希望



501  まさかの時に備える生き方



誕生から成長、成熟、衰退、そして死へと生きものは時間と共に過ごします。

死の後さらに続くのか、そうでないのかは誰も分かりません。問われて、生きることに忙しく集中しているので死んでか
ら後のことは頭が回らないと答えた人がいると言います。
社会全体としては個々人で深く考えなくても、それぞれの育った環境の中で歴史の中でつくられたシステムがあり、通
常死んで後のことまでも含めたレール(葬式とか何回忌供養とか)が敷いてあります。しかし、自分ひとりになり、静かに
思い巡らせると人生はそれほど明快ではないと思えてきます。
ソクラテスは若い頃に出くわした、デルフィ神殿の入り口に書かれていた'汝自身を知れ'という言葉に打たれ哲学を始
めました。人は人それぞれ違っています。責任をもって自由に発言し、行動することは正しいことだと思います。それが
たとえ過去の中につくられてきた常識と違っていてもです。歴史学者のトインビー博士は、生物は'チャレンジとレスポン
ス'の繰り返しだと言いました。チャレンジは若い経験のない者が,成人して経験豊かな者に対して行う行為です。それ
しか若い芽はでてきません。
戦国武将の毛利元就は59歳にして'まさかの時'と宣言し、厳島で陶晴賢との一戦を戦いました。チャレンジする精神,
自分が真に納得するものを求める心のみが、精神的成長を促し年齢を超えて雄飛することが可能になるようです。



502  ウルバンバ渓谷の風景



2月(南米では夏)に海抜2800米のウルバンバ渓谷をバスでそして列車で走りました。

雨期のこの時期、奥の山に降る雨水が濁流となり、渓谷の底を車道や列車の線路に沿って流れていて、北へと向かい
やがて長いたびの後、大河アマゾンに流れ込みます。渓谷の周囲は高い山々が取り囲み、緑豊かな谷津が開け、一
方はクスコへ他方はマチュピチュへと繋がっています。古くは、インカ帝国の聖なる谷間と呼ばれトウモロコシ栽培(イ
ンカ人にとり最も大切な食物)が盛んでした。今でもその伝統は続いています。
通り過ぎる村の中には、竹ざおの先に赤い布切れをつけ,花の小枝も一緒にくくりつけたものが家の前や道路端に立っ
ていました。そこでは、トウモロコシでつくった濁酒を売っているそうです。ウイーンのホイリゲの入り口にかかる松の小
枝を目印に新酒の白ワインを飲みに行ったのを思い出しました。黄色い小さな花をつけたエニシダ(レタマとペルーで
は呼ぶ)が道沿いに多くみられました。葉群の中からすくーと1本太い幹が空へと伸び、花をつけているリュウゼツラン
(サボテンの一種)もありました。何年か前、東京の浜離宮の庭に咲いたリュウゼツランの花(百年に一度咲く?)が話
題になり、大勢の人が一目見んものと押しかけたこともありました。
泊った渓谷でのホテルは、かってキリスト教の修道院だったそうで、教会の中は未だ時には使うそうです。食堂で夕食
をとりましたが、他には泊り客はなく我々だけでした。伝統のメランコリックなリズムの演奏を,2人の奏者が食事中ずー
としてくれました。
高地での疲れが少し楽になった思いでした。



503  思いがけないことが起ったら



蛮族の侵入から身を守るため、海の中の浅瀬に松の太い幹を打ち込んで、地盤を固め水の管理をしっかり行うこと
で、大陸の人とは一線を引いて千年も続く海洋都市国家をつくりあげたのが、ヴェネチアです。

しかし、11月のその朝だけは様子が違いました。高潮とシロッコ(アフリカのサハラ砂漠の砂が南の暖かい風に乗って
やってくる異常現象)が重なり、ホテルのロビーは水でいっぱいでした。ホテル従業員は慣れていると見えて、大陸側の
住居から長靴出勤してきています。ロビーの水を吐き出す作業が始まっていました。そんな中、日本人観光客はズボン
の裾をたくし上げ,裸足になって水の中へ入り、Vサインをしながら記念写真など撮っていました。

