![]()
116. 毛皮を求めてヨーロッパ人はシベリアやカナダへ
17〜18世紀のヨーロッパの王侯・貴族の身につけたガウンの襟や袖に多く貂(テン)の毛が使われていたことを、絵
画を通して知ることができます。
貂という小動物はキツネの一種で、シベリアの地に多く生息していました。
17世紀になると、ヨーロッパとシベリアの分水嶺と言われるウラル山脈を越えて、シベリアへと貂を始めとする動物た
ちの毛皮を求めての探検、領土拡大の時代が始まりました。デンマーク人探検家、ベーリングの名はシベリアとアラス カを分けるベーリング海峡として歴史に残ることになります。
やがてラッコまで捕獲して、極寒の東シベリアまでやってきたロシアの人達は、カムチャッカ半島の南の千島列島そして
日本へ、食料の調達、あるいは貿易をせんものと18世紀末から接触するようになりました。司馬遼太郎の'菜の花の 沖'や井上靖の'オロシア国酔狂譚'でお馴染みです。
一方、英国人やフランス人はカナダの地に毛皮を求めて、17世紀後半に入ってきます。カナダに住む先住民族の人
達と交易などをしました。交易センターの一つとしてオンタリオ湖畔のトロントの街は発展していきました。カナダの5セ ントコインには、ビーバーが描かれています。今でもカナダでは、10月にうさぎ、11月には鹿、12月にムース、2月に は熊の狩猟が解禁になるそうです。ナイアガラに住むカナダ人ドライバー氏も若かった頃は、南のテネシー州あたりま で熊や鹿を撃ちに出掛けたそうです。熊などの肉は、丸一年かけて食べるほどの収穫だったそうです。
西洋の船が、戦国時代の終わり頃(16世紀後半)あるいは幕末の頃(19世紀半ば)日本にやってきて貿易を願いまし
たが、彼等の持参した品物の中に毛皮があったことは、注目しておく価値があります。日本人には必要のないものだっ たのですが…
117. 定年退職後は夢のロード生活
キャンピング・カーだけを取り揃えた中古車センターが、カナダやアメリカにはたくさんあります。
ピンからキリまで(卵からキリストまでという意味)あり、数十万円から億に近いものまであるそうです。定住生活にさよ
ならして、渡り鳥よろしく冬はメキシコあたりまで南下し、夏には北のカナダあたりまで上ってくるキャンピング・カーで生 活する人達の群れが、増えているそうです。
また各地のキャンピング地では、設備も整っており十分にロード生活者が楽しく、しかも安く過ごせるそうです。
日本では、こればかりはかなわない夢のようです。
118. 牛の数はセスナ機上から数える
5月の半ば、カネディアン・ロッキー山脈の東麓に広がる、日本の1.7倍あるアルバータ州を訪れました。石油や天然
ガスが湧き出す所として知られ、人心の穏やかな住みやすい所といわれています。
カルガリーからバンフへと向かう車窓には、草原で自由に草をはむ牛(アルバータ牛)が眼に入ります。牛舎のない野
山いっぱいに、真冬でも放牧されたままで過ごします。
結果として、脂肪分の少ない、やわらかい肉質の有名なアルバータ牛が出来ることになります。牛の数を確認するには
セスナ機に乗って上空からするそうです。
毎年7月には、カルガリーでスタンピードと呼ばれるカーボイ祭りが行われます。
かって遠くからこの街へ、牛を追ってやってきた時代を懐かしく祝う行事です。
119. 夾竹桃は復興ののろし
夾竹桃の赤や白、ピンクの花が、サンフランシスコから内陸のサクラメントへの街道に咲いています。
南部アメリカでは、この灌木はロコブッシュという名で呼ばれ、牛がこのロコブッシュの中に入ると、狂ったようになるそ
うです。ロコとはスペイン語であり、日本語に直すと狂うという意味だそうです。夾竹桃の花の出す白い汁が、目に触れ ると人間にも害を与えるそうです。
