希望

136. 天文時計台のある街プラハ


16世紀のポーランド人神父コペルニクスが、地動説を云いました。
ガリレオは自分でつくった望遠鏡で観察した末、コペルニクスの地動説を支持しましたが異端裁判の詰問の果てに、自
説を撤回しました。しかし、それでも地球は回っている"とうそぶいた近代科学精神の道を切り開いたピサ人、ガリレオ・
ガリレイ(16世紀半ば〜17世紀前半)に至るまで、カトリック・キリスト教の教義が固く社会を縛っていました。

百塔の街として、過去千年に亘る建築(ロマネスク、ゴチック、ルネッサンス、バロック、ロココ、新古典、アール・ヌーボ
ー)が中欧のブルタバ河のほとり、チェコのプラハにはあります。
オールド・タウンの中心には、市庁舎広場があり、旧市庁舎の時計塔は14世紀のものです。1時間ごとに小さな2つの
窓が開き、12使徒の人形が行列して廻る仕掛けや人生教訓を諭す鏡に魅入る虚栄の像、貪欲な金貸しの像、死を意
味する骸骨の像などの彫刻が周辺を飾っています。そして、時計塔の中心には地球が天体の真ん中にあり、太陽や星
が地球の周りを巡る天文時計があります。アラビア数字やローマ数字も記されています。そして、金色の小さな雄鶏の
人形が羽を少し動かして時を告げます。

大きな市庁舎広場には、この国出身の僧侶ヤン・フス(1372〜1415)の像が置かれています。腐敗した高僧達に警
告を発し、免罪符の無意味さを抗議して火あぶりの刑に処せられた、先駆けの宗教改革者でした。

この街は、とにかく歩いて、歩いて見学するようになっています。
疲れたら、火薬塔のそばにある市民会館に入り、一階の喫茶ルームや地下のビールホールで休みますと、不思議と元
気が戻ってまた歩きだします。この市民会館は、アール・ヌーボーの代表建築であり、内装のデザインはボヘミアらしさ
に満ちています。


 137. カラスにも言葉がある


カーカー、ガーガーと、しきりにカラス達が騒ぎ立てています。
おそらく、こちらにいい残飯があるとか、どこそこの家に嫁がきたとか言っているのでしょう。いっそマイケル・ソフト社に
でも頼んでカラスの言葉を解読できるソフトを開発してもらえば、面白かろうと思ったりもします。
ヒッチコックのつくった"鳥"という映画も思い出されます。
いえいえ、生けとし生けるもの全てコミュニケーションをしています。そして人もコミュニケーションを大切にして、ここま
できました。人間の場合、言葉は意志疎通(コミュニケーション)の3割を占めると聞きました。さらに文字による通信は
というと僅かなものだと思えます。7割近くは、ジェスチャーとか目の動きやその土地が醸成した独特の文化が占めて
いるようです。文字文化の価値は、記録に残るところにあります。

新石器時代(紀元前6千年〜紀元前3千年)から文字が中近東で始まりました。文字を持つ前は、人間は長い間、話し
言葉で大切な事柄を言い伝えて(伝承)きたのでしょう。
稗田阿礼などの口承者は重宝されたことでしょう。であればこそ話し言葉は、言霊ほどの威力を発揮しました。さらに人
間の凄いのは絵文字に似た印を考え、共通の認識としたことです。数万年も前の洞窟に残る印や壁画がそれにあたり
ます。

他の生きものが、生まれた時から既に遺伝子の中に組み込まれた記憶により、自然に行動し、習性を積み上げ生きた
後、悩んだり苦しんだりしないで死んでいけるのに、人間は記憶装置が遺伝子の中にない為に、いちいち学習してゼロ
からの出発をせざるを得ませんし、始末の悪いことに死を予測して怖がったり、永遠に若くありたいなどと、願うように
脳が働くようになっています。
脳の皺が多少多く、重たくなることが、生き残る為の拠り所だったホモ・サピエンスの行く先には、何があるのでしょう
か?



