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希望


186. 沖仲仕だったイブ・モンタン


イタリアのトスカーナ地方出身のイブ・モンタンは、マルセイユで沖仲仕をしていたといいます。

声がとても良く、歌っていた彼を見いだし、パリへと送り出したのが、エディーピラフであり、エディーピラフが亡くなった
時、世界の火が消えたがごとく嘆いたのが、ジャン・コクトーです。
ニースとモナコの間に、フランシェの漁村があります。この風光明媚な村を愛した人が、画家であり、映画人であり、詩
人でもあったジャン・コクトーでした。
南フランスのリビエラ海岸(コートダジュール)には、多くの芸術家(画家、映画人、詩人など)や著名人(実業家、国王な
ど)が住んでいるそうです。


187. トウモロコシを神と信じたマヤの人々


2〜10世紀にかけて、ユカタン半島を中心にマヤ文明は栄えました。

トウモロコシから人は、造られたと考えました。そして、子供の柔らかい小さな頭を、トウモロコシのように細く長い形に
変える試みをしました。

トウモロコシの神は、若さ、農業、そして光を意味していて、その反対側に地下の世界を司る魔法使いゴッドLがいて、
病気やココア、タバコなどと関係していました。論理では。実ったトウモロコシの実を切り取る(食べる)と、地下に再生し
てマジックの木となって、果物が育ちます。この果物の木はゴッドLと呼ばれますが、トウモロコシの神の双子の子供に
よって、殺される運命にあります。
後刻スペインからやってきた征服者達は、聖書の中に書かれている神(キリスト)と悪魔の戦いに、悪魔が負けて、神
(キリスト)が復活するイースター祭り(復活祭)のようなものと感じたようです。
トウモロコシやジャガイモは、やがてヨーロッパに伝わって食文化を豊かにしました。


 188. 外国人に優しい日本の警官


ヨーロッパへと向かう飛行機の中で、隣に座った外国人が、次のような話しをしました。

日本でタクシーに乗って目的地に着き、料金を支払ったまでは良かったが、降りて直ぐに財布のないのに気付きまし
た。タクシーの座席に置いたままにしてしまいました。丁度、そばに交番があり、駆け込み事情を話すと、なんと警察官
が彼を助手席に乗せて、パトカーでタクシーを追いかけてくれて、財布を無事取り戻してくれたそうです。
このエピソードは本当のようで、今でも感激している様子でした。

ところで、成田空港に到着すると、入国手続き場には外国人(Foreign)パスポートの人は、こちらと書かれています。
フォリンには、エーリアン(異なる)という意味もあり、決して感じのいい表現とはいえません。
先日アメリカへ行きますと、我々のような外国人には単にビシターズ(訪問者)と書かれていて、優しい配慮がされてい
ました。最初に出会う言葉が、エーリアンやフォリンではショックを受ける人もいることでしょう。
それにしても優しい対応を心がけた一人の警官が、どんなにかビジターの心を慰め、日本の評価を良くしたことでしょ
う。


 189. フランス人は本当は親切


フランス周遊の旅が終わって日本へと帰る飛行機の中、隣に座っていた70代半ばの日本女性が、話しかけてこられま
した。この方は、50歳になった時に決心して、一年間フランスに住んだそうです。以来、機会を得ては、フランスへの旅
を楽しんでおられるそうです。

この女性によると、物を言わない人は馬鹿か腹黒い人であるとフランス人は、思うそうです。そして言葉を大切に考える
フランス人は、一日本人である彼女にも正しく話せるようにと、肉屋の主人始め客までが親切に、"肉一切れ下さい"と
は言わず、"〜〜〜"と言うのが正しいと時間をかけて教えてくれたそうです。
初心者に毛が生えたほどの語学力の彼女でしたが、一年も経てば随分上達したそうです。
この女性は、長い間男社会の中で務めてきたので、次のような話しもされました。
日本や欧米で、離婚の増えている理由は、女性が外に出て働き、亭主に頼らなくても食べられるようになり、我慢する
必要がなくなったからだと。そして才能がないのであれば、女に生まれた方が得だとも。

また別の話題では、ド・ゴール空港の新しいホールの屋根が落ちましたが、この事についてタクシーの運転手が、急い
でつくるから天井が落ちたのだと言っていたそうです。
一般フランス人の考え方が分かるような思いでした。


190. 半年間のスペイン生活は驚きの連続


パリのラーメン屋で一人カウンターに座っていると、隣におられた老日本人夫婦が話しかけてこられました。何年か前、
定年後の自由な中、思いきってスペインへ半年住みに行かれたそうです。
家を借りて生活を始めると、近所のスペインの主婦が、作った料理(日本でいう芋の煮っ転がし程度のもの)を、持って
きてくれたりして、とても楽しかったそうです。
ある時は、自動車でお隣の国ポルトガルへと遠出したところ、故障してしまい、小さな街の修理場へ持ち込んだそうで
す。すると、3日間で直せるというので、近くの宿で待つことにしたとろ、直ったのは一週間後だったそうです。
眼を輝かせながら語られる、老夫婦の体験談は、あえて未知の世界へチャレンジした人だけが感じる喜びに溢れてい
ました。


191. 砂漠の中を一人でオートバイに乗って旅する日本娘


10数年前、星の王子様達(望遠鏡を覗いて星を見るロマン人の群れ)を、オーストラリアのパースの奥にあるウエーブ
ロック近くの田舎に、金環日食の観察にお連れしたことがあります。

