旅の魅力は百聞一見そして温故知新



21.  七つの丘と河のおはなし


七という数は吉兆を意味しています。
三と四を足すと七になります。
三は古より聖なる数ですし、四は東西南北あるいは春夏秋冬ということです。

七つの丘と水に恵まれた場所に次のような街がつくられました。
ビザンチウムもしくはコンスタンチノープル、そして今はイスタンブールと呼ばれます。リスボン、ローマ、パリ、ロンドン
などがあります。

それに東京(江戸と呼ばれた)も加えておきましょう。


 22. セコムを始めた日本?


1970年に書かれ、国際文化比較の初代ベストセラーに輝いたのが"ユダヤ人と日本人という本です。そのなかで強く
述べられているのは、ユダヤ人にとり安全は金を払って確保するものだということでした。

事実、大陸へ旅をしますと歴史ある街はかって壁が街の周囲を囲っていたわけで、このリズムはチグリス・ユーフラテ
ス河流域に発生した古代都市国家にまでさかのぼることが出来ます。バスや地下鉄、列車などに外国で乗りますと、ほ
とんどの人が眼をしっかり見開いています。道路などを横切る際も、突進してくる車の運転手の顔を見ながら歩いてい
きます。些細なことですが、話しなどをする際にも相手の眼や顔をしっかり見ています。

さて日本はいかがなものでしょうか?


 23. 大失敗こそ最高の思い出


以前はヨーロッパへ旅するのに、南回り便で赤道付近まで下って24時間かけて行くことがありました。
途中3〜4ヶ所給油や乗客の乗り降りの為、香港やバンコック、デリーや中近東の国に立ち寄ったものです。そのつど
機内の雰囲気も変わり、異国への旅だという思いが高まったものでした。
パキスタンのカラチ空港に着き、空港待合室へと導かれたことがあります。広い待合室でしたが、その一角には礼拝用
の場所が誰にも判るようにつくられています。敬虔なイスラム教徒の国ですから当然のことです。
お客様(男性)を誘ってトイレへと行きました。入り口にはそのように書いてありました。しかし中に入ると、水泳プール
の競泳用の踏み台のようなものがいくつもあり、その踏み台の30センチほど先には壁から水道の蛇口の栓が設けて
あります。私はてっきりこれが、小便用の場所だと思い込み、踏み台と踏み台の開いているスペースで用を足した後
で、踏み台に上がり蛇口をひねって手を洗うのだと思いました。なんと便利な事かと賛辞すらしました。
しかし、用を足していると何処からか声があり、この場所はイスラム教徒が祈りの前に行う清めの場所であるとのことで
す。
勿論私はイスラムの人は、頭や眼、口や鼻、耳や手足などを清めた後、メッカの方角へ向いて一日に5回礼拝をする
ことは知っていました。しかし、まさかトイレと書かれた域内に清めの設備があろうとは、思いもよりませんでした。息が
止まる思いでした。果たしてさらに奥へ行くと、見慣れた大小便の設備がありました。

"百聞は一見"旅の魅力は尽きないものですね。


24. 私にとって座右の方


大阪の片隅に住まいして、この国の歴史や人を中央からではなく、周辺から見える極くあたりまえの平易な視点を持っ
て、語りかけた人。すそ野を、見方の幅を広げてくださった方、その人は司馬遼太郎です。
"街道を行く""この国のかたち"は、深く自分を見つめる機会となりました。

もう一人は山本夏彦です。
この方の短文ほど、噛めども噛めども味わいの出るスルメのように、魅力に富んだものは
ありません。
現代日本が、このお二人を輩出したのは奇跡に近いと思っています。


25. 日本史上最高の女性、美智子皇后 


正田美智子さんが、婚約後記者会見で"殿下をご尊敬、ご信頼申し上げています"とやさしい、細い音色で言われたの
を聞いたときは、こんな美しい方が日本におられるとは、信じられない思いでした。また裾の短いドレスを着て、テニス
なるものを遊ばれる姿を白黒のテレビで観た、広島あたりの中学生には最高度のショックでした。
一夜にして、ミッチーブームがまき起こり、その後は東京オリンピック、大阪万博や高度成長が続きました。日本を元気
にしてくださり、なによりも保守の牙城、皇室の中へ民間か入られ、3人のお子達を、天皇と協力して育てられ、皇室を
庶民の人気の中心に広げていかれた功績は偉大です。
戦争に負け、打ちひしがれた日本人の心に希望の火をつけてくださいました。
また現皇太子殿下の言葉使い、たちふるまいは、全く私たちと違和感がなく、国民の顔としてよくもここまで立派になら
れたことでしょう。
天皇陛下が古希をむかえられた際のインタビューに答えて、皇后と一緒にやってこられたのが、最高の喜びですと語ら
れました。
美智子さんと同時代に生きている喜びを感謝しています。
美智子さん、心から万歳!


