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旅の魅力は百聞一見そして温故知新


41. テキサス州には稲が 植えられていた


テキサス州は約160年前は、ノバ・エスパーニャと呼ばれたメキシコの一部でした。
今は、運河が街中を走り、ヨーロッパ的な雰囲気を醸すサン・アントニオの中心に、アラモの砦があります。デビー・クロ
ケットを初めとする義勇軍が、最後までテキサスの独立の為に闘いました。
メキシコ湾に面した石油で有名なヒューストンは、ジョンソン宇宙打ち上げ基地があります。
博物館では、カーボーイのルーツは、メキシコスタイルの縁の大きいソンブレロハットをかぶり、ポンチョを首から通した
衣装だったことがわかります。
ダラスの街の近くには、トレイルダスト(土煙の長く続くという意味)レストランがあります。席に案内されるとネクタイをし
た人は、厳かにネクタイカットのセレモニーがあり、切られたネクタイは永久保存?壁に掛けられます。ネクタイ無用
が、暗黙の約束になっているレストランです。
巨大な食べきれないビーフステーキを注文し、ライブバンドに興じ踊り、ローンスターステイト(一つ星の州旗)の心意気
を満喫するのです。
このテキサス州に移民した日本人は水田耕作をしていました。


42. アウシュビッツ収容所の村には日本人が住んでいた


ポーランドの南、チェコの国境近くにこの収容所はあります。
今は、博物館として当時のままに保存されています。
この村に住んでいる日本人の若者は、ポーランドの女性と結婚していて、時折日本から
訪ねてくる人達を案内しています。
彼曰く、この収容所は全人類の共通する弱い面を伝えてくれる遺産であり、恐怖と保身の極限に置かれれば、誰もが
殺人を助長して、ナチスならずとも権力者に追随する怖い存在である事を、忘れない為にあります。

重い鉛の重しを足に付けられて深い海の底へ沈んでいくような思いを感じました。


43. 牛の眼、カモシカの体、アラブ馬の足のようだと美人を讃える国、エジプト


クフ王のピラミッドの玄室内の壁石や葬祭殿の花崗岩の精密な造りは、古代エジプト土木工学の並み外れた水準を語
っています。
エジプトのガイド氏曰く、この国には世界の遺産、遺跡の半分以上が未だ砂の下に埋まっていると。
同じガイド氏が、日本では美人を讃えて、立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と言うそうですが、エジプト
では、眼は牛の眼のようで、体はカモシカのようで足はアラブ馬のようだと美人を表現するそうです。

彼が初めて日本にやってきて、世話になった日本のホストファミィリーが、日曜日で天気もいいし、久しぶりに山へ出掛
けようと彼を誘った時、なぜ 山へ?と思ったそうです。エジプトの山は木ひとつ生えておらず、つまらない所だから.


風土が、かくも違うエジプトは最大の魅力と謎に満ちた所です。


 44. 同時代を生きた2人の巨人


赤茶けた大地を舞台に、正義感に燃える老人騎士と世事にたけた下僕の冒険物語、キホーテ・デラ・マンチャを書いた
人が、ミゲル・セルバンテスです。
若かった頃レパントの戦い(1571年)に兵士として出兵、負傷してイスラム軍の捕虜となり、アルジェリアに数年生活し
ました。スペインに帰ってからもぱっとしませんでした。
しかし58歳という熟年にいたり、社会の表と裏、理想と現実、光と陰、栄光と挫折など誰もが味わう思いを知り尽くした
男が、世に問うた作品でした。数年後には続編を書き終え、その翌年には死んでいます。印税などはなかった時代、決
して生活は豊かではなかったようです。しかし、この晩年にセルバンテスは輝いています。
ラ・マンチャ地方のプエルト・ラピスという村にペンタ・キホーテ(キホーテ宿)があり、400年の昔の雰囲気を感じさせて
くれます。

妻と子供を故郷に残し、ロンドンへ若くして上京、役者として劇作家として大活躍したのが、ウィリアム・シェークスピアで
す。彼は名誉も収入も若くして手に入れ、40代初めには、故郷のストラトフォード・アポン・エボンに帰り、立派な家を建
て悠々自適の生活を送っています。ビールを友と飲むのが、なによりも好きだったようで、3月の寒い日に酔ってエボン
川に落ち、風邪をこじらせ肺炎になり死んでいます。

さて二人の巨人は、1616年4月23日に亡くなりました。
今では、この日は国際ブックデーとなっています。


 45. 中近東(オリエント)、地中海世界の聖なる木


聖書では大洪水の後、鳩がオリーブの小枝を持ち帰り、大地が再び現れた事を知らせます
古代オリンピック競技では優勝者は、オリーブの小枝をもらったと言います。

葡萄のつるや葉は、永遠や繁栄の象徴です。
IVY(つた)は、ディオニソス(バッカス神、酒、祭り)と繋がり、性(セックス)の増強剤として大切にされます。イスラム世
界では、壁のタイルのデザインによく使われています。

糸杉は、古くはゾロアスター教の神殿の壁を飾るデザインに、そして他の宗教にも取り込まれています。真っ直ぐに天
へと向かう木の性質が、好まれたようです。

月桂樹は、常緑の葉ですので永遠、繁栄、平和、普遍を意味し、大切にされました。

松、竹、梅あたりが日本では、さしあたり聖なる木と言うことでしょうか?


