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旅の魅力は百聞一見そして温故知新



61. インドの聖なる木


ブッダはブダガヤ村の側を流れるニレンゼン河で沐浴を終え、村娘スジャータの差し出したミルク粥を飲み終えて、菩
提樹の木の下で瞑想に入り悟りを開きました。35歳でした。
ブッダは80歳の生涯をクシナガラ村の沙羅双樹の木の下で終えます。
泣きやまない弟子のアナン尊者をこれからは、自分の教えを光明として生きて行くよう諭しています。
そしてピッパラの木(アショカ王の木)は、初めての説法(初転法輪)をかって共に修行した5人の弟子に行ったサルナ
ート(鹿野苑)に多く見ました。
いづれの木(菩提樹、沙羅双樹、ピッパラ)も現在インドで、聖なる木として大切にされています。
ブッダは人の生きる道(法)を説いたのですが、書き物は残しませんでした。。
師の亡くなったあと、結集(ブッダの教えを正しく伝える為に弟子達が集まった)を何度か行いました。
ガーモンショーゼイ(我かく聞けり)で始まるお経の文句は、弟子の謙虚な姿勢を見事に表しています。
伝説では生母マヤ夫人が生家でお産をするために帰る途中のルンビニ園において、果物を木から採ろうと右手を伸ば
した時、右の脇の下からブッダは生まれました。古来、インドでクシャトリア階級(王、騎士)は脇の下から生まれるとさ
れました。ブッダは、カピラ城の王子として生まれています。
バラモン階級(僧侶)は頭から生まれるとされました。ギリシャ神話のアテナイ女神(知恵、戦争の神)は、父ゼウスの額
を破って誕生していますので、インド風に云えば最高階層の出自となります。
インド人もギリシャ人もルーツを辿れば、中央アジア平原あたりにいた民族(インド、ヨーロッパ語族)と考えられますの
で、神話に類似するものが多々あります。
ギリシャの北方マケドニア出の一代の英雄アレキサンダーが、インダス河まで遠征した結果、神々を人間の姿で表現
するギリシャ芸術(ヘレニズム)が、ガンダーラ芸術(ギリシャ風のブッダや菩薩像)を生みました。
インドに行ってギリシャを感じ、ギリシャに行ってインドを想ってみるのも楽しいものです。


 62. 雄鳥(おんどり)の役目


北スペインのサンチャゴ(12使徒の一人、大ヤコブ聖人)デ・コンポステーラの街への巡礼は、中世の時代三大巡礼の
地(他にエルサレム、ローマ)のひとつとして盛んでした。
サンチャゴへ向かう巡礼の途中に、ポルトガルのバルセロスの街で若者があらぬ疑いを受け、裁判官に直訴します。
裁判官は食事中であり、食卓にはすっかり調理された姿見のオスの鶏が載っています。無実の証に、このおんどりが
生き返って鳴くでしょうと若者が云うと、なんとその通りになったそうです。
ポルトガルの民芸品として手頃な値段で売られている、このおんどりの置物はバルセロスのおんどりで、幸運をもたら
してくれるお土産として人気があります。
フランスの国鳥はオンドリです。
聖書にもペテロは三度もイエスを知らないと、オンドリが夜明けを告げる前に云うとイエスは予言しますが、その通りに
なりました。


 63. ピラミッド建設は失業対策のひとつ?


1920年代の半ばから1930年代にかけて、世界の経済環境は厳しいものでした。
失業対策の一環としてアメリカでは、テネシー河総合開発計画に基づき、ダムをつくりました。河の水位の調整が可能
になり、水運の発達、農地の拡大、湿地帯に発生する蚊を媒体するマラリヤ退治の効果もありました。
あるいはラスベガスの近くにフーバーダムをつくることもしました。今のラスベガスの街の繁栄は、ダム建設の為に全国
から集まった人たちを収容する場所として、つくられたのが始まりです。
政府主導の大型プロジェクトで冷えた景気を呼び覚ます意図でした。

エジプトのギザに残るピラミッドなども農閑期を利用して、人手が余っている時期に集中工事をしたのではないかと考え
られています。
アダム・スミス型(経済は自然のバランスの上に成り立っているので、人為的に政府の介入をしない)ではない、ジョン・
メイナード・ケインズ型(政府主導の大型プロジェクトを用い、景気を人為的に操作する)の政策が、古から今に至るま
で行われてきたようです。


 64. 船旅もまた楽し!