 138. ノーベル賞受賞祝賀晩餐会にはクラウドベリーアイスクリーム・パフェー



"沼地の金"と呼ばれ、夏に白い花を咲かせた後、実をつけるクラウドベリー(きいちごの一種)は、北欧や北イングラン
ドで大切にされ、保存の効くビタミンCをたくさん含んだ小さなベリーです。そのまま食べると、甘酸っぱい味がします。ジ
ャムやリキュールになり、そしてアイスクリームなどに混ぜて売られます。また、フィンランドの2ユーロコインの片面は、
クラウドベリーがデザインされています。
ストックホルムの市庁舎内、青の間と呼べれる大広間で行われる祝賀晩餐会のメニューは北欧で育つ素材を使って調
理されたものを出します。その年の祝賀晩餐会のメニュー通りの食事は、市庁舎の地下にあるレストランで食べること
が出来ます。

固い岩盤の上に北欧の国々はあります。
岩盤を切り崩して、トンネルや道路を犠牲者を出さずにつくるために、ノーベル兄弟はダイナマイトを発明しました。しか
し、意図しなかった戦争目的に悪用されました。彼らの遺言によりノーベル賞が、人類の進歩、発展の為に貢献した人
達を讃えてつくられました。

特に平和賞は、スウェーデンとノルウェーの平和な関係を願って、オスロの市庁所舎内のロビーホールで祝されます。
ストックホルム及びオスロの両市庁舎は、20世紀を代表する建築であり、内装も見事なものです。


 139. アムステルダムの市旗は3ペケ印


オランダは、17世紀に世界初の商人を中心にした市民による国家をつくりました。
牽引車になった街がアムステルダムです。そして、この街の旗は三つの×印です。それぞれの×印は、この街の最重
要、克服課題 を意味しています。
水、火事、そしてペスト対策でした。

ロンドンの中心、ザ・シティは金融の街として重厚な石造りの建物が、今は並んでいますが、17世紀にパン屋の火の不
始末が原因で木造が大半であったシティの街は、焼けてしまいました。それを教訓にして石造りや、レンガの建物が増
えたそうです。

日本でも古くから、地震、雷、火事、水、親父と怖いものの代表格として云いました。
火事と喧嘩は江戸の華ともいい、頻繁に起こる火事を恐がりました。八百屋お七の起こした江戸の火事(17世紀半
ば)は、ロンドン大火とほぼ同じ頃でした。

ペスト病は1348年に始めてヨーロッパに上陸以来、その後長くヨーロッパ人を苦しめました。多くの街に残るペスト記
念塔が、その凄まじさを語っています。

水は現在でも世界の各地で洪水や、水飢饉の問題を耳にするところです。


140. あっけらかんな人達


1980年代に視察で訪れたヨーロッパでの二つのエピソードを思い起こしてみます。

スウェーデンのストックホルム近くのサアブ社自動車部門の工場を、見学したことがあります。一通り工場見学を終え
たあと、昼食をいただきました。
昼食が終わるころ、ドイツ人の工場長が締めの挨拶を、前触れもなく始めました。工場長が新米のころ、ドイツの彼が
努めている工場へよく日本人の視察があったそうです。視察は、三人から成るのが多かったそうです。一人が指示を
出し、もう一人がメモを録り、そして残った一人が写真を撮したそうです。心配になった新入りの工場長は、上司にこん
なに自由に情報を与えていいのかと尋ねたそうです。答えは、"心配するには及ばない。日本人は、我々に追いつくこと
はないよ"。工場長は、"ご覧の通り、今や日本からの技術援助無しには、やっていけない状態です"と、あっけらかん
に現状を認めていました。
近ごろ聞いた所によると、サアブ社の小型戦闘機がアメリカのライバル社を押さえて、低価格で次のヨーロッパを守る
空の砦として採用されるそうです。