しかし、この灌木は一酸化炭素を体いっぱいに吸い込み酸素を出すので、貴重な街路樹になっています。
また原爆で灰に帰した広島の街で、いち早く復興ののろしを上げたのも夾竹桃であり、市民に元気を与えてくれまし
た。
ホノルル空港からダウンタウンへと向かう道に、この木は多く植えられています。
120. 日系アメリカ人はかくも違っていた
若かった頃、結核をわずらい、当時住んでいたホノルルの結核病院で半年入院生活をしました。
日系2世の方で、60代の男性の方が入院しておられ、話しをするようになりました。
財産は奥様と別にしてあり、例えば生活費も、食費を奥様が出せば、車のローンは自分が支払い、家のローンを自分
が出せば、その他の生活費は奥様が面倒をみるといった風に、折半にしてあると言われました。それでは、何も結婚し ている理由はないような印象を受けたものでした。
退院した後、2年制の公立の大学へ入りました。
そこで生活面の世話をしてくれた短大事務局の方も、日系アメリカ人の熟年世代の男性でした。この方の離婚した妻
は、ワイキキのホテルの中で美容院を経営しておられました。その美容院の掃除を週に2度する仕事を頂いたり、この 女性の家の庭の芝付を刈る仕事を週に1度しました。2度に1度は、芝を刈っていると元、夫であるこの2世の方はや って来られ合い鍵を使い中に入られ、おにぎりをつくって私に食べさせてくれました。
離婚した夫婦が、仲良く行ったり来たり出来る風景は、私には理解を越えた世界でした。夫婦としては互いに相性が合
わなかったけれど、友人として、あるいは人格を持った個人としては互いに尊敬して、つき合えるほどの高いレベルの 昇華した人達だったのでしょうか?
121. 猫用のコーンフレイクを食べた日本人留学生
平均的なアメリカ人を語るのは難しい。
ただ留学して白人の家庭にホームステイした、日本人留学生の青年の体験を通して観、感じたアメリカ人を紹介してみ
ましょう。
朝食は、各種のコーンフレイクにミルクを入れ、砂糖を少しかけていただく人が多いそうで、大型の冷蔵庫の上にいくつ
かのコーンフレイクが置いてあったそうです。家族が揃っての朝食ではなく、留学間もない青年も一人で食べましたが、 味が不味く、その事を家族の人に後で云うと、猫用のコーンフレイクをそうとは知らずに食べたのが、ばれたそうです。 英語力が不足していたようです。
アルコールには強い拒否反応を示す人が、多いそうです。
宗教的なものが作用している面もあり、また実際歴史の中で有名な、禁酒法を実行したこともあります。従い、人前で
酩酊して我を失う人は、低い評価を受けるそうです。
ホームステイ先で信頼が増すにつれ、食事の支度も週に何度かは、この日本青年が任されつくることになりました。魚
を焼いたり、煮付けにして2回も続けて食べさせると、ブーイングになったそうです。逆に、肉料理だと焼こうが、シチュ ーにしようがボイルしようが、何日続いても文句は云わない世界だったそうです。
122. 変わるのは変わらない真理
万物は流転するといいますが、時と共に急激に、あるいはゆっくりと変化するのは、間違いないと思います。
変わらないものを求める気持、心理が生まれるゆえんだと思います。
永遠、パラダイスは時を越えた所に存在するものです。
それぞれの芸術を担当する女神(ミューズ)が、集う所がミュージアムで、博物館というほどのことでしょう。絵や彫刻、
音楽や詩、家具にタピストリ、装飾品や陶器など博物館の中に観る、時が移ってもそこには古くならない新しいもの(知 恵)を学ぶ機会が隠されている場所です。パラダイスにはほど遠いものですが、博物館は変化するものの中に、変化し ない何かを感じさせてくれる所だと思います。
123. 5月5日は韓国でも子供の日
この日、インチョン新国際空港経由でアメリカへ行きました。
