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希望

126. 平和は人と人の繋がりの中から


"People to People"というNPO(非営利組織)がアメリカにあります。
この組織の提唱者はアイゼンハワー元大統領であり、現在の長はアイゼンハワーの孫にあたる女性がしています。軍
人として第二次世界大戦を指揮し、英雄視され大統領までされた人ですが、平和は人と人との弛まぬ繋がりの中から
生まれるという信念を持たれた人のようです。訪れたボルチモア支部の代表者は、寄付や会員の僅かな会費から細々
とですが、年に百万円ほどの各種の援助活動をおこなっていることを説明してくれました。

民主主義と自由を前面に詠い、軍事活動も厭わないマッチョマン的なアメリカが印象としてありますが、地道な活動を
行っている人達に拍手を送ります。



 127. イースト河にかかる三つの橋


固い岩盤の上にできた南北に長い島、ニューヨーク市のマンハッタン島は西はハドソン河、そして東はその名の通りイ
ースト河(東河)で囲まれています。
島の南はダウンタウンと呼ばれ、17世紀以来ヨーロッパ人の入植がいち早く行われ、オランダ時代はニュー・アムステ
ルダム、そして英国統治時代はニュー・ヨークと呼ばれるようになりました。イースト河の対岸はブルックリン区があり、
早くから開かれたところです。
マンハッタン区とブルックリン区を結ぶイースト河にかかる、19世紀に始まる三つの橋がかかっています。頭文字をと
ってBMW橋とニューヨークっ子は呼ぶそうですが、南から北へ向かって時代を追って造られました。
それぞれ南からブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムバーグ橋といい、鉄と石を使った壮大なもので、今も十分に
機能しています。
ニューヨークに長く住むガイドが、ブルックリン橋開通の渡り初めの日に、大勢の人が押かけ、ハイヒールを溝にとられ
た女性の発した悲鳴が、きっかけとなりパニックを起こし犠牲者を多く出した話や、ブルックリン橋かマンハッタン橋の
どちらか忘れましたが、雀の落とした糞が原因でロープが切れてしまった話をしてくれました。日本のように雀を焼き鳥
にして屋台で食べる習慣がアメリカにあればロープが切れることは、なかったでしょうなどと笑わしてくれました。

ブルックリン区側から見るマンハッタン島のダウンタウンの夜景は、中々のものです。


128 無言の笑みに憧れた西洋人


あらん限りの言葉を尽くして、フランス女性の機嫌を取り戻そうとしたことがあります。

私立幼稚園の世界大会が東京の日比谷公会堂で開かれ、集った代表の方々の一部を大会終了後、毛沢東語録の熱
のさめやらぬ1980年代の中国への幼稚園事情視察の旅へと案内しました。日本の先生方と外国からの参加者が半
分半分という珍しい構成でした。
旅の始めのころは、食事も静かに進行する中、日本の先生方何か話題でも提供してみては、と添乗員の私に誘いが
ありました。
そこで、お話したのは日本人と西洋先進国の違いを大坂城をイメージした外堀、内堀うんぬんでした。日本人は概して
知り合う、あるいはきっかけができる前は互いに静かに知らんぷりをしていますが、いったん共通の話題でも見つかる
やいなや、外堀、内堀を乗り越え(埋められ)簡単に本丸(ダンジョン)に土足で踏み込まれます。一見しっかり出来てい
るようにみえる城ですが、プライバシーの保てないもろい本丸ではないだろうか?
一方、西洋人は外堀も内堀もなく、最初から打ち解けて知らない同士が場を持てる文化であるが、調子に乗って夜電
話を掛けたりなどすると、鼻先でピシャーと門戸を閉じられてしまう。本丸(ダンジョン)が要塞となった強固の意志の人
達で、プライバシーを重んじるというほどの笑い話をしました。
日本の先生方は、大喜びで是非英語で一緒に食事をしている外国の先生方にも、話すように私に指示されました。話
し終わると、団長のフランス人女性(60歳前後の独身の方で世界幼稚園連盟会長)のご機嫌が悪くなりました。理由の
一つは、食事の席で話題にするような話ではないこと、二つに先進ヨーロッパとはどの国をさすのか。三つに自分の育
ったフランスを例にとっても東西南北そして中央と場所によって人の気質が違うといいます。