カナダのロッキー山脈を絶好の6月に見に行きました。
しかし、その数日間は猛吹雪が舞い、視界はゼロに近く、期待していた湖や山は全く見えませんでした。売店で、A4版
サイズの、晴れて美しく輝くロッキー山脈や湖の写った写真を買い、全員の方に差し上げました。
思いがけない、まさかの事も起ることがよく分かりました、



504  宝は小さな石製のビーナス像



ウイーンのリング通りに面して、ハプスブルグ家の本宮殿ホフブルグがあります。

17世紀末のウイーン解放(オスマントルコ軍が取り巻いていた)の英雄プリンツ・オイゲン公とカール5世神聖ローマ皇
帝の騎馬像が、広大な庭にあります。リング通りを挟んで宮殿の反対側には、マリア・テレジア(18世紀の人)の立派
な坐像のモニュメントがあり、この石像を囲むように左右対称につくられた二つの博物館があります。国立美術史美術
館と国立自然史博物館です。いずれも19世紀の後半、ウイーンの旧市街を取り巻いていた壁や堀を取り壊したり、埋
め立てたりしてつくったリング通りに沿って、建築コンペに優勝した作品を採用してつくりました。同様のものが、リング
通りにたくさんあります。例えば、ウイーン市役所、国会議事堂、ウイーン大学,中央郵便局、装飾工芸博物館、などが
あります。今は広いリング通りは、電車や自動車道となっていますが、もともとは馬車や馬に乗る人、歩いて散歩する
人のための並木道でした。美しい市民公園は今も市民に憩いの空間をつくっています。

この大改造計画を行ったのはフランツ・ヨーゼフ皇帝で、日本の明治時代に当たっていて、明治天皇のように国民に人
気があり在位期間も60年を越えました。フランスのパリやベルサイユに負けないものをつくろうとしたようです。
自然史博物館の中は、壮大なスケールでふんだんに大理石が床や壁、柱に使われています。
ロレイン大公・フランソワ(マリア・テレジアの夫)の蒐集した世界各地からの石や先史人の残したハルシュタット文化の
コレクションがあり、この博物館の宝は、石製の小さな女性像です。ヴィーレンドルフのビーナスの愛称で親しまれ、2
万5千年前につくられたそうです。腰、腹、乳、足など全体がでっぷりしています。当時の美人はこういう方だったのでし
ょうか?



 505  ハロウィーンの次の日は全ての聖人の日



ロスアンゼルスの町から北へ1時間半ほど行くと、サンタ・バーバラに着きます。

スペイン風の建物が並ぶ、とても気持ちのいい所です。11月になろうというのに、真夏を思わせる日差しです。この町
もロスアンゼルスと同様、メキシコからやってきたカトリック・キリスト教伝道者達によって始まりました。ミッション・ルート
(伝道の道)と呼ばれる、先住民族(アメリカン・インディアン)をキリスト教化しようという熱情が起こさせた、未知の世界
へチャレンジしたキリスト教宣教師たちの残した足跡です。
10月31日は、アメリカ特有のハロウィーンの祭りがあります。カボチャのお化けを飾り、仮装した人達が楽しく1日中
騒ぎます。お化けや幽霊、悪い人達のつかの間のお祭りです。子供たちは怖い姿に変装して、家から家を回ってトリッ
ク オアー トゥリート(魔法にかかるか、それとも褒美をくれるか?)と言いながら,各家庭からキャンディをもらえる楽し
い日です。
サンタ・バーバラの海近くのサルーン(酒場)なども、昨夜(10/31)は夜遅くまで賑わったようです。明けて11月1日の
静かな朝、酒場の掃除を始めた女性は、祭りは意味がなく、ただ飲んで騒ぐ人達が多いと言っていました。
明けて11月1日は、全ての聖人の日となります。
悪が追い払われて、再び静かで平和な神の目が行き届いた時が戻ったということでしょうか?海岸線を走る自動車道
はこの日の朝は閉鎖され、ハーフ・マラソンが行われていました。主催者側の若者たちが沿道に一定間隔で立ち、ある
いは通りがかりの人達も一緒になって、マラソンしている人の多くは中年、高齢者でしたが、彼らに'You are doing  
good job'(いい調子で走っているね)と言って励ましの声をかけていました。
 

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