次は、スイスのジュラ山中にあるラショードフォンの街を訪れた時のことです。
市庁舎に市長を表敬訪問したことがあります。市長の挨拶の中に、"この街は時計産業で生計を立ててきました。日本
のクオーツ時計のお陰で壊滅的なダメージを受けています"と言われました。学校研修での1週間滞在でしたので、ショ
ックな始まりでした。
16〜17世紀、ヨーロッパ中を巻き込んだ新旧キリスト教の争いで、難を逃れた北フランスあたりのユグノー教徒(新
教)の多くがスイスへとやってきて、冬の長いこの地で本来の手先の器用さを生かして、時計産業を起こして以来の伝
統です。
正直、大変な所へ知らずにやってきたというのが、日本の先生方の思いだったようです。
しかしその後、スオッチ時計の爆発的な人気やスイス高級時計の復活はご覧の通りです。。反省するところは反省し、
古い伝統の中に新しい知恵を見いだし、それを磨いていくことで活路を切り開いているようで、喜んでいます。

旅は、温故知新でもあります。


 141. コルクの木の周りの小石は片づけない


ポルトガルのテージョ河の下地方(アレンテージョ)は、農地が広がっています。
古代ローマ人の街として発展して以後、イスラム時代、大航海時代そして今に至るまでアレンテージョの中心が、壁で
囲まれた城塞都市エボラです。
首都リスボンからバスコダ・ガマ橋の上を通ってテージョ河を渡ると、アレンテージョ地方の始まりです。エボラまでの2
時間近く、バスの車窓にはコルク畑が延々続きます。
密集して植えるのではなく、かなりの間隔を保ってコルクの木が植えられていて、雑草や小石などが多く見られ、農作
業をしている人の姿も見えません。
そんな中、こんな低能率の怠けた仕事振りを非難する声がバスの中で上がった時、この国に住む日本人ガイドは、次
のように言いました。
コルクの幹の外皮を剥いでコルクの栓をつくります。外皮が再び成長して元に戻るまでには、7〜8年かかります。小石
や雑草を除いてやったぐらいでは外皮の回復が、早まりません。この痩せた土地に適したものと言えば、コルクの木ぐ
らいであり、古来異民族や異宗教、異文化の人達が、なんの予告もなく大陸の大地を駆け回ったヨーロッパです。
土地にしがみついて、丹精しても、一瞬にして壊される歴史を歩んだ人達に似合ったリズムです と。


 142. 両方とも楽しいイパネマ


ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ(一月の河という意味)の砂浜は、美しく、日光浴を楽しむ、ほとんど裸に近い人達が寝
そべっています。その一つ、一月のイパネマの海岸の側には、粋な商店が並ぶ通りがあり、ショッピングを楽しむ街で
もあります。

一方、ポルトガルのドーロ河の河口にひらけたポルトの街は、世界遺産 になっています。対岸のカレー(ポートワインの
貯蔵所がある)の街から見るポルトの街は、河のほとりから丘の上まで、とぎれることなく続く中世の家並みや教会の
尖塔が、そして19世紀につくられた鉄橋ルイス一世橋を視野に入れて写り、夕暮れ時の効果もあって絵もいえないほ
ど美しいものです。
この街で泊まったのは、4つ星ホテルイパネマでした。
イパナマホテルは新市街地区にあり、歩いて5分の所にショッピングセンターがあり、夜遅くまで開いています。朝は、
その側に市民の胃袋の世話をする常設市場がオープンします。野菜、魚、肉、チーズ、花など安く買えます。見て回る
だけでも楽しいところです。


143. 縄張りを越える


ローマのアベンティーノの丘に6羽、パラティーノの丘に12羽の鳥が見つかり、鳥占いの賭に勝った兄ロムロ(ロムル
ス)が、パラティーノの丘を雄牛に引かせて畑をつくります。そして、その周囲を囲い、縄張りとしました。しかし、弟レム
ロ(レムルス)が縄張りを侵した為、戦となり兄が勝利したといいます。
ルビコン河を渡ることで縄張り侵害をしたシーザーは、一大決意で独裁者への道を歩み始めました。
未知の土地(ノーマンズランド)への進出は気は楽ですが、そこですらすでに、先住民族が住んでいて、縄張りがありま
すからいさかいは生じます。
スペインやポルトガルの大航海時代やアメリカの西部開拓などが、好例です。

縄張り荒らしは、水が高い所から低い所へ向かって流れるように、生きものにとっては自然なものに思えます。結果とし
て、筋書きのないドラマが生まれます。その場に居合わせば、傍観者たりえないほど強い流れです。守る側も必死で
す。