機嫌の悪くなった団長を察知した日本の先生は、知らんぷりを決め込まれ私に非難が集中しました。正直疲れました。
旅も終わりに近づき、上海の仏教寺院を見学した折、入り口近くの石段に腰を下ろしていると、団長のフランス人女性
が私の側にきて座りました。彼女は私達の前方に見える石でできたブッダの座像を指して、東洋の慈愛に満ちた無言
の哲学者"ブッダ"の素晴らしい静かな笑みを讃え始めました。そして、西洋の古代ギリシャ以来の雄弁の生き方を否
定されます。西洋人は自己主張し過ぎであり、相手の話しを聞かない人達であり、余程言葉少なに生きているように見
える東洋人に憧れを感じているようでした。

私は一瞬のうちに、彼女の理想を観た思いがしたので、これまでの言葉を尽くしてのいいわけ、機嫌取りを詫びまし
た。そして一言だけあなたに云いたいと、次のように発声しました。
"アイ ラブ ユウ"
私は当時、40歳前後でしたし、勿論肉体的なラブではなく、精神的なラブというほどのものです。彼女は、ただ笑みを
返しただけでした。
そして、残りの旅は私達(彼女と私)にとって、満足のいく、暖かいものになりました。」


129. ファースタスと下郎の首


イギリスの名門大学街ケンブリッジで夏の一週間を過ごした時のことです。
当然大学は休みで、学生達は帰省していて留守ですが、代わりに観光客や使われていない教室などを利用して行わ
れる語学研修の短期プログラムの外国人学習者達で賑わう街となっていました。

ある劇場で、クリストファー・マーロー(16世紀後半に活躍した、シェークスピアと同時代の劇作家)のファースタスという
劇をやっていました。
劇の内容は、悪魔に魂を売る替わりに、一定期間はあらん限りの夢や希望がかなえられます。しかし、その後は悪魔
の言いなりになるというものです。一神教のアダムとイブが悪魔の誘惑に負ける怖い話を土台に、中世のヨーロッパで
民話として広く伝えられたものを、劇にしたようです。好きなように楽しめる時の終わりが近づくにつれ、あれほど陽気
だった人物(ファースタス)が悩み、悶え、苦しみます。絶対者である神を裏切り、誘惑におぼれた、煩悩の人(ほとんど
の人)が辿る恐ろしい世界のようです。
同じ内容の民話を劇にしたのが、ドイツの文豪ゲーテ(18世紀後半〜19世紀初め)の書いたファーストだと思います。

一方日本では、神は西洋のような怖い、恐ろしい存在として人々の生活に入り込むことはありませんでした。
高校生のころ観た映画"下郎の首"が、今でも印象に残っています。おそらく、この筋あたりが日本人には共感を呼ぶ
ような気がします。主人一筋に生きる下郎が犯した罪を、下郎に内緒で主人が金をもらい、下郎の首を下郎の仇にや
るといったものでした。主人も苦しみますが、主人に裏切られたのを知らずに死地へと追いやられる、下郎への同情が
こみ上げてきます。また主人を憎み切れない下郎や主人を含む」武士同士の面子への理解も分かり、難しい人間関係
に左右されて生きる、湿った大地、風土に生まれた日本人のメンタリティが描かれていました。

