希望

101. 阿弥陀如来はキリスト教の神に似ている


母方の祖父、祖母の13回忌法要が、アメリカに移住してしまった親戚の叔父や叔母の家族にも帰国してもらって、山
口県の故郷でありました。
浄土真宗の阿弥陀如来信仰の強い土地柄です。仏壇に向かってお経をされた後、私たちの方に向き直られ、地元の
僧侶は法話をされました。慣れない畳に正座し続け、お腹も空いてきたアメリカ組は、早く終わらないかと気もそぞろの
様子でした。
開口一番、僧侶は "阿弥陀様は、全ての人を救って下さる方であり、一心に阿弥陀様を信じて念仏を唱えれば、いい
のです。絶対の他力本願(阿弥陀如来にすがる)が、真宗の教えですので、これはキリスト教の神を唯一の方と信じて
生きて、救いを願う西洋の信仰に似ています。"と言い、帰国組に配慮した短いお話でした。
私はこんなしゃれた法話を聞けたことに感動し、忘れられないものとなりました。
食事、酒宴となった時、アメリカ組に法話のことに触れてみたのですが、全くインパクトはなかったようでした。


 102. 英国の君主は、君臨すれども統治せず


1215年に時の英国君主ジョンは、軍事費調達のために税金を貴族や富裕市民に課しまが、それ以後は、彼らに前も
って相談する条件を受け入れます。世に云うマグナカルタ大憲章です。それからは国王の権利は、徐々に削られてい
きました。

今では、国王はロンドンのテームズ河沿いの国会議事堂で行われる国会の開会式に、儀礼的に出席されるだけとなり
ました。その出席の仕方も、議会からの使者が待機している国王のもとへやってきて、初めて議事堂内へ入れるほど
のものです。
あるいは、ザ・シティと呼ばれる1平方キロメートルほどの地区がロンドンにあります。ここにはロード・メイヤーという市
長がいて、この市長の許可がない限り、国王といえどもザ・シティの中には入れない規則があります。

夏の短い2ヶ月間だけですが、ロンドンでの国王の宮殿バッキンガムに入場料を払って見学が出来るようになっていま
す。
統治はしないまでも権威でもって君臨していることを十分印象づける、素晴らしい宮殿見学です。。


 103. 米国大統領就任演説と年頭演説は、キャピタル・ビルディング(連邦議
事堂)で


美しい壮大な、長方形の緑の芝(モール)の東端の丘の上に、キャピタル・ビルディングがあります。首都ワシントンの
中心は、モールを挟んで十字の形に主要な建物が配されています。北にホワイトハウス、南にジェファーソン記念館、
西にリンカーン・メモリアル、そしてキャピタル・ビルディングが東に置かれています。日が登り、主イエスが杭にかけら
れ亡くなった聖地エルサレムがある東に、連邦議事堂を配しています。各州から選ばれた連邦議員の集うキャピタル・
ビルディングを一番大切に考える政治制度だということを感じ取れます。

毎年、1月20日に大統領が、自ら国権の最高機関である立法府(連邦議事堂)へ赴いて年頭の演説を行うしきたりに
なっています。大統領就任演説も連邦議事堂で行います。
大統領就任演説でこれまでで一番長かったのは、9代大統領ハリソンの演説で1時間半に及びました。演説後、パー
ティを2ヶ所梯子したのですが、風邪を引いて1ヶ月後に亡くなりました。68歳という高齢でした。カーター大統領は、演
説後ペンシルベニア通りを歩いて、ホワイトハウスへ帰りました。レーガン大統領の1回目の就任式はぽかぽか陽気の
日でしたが、2回目の時はマイナス20度でした。
キャピタル・ビルディングの裏側のバルコニーを使っての大統領就任式及び演説はレーガン大統領が最初でした。


 104. アマチュアがプロに挑戦


ハイエルダールは、ノルーウェーの生んだ海の冒険家です。
アフリカ、南太平洋、中南米が太古の昔から、海流の流れを利用して人々が交流していたに違いないと考え、自分でつ
くったプリミティブな筏や舟にのって大冒険をしました。
権威ある学者の間では、アマチュア程度の知識しかないハイエルダールの説に、同意する人はありませんでした。
ピラミッドがアフリカや中南米にあったり、アフリカの葬祭用の仮面や装飾品などが、あまりにも南太平洋の物と似てい
る事は、誰も否定出来ません。
遠き島より流れ着いた椰子の実以上に、意志を持って大海へチャレンジした人達がいたことが証明されたのでしょう
か?

ハイエルダールは、10年ほど前に開かれたリリハンメルの冬季オリンピックでは、名誉主催委員長を務めました。そし
て、最近亡くなりました。
オスロに行ったら、海の冒険に使った筏などが展示してある、コンチキ号博物館を訪れてみましょう。


105. バイキングの活躍


入江を行き交う人達(ヴィーキング)が春から秋までの間、竜骨のある20人から40人程度の人が乗れ、喫水線の浅い
手こぎの、持ち運びに便利な舟で、英国やアイルランド、ヨーロッパ諸国そしてグリーンランドへと行きました。紀元後8
〜10世紀ごろのことです。スカンディナビア半島に住むバイキング(ノルーウェイ、スエーデン、デンマークなど)は、、
バルト海を東へ旅をしてロシアに入り、ノブゴロイド王国をつくりましたし、黒海にまで達しています。北海、大西洋へとこ
ぎ出した一行は、英国やアイルランドへ侵入したり、セーヌ河をさかのぼりパリの街まで脅かしました。911年には、バ
イキングの王ロロはフランス王からノルマンディー一帯の貴族に任じられ、ルーアンを都にしました。その子孫に当たる
ウィリアムは、1066年にイギリスに攻め入り英国王になりました。地中海に進出したバイキングは、南イタリアを縄張
りとするノルマン王国(11世紀〜13世紀)をつくりました。またアイスランドやグリーンランドへと向かった一団は、なん
とカナダの東海岸までやってきたことが今では分かっています。コロンブスの新大陸発見のおよそ500年も前のことで
す。今では、福祉の行き届いた、おとなしい北欧の国々ですが、千年余りの昔は荒々しく、生き抜く為に世界へと雄飛し
た冒険野郎達でした。
 

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