旅の魅力は百聞一見そして温故知新

86. 天国と地獄


精密光学機器メーカーの世界労働組合の本部は、スイスのジュネーブにあります..

日本の各社の組合の幹部の方々を案内して、この世界本部を訪れたことがあります。市内のオフィスビルのワンフロ
ワーを借りていました。
廊下に、英語で'天国と地獄'と題した、短い文章が貼られていました。本来、軽々しく国民性を表現するのは、決して良
いとは思っていませんでしたが、ヨーロッパに住むヨーロッパ人が、誰もが眼にする掲示板に載せているので、興味が
湧き書き取りました。

天国とは、警官が英国人で、料理人がフランス人、メカニックはドイツ人、愛を語るのイタリア人で、マネージャーがスイ
ス人の場合。                                
地獄とは、警官がドイツ人で、料理人が英国人、メカニックはフランス人、愛を語るのはスイス人で、マネージャイタリア
人となっていました。


言われてみると、私たちが何となく感じているイメージに似ているのに、驚いたのを覚えています             
                                       


 87. アバディーンの人。


スコットランドの東海岸に、アバディーンという名の港町があります。               

今は、北海油田の基地として、栄えているそうです。以前、香港に行きますと、必ずと言っていいほどアバディーンにあ
る水上レストランに夕食に行ったものです。桟橋から小さな船に乗って、水上生活者達のジャンクの船を横目にしなが
らの数分の船旅は、結構趣がありました。
香港や上海には、アバディーン出身の人が多く住んでおり、故郷を懐かしんで名を付けたそうです。           
                                         
長崎には、トーマス・グラバー邸がありますが、グラバーさんもアバディーン出身だそうです。


 88. 流行のない国 英国


かってロンドン大学の碩学、森島通夫は"英国人と日本人"の本の中で、両国が似ているのは島国というだけで、他は
似て非なる国と称しました。                         古くは古代ローマ人による英国支配、ゲルマン民
族の一派のアングロ・サクソン族の侵入、バイキング、ノルマン人の侵攻、百年戦争を通してのフランス王国との葛藤
 、ヘンリー8世によるローマン・カトリックとの絶縁、清教徒革命や名誉革命などを経て、海外に数多くの植民地を持
ち、19世紀には世界の7つの海を支配する世界帝国になりました。              第一次、第二次世界大戦
に勝利したものの、かっての植民地は独立して離れ、経済力は弱まりましたが、政治力、情報力は依然世界をリードす
る勇ましい国が、英国です。英国にとってヨーロッパ大陸が、あまりにも接近していました。

一方、日本は古くは朝鮮から移民を受け入れ、常に中国、朝鮮、インド方面の進んだ文化、技術を取捨選択しながら
取り入れて、流行に遅れないようにしました。その結果、日本化本サイズになった国をつくりました。
日本海やシナ海が大陸との間にあり、程良い距離を保っているので、安心して生活できました。

人種、言語、宗教、階級制度、経済活動に差別せざるをえない競争社会であった英国は、必然として、新しいものへの
猜疑心が強く、むしろ古いものを大切にして、その上にいい物を足せば大丈夫生存出来ると信じてきたふしが感じられ
ます。
日本は。流行を追い続けた歴史かも知れません。それだけ安全で安心して、いいものは外からやってくると信じた、珍
しい国かも知れません。

今でもロンドンの目抜き通りに、傘と杖だけを専門に商いしている店があります。昔の紳士は、傘を必ず携帯しました。
しかし、めったに傘は開かなかったそうです。一旦広げた傘は、専門の元にたたむ業者に頼んだのだそうです。
本当でしょうか?


 89. お隣さん同士は難しい


英国とフランスは、過去900年近くライバルとして競ってきました。
王室の血縁関係で見ると、英国がドイツと18世紀以来近く結びついたころから、より両国の関係が複雑になったように
思います。パリでは、ナポレオンが英国を睨んでバンドーム広場に立ち、ロンドンでは、ネルソン提督がトラファルガー
広場でフランスを睨んで立っています。
1815年のワーテルローの戦いでナポレオンは、失脚しました。
パリからユーロスター(パリとロンドンを結ぶ高速鉄道)に乗り、英仏海峡の下のトンネルを通ってロンドンに到着する
と、そこはワーテルロー駅です。フランス人にとり、悔しい戦場の名が、ロンドンで最初に眼にし、耳で聞くことになりま
す。
グレイハウンド犬が、おとりの兎の人形を一心不乱に追いかけるドッグレース場に、一夜英国のとある街でいったこと
があります。ギャンブルはどの国でも一抹の後ろめたさはあるものです。ましてや、昨今の動物保護団体の甲高い運
動には気持が揺れます。そのせいでしょうか?このドッグレース場の名前は、ポナパルトでした。この名前はナポレオ
ンの苗字です。

英国人が、最も憧れる田舎風景はコッツワルド(森に点在する小さな村々という意味)だそうです。その一つの村にボー
トン・オン・ザ・ウォーターがあります。小川に架かる橋のそばでグレイハウンド犬を見ました。飼い主の英国人夫妻と一
人息子の少年が、散歩している中で、自由に遊び回っています。飼い主の男性が言うには、"この犬は、競争が嫌いで
処分されるべく、施設に入れられていたのをもらい飼い始めたが、とても人間好きでプレッシャーから解放された喜びも
あり、家族の一員として共に楽しんでいます"と言い、去っていきました。別の機会に、グレイハウンド犬の中には,レー
ス場の機械仕掛けで走るおとりの兎が一周して元の場所へ帰ってくるのを知り、追いかけるのを止め、待ち伏せするも
のもいることを聞きました。'犬の振り見て我が振り直せ'と語った山本夏彦さんを思い出しました。


 90. 生き物の誕生から人まで


地球に生き物が、40億年前に誕生しました。
以来、長い長い時間の中でカンブリア期、古生代、中生代を経て、6500万年前に新生代をむかえます。ほ乳類の時
代の始まりです。赤ちゃんを乳で育てる動物であり、体温は定温で変化ません。
そして、400万年前にアフリカの地に、アファール猿人(アウストロピテクス)が出現します。骨盤や大腿骨が発達してい
て、2本足で歩いていました。
175万年前には、ホモエレクタスが出ます。喉の構造が変化して、言葉を話せました。また物が掴める手をもっていま
したし、体を真っ直ぐにすることが出来ました。脳の大きさが、900ccとなり、アファール猿人の2倍となりました。
10万年前には、ホモサピエンス(人)が現れます。1450ccの脳の容積があります。東アフリカの地に生まれました。
南アフリカ連邦のブロンボス洞窟で、壁に格子(焼き網)のデザインのある絵が見つかりました。また巻き貝の飾り物が
見つかり、穴が空いているところからネックレスやブレスレットにしていたかも知れません。7万5000年前と考えられま
す。
これまでは、南ヨーロッパで発見された洞窟壁画が古いとされ、3万5000年前のものでした。
乾燥した大地で生活する、我々の先祖は安全で温度が一定の洞窟を住まいとするのを、好んだに違いありません。洞
窟を住処とするのは他の動物にとっても快適だったに違いなく、、見つかった洞窟の中には、人間が他の動物に食べ
られたと思われるものもあります。
森での樹上生活をやめ、地上に降り立った人の先祖にとりチャレンジの始まりでした。

 

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