 46. ギリシャ神話はギリシャ人の物語ではない!


ミケネ人(紀元前1500〜1200年)とドーリス人(紀元前800年以後)は、ギリシャの地にいた民族ですが、時代が異
なります。ドーリス人がギリシャ人になりました。
ギリシャ人の心のより所は詩人ホーマー(紀元前800年ごろ)が編纂した英雄物語イリアドそしてオデュセイアです。イ
リアドでは、ミケネ人を中心とする連合軍が、トロイ(トルコのアジア側、ダーダネルス海峡近くの都市国家)を攻める話
しです。
そして10年に及ぶ戦いに勝利します。その後、英雄オデュセイアが故郷ミケネへ帰るのに迷いながら10年の旅をする
のが、オデュセイアです。
ギリシャ人は何故、彼らよりも400年以上も昔に同じギリシャ(ヘレスの地)にいた異民族の神話を大切にしたのでしょ
うか?
この神話の始まりは、誘拐された美しい人妻ヘレンを取り戻すため、遠く離れたアジアの地に連合軍を編成して出掛け
ます。
この長編叙事詩を寝物語として聞き、成長したドイツ人シュリーマンは、ミケネやトロイの遺跡を発掘して考古学に金字
塔を打ち立てました。

現在では、3000年もの昔ギリシャの東にあるトルコや黒海地方が遙かに栄えていて、この先進世界へミケネ人がなぐ
り込みをかけた事件であったとの見方が一般になっています。

温故知新は、旅のキーワードです。


 47. インドで出会った二人の子供


ガンジス河のほとりバラナシ(ベナレス)は、シバ神信仰の聖地です。
ヒマラヤ連峰から流れ出すガンジスの水が、ここバラナシで方角を変へ南から北へとつまりシバ神(最もポピュラーな神
様で、破壊神であり踊りの神)の住むというヒマラヤへ向かって流れています。

バラナシのガート(ガンジス河につくられた階段)へと善男善女が、夜明け前から押しかけ日の出と共に入水して、東に
向けてお祈りします。日の昇る東側には建物はありません。物見遊山の私たちも、早朝バスでホテルを出発してガート
近くまで行き、あとは歩いてガートまで行きボートに乗り、舟上から沐浴している人々を見たり、河の西側(ガート側)に
立つ巡礼者用の宿泊施設やインド各地のマハラジャ(権力者)がつくった建物を見ながら下って行き、焼き場を遠目で
眺めたものです。
竹でつくった笛を吹く少年が、バスがガート近くに着くといつも現れ、舟の乗り場近くまで吹きながらついてきます。そし
て、焼き場近くで舟を降りると、不思議にもまた現れ、込み合う狭い路地を一緒に歩きます。時には遅れたり、写真を
撮るのに夢中になっている人に、注意を払いながら私達をガードしてくれました。お仕着せでない、恥ずかしそうなしぐさ
で袋から笛を取り出し、買わないかと誘ったりしました。当時映画で人気の高かったボビーの主題歌などリクエストする
と、上手に演奏してくれました。この少年が7〜8年も経つと、立派な青年になりました。そして、彼は相変わらずシャイ
な眼をし、同じ商売を同じ行動パターンの中でしていました。

アラビア海に面した、かっては湿地であり1600年代にポルトガルのお姫さまが、英国王に嫁ぐダウリー(持参金)とし
て英国にプレゼントした街が、今をときめくボンベイです。
この街中にマハタマ・ガンディの記念館があります。インドの財閥がガンディがボンベイに滞在する時に提供した住居で
した。聖者の為に金持ちが住まいを提供するのは、古くブッダの時代に寄進された竹林精舎や祇園精舎があります。
この立派な記念館には広い庭があり、種々の木々や花が植えられ静寂をつくっています。
バスが庭の一角にある駐車場に停まると、10歳前後の眼のくりくりした少女がバスの窓越しに、ホテルの朝食に出て
いた数個のパンを入れた包みをもらいました。彼女は、片手片足がなく杖をついた物もらいです。彼女はにっこり笑
い、木陰に行き年少の弟たちに分けてやりました。いい風景でした。
ガイド氏に尋ねると、彼女の片手片足ないのは、おそらく親が一生乞食で生きていく彼女を思い、食いぱくれのないよう
に、わざと小さい頃切り落としたのだろうと言います。

もう20年あまりが経ちました。
あの2人は今はどうしているのでしょうか?


