うです。1階と2階の天井や壁、階段の壁など全てが巨大な56枚のキリスト教の聖書を題材にした油絵で埋め尽くされ
ていて、圧倒的な迫力で迫ってきます。18年で仕上げています。

もう一人は、ジオット(14世紀前半の人)で、ルネッサンスの先駆けをした人です。
聖フランシスコ(第2のイエスと讃えられた12世紀末〜13世紀始めに活躍)の眠るアッシジにある上部大聖堂の中に1
連の作品が残っています。'小鳥に語りかけるフランシスコ'のフレスコ画などは、優しさに満ちた聖者をよく表している
と、評価が高い作品です。さて、パドヴァ(ガリレオが大学で教えたことがある町)のスクロベーニ礼拝堂の中には、ジオ
ットの宗教画が壁、天井を網羅しています。スクロベーニ宮殿の一部でした。
明るい筆使いで神への信仰を、希望に満ちて軽やかに表現しています。ティントレットの方は、重厚なダイナミックな表
現でルネッサンス後期の作風です。

なかなか、たった一人の芸術家だけがパトロンから依頼され、思うように腕をふるった建物内の全ての空間を飾る絵は
見れるものではありません。



 554  昼寝の習慣は何処から



地中海世界を旅すると、昼食後の一休み(シエスタ)があるのを、てっきり古代ローマ時代以来の習慣と思い込んでい
ましたが、司馬遼太郎さんの昆明の手記を読み、間違っていたのを確信しました。

むしろ、スペイン人が16世紀にアジアへやってきた際、昼寝の習慣が東南アジアや中国、日本に至るまで広範に行わ
れているのを見て、持ち帰り広めた結果であるそうな〜。
そういえば、中国の敦煌で昼食を食べたあと,すぐに莫高窟、陽関へと瞬時を惜しんでマイクロバスを押し出した時、現
地ガイドは本来昼寝の時間ですと言っていたのを思い出しました。



555  無精ひげが教えてくれたもの



無精ひげのほとんどが、白い色になっています。

20年前のこと、京都の西陣織りの経営者を主にした人達を案内して、シリアとトルコへいったことがあります。泊った海
辺のホテルで、ボートで沖に出て釣った魚を焼いて食べたり、遺跡の中で、掃除人が掃いた後からモザイク模様のドル
フィンが現れた2千年前の床に出会ったりと思い出があります。グループのボス的存在だった織元の方は50代半ばで
したが、旅が進むにつれて、顔の中に白色の無精ひげが輪郭をつくりだしたのを、はっきり覚えています。私は40代に
なるかどうかでしたので、まだ髭には白いものはなく、ぼんやりと50代半ばというのは、このようになるのだろうと思い
ました。さて、実際に自分がその通りになったことに改めて感心しています。

犬もまた然り。亡くなった犬達を思い起こしてみると,老いていくにつれて、体が見た目にだるく、全体的に地面に近くな
り小さくなります。歴史に登場する人物の生年と没年をみても、大体50歳が一区切りだという印象を受けます。信長の
舞ではありませんが、人間の場合、肉体的にも精神的にもそのあたりが頂点ということでしょうか。
  

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