自分の責任で悪魔と取引した結果苦しむ西洋と、士農工商という階級社会の中で主人の判断で取引された下郎の命
は、神を抜きにしたところで決められました。


130. 扉が内側に開く文化


日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識と云った人がいます。
生きていく為には、"なわばり"を守り、安全、安心を確保することが大切です。家やホテルの部屋への入り口にあたる
玄関、あるいは扉は大陸では、内側に開きます。その方が明らかに、住居人にとっては守り易く、外からやってくるビジ
ターには不安になりますし、一時に大勢で踏み込みにくくなります。外国の便所でも便器に腰掛けたり、しゃがんだりす
ると必ず出入り口の方に顔を向けて座るように出来ています。
最初は違和感を覚えますが、その方が明らかに外への警戒が行き届いています。また外国のホテルでは、基本的に
室内履きのスリッパは備えてありません。靴を脱ぐのは寝る時だけで、それ以外は靴を履いているようで、非常時に備
えて生きてきた大陸の習慣だと思えます。
勿論、日本のように湿気か高くなく、靴を履いたままでも蒸れない気候も手伝っているのかも知れません。ブルーフィル
ムなどでも春を売る女性が、靴を履いたままセックスに及んでいるシーンがありますが、安全確保以外に、裸足になる
ということは全人格を相手に任せ自分がゼロに落ちてしまう不安を感じるせいかも知れません。

安心、安全を感じるために、生まれた習慣がかくも正反対の現れ方体験するのも、海外旅行の楽しみの一つです。


 131. 常春の島カナリア


モロッコの沖合、西へ大西洋へ百キロあまり行った所にカナリア諸島があります。
"詩を忘れたカナリアは、後ろの山へ捨てましょか?"でお馴染みのあの美しい鳥のカナリアが、最初に見つかったので
カナリア諸島(八つの島から成る)となりました。

1400年代の初め以来、現在に至るまでスペイン領となっています。
先住民族の悲しい抵抗の歴史を語る博物館もあり、彼らの素朴な生活を再現しています。先住民族は、アフリカもしく
はヨーロッパからやってきたと考えられています。若かった頃の冒険家、コロンブスはカナリア諸島に住んでいました。
奥さんもこの地の人ですし、潮の流れがこの辺りから真っ直ぐ西へ向かって流れているのを知り、後日西周りで大西洋
を横切ってインドへ行こう、という夢が膨らんだようです。
グランド・カナリア島には、立派なコロンブスの家があります。またこの島のカナリオ庭園には、有名なドラコニアンの異
形の木が数多く見られます。500年ほど前のオランダの画家ヒエロニムス・ボッシュは、このドラゴニアンの木を楽園の
場面に描き、アダムとイブをその木の下に憩わせています。
天才画家がカナリア諸島でしか育たない、しかも見たこともないこの木を楽園の場面に描いたのは何故なのでしょう
か?

テネリフェ島には3千米を越えるテイデ山があります。
この島には地球に育つ極寒から熱帯に及ぶ植物の多くがあります。植物や鉱石の収集、分析に功績の高かったドイツ
人学者フンボルトも、この島を讃えています。この人はベルリンにあるフンボルト大学を創設しました。

2月にカナリア諸島を訪れると運が良ければ、スペインで一番華やかに、楽しく祝われるカーニバルにサンタ・クルスの
街やプエルト・デ・ラ・クルスの街で出会うかも知れません。


132. ピンからキリまで


ロンドンの郊外にあるハンプトン・コート宮殿は、16世紀初めから18世紀初めにかけて英国王室の離宮として使われ
ました。
宮殿内には500年近く昔に使われたままの台所がありますし、柘植(つげ)の美しい庭園やテニスのルーツとも云える
競技が見れる室内競技場など興味の尽きない所です。
宮殿内の王室礼拝堂の正面奥には、オーバル型(卵、ポルトガル語ではピントという)の装飾があります。それは、イエ
ス・キリストの死によって、人類の父母であるアダムとイブの犯した罪(神と交わした約束である、食べてはいけない禁
断の実を食べた)が償われ、新たに生きる(雛が生まれる前の姿)機会を得たことを表しているといいます。