大陸では歴史を通して、身の安全の確保に個として、街として、地方として、国として最大の関心を払いました。5千年
前のメソポタミアでの都市国家成立以来、街は壁で囲って防衛してきました。シビル、シティズンなどの単語も街にルー
ツを持っていますし、共同して生きる意志を感じます。
であればこそ、碩学木村尚三郎氏は近代における個人主義の目覚めを、ライン河とセーヌ河の間に自分の意志で壁
で囲まれた街の中へ住み始めた中世の人達に見るのだと思います。

残念ながら日本には、戦国時代に堺と博多の町人の街に、僅かに大陸に似た風景があるだけだと思っていました。そ
れだけこの国は、安全な歴史だったのだと思うようにしていました。
しかし、近ごろ大坂城が豊臣秀頼の誕生から僅か6年の間に、大坂市民の住む街空間を含む周囲8キロに及ぶ堀を
秀吉はつくらせたことや、江戸の街も墨田川から始まる、ぐるっと街全体を取り囲む水の壁(運河や江戸湾)があったこ
とを、浮世絵を通して知りました。

この国も大陸のリズムとそんなにはブレていないと安心すると同時に、安心、安全は代価を払うほど大切だということを
思いました。


144. 一流ホテルのロビーは犬だらけ!


マドリッドの北は新市街で発展著しい所です。
新市街の一角にある、四つ星のホテルに到着すると、広いロビーは犬だらけです。
こんな犬と一緒のホテルには、とても泊まる気がしないと日本人客は不平たらたらです。

レセプションのスペイン人責任者に説明を求めた所、マドリッドで欧州名犬コンテストが行われていて、血統書付きの訓
練をされた躾のいい犬が、それなりの飼い主とこのホテルに泊まっているので、我がホテルが一流である証明です、と
言います。
なるほど、いま一度ロビーを見渡すと犬も飼い主も相当のものです。不承ながら反論する手だてもなく何泊かしました。

ヨーロッパでは、半農半牧時代が長く続き犬は家族同様に扱われ、家畜の番という重要な仕事をしていました。
今は、アパートで一人暮らしの人が多く、犬が寂しさを慰めてくれるということで、パリ市の清掃課では犬の糞処理専用
に開発されたスクーターが、散歩の際の落とし物を拾う為にパリ市内を走り回っています。
ドイツのハンブルグ市では、街の中に大きな湖があり、公園になっています。
公園の馬場を乗馬して楽しむ金持ちが少なからずいるそうです。勿論、馬の落とし物が発生しますが、その処理には
市民の税金が使われているそうです。市民の間には不満が
あるとガイドが語っていたのを思い出します。


145. 情報が21世紀で最も大切になる


日本の歴史を通して変わらぬ権力者は、天皇と看破したのが、アメリカの未来学者のアルビン・トフラーです。
権力は、3足に支えられた鼎のようなものと言いました。
天皇家は、剣、まが玉、鏡を三種の神器としていますが、剣は軍事力(暴力)、まが玉は経済力(金力)そして鏡は情報
力を象徴しているそうです。

この軍事力、経済力、情報力こそが権力の寄って立つ所であり、歴史を俯瞰すると、軍事や経済が特に物をいった傾
向がありますが、新しい世紀はインフォメーションあるいはインテリジェンスが最も重要になると予言しました。

1980年、友人達がこぞって反対したにもかかわらず、アメリカのアトランタから24時間ニュースを流すテレビ局が誕
生しました。テッド・ターナーの興したCNN(ケーブル・ニューズ・ネットワーク)です。確かにそれ以後の世界観は変わり
ました。
湾岸戦争や、刻々と流れるテレビの映像は、ベルリンの壁が若者達によって壊されるのをリアルタイムで世界に知らせ
ました。ソビエート連邦の輝ける星、ゴルバチョフが登場(1984〜1990)して、情報公開(グラスノスチ)を歌い文句に
しました。
無血で、東ヨーロッパの社会主義諸国は自由に生き方を選択出来るようになりました。

"鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?"と白雪姫の継母(実の母という説もある)に問われた鏡は、なんと答えたでしょう
か?


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