アセアナ航空機(韓国第2の航空会社)に乗ると、フライトアテンダント達のほっぺには模様が描かれていて、奇異な印
象を持ちましたが笑顔だけは変わらないものでした。やがて夕食が終わると機内放送があり、子供の日の特別プログ ラムが用意してあることを告げました。
大型スクリーンでは、子供の好む音楽が流れる中、アセアナの魔法使いと書かれた文字とアニメが始まりました。通路
では、ピエロに扮したステュワードや顔に模様を描いたステュワーデス達が、風船を膨らませて、膨らませた風船を組 み合わせて人形をつくり、子ども達にプレゼントしたり、紙でつくった帽子を配り、またインスタント写真機で撮った子ど も達の写真を与えていました。そして、手品まで行うというサービス振りでした。
機内は笑いにあふれ、こんな楽しい思いをしたのは初めてでした。
企画をして、実行したアセアナ航空のスタッフの知恵に拍手を送ると共に、若々しく育つ勢いを感じさせる韓国の凄さに
も驚いた、太平洋上1万メートル上空での体験でした。
124 自分を笑い飛ばすユダヤ民族
長年の風雪、あらしに耐えて生きた一家の大黒柱であるユダヤ人の父親の、死に面して家族全員が集まりました。
父親は妻がベッドのそばにいるのを確認し、そして次は息子、娘と次々に名前を呼び全員が、そばに揃っているのを
知りました。安心して死んで行くのかと思いきや、俄然起きあがり、次のように言い放ちました。
"誰が店の番をしているのか!"
ユダヤ人社会では、ラビが最も尊敬される職業だそうです。カトリック教での神父、プロテスタント教での牧師にあたる
仕事をする人です。息子の中の最も優秀な人がラビを目指すそうです。
さて、ラビと神父と牧師がある時、席を一緒にしました。話は自然に、寄付されたお金をどのように使うかという所に行
きました。牧師は、地面に縦に線を引き、寄付された金を空中に放り投げ、線の左右に落ちた金をそれぞれ教会の維 持と自分の家族の生活費にあてるといいます。神父は、同様に金を空中に放り投げるが、地面には丸い円を描いてお き、円の中は教会の為に使い、外に落ちたのは自分のために使うと答えました。
最後にラビは、神様は全能な方ですから必要な金はお取りになるでしょうから、ただ空中に放り投げ地面に落ちた寄付
された金は、家族の為に使用するといいました。
イスラエルでガイドをしている、東ヨーロッパからの移民である中年の男性は、第二次世界大戦後イスラエルの国はつ
くられましたが、それ以前から長い間住んでいたアラブ系パレスチナ人との軋轢、葛藤を次のように表現しました。
全ては、偉大な指導者であるモーゼが出エジプト(約3500年前)に成功してシナイ山に登った時、神からカナンの地
(パレスチナあるいはイスラエルの地にあたる)を与えると約束されたことに端を発しています。あの時、なぜモーゼは カナンの替わりに、カナダを頂きたいとお願いしてくれなかったかと、我々を笑わせました。ンとダの一字だけ違うだけ です。カナダになっていれば、今のような争いはなかったのに…
ユダヤ民族ほど嫌われ差別された人達は、歴史上ないようですが彼らの生み出したジョークには自らを笑い飛ばし、
苦難を乗り越えて生きる力強さで満ちています。
日本人には、果たしてこれに対抗できるようなものがあるでしょうか?
125. ある日系アメリカ人3世の悩み
日本とアメリカの貿易が盛んになるにつれ、この人の活躍の場が増えました。
日本に来ると、日本語が上手なアメリカ人ということで、日本人から評価されますが、決して気を許して日本人の仲間に
は入れてもらえません。
そして、日本人がアメリカに来ると、世話をして仲介の労をとります。しかし、英語の上手な日本人とアメリカ人から見ら
れるそうです。
一体自分は何なのだろうと思うことがあるそうです。
![]() |