イスラム教では5の数を大切にします。
おそらく5行(5つの信者として守り行う行為)からきているのだろうと想います。
それらは、1.)信仰告白 2.)1日に5回お祈りをする 3.)1年に1ヶ月断食をする 4.)聖地巡礼 5.)喜捨(寄付)
となっていて、神(アラー)の前では人は平等ですので商業などを生業にする人には、便利かと思います。
仏教も平等を力説しましたので、商人に支えられて広まっていきました。
シンドバッドの冒険のお話がアラビアン・ナイト(千夜一夜)にありますが、海の話しを5つ述べてみます。

私の4〜5歳のころの幼児体験ですが、台風が瀬戸内地方を襲ったことがあります。江田島の小用という漁村と呉を結
ぶ小さな連絡船が木の葉のように揺れ、私は"死ぬる〜死ぬる〜"と大声で母親にしがみついていました。司馬遼太郎
さんは、ポルトガルのカラベラ船が15世紀に大海原へと冒険出来た理由の一つに船体が、ハッチ式になっていたので
はないだろうか?蓋と閉めれば樽のようになり時化でも沈まない知恵を出したのではないかと述べています。私の幼児
期に乗った舟は、ハッチ式ではありませんでした。
次は、初めて大型の客船で横浜からホノルルへと旅をした思い出です。
当時(1960年代後半)はアメリカン・プレジデントラインという船会社の定期便がありました。歴代のアメリカ大統領の
名前が船に冠せられていました。ただただ楽しく、知り合った人達と過ごした1週間はあっと言う間に過ぎたように感じ
ました。若さだけが取り柄の頃でした。
3番目は、映画で観たタイタニック号に因む話しです。
沈みゆく船の中で、どのようにして男性を説得して女性や子供を優先してボートに乗せることが出来たのだろうかという
笑い話しです。
英国人には、あなたは紳士ではありませんか!
米国人には、あなたは英雄になれます。
日本人には、みなさんそうしています。

4番目は。ギリシャのペロポネソス半島のエギオ港から対岸のニコラオス港までの20分余りのフェリーでのことです。
そのころクルド人独立運動家オキャランが捕まり話題になっていました。2階の船室の中で数人の人が中近東の音楽
を演奏していました。やがてその人達がビラを配り始め、ビラにはクルド人のリーダーであるオキャランさんの顔写真が
載っており、支援活動をしている人達の演奏だったことを知りました。だだビラを手渡すだけの大人の行為でした。

最後は、スペインのアルヘシラス港からモロッコのタンジールまでの大型フェリーでの体験です。2時間ほどの船旅で、
昼食も船内レストランで食べました。イスラム文明とキリスト教西洋文明が同乗しての旅でした。しかし、タンジールに上
陸するやいなや、ヨーロッパはイスラム世界に吸い込まれてしまったように感じました。
地球の四分の三近くを占める海は魅力に満ちています。


 65. モーツアルトも滞在したベローナ


アンモナイトの化石が所々に見えている、この地で取れるピンク系の大理石を舗道の敷石にして旧市街が出来ている
のが、ベローナです。かってアルプスを含むこの辺り一帯は海の中であったようです。アルプスから流れ出るアディージ
ェ河の水は、この地で鋭角に曲がり方角を変えています。古代ローマ人はベローナに軍事そして街道の要衝としての
価値を見いだします。フォロ・ロマーノ(古代ローマ時代の公共広場)だった所の上に現在でも、中世以来のエルベ(香
草という意味)広場があり、人々で賑わっています。
ミラノにあるスカラ座の名前は、ベローナを支配したスカラ家(ハシゴあるいは階段という意味)の教会が元々スカラ座
の場所にあったことに寄ります。
ベローナでは、天国へ駆け上がろうと意欲を見せる?ハシゴの家紋が墓所や教会の入り口に見られます。シェークス
ピアの戯曲"ロミオとジュリエット"は、スカラ家支配時代(14世紀始め)に実際にあった相反する貴族同士の政争に巻
き込まれた若者のエピソードに基づいたものです。
夏にはアリーナ(古代ローマ時代に造られた二万人収容出来る円形闘技場)で、陽の沈む9時から夜中の1時まで連
夜オペラが上演されます。
ベネチア、フィレンツェ、ローマに続いてイタリアで4番目に観光客が訪れる街で、ダンテ(14世紀の人)やモーツアルト
(18世紀の人)もこの街の人々に大歓迎されています。そして現代のベローナ市民(30万人弱)も高い文化を醸しだし
ているのが、街中を歩いているだけで感じるシックな町です。


66. ローマ法王ユリウス2世はルネッサンス人


ミケランジェロとラファエロはユリウス2世に愛されました。
法王は彼らの良きパトロンでした。ローマのバチカン博物館の一角にあるシスティーナ礼拝堂の天井画は、1512年の
秋に4年の歳月をかけて完成しました。ミケランジェロは37歳でした。聖書の創世記にある9つのエピソードが描かれ
ています。またミケランジェロは25歳で彫刻ピエタ像(イエスの死を嘆く母マリア)の初作を造りました。1500年のこと
です。サン・ピエトロ大聖堂の中で見ることが出来ます。ユリウス2世は1513年に69歳で亡くなりました。
60代になったミケランジェロは1536年に再び、システィーナ礼拝堂の主祭壇の壁に最後の審判の絵を描きました。

