希望




491  大陸であってこそ



大陸は、川や山ひとつ隔てて国が接しています。

大陸の国々は歴史の中で、取ったり取られたり複雑を極めています。こうして言葉や宗教、食文化、民族も入り混じれ
アイデンティティが難しくなったのではないかと思います。
少しでも違えば、拡大して自分のアイデンティティをつくりあげようとしたのではないでしょうか?長い歴史を入り乱れな
がら歩んだ所ほど、さびの効いた互いに笑って済ます以外に手立てのない、ジョークが生まれました。
スエーデン人がノルウェー人を揶揄するのに、次のように言うとスエーデンのバス運転手からノルウェーへと向かうバス
の中で聞きました。
部屋の電球が切れたので、取り替える作業を頼んだら、のろまで要領の悪いノルウェー人は、家ごとぐるぐる回して取
り替える奴だと。
ベルギーとオランダの関係も複雑を極めています。ベルギーの酒場で2人のオランダ人(ケチで有名)が支払いを廻って
口論を始めました。仲裁に入ったベルギーのバーテンダーは,水の入ったバケツを持ってきて、顔をつけて先に顔を上
げた方が支払っては?と提案しました。結果は2人とも死んだそうです。
次はオランダ製の一口話。世界一薄い本が2つあり、1つはドイツ人のユーモアの本で、もう1つはベルギーの歴史(1
830年にオランダから独立して生まれた)の本だそうです。
またベルギー人はドイツ人をからかって、ベルギーに団体で大勢やってくるのは歓迎するが、平均30年ごとに鉄砲を
担いでやってくる軍人の団体は御免こうむりたいそうです。



492  不安は自由の目眩(めまい)である



自由のない歴史が多かった不安な中を通り抜け、やっと自由になっても不安は自由の目眩として付き纏うようです。

A.D.何年と書かれたものを目にしますが、A.D.とはAnno Domini(主の年)の頭文字です。
A.D.0年の数年前にイエスは生まれたそうで、そしてA.D.30年ごろ亡くなったと考えられています。3年余りの布教をイ
スラエルの北にあたるフィリッポ、カエサリアを中心に行いました。キリストと私達は云いますが、マシア(ヘブライ語)、
クリストス(ギリシャ語)、メシーハ(アラム語)といい、いづれも油を注がれた者を意味していて、王という意味も含まれて
います。
12使徒の一人、ペテロは主イエスのことを尋ねられメシアと答えています。
サドカイ派(復活を認めない)とイエスのやりとりを聞いていたパリサイ派(霊魂不滅,律法を厳守)の人は、イエスに何が
大切なのかと問うと、神を愛せよ(神命記)そして隣人を愛せよ(レビ記)と答えています。
さて、目眩はこの二つの教えを薬とすれば、直るのでしょうか?



493  西洋哲学は2600年の歴史がある



古代時代(紀元前600〜紀元後200年)は、3つに分かれます。

第1期は神話に始まりソクラテスの登場までです。'万物は流転する'と言ったヘラクレイトス、パルメイデス(自然哲学)、
デモクリトス(原子論)などは、ハイディガーやニーチェも大いに評価しました。
第二期(紀元前500〜紀元前300年)は、ソクラテス時代と仮に呼んでみましょう。
都市国家アテネを中心にした古典ギリシャ時代で、'無知を知る'とかイデア(原理)に則して生きようとしました。アカデメ
イア(学校)をプラトンは興しましたし、現実主義的生き方(目的論)を説いたアリストテレスはプラトンの晩年の弟子でし
た。
第三期(紀元前300〜紀元後200年)は、ヘレニズム・ローマ時代にあたり、乱世に生きる処世訓が主に説かれまし
た。懐疑主義は現実をよくみて慎重に生きることを大切としました。快楽主義は道徳に則った節度のある楽しみを勧
め、平常な心を強調しました。
ストア派は激情に駆られない自足の精神,幸福論をいいました。
 
やがて宗教の時代となり、一なるものへ戻ろうとするプロチノスなどが現れ、新プラトン主義に似たものが生まれまし
た。中世はキリスト教時代と呼ばれ,千年ほど続きました。
教父哲学時代(紀元後2世紀〜8世紀)にはアウグスチヌスがいました。その後はスコラ哲学時代(4世紀〜14,15世
紀)に神学体系が完成します。その過程で普遍論争がありました。神が先か人が先かの論争でした。3つの考えがあり
ました。
リアリズム(実念論)は現代につながる現実主義、ノミナリズム(唯名論)は経験主義へ、コンセプショナリズム(概念論)
は,両者の中間を行くといったものでした。

近代になると、カントは自由と魂は死なないで残るし神も存在し、理性がこのことを求めると考えました。人間の営みが
無意味にならない為には,実践理性により自由,魂、神の存在を認めようとします。ヘーゲルは絶対的な神はあると
し、神を人間の知識で知ることが出来るとしました。死を恐れず楽しんで生きることに意義をみようとしました。
キリストは死に面して、何故神は自分を見捨てたもうのかと問い、やがて神の御手に委ねたもうと言っています。
ソクラテスは死に面して、魂は不滅であり、日ごろから死の練習をしているべきであり、それこそが哲学であると考えま
した。
ニーチェは運命愛を持って生きる、自分の必然性を生きることを強く云いました。
やがて誰もが避けて通れない死を、どのように捉えるかを廻る2600年にわたる西洋哲学論争でした。



494  近代ヨーロッパの三大発明



フランシス・ベーコンは1610年の書物の中に、近代ヨーロッパの三大発明として火薬、羅針盤、印刷機をあげていま
す。

火薬は12世紀ごろから使われていました。そして、実際に戦争に使われだしたのは1400年前後からで、結果として
は騎士階級の没落につながりました。
羅針盤の出現で世界を一つとして捉える世界観が確立することになりました。それ以前は、沿岸に沿っての航海だけ
が可能な時代でした。
活版印刷機は、マインツ生まれの金細工師(ゴールド・スミス)であったヨハン・グーテンベルグが発明しました。この人
の出生、洗礼の記録はありません。マインツの印刷博物館では、聖ヨハネ(ドイツ語ではヨハン)の日(6月24日)とし、
1400年の生まれになっています。1450年ころ、鉛文字を使用しインクも水性から油性に替え、葡萄絞り機(ワインプ
レス)を改良して印刷機はつくられました。
その結果、知識や情報、文学が普及しました。ボトル・ネック現象(喉元過ぎれば熱さを忘れる)が起り、中世のものが
忘れ去られることになりました。印刷機を使っての最初のドイツ語聖書は、180部発売されたそうです。その後の波及
効果(各国語への聖書訳、そして宗教改革運動への流れ)を考えると夢のように感じます。



495  一人の賢人の死



10年ほど前、スイスのルガーノの町にいた時、ビクター・フランケルという心理学者が92歳の高齢で亡くなり、この人
について語られた番組を見ました。

オーストリア出身で、高名なフロイトとも親交がありました。1942年から3年間ナチスの収容所生活も体験しました。あ
の有名なアウシュヴィツにもいました。両親を初め、奥さん、兄弟たちも全員収容所で亡くなりました。
彼の収容所での体験は後日、本となり出版されベストセラーになりました。本の中で、収容所生活にも一つだけ自由が
あったことを述べています。それは、考えることが出来る自由です。命や生きつづけることに意味を見出した捕虜の多く
は、例えちょっとした人への手助けであっても、それをすることで生きる勇気が出たそうです。
  

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