希望

216. 心の苛立ちの解決は"お先にどうぞ"の精神


町に住み、会社の仕事を思うと、時間が気になり小走りに、体も前のめりになりがちの生活リズムです。

限られた空間の中に、溢れるほど人がいて、生活している状態では、心が苛立ちます。この苛立ちは、見栄や嫉妬、そ
して欲に支援され増幅してくるようです。
団体で行く海外旅行でも、何気なく行うバスでの席取りやレストランでの席取りなどを見ていますと、勝組と負組があり、
グループとしての優しく思いやる気持が生まれにくいようです。
ヨーロッパやアメリカ、中近東などの町での生活者の印象は、背筋がすーと伸びていて、周りを見つつ、落ち着いて行
動しているように見えます。日本からやってきたと知るや、優しい表情をつくり、短い時間(例えば、地下鉄の電車を待
つ)でも、話を上手に導いてくれる人に出会うことがままあります。どこから、そのゆとりは生まれるのでしょうか?
宗教では、"お先にどうぞ"の教えを大切にしています。
あるいは、家庭における躾の差なのでしょうか?
一昔前の日本人には、相手を思いやる心があったように思えるのですが…



 217. グラウンド・ゼロへの思い


2001年9月11日、乗客を乗せたまま二機の旅客機が、マンハッタン島の俗称ツインタワービル(世界貿易センタービ
ルでオフィスビルとしては世界2位の高さ)に突っ込みました。その映像は、リアルタイムで世界中に流れ、ハリウッド映
画の一場面ではないかと疑いたくなるほど、信じられない出来事に誰もが度を失いました。

そして3年が経ち、事件後初めてグラウンド・ゼロ(激震地)に行きました。すっかりツインタワービルの残骸は取り除か
れ、いつの日か建つ高層ビルの準備が始まっています。地下にあるメトロ・ステーションを使う人で込み合っていまし
た。さして悲しみを思い起こさせる雰囲気はありません。
ただ、関係者以外を巻き込んだ事件は、過去にも数知れずありましたし、これからも起こることでしょう。他の生き物で
あれば、当事者だけの関係で終始しています。

人間は、他の生き物には見られない、醜い面を遺伝子の中に持っているのでしょうか?



 218. ベルサイユ宮殿の庭は劇の舞台装置のような役割


バロック(ローマ・カトリック教がプロテスタント教に対して優位を示す為に17世紀に行った芸術面での活動)オペラのよ
うに次から次へと場面が変わる舞台装置のような役割を果たす為に、ベルサイユの庭には15に及ぶ人工の木立がつ
くられました。

木立には、菩提樹や栃の木(カスタニア)の大木を使い、その中にはヒデの木々が格子状に配されます。そして、舞台
のテラスには噴水や彫刻が置かれました。人工の木立は、心の和む空間を演出し、使用人がゲストから見えないよう
に行き来できる専用の通路もありました。
ベルサイユの庭は、王家の接待用の一助として使われました。
このプロジェクトに携わったのが、アンドレ・ル・ノートルそしてシャルル・ル・ブランです。その他3万6千人の庭師や軍
の土木技師が水道橋をつくり、河の流れを変更して、水を引き入れました。宮殿の建設の始まる前、1661年から庭園
の工事が始まり、完成までに40年以上掛かりました。
木立の生長は、石を配するよりも時間が掛かります。
長い歳月の間に多くの人工の木立は、消滅してしまいました。しかし今は、少しずつ復興されつつあります。

晩年のルイ14世は、痛風のため車イス生活でしたが、この人工の木立へと客を連れてよくこられました。このベルサイ
ユの庭には、当時は誰でも入ることができました。
ただ紳士のみは、剣を腰に帯びていなければならないという条件がありました。



 219. アメリカ映画 やぶにらみ


大きく分けて4つの傾向があるように思います。

一つは、自力更正タイプです。自分が犯した間違いを、自力で取り戻します。そして 一回り大きくなって成長します。ト
ム・クルースが演じた"ファーム(会社 ) "などがそうでしょう。
二つは、人間愛を歌い上げるものです。"フォリスト・ガンプ"や"ポセイドン。アドベ ンチャー"の映画が思い出されま
す。
三つは、マイノリティ(少数派)への評価を見直すものです。ケビン・コスナーの演じた "ダンス ウイズ ウルフ"やジュ
リア・ロバーツの"エリン ブロコビッチ"が該当す ると思います。
四つは、スーパー人間やロボットの活躍です。アーノルド・シュワルツネッガーの"ター ミネター"などは、感動しました。
ロボットには、涙が欠如していて、人間の 持つ感情の素晴らしさを讃え、ターミネターは死んで行きました。