一方ラフェエロは、システィーナ礼拝堂近くのバチカン宮殿の署名の間に、アテネの学堂と題した壁画を残しています。
その絵の中にプラトン(レオナルド・ダ・ビィンチがモデル)、アリストテレス、ヘラクレイトス(ミケランジェロがモデル)、ソ
クラテス、ユークリッドなどを登場させています。
古代ギリシャ哲学とキリスト教の融合を真剣に考えたルネッサンス時代でした。


 67. 強制換羽のはなし


養鶏用のヒヨコは、生まれるとすぐにオスは直ちに潰されミンクの餌にされ、メスは餌を与えられ成長します。
オス、メスの鑑定は器械でするよりも、人の繊細な熟練した手でするのが、はるかに早く正確だそうです。日本人の鑑
定士は優秀で、アメリカで引っ張りだこです。
やがて卵を生むようになり何十万羽の鶏が、コンピューターで全て管理された、身動きできない鶏舎の中で卵を産み続
けます。しかし、やがて産卵率が低下してきます。生み疲れが原因です。食肉用として売るか、あるいはもう一度元気
を取り戻させる手段を取るかは、経営者の判断によります。
元気を取り戻させる方法は、3週間ほど薄暗い部屋の中に入れ、水だけを与えます。
そうすると、贅肉が取れ羽が替わり、再び元気を取り戻し、その後半年は卵を生み続けます。これを強制換羽といいま
す。
のんびりと自由に庭を駆け回り、卵を生ませる経営の時代は終わりました。

フランスのリヨンの郊外で、レストランを営むポール・ボキューズの看板料理は地鶏(自由に庭を駆け回った)です。


 68. 土と太陽が決めるおいしいワイン


あなたの庭が次のような条件を満たしていれば、いいワインが取れるはずです。

まずは痩せた土地。そして水はけが良いこと。土地が緩やかに傾斜していて、7,8月に太陽がいっぱいあたること。さ
らに大きな河が流れていて、西日の照り返しが畑にあたること。
ソムリエでお馴染みの田崎真也さんは、おいしい食事はその土地で取れる素材で調理された料理を、その土地で取れ
たワインでいただくことだと言っています。

飲み物の中で、最も安い物も最も高い物もワインだそうです。


69. 見返り美人はナポリにもいた


浮世絵の葛飾北斎作の見返り美人を思い出させてくれた壁画と彫刻を、ナポリ国立考古学博物館の中に見つけまし
た。
ポンペイの遺跡から見つかったフレスコ壁画では、後ろ姿の首を少し右に傾けた美人が、春の花を摘んでいます。左
手にはすでに摘まれた花が、抱えられています。
そして、ローマ時代に作られた古代ギリシャのブロンズ彫刻のコピーかと思われる、大理石の美人像です。こちらは、
やはり右後ろに首を曲げ、少し浮かした自分の右のかかとを、見つめているポーズです。着けている布も、ポーズに負
けず動作を引き立てています。

いずれの美人もエレガントで上品で、気品があり訪れる人の眼を引きつけてしまう魅力に満ちています。


 70. ローマの終着駅(テルミネ)は大浴場(テルメ)そば


終着駅の地下ショピング通りには、紀元前4世紀に造られたローマの街を囲んでいた石の壁が残されています。側に
は、マクドナルド店があり賑わっています。地上に出ると、外は広い500人広場です。そして紀元4世紀のディオクレテ
ィアヌス皇帝の大浴場の跡が広がっています。3千人もの人が、冷水、温スティーム、熱水の入浴を楽しみました。
今でも水を貯めていたシリンダー型の塔が残っていて、レストランとして使われています。
大浴場の巨大な建物の一部は、教会へと変身して使われています。ミケランジェロが設計に関与したといわれていま
す。側には、マッシモ宮殿があります。今は、国立ローマ考古学博物館として使われています。最上階は、パラティーノ
の丘のリビア(初代ローマ皇帝アウグステュスの妻)邸の壁に描かれていた、フレスコ画があります。庭に茂る草や花、
木そして鳥や虫などが自然のままに描かれています。
古代ローマからはるか昔の地中海文明である、クレタ島のミノア文明やサントリーニ島の中に見つかった壁画に類似
する穏やかな自然を描いた壁画を思いださせてくれました。
ともに安らぎを大切にする人達であったことが、忍ばれます。

終着駅の名は大浴場から付けられたのですね。



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