48. 希望を語る仕事の喜び


地上から10キロメートルの上空を飛行機は飛びます。
地球で一番高い山がエベレストで9千メートル弱であり、その頂上に登れる人は、余程の体格と幸運に恵まれた人だと
すれば、何の苦もなくそれ以上の高度から地球を見れるのは、何とラッキーなことでしょう。
毛利さんのように宇宙飛行士は、450キロの上空を飛び地球を見れるそうですが、私は、10キロの上空から見る地上
の姿に感動を覚えます。
同様に様々な地上に生きる動植物に、地の中や海の中に生きる全ての物に、感動を覚えます。生きていることは、そ
れだけで素晴らしいことです。
小学生、中学生と旅行するのもとても楽しいし、60代以上の長く人生の旅をされた方と共に旅するのも、又いいもので
す。
こういった方々と、人間の営んできた道を追体験したり、人間以外の生き物の生体系を感じるのも楽しいものです。こ
の生きている世界は大きくて広く、知らないことがたくさんあります。求めれば、いくらでも夢や希望がかなえられます。
フランスの詩人、アランは教えるとは人に希望を語ること、そして学ぶとは真実を心に刻むことと言ったそうです。 

私は、海外にお客様と旅を共にしながら、希望を語りつつ学べる仕事(添乗員)に誇りを感じています。


 49. ココナツ入りのカレーを食べる国、スリランカ


紀元前4世紀の末、アショカ王が広めた仏教が根付いた島がスリランカです。
仏典も最古のものが残っており、またブッダの歯とか鎖骨を納める名刹寺などあります。

人の心も穏やかで、お坊さんが空港内の税関まで入ってきて、遠方からの訪問者を迎える姿もよく眼にしたものでし
た。
2千米級の山もあり、山肌を利用して英国人はヌアラエリアに紅茶を栽培しました。
ただ、南インドからヒンズー教を奉ずるタミール人を連れて来て、紅茶畑で責任者として働かせたことが、現在の残念な
闘争に繋がったようです。タミール・タイガー(ヒンズー教を奉じ島の北に勢力を張る)と政府軍(仏教徒)の20年余り続
く闘争です。私が行った頃は平和そのものでした。
シギリヤの内陸の地には、一枚岩の山があります。その中腹にシギリヤ・レイディ (シギリヤの貴婦人)と呼ばれる美し
い女性が描かれています。中世の初めの頃のものですが、峻険な所に描かれていることや、その絵の技術、女性の美
しさに魅入ります。そして息を弾ませながら、怖い思いをして登ったことに後悔はありません。
岩山の頂は、広い平坦な空間があり、かって砦としてあるいは王の住まいとして使われたであろう、印象を留めていま
す。
早朝に宿を出て、日が沈む頃同じ宿に戻ると、プールの側でソ連の人達が一日中何もせずに、じーと亀の甲羅干しよ
ろしく寝そべっていました。
バカンス(休暇)とは何か?

語源としてはベイケント(空虚な)何もしないと言うことになります。
日本人との違いに大いに驚いたのを思い出します。


 50. これからの生き方は?


地震、雷、火事、水など人にとってコントロール出来にくい怖い自然に毅然と立ち向かわないで、いわば棚上げ状態に
して、長い間生きてきたのが日本人でしょう。
人が付き合うレベルのことまで、気合い、気分、気性、気位、気質、など漠とした状態で、深くは立ち入らない棚上げの
形を作り上げました。
しかし、国として形を作る必要上、形に見えるものとして常に海外から知識と取り入れ、変わらない漠とした生身の体
に、日本人サイズに仕立て直した服を着せて来た歴史ともとれます。
仏教、儒教、キリスト教は、心を飾るために、そして、寺院や平城京、平安京の街、南蛮船、紅毛船のもたらした物産
は、外形を飾りました。
そしていよいよ覚悟の末、明治以来取り入れた欧米の技術である鉄道、郵便、灯台、産業、軍事、政治制度なども外
眼に見て恥ずかしくないように合わせてきました。
今に至るまで、どこか未だしっくりしない感じを持っているのは、私だけでしょうか?
幕末から130年あまりの短い時間に、2度までもこの国の人は生き方を変えました。勿論、自ら選択したことですが、
江戸時代を含む過去の否定の上に明治はありますし、再び昭和20年以前を否定して、戦後はスタートしました。
あまりにも急にすぎます。
速すぎる流れと変化に、心がついていけないのが現代の日本人のように思います。

私には、新渡戸稲造が英文で書いた武士道を支える3つの精神が、日本人には美しく響き、合っておりこれからの生き
方に指呼を与えると思えます。
  一には、セルフコントロール 自己抑制
  二には、セルフエスティーム 自己尊厳
  三には、セルフサクリファイス 自己犠牲
他の人に責任を押しつけるのでなく、自ら律し、誇りを持って生き、進んで人の助けになる人、国を目指すということでし
ょう。




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