 220. ロボット口角論議


日本では、鉄腕アトム、鉄人28号、オバQなどロボットが、人間と同じ感情を持っていると考えています。
戦後の日本経済発展の裏には、ロボット導入に工場で働く人達が、抵抗しなかったからだと見る向きがあります。
一方、ヨーロッパにおいては、ロボット導入に対する抵抗が激しいと言われました。身近な例ですと、日本ではタクシー
や電車は全て自動扉ですが、ヨーロッパでは、地下鉄など未だ半自動(開ける時は人間が行う)の路線がありますし、
タクシーはヨーロッパでは手動です。
どこかに人間優位の考えが作用しており、機械(ロボット)は従であって、信用の度合いはいまいち低いようです。
日本では、工場のロボットにまで名前を付け、年に一度は休ませ、人間同様酒を飲ませ、慰労すると聞いた、英国のサ
ッチャー首相は、その時は日本酒の替わりに英国のウィスキーを飲ませて欲しいと中曽根首相に云ったそうです。当時
は、日本だけが黒字で英国は困っていた時代でした。

ユーモアのセンスにたけ産業革命を最初に手がけた英国が、人間とロボットの関係で揺れていたのは、奇妙なもので
した。



 221. 兼高かおるの世界の旅から始まって


兼高さんが世界各地を巡って、出会う人々や衣、食、住さらに風景や習慣に到るまで紹介するテレビ番組が、民放で
日曜日にありました。

まだ庶民にとって海外旅行は、高嶺の花の頃でした。しかし、彼女の品のある振る舞いは、訪れた人達の中にあって、
決して違和感はなく、私達に未だ見ぬものへの暖かい夢を与えてくれました。聞き手の芥川宏氏の軽妙な問いかけ
に、山の手言葉(?)で応答する彼女の洗練された内容のある話に聞き入ったものです。
フランスの詩人アランが云うように"教えるとは希望を人に語ること"を地でいった番組でした。そして、番組のスポンサ
ーは世界一の航空会社パン・アメリカンでした。
今は、大挙して普段着で遠くヨーロッパやアフリカ、中近東、南北アメリカ、南太平洋まで気軽に行ける大衆旅行時代に
なりました。訪れる先の情報も巷に溢れています。
しかし、"私の〜〜〜旅"を楽しめる人は、そんなに生まれたとは思えません。
おそらくそれは、アランが云うように"学ぶとは真実を心に刻むこと"だそうですが、時間もかかるし、普段の生き方が大
切になると思います。

それにしても島国に住む私達が、身近に世界を感じる時代が到来しました。



 222. サッカーのヨーロッパ・カップ2004を観て


サッカーが世界で一番広く愛されているスポーツだそうです。
グラウンド(戦場)で22人の勇者が、攻守めまぐるしくところを変えながら、ゴールを目指すスポーツ(戦争ゲーム)で
す。歴史の中で、長く戦争に明け暮れた人間にとっては、サッカーはまさに平和の中で、繰り広げられる模擬戦争かも
知れません。ただ、ゴールキーパー以外は、手を使えないというおかしな制約があります。
人口、経済力、そして軍事力から見ても、大国でありこれまでサッカーの中心であったドイツや英国、フランスやスペイ
ン、イタリアが早く負けてしまいました。
準決勝に勝ち残ったのは、主催国のポルトガル、そしてギリシャ、オランダそれにチェコでした。いづれの国も大国では
ありません。ただ、かって歴史の中で、燦然と輝く存在でありました。
スイスアルプスを案内してくれたバスドライバー氏は、ハイデルベルグ(大学都市で有名)に住むドイツ人でした。この多
忙な夏の旅行シーズンだけ頼まれてスイスに来て、働いているようです。その彼が、今ヨーロッパで起こりつつある変化
が、象徴的に現れたのが今回のサッカーだと言いました。日本風に言い換えれば、'栄枯盛衰は世のならい。驕る者は
ひさしからず'とでもなるのでしょう。

決勝戦はポルトガルとギリシャでした。
ベルナーオーバーランドの名峰3山(アイガー、メンヒ、ユングフラウ)への登頂の街、グリンデルワルドのホテルのバー
には、大きなスクリーンが置かれ、若者達を中心にむせ返るほど熱気に溢れ、満席になりました。
ポルトガル応援組(国旗や応援用の襟巻きを持った)が3/4,そしてギリシャ組が1/4という状況でした。多くのアル
バイター(外国国籍の労働者)が、スイスには住んでいます。この街に住むアルバイターがバーに集まって応援していた
ようです。
女性の中には、大皿に山と盛られたアイスクリームを口に入れながら、スクリーンに魅入っている人もありました。バー
でサービスする人も、飲み物の催促をすることもなく、ゆったりとした対応で、いかにも稼ぎと時といった商魂を見せが
ちな日本とは違った雰囲気の中で2時間過ごしました。