元々ユダヤ人は、モーゼの導きで始まった10のエジプト人へのたたりの10番目に子羊の血を各家の玄関に塗ること
で、ユダヤ人の長子の死を免れたことに感謝する祝い(過越しの祭り)を大切にしました。そんな中、ユダヤ教徒として
イエスは、弟子と共に聖地エルサレムに入り、過越しの祭りの祝いの場(最後の晩餐となる)で、弟子にパンやワインを
与え、このことを続けることで古のユダヤ人が長子の死を免れたように、これからの人々が、新たに永遠に生きる機会
を得る、つまり新しい契約の段階に到ったことを指し示しました。
3日後には、イエス自身が死から蘇って、弟子の前に現れる奇蹟を行うことで、必ず再生することを示しました。以後、
イエスの復活は、我々も永遠に生きることができる証しとして復活祭(イースター)が盛大に祝われるようになりました。
風俗としてのイースターエッグは、新たに生まれる罪のない、汚れのないヒヨコを思い、そしてそのヒヨコは、イエスの待
つパラダイスへと導かれる願いを込めて、日本にやってきたポルトガルのカトリックの宣教師は、ピントキリストと言った
ことでしょう。
それがピンキリと俗化して、今ではろくでもないことから素晴らしいことまでの代名詞として使われるようになったようで
す。


 133. 目から鱗(うろこ)が落ちる


ユダヤ人であり、ローマ市民権を持つユダヤ教学に精通したサウロ(後にパウロとなる)は、キリスト教徒を迫害するた
めにダマスカスへと向かう途中、にわかに盲となり困惑します。
敬虔なヤーヴェ神への信仰者アナニアに啓示があり、神の教えを広める為に必要な人材であるサウロを救うよう指示
がありました。アナニアはサウロに会いました。
そして、、サウロは目から鱗が落ちるように、瞬時にして事の重大さを悟り、キリスト教徒になり偉大な仕事をすることに
なりました。

日本語になった目から鱗が落ちるという表現のルーツは、この聖書の一節から取られたものです。


 134. 100頭の雄牛を捧げてゼウス神を讃えた祭り、古代オリンピック


紀元前776年に始まり、紀元後395年に終わった4年に一度、ペロポネソス半島にある聖地オリンピアで行われたギ
リシャ諸都市国家の代表選手(男性のみ)による競技大会が古代オリンピックです。
13回目までは、ただ走る競技だけが行われました。その後、ペンタスロン(5種競技)が生まれ、走る、遠くへ飛ぶロン
グジャンプ、円盤投げ、やり投げ、レスリングが加わります。
最も人気の高かったのは、戦車競技だったようで、映画 'ベンハー'の4頭立ての戦車競技を想像すれば良いのでしょ
う。
優勝の栄誉に輝いた者のみが、オリーブの冠を頭に戴きました。
勿論、単にそれだけでなく金とか地位とかの類の報酬も当時からあったようです。
各都市国家間のプライドを賭けた競技であり、何処の都市国家が軍事力に長けているかを知るいい機会だったことで
しょう。

キリスト教のみを国教として初めて認めたローマ皇帝テオドシウスは、オリンピックを異教の意味のない残忍なものとし
て、止めてしまいました。
そして、19世紀の終わりになり、再び近代オリンピックとして復活しました。


135. ラビンドラ・タゴールの胸像がシェークスピアの生家の庭にある


アジアで最初にノーベル文学賞をもらったインド人タゴールは、シャンティニケタンの地に大学を起こしました。カルカッ
タからバスで数時間離れた静かな街にあります。
広い校庭には、大木が繁り木陰をつくっています。教室での授業よりも自然の中に身を置き、教授を囲んで、学生が自
由に思考して、発言する伝統のやり方を重んじているようでした。
日本からの学生も何人か来ており、会って話しをしました。興味深いことに、女子学生は丸々太って健康そうでしたが、
男子学生の中には頬がそげ落ち、見るからに病み上がりといった人もいます。理由を聞くと、学生食堂で食べる辛いイ
ンド料理にあたり下痢するせいだそうです。そこにいくと、女性は、自炊生活するせいか大丈夫だそうです。
留学ばやりの今日ですが、真剣に学問の徒としてインドまで出掛けた30年も前の若者達でしたが、今は男子も太って
いるのでしょうか?



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