希望




606  外国の週刊誌の中に日本を見ると


英国の週刊誌'エコノミスト'の中に、関西で部落民問題に関する本を多く出版され、90歳で亡くなった日本女性の記事を
見つけました

仏教が1200年代(鎌倉期)になると日本でも大衆化されましたが、その過程で伝統的に穢れを嫌う神道の影響を受け
て殺生を職業にする人達を差別することが始まったと述べています。焼き場で働く人達、皮職人、動物を屠殺する人達
を理由もなく見下すようになりました。
日本ではこの女性運動家の死がどの程度報道されたかは知りませんが、外国の一流誌が大きく報じる取り扱いをして
いるのは注目に値します。

明々白々に歴史を観ようとする姿勢、意味のない差別を知らせ取り除こうという態度が報道人の原像であることを教え
てくれました。
     






607  19世紀までのヨーロッパのリズムと合わないものが部屋の中に




パリのコンコルド広場に面して、クリヨン・ホテルがあります。

最高級ホテルとして名をはせています。鍵を部屋に残したまま廊下に下着で出てしまったことがありました。再びプライ
ベイトな空間(部屋)に戻るまでの10分の長かったこと忘れ得ない思い出です。
別の機会にウイーンのインペリアル・ホテルに泊りました。リング通りに面していて19世紀につくられた建物ですが、こ
こはかってウイーンを取り巻く壁や堀、広場があったところです。時代の移り変わりと共に軍事目的としての市壁は必
要が薄れました。壁や堀の跡地に広い馬車道や乗馬道、歩いて散歩する道を並木を植樹してつくりました。

日本では、幕末から明治の頃にあたり、 長く在位(60年を越す)され国民に人気の高かったフランツ・ヨーセフ皇帝治
世時代につくられました。質素で庶民的な皇帝でしたが、ライバルのフランスを意識してパリ郊外のベルサイユの町の
広い道やパリ市の大改造計画が着々と進行していくのを睨んでの、リング通りの建設でした。通りに沿って古典様式の
もろもろの建物をつくらせましたが、その一つがインペリアルホテルです。エレガントでロビーは勿論ですが、部屋の
中央天井にはシャンデリアがあり、壁は装飾された淡い花柄模様のピンクのシルク布地が貼ってあります。床にも少し
強めの赤色系の花柄模様のカーペットが敷かれてありました。

私の部屋の中で唯一違和感を感じさせたものと云えば、テレビです。20世紀のプロダクトは19世紀までのリズムと相
容れないものでした。
         






608  コノピシェチェ城の主は恋愛結婚で結ばれた



チェコのプラハ郊外に狩猟の館としてつくられたコノピシェチェ城があります。

案内してくれた城付きの女性は背の高い金髪の美人で、この城にまつわる数々の話をして聞かせ、ヨーロッパ上流社
会の何たるかを深く感じさせてくれました。
国有化される前の最後の城の持ち主は、オーストリア・ハンガリー両帝国の皇太子であったフランツ・フェルディナンド
で、彼は奥さんと一緒にバルカン半島のサラエボで暗殺(1914)されました。この事件がきっかけとなり第一次世界大
戦が起こりました。
彼の奥さんは身分の低い貴族の娘で、当時としては珍しく恋愛結婚でした。彼女の肖像画が居間に掛けられていて、
気立てが優しい美人であったろうと感じさせるものです。皇太子は狩猟が大好きだったそうで、生涯に30万点に及ぶ
鳥や獣を撃ちました。剥製や角などが廊下や部屋に飾ってあります。
ヨーロッパの王侯貴族がこぞってここを訪れたそうで、ドイツ皇帝(ウィルヘルム1世や2世)を初め、国や民族を超えて
同じ上流社会の文化を共有する人々が交わり時を過ごしたそうです。

広い森の中に人工的につくりあげた館では、市民の目を気にすることなくリラックスした雰囲気で過ごした彼らの会話
が聞こえてくるようでした。
              




609  縄張りの身近な例




玄関の中に怖い雀蜂が一匹入ってきました。

被っていた帽子で強く叩き落としました。幸い射止めることが出来、床に落ちましたので水槽に屍骸は入れてやりまし
た。金魚にとっては大変大きな虫ですが、数匹が寄って食べたようで跡形もなく片付き、水面は澄んでいます。水の中
では、魚が天下です。
昨日は飼い猫に引っかかれました。そばに行って彼女に干渉しなければ互いに平和なのですが、時には食卓の上に
載っている魚などを取る泥棒猫の本性を見つけると躾けたくなります。

結果は敵も身を守るため、飼い主を引っかく痛いパンチを私に繰り出しました。
            





610  ヨーロッパを旅して思うのは



ヨーロッパをよく旅行します。

国の数は40前後あるのでしょう。人種も言葉も生活習慣も様々です。20世紀は大衆の世紀であると言われます。第
一次世界大戦が終わると、ヨーロッパ社会から2つの帝国が消え去りました。一つはオーストリア・ハンガリー帝国、そ
してオスマン・トルコ帝国でした。その結果、選挙で選ばれた人が政治家となり大衆に支持された政治が始まりました。
それ以前は、皇帝や王、貴族あるいは産業資本家を主にしたエリートが大衆に代わって良かれと思うことを行った政治
体制でした。
今でも王政を敷いている国は幾つかあります。また実際に選ばれて政治に携わったり、実業界や法制界などを引っ張
っている人の多くは貴族出身のようです。英国の首相だったサッチャーさんは平民の出でしたが、一代限りの貴族とな
り貴族院の一員になりました。

良かれ悪しかれヨーロッパは、国を超えて伝統あるエリートクラス(多くは昔貴族だったか今も貴族)が、引っ張っている
社会として見た方が的をいているように感じます。
赤(兵士)になるか黒(僧侶)しかジュリアン・ソレル(平民)がエリート階級に入れなかった時代ほどではないにしても、
今でも大衆の上に立ち新しいものをつくり出す人は、信念を持ち友人の輪をつくり、したたかさを備え、真っ先に死をも
恐れず突き進む勇気を持った騎士精神の貴族の心が相応しいようです。

ノブレス・オブリジェの言葉は未だ生きています。
  

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