 223. チラリと丸見えの違い


ヨーロッパアルプスで一番高い山は、モンブラン(白い山という意味)です。
4800米余りあり、イタリアとフランスの国境にまたがってあります。登頂の街は、シャモニーといい、1920年代に第一
回冬季オリンピックが、この地で開かれました。

モンブラン峰を見るには近寄ってそばから見るのと、対面の山に登り離れて見る二通りのやり方があります。
近くから見るのは、ケーブルカーでエギュード・ミディ展望台(3800米)まで登るのですが、モンブランの頂上だけが大
写しになって見え、あまり好きではありません。ただ、エギュード・ミディからケーブルカーで、イタリアへと降りて行くこと
が出来ます。それはそれで、素晴らしいものです。
私が好きなのは、ル・ブレバン(2500米)の峰へケーブルカーで登り、モンブランを離れた所から正面に眺める方で
す。ル・ブレバンの頂上駅につくと、雲がモンブランを隠し霧がたなびき、ガスが下からわき上がってくる中、風のいた
ずらでチラッとお茶碗を伏せたような形の雪を被ったモンブランが見えました。そして、またすぐに霧の中に隠れてしま
いました。頂上駅のレストランで働く従業員の若者に、あれがそうかと確認すると、にっこりと首を縦に振ります。喜びで
全身がわくわくしました。

夕方から翌朝にかけて快晴となり、丸見えのモンブランとなりました。
シャモニーの街中に立つ、200年も前の登頂者達の銅像の前から眺めたのですが、感動はチラリの方が、丸見えより
も遙かに勝りました。



 224. 賢い旅の勧め


それは、団体旅行のいい点を生かし、さらに個々人の思っている夢や希望と掴むべく工夫をすることです。

団体ツアー(旅行会社の主催する添乗員付き)の良いところとしては、限られた日数の中で、要領よくムダのないように
回るようにつくられていて、値段も高くなく、さらに安全、安心して任せる点にあります。しかし、食事の内容、ホテルの
善し悪し、飛行機やバスの席、一緒に旅をすることになるグループの人達との付き合い、自分でしたいやりたい事への
制限は当然生じます。
なによりも自由を奪われるような気持を抱くようですと、マイナス面が強くなります。

旅の中で、一つか二つ目標(希望)をたてて、これだけは我が儘を通してみるのはいかがでしょうか?ただし、我が儘
の時間中は、自分で責任を取る覚悟が必要です。出発前であれば旅行会社の受付の者が、旅行中は添乗員や現地
に住む人達(ホテルのコンシェルジュ、ガイドなど)が喜んで知恵を出せます。
例えば、コンサートやオペラ、ミュージカル鑑賞、サッカー見学、外国に住む友人と会う、別メニューの食事などいろい
ろあります。

新婚カップルの方で、イタリアのパルマスタジアムでの中田選手のサッカーの試合を見たいと希望された方がいまし
た。試合当日の朝、ミラノで相談を受けました。
その日は、午前中ミラノ市内見学して昼食のあと、バスでベネチアへと移動する日程です。試合は、午後3時から行わ
れます。
お二人はチャレンジされました。観光の途中で抜け、中央駅から電車に乗ってパルマへと向かい、パルマ駅からタクシ
ーでスタジアムに行き、当日券を購入しました。試合の終わった後、電車でボローニャへと進み、乗り換えてベネチアの
ホテルに夜11時頃来られました。
お二人の顔には、夢を果たした満足の思いが出ていました。
チケット代は、日本にいたときインターネットで表示されていた値段の半分以下だったそうす。さらに奥さんは、その半
額 (女性へのサービスかと思われる)となり、ゆったりとした席で見たそうです。



 225. 傾いたピラミッド・マッターホルン


なんとも印象に残る山です。
ツェルマットの街を歩いていて、ふと顔を上げると建物の間に、建物の上に傾いたピラミッドの形をしたマッターホルン
がありました。
ゴルナグラート展望台(3100米)へ向かう電車の通る鉄橋の下を流れる川のそばに行き、そこからゆっくりと上流に向
かって歩くと、常にこの山は視界の正面にいます。
夕暮れ時に、そして早朝の一時に見せるこの山の表情は値千金で、荒削りのままほおって置かれた石の作品が放
つ、異様な男性の臭いを感じさせます。

この一帯(ヴァリス山群)には、スイスの過半数以上を占める4千米を越える山が9つもひしめいています。
しかし、マッターホルンだけが孤立していて目立つ存在です。

 

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