旅の魅力は百聞一見そして温故知新



71.  漱石とシェークスピア


夏目漱石はシェークスピアよりも約300年後の人です。
漱石の処女作"我が輩は猫である"は、雑誌"ホトトギス"に載せられました。ホトトギスは漱石の親友であった正岡子規
がつくりました。
イギリスに留学した漱石は、子規に宛てて手紙を書いています。子規はその手紙に随分慰められています。子規亡き
後、ホトトギスの編集にあたった高浜虚子に依頼され、猫を書きました。
猫はビールを飲んだ末、水が半分に減った瓶に落ちて、観念して死んでいます。
シェークスピアは名を揚げ功ををたてて、故郷ストラトフォード・アポン・エーボンへと
凱旋し、大好きなビールを飲みすぎて、冬に川に落ち風邪をひき、肺炎を併発して死んでいます。
漱石はシェークスピアの作品を読んでいましたし、そして彼の死んだ原因もおそらく知っていたのではないでしょうか?
シェークスピアの死と我が輩の猫の死を、裏で結びつけていたのでしょうか?


 72.  礼の国でテーブルマナーを聞く


上海にある老舗の中華料亭で、夕食をしたことがあります。
円卓で食事が進む中、店の責任者が挨拶に現れました。
食品メーカーの若手社員の養成を兼ねての研修の旅行でしたので、日本の責任者が伝統ある中国でのテーブルマナ
ーを尋ねました。
すると例えば、自分が酒を飲みたい時は、まず向かい側に座っている人に酒を勧め、その後で自分も頂くこと。、ある
いは煙草を吸いたい時は、やはり向かい側に座っている人に煙草を勧め、その後相手の承諾を得て、自分も吸うよう
にする。など教えていただきました。

さすがは礼の国だけのことはあるなーと、感心したのを覚えています。


 73.  木からジャングルへのはなし


文部省主催の教員海外派遣団でアメリカへ行ったことがあります。
教育委員会や各学校の代表者を夕食に招いて、訪問の終わりに感謝のパーティをしました。
宴がたけなわとなり、日本の先生の一人が習字を実演されました。筆を持ち、木という字を書きます。これは英語でトゥ
リーといいますが、日本の漢字は字面が象形ですので、木の形をしていますねと、解説するとアメリカの先生方は、大
きく頷いています。
次に林を書きました。英語ではウッズです。タイガー・ウッズは、ゴルフ界のヒーローです。さらに森を書きます。英語で
はフォリストといい、映画で人気のあったフォリスト・ガンプのことです。このあたりまで来ますと、アメリカの先生方は大
乗り気で、漢字の魅力に感心するやら実演の先生のウィットに脱帽するほどです。
そして次に林という漢字を上段と下段に並べて書き、さてこれは何でしょうと質問を投げかけました。
アメリカの先生方が首をかしげた以上に、日本の先生方が一斉に唖然とされました。
しばらくあって、実演の先生はこの漢字は未だ生まれていないが、熱帯地方に密生しているジャングルを意味するほど
のことだといわれました。

会場はやんやの拍手が鳴る止みませんでした。


 74.  ミロのビーナスも脱帽


その年はフランスと日本の交流が始まって、記念年に当たっていたと思います。
パリのルーブル博物館の地下にファションで有名なパリ・コレクションの会場があります。その前に広隆寺の半思伽弥
勒菩薩像が置かれていました。大変に大きな像ですが、バランスが美しくエレガントで気品に溢れていました。土を固
めてつくられた像ですが、有名な大理石でつくられたミロのビーナスに負けない、いえむしろ気品の面では上をいってい
る印象を持ったものです。
そして先日、ミラノのドーモ広場横の展示会場で浮世絵展を観る機会がありました。
苦しく辛い、浮き沈みの激しい浮き世を、発想の転換で積極的に楽しもう、遊ぼう、笑おうとした江戸を中心にした町人
市民層のつくったアプレ文化です。
浮世絵の題材は多岐に亘っており、歌舞伎役者、遊郭の女性、相撲、生活描写、自然や風景、男と女の性描写など
様々です。幻の絵師、写楽までありました。
多くの熱心なイタリア人が食い入るように見学していました。
海外で偶然に出会う、日本の芸術品に心から感動を覚えるのも実に嬉しいものです。

旅は人の心を素直にします。


 75.  感動はいたる所に満ちています


ある博物館では宇宙の誕生を約130億年前と考え、それを110米の長さに置き換え、展示してあり、人類の誕生は髪
の毛1本の太さほどの長さになるといいます。
あるいは地球の歴史は約45億年だそうですが、それをカレンダー・イヤー1年とすると、百年が1秒の計算になるそう
です。
地球での人間の滞在はいたって短いものです。台所での奥様方の敵、ゴキブリの方が
はるかに先輩にあたります。
そしてモーター付きで鳥のように自由に空を飛びたい願いが、かなえられたのは1903年でした。ライト兄弟が地上す
れすれに10秒あまり飛んだのが最初です。
それから百年が経ち今は、ジャンボジェット機で1万米(10キロメートル)の上空をヨーロッパへスイスイと12時間で行
けるようになりました。宇宙飛行士の毛利さんのように地上450キロメートルの上空から地球を観ることは、出来ませ
ん。しかし10キロメートルの高さはエベレスト山よりも高く、ヒラリーやテムジンはあらゆる困難を克服した末、下界の見
事な景色を手にしました。
10キロメートルから観るシベリアの大平原の姿は、いつも感動を覚えます。

感動はいたるこころに満ちています。



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