希望



506  自分を知らずして何で世界が分かろうか?



私は多くの国の人を旅行を通して見てきました。

幸せにものに恵まれ豊かに暮らす人、何もなく寂しく孤独に生きる人、少しの食べ物を分け合って仲良く生きるボンベイ
の乞食の子供たちなど、本当にいろんな環境の中で人は生きています。
しかし、果たして私自身を見て生きたことがどれほどあったか疑問に思い始めています。
人と比べて自分が上か下か、目先の満足、不満足の程度でしか自分を知っていないと思い始めています。大人になり
きっていないのではと思い始めています。外からの刺激にだけ反応する受身の弱い者ではないかと思い始めていま
す。自分を知る、内からの声を聞ける静かな自分になりたいと思っています。これまで避けていてしなかったことです。
至難のことです。しかし、それをしなければ自分は安心がないと思い始めています。
自分を知ることなくどうして世界が分かるでしょうか?



507  ロスアンゼルスのホロコースト・ミュージアム



ビバリーヒルズ近くに10年ほど前、シモン・ワイセンセンター'ミュージアム オブ トラレンス'がオープンしました。

ポーランド出身のユダヤ人がつくるシャローン協会が中心になって、ナチスとその協力者のために犠牲になったポーラ
ンドを含むヨーロッパに住んでいたユダヤ人の、写真や手紙などを集めホロコーストの恐ろしさを忘れないためにつくら
れました。
館に入ると、プラスチックのカードが渡されます。それには一人の子供の顔写真が載っていて、1時間あまりのセンター
見学(映画、スライド、写真、人形など展示)の後、出口のところで器械の中にこのカードを入れます。すると、この子供
がホロコーストの結果、どうなったかと共に子供の略歴が画面に映し出され、プリントアウトした用紙を貰います。
センターを見終わっての感想は、人間の愚かさが歴史を通して繰り返し行われてきたことを強く感じました。
ヨーロッパ中で600万人ものユダヤ人が亡くなり、その中の150万人は子供でした。
ユダヤ人以外にも黒人やスラブ人、エホバの証人、ナチスに反対した知識人も多く殺されました。積極的にこのホロコ
ーストに反対した国や宗教団体はありませんでした。

館内案内人の話では、デマゴーグ(民衆扇動者)の活躍する場は、社会に不平、不満が充満していて、超一流の宣伝
効果や演出をする指導者が出現、そしてスケープゴート(犠牲者)の設定などの条件が整っているそうです。
東条英機首相の写真がスターリン、ヒトラーと並んで入り口を入った所にありました。中国,東南アジアで行った日本軍
の残虐行為を非難する主旨の説明もありました。



 508  会員制のスポーツクラブの中で食事



ペルーの海岸線は乾燥していて、砂砂漠が広がっています。

日干しレンガの壁にわらが屋根になっている家が多く、内陸よりは貧しい人達が多い印象です。首都リマは700万もの
人(総人口の1/4ほど)が生活しているところで、一段と貧富の差があるようです。治安と衛生を考えて、食事はホテル
で取るか外の場合は、厳重な警備をしている会員制のスポーツクラブのレストランで食べました。別世界に入った感じ
です。昼食を食べたクラブは、テニスコートが何面もあり、大きなプールまで備えた高層マンションの谷間につくられた
新市街(中,上流階級の人々の生活空間)にありました。
2月のころは夏休み中とあって、プールでは良家の肥満気味の坊ちゃんや嬢ちゃん達が賑やかにしていました。旧市
街やトイレストップに寄った郊外のガソリンスタンドでは、手を出してものをねだる子供が多くいました。
夕食は、ナイター設備を持つ緑いっぱいのゴルフ場や建物の中にフィットネス器具を備えた広いエクササイズルームの
ある、周りを高い塀で囲い出入り口では、いちいち念入りなチェックをするスポーツクラブでした。レストランはビルの上
層階にあり、眺めが素晴らしい中華レストランで食べましたが、あまりの違いにびっくりしてしまいました。

上海に以前行った時、戦前租界地(欧米や日本の特権層の人達が住んだ、一般の中国人の立ち入りをさせない特別
地区で一等地にある)だった所を見ましたが、何となくそれを思い起こさせるものでした。
1996年の日本大使館人質事件で、名を世界に轟かした日系人のフジモリ大統領でしたが、在任中は地方に学校や
病院を多くつくられたそうで、日本人としては耳に心地よい響きでした。



 509  サンフランシスコの坂はケーブルカーに乗って



ケーブルカーが越える坂は60前後あるそうです。

フィシャーマンズ・ウォーフ(漁夫の波止場)とメイン通りの終点までの往路の間中、ケーブルカーの運転手の傍に
恋人が乗っていました。近くに行って話をしました。知り合って半年になりますが、時間が許す限り,気候の定まらない
土地柄ですが、ずーと彼の運転するケーブルに乗り、そばにくっつぃているそうです。何処も同じ恋に落ちた若者のひ
たむきな姿をみました。線路の下、地下に走るケーブル線を掴んだり放したりしながら坂道を登り下りするのですから、
運転手にはかなりの筋肉労働となります。
彼ら若者の前に横たわる人生のアップ・ダウンを2人で力を合わせて乗り切って行くことでしょう。
創業以来、120年近くなるこの町の名物乗り物です。



510  キャプテンとは



巨体で2米をはるかに越えるシャックことシャキール・オニールが、ロスアンゼルス・レーカーズのキャプテンを7年しま
した。戦前では、ニューヨーク・ヤンキーズの栄えあるキャプテンは背番号4番のルー・ゲーリックが務めました。

何となくイメージとしては、主将(キャプテン)などと言うと、日本のものかと思いがちですが、意外にも外国発のものでし
た。キャプテンといえば、チームの要、みんなのお手本となるべき存在、リーダーとして強い個性と信頼が求められま
す。
日本では、歴史の中にキャプテンが前面に出てくる場面はあまりありませんでした。やはり、大陸の遊牧騎馬民族型の
中に生まれ、育ち必要とされたものだと思われます。
団体ツアーの引率者は、添乗員と日本語ではなり、言葉が醸すところでは調整進行役といった脇役的命名です。しか
し、例えば、イタリアへ行くと、カッポ・グルーポと呼ばれ、団体のキャップ(頭)ということですから、リーダーとして認識さ
れていて、通常は運転手と共に一目形だけでも置かれる処遇を受けます。
  

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