バスで向かう途中、トイレ休憩を兼ね、道路沿いのバーに立ち寄りました。するとバーの中には誰もおらず、裏の方に
回っていくと、一人の男がやっと見つかりました。その人が経営者で、ビールなどを出してもらい、一息つきました。やが
て支払いする際にも又、裏の広い庭へと探しに行き、やっとかたがつくと言った具合で、随分のんびりしたリズムです。
そんな人気の少ない、すれ違う車とて滅多にない砂漠化した道で、黒装束(黒のジャンパーに黒のジーンズ)で、ヘルメ
ットをとると、長い黒髪の美しい日本娘の運転するオートバイと出会いました。務める会社の休暇を利用して、一人でオ
ーストラリア大陸をオートバイで横断する途中だといいます。こんな辺鄙な所で、大和撫子に会おうとは−−−−。

星の王子様達も、変わっていました。
夕食が済むと、重い機材を持ってバスに乗り、それぞれ砂漠の中の岩のそばや草むらなど希望される所に降ろして、
翌朝バスで再び拾って回りロッジに帰ると、朝食を取った後は昼間は寝ているといった人達でした。
ロッジのテレビが、イラクがクウェートに侵入したことを言っていました。


192. 先輩のパンツは洗わないアメリカの高校


アメリカの高校を訪問したことがあります。
校長先生の粋な計らいで、2年に在籍している日本人の学生が、その日ホストとなって文部省派遣の日本の先生方
を、案内してくれました。お父さんの仕事の都合で、アメリカへ家族で移ってきたそうです。
スポーツのクロスカントリーが好きで、日本にいたときは、ただ先輩のパンツ洗いを主に、クラブでは下働きだったそう
ですが、こちらアメリカでは、対抗試合にも先輩が、おまえがみんなより速く走れるのだから、代表して走れと言ってくれ
るそうで、いじめはないそうです。
手をズボンのポケットにつっこんで、リラックスして案内してくれた、この日本青年の話しが、日本からの先生方には一
番刺激のある研究素材になったようでした。


193. ヒッピーあがりの若い僧侶がインドで活躍


日本山妙法寺という日蓮宗の一派があります。
インドやスリランカを主に、世界中でストゥーパ(仏舎利塔)を建てるのを本願に、布教活動をしてきました。1970年代
は、開祖の藤井日達猊下が、100歳を越えて未だ元気で、インドによく行かれました。ビハール州のラジギール(王舎
城)には、温泉があり、若いお坊さん達に囲まれて、湯に浸かっておられる姿を見かけたものです。
そして、ラジギールの道場(寺)で、長く共に行脚して修行してきた老僧達に向かって、日本の寺に安住し動こうとしない
老僧を叱り、ヒッピーあがりの日本の若い僧侶が一生懸命にこの灼熱のインドで、身を粉にして布教しているのを讃え
ていました。
年老いて、ますます盛んなチャレンジ精神を持ち続ける藤井猊下に、感動したものでした。
当時は、未だヒッピーの残りがインドあたりを回っている頃でした。


194. 大西洋を挟んで向き合う自由の女神


アメリカのニューヨーク港に立つ自由の女神は、アメリカン・スピリット(自由と民主主義)の象徴であり、船に乗って移民
してくる人達に夢を与え続けました。
この女神像は、フランス人がアメリカ建国(1776年)百年を祝って、プレゼントしました。アメリカの独立戦争は、宗主
国英国に対して行ったもので、その際はフランスが物心両面(思想や軍事など)に亘り、協力した経緯があります。そし
て、この女神像建設にあたっては、ギュスターブ・エッフェル技師(パリのエッフェル塔をつくった人)のアイディアが生か
されたそうです。
一方、パリのセーヌ河には、ニューヨーク港の自由の女神の丁度1/7サイズの女神像が立っています。こちらはフラ
ンス革命(1789年)百年を祝って、パリ在住のアメリカ人達がプレゼントしたものです。
自由の女神像のオリジナルは小さなもので、パリの左岸、リュクサンブール公園の中にひっそりと立っています。


195. 機内放送を聞いて日本を敬遠したイラン青年


新品の磁石式の鍵で開閉するスーツケースを持って、カナダのトロントへ行きました。

ところが、ホテルの部屋に配られたスーツケースを前にして、鍵を日本に忘れてきたのに気が付きました。ホテル近く
のカバン屋へスーツケースを持っていき、壊してでもいいから開けて欲しいと頼みました。対応してくれたのは、イランか
ら数年前に移民してきた青年で磁石式の鍵のスーツケースは未だカナダではないと見え、困惑していました。
しかし、何とか工夫して上手に壊して開けてくれました。料金を聞いた所、修理なら金を頂くが、壊して金を貰うわけに
はいかない。従い、タダといいます。
打ち解けて話しを始めますと、カナダへとやってくる途中、成田空港で飛行機を乗り換えて、やってきたそうです。日本
で2〜3日過ごして行こうかと思っていたところ、機内放送は、成田から都内までの交通費や食費、ホテル代など、いか
に物価が日本は高いか説明があったそうです。それを聞いて怖くなり、直接カナダへ飛ぶことに決めたそうです。
スーツケース一つ例にとっても、クラッシックの鍵であれば壊さないでも工夫すれば、開くことが多いそうですが、モデル
チェンジの激しい日本のものは、おしゃれに見えて逆に不便を作り出していますし、磁石式鍵が付加価値を増し、値段
を上げるほどのものか、考えさせられました。
新しいものを好む傾向が強い日本人の、弱点をみたような思いがします。



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