希望



611  'ローマの休日'を演じた人は




映画'ローマの休日'でやんちゃなおしゃまで、チャーミングな王女の役を演じたオードリー・ヘップバーンは、オランダ人
の母とイギリス人を父に1929年生まれました。

幼いときに両親が離婚し、10歳で第二次世界大戦が始まり戦争が終わった時は16歳でしたが、この人格形成に大切
な思春期に、人間の醜さ恐ろしさ愚かさを見尽くしてしまいました。同じ年に生まれ、オランダに住み終戦直前にナチス
に捕らえられ死んでいった少女がアンネ・フランクです。何度かアンネ・フランクを演じる依頼はあったそうですが、演じ
るのではなく自分を直視することになるのにショックを受け断ったそうです。
しかし、晩年にはアンネ・フランクの日記を舞台で朗読したり、ユニセフの手伝いをして戦争孤児たちのために汗を流し
ました。晩年に到り少女時代との和解ができたのは、三度目の結婚で初めて心の平安を得られたからだそうです。

大きな流れに巻き込まれ生きた一人の女性の心の中に、穴を開けた戦争に改めて目をむけさせられます。
           






612  キャンバス絵の誕生から何が見える




ベネチアで油絵につきもののキャンバス(麻布、木綿布)絵が生まれたそうです。16世紀のことでした。

キャンバスはベネチア海軍のガレー船の帆として元々使われていました。油絵は北方のベルギーやオランダのあるフ
ランドル地方で始まったそうです。板の上に描いたようです。キャンバスは持ち運びに便利です。包んで運べます。1番
のメリットは経済性、安上がりと言うことでしょう。
壁や天井、床を飾るものとして早い時機に石のモザイク絵が登場しました。古代シュメール人がすでに使用していまし
た。そして壁が乾かないうちに色を塗り込めるフレスコ画,板絵へと変化していきました。描かれたテーマは、古代や中
世は神話や聖書が中心に描かれ、近世以降は市民、労働者、風景、アブストラクトへと変化します。顔料も自然(鉱
物、植物、動物)のものから産業革命を経て工場でつくられる、チューブに入った人工のものへと変わりました。

この一連の変化は、耐久性から一過性のものへと時代のニーズの応じていったようです。
経済性の論理が働き、人々の気持ちが永遠から現実重視へと変化していきました。
数万年前に描かれた洞窟などに残る、写実的でもあり抽象的でもある動物や人物像、土器や皿などのプリミティブなデ
ザインには、自然と共生する人間の謙虚さがあったことも忘れてはいけない大切なことです。
        




613  大衆文化はヨーロッパと日本で同じ頃起こる




ベネチアで初めてお金を取って見せるオペラが始まったそうです。

それ以前は、貴族だけに限られていてお金を貰い見せる商業ベースにのったオペラではありませんでした。大衆化した
時代は18世紀の半ば以降、ヨーロッパでは啓蒙精神に富んだ王侯貴族によってアルプスの北で流れが強くなりまた。
演じられるテーマも神や古典神話などから日常生活に近いものに変化していきました。モーツアルト(1756〜1791)
の時代と重なっています。ウイーンの市民を対象に作曲したドン・ジョバンニなどは有名です。ベネチアのカーニバルで
は、仮面をつけ階級を隠しみんなが自由に振舞い開放感にしたりました。

日本でも、京や大阪を中心に元禄文化(17世紀末から)が、江戸では文化文政文化(19世紀の初め)が庶民支えられ
た相撲や歌舞伎、色里など数々の文化がつくられました。
       






614  オリエント文明の発掘には聖書伝説が影響を与えた




シュメール文明を起点にしたチグリス・ユーフラテス河流域に花開いた古代都市国家の発掘に情熱を傾けたヨーロッパ
の学者たちの心には、聖書に登場する人物や場所が強くあり、子供の頃から慣れ親しんだ聖書の世界を、実際に確
認しようという動機が働いていました。

また政治、外交、経済上の思惑からオリエント世界の支配者オスマン・トルコ帝国を牽制する意図も手伝い、イランで
の古代遺跡の発掘発見に携わりました。19世紀以降古代文明解明への旅が始まりました。
時は丁度産業革命の黎明期に当たっていて、ヨーロッパ人はアフリカ,中近東、アジア、アメリカを相手に領土拡大、貿
易促進、キリスト教布教など積極的に外交官、軍人、産業資本家,商人が進出、現地で生活するなかで歴史情報を収
集しながら科学思考方法を身につけ自信に満ちたころでした。
一方、中近東においてはイスラム教のドグマ的支配が強く、マホメット以前の世界を否定する風潮となっていて、例え遺
跡の中から素晴らしい彫刻や壁画を見つけても価値を見出せず、むしろ悪魔的なものとして破壊しかねない時代でし
た。

勇気と思考に富み歴史に明るい優秀な学者とパトロン(国家、資本家、博物館など)が、各国の競争意識の高まりの中
で、人類共通の大切な遺産の発掘、保存に努力したといえましょう。
           




 615  バランス感覚を失った美を求めると



さすがエール・フランス航空というべきでしょう。

機内の大型スクリーンでは、ヨーロッパのファションデザイナーの新作を紹介しています。頭のてっぺんから手足の先ま
でハッと息を呑むような着飾った衣装で、あるモデルは女性っぽく、あるいは野生的に、また少女っぽくアジアっぽく、古
典的にそれぞれのデザイナーのメッセイジが表現されています。
美をとことん追求する、しかも女性という最高の素材を使って表現するのです。ヨーロッパの歴史を舞台にして、貴族を
主にした上流階級の社交界を背景にしての表現が価値を生み出しているのだろうとボーと感じてみていました。

1920年代にココ・シャネル(服飾デザイナー)が、女性美の中に健康に日焼けした要素をアピールしたことから、アル
プスの北の女性の間に肌を焼くことが流行しました。今に至るまで世界中で流行っています。今では、紫外線は皮膚を
早く老いさせたり、皮膚ガンを生むことが分かっています。
19世紀、20世紀初頭には、日焼けは労働者階級の肌の色と言われ、直射日光は避け。青白い肌こそ貴族上流階級
の証と思われ、海では淵の広い帽子やパラソル,肌全体を被う水着が流行していました。
古代ギリシャ人は顔を白く見せるため炭酸塩の化粧パウダーを使い,16世紀には一部においては透き通るように白
い顔を見せるために毒素の強いヒ素まで使いました。

バランス感覚を欠いた美を求めると愚の鎌首がもたげることになるようです。
  

トップへ
トップへ
戻る
戻る