 26. 5世紀から9世紀はアイルランド僧侶の時代


俗に中世の暗黒時代とヨーロッパをいいますが、辺境の地アイルランドからいでたカトリック修道僧達の大陸での布教
活動は、眼を見張るものがあります。
シャルルマーニュ大帝の知恵袋アルクインは、その筆頭と言えましょう。
そして、ダブリンのトリニティカレッジ図書館の紹介パンフレットに載っている9世紀のアイルランド僧がスイスのザンクト
ガーレン僧院で詠んだ詩"パンガーボール"は、知恵の尽きせぬ泉を顕わしていて、当時の学問の深さ、高さを後世に
伝えています。

            パンガーボーン

    私の猫、パンガーボーンは鼠を捕まえるのが喜びです。
    私は、終夜座して言葉を探すのが喜びなので、似たようなものだ。
    人から賞賛されるよりも、私は本とペンの前に座っているのがいいように
    パンガーも私に構わず、ひたすら技を磨いている。
    
    鼠が英雄パンガーの通り道にさまよい出ることがあるように、
    私の研ぎ澄ました考えが、知識の網の中に意味を見いだすことが時にある。
    
    パンガーは壁に向かって、激しく、鋭く、ずるい眼をむける
    私は小さいが知恵を振り絞って、知識という壁をみつめる
    
    毎日訓練を重ねて、パンガーは技を完成させる
    私は昼夜となく暗闇を光に変える知恵を得る


 27. アイルランドの西海岸は自然の恵み


アイルランドの西海岸、モヘー崖とゴルウェー湾の間にバレーン(岩だらけという意味)があります。カルデラ層の石灰
岩が、千平方キロメートルにわたり800メートルの厚みで広がっています。
この地は、かって家畜と農業に適していました。夏には温度をため、冬にその温もりを放射しました。今は、600種ほ
どの植物が育ちます。北極やアルプス、地中海に見られる珍しい品種の植物、特に20種に及ぶランが自然育成する
ので、ボタニカルメトロポリスと呼ばれ、植物学者の関心を高めています。

近くには、アレウイー洞窟があります。
この洞窟の中で千年もの昔、熊が冬眠していたといいます。
年中常温で暖かく、水も充分あるこの空間は熊のパラダイスだったことでしょう。この洞窟は、百万年前から造られ始
め氷河の削った跡が、天井に残っています。鍾乳石の形成もあり、天井と地上との間に柱が出来つつあり、あと300
年も経てば、わずか20センチほどのすき間がつながり、一本の柱になるそうです。
地上に生きる人間の時間では、とても対応しきれないゆっくりした、自然の営みを見ました。

近くには、記録映画で有名なアラン島があります。


 28. 昔の人はエライ!


スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿内見学の最後は、ハーレムの浴室の側の大きな部屋です。ガイドが部屋
の隅の壁に寄り、私たちは反対の対角線の壁に耳をあてると、ガイドが小声で話す声が鮮明に聞こえてきます。天井
の凹んだ所を伝わって声が、増幅されながら届く仕掛けに寄ります。

キリスト教の教会や、イスラム教のモスクにもその原理が使われています。教会をコンサートホールにしての演奏会
は、音響が際だっていいものです。

インドの中央にハイデラバードという街があります。アンドラプラデシュ州の都です。この州には染織大臣がおられ、テ
キスタイル産業の保護育成に努めておられます。染織関係の方々とこの染織大臣を、表敬訪問したことがあります。
日本では、伝統の和服を着ることが稀れになり、着物の値段も異常に高く、日常生活とは縁の遠いものになってしまい
ました。インドでは、日本の轍は踏まないでほしいと、日本側から話しますと答えて大臣は、次のように言いました。

インド女性に男性を取るか、サリー(民族衣装)を取るか二者択一を迫るとすれば、この国の女性は迷わずサリーを選
ぶでしょう と。

硬かったムードが一変し、一同爆笑したことがあります。
このハイデラバードの街のはずれに、古城(ゴルコンダ)があります。丘の上の宮殿の物見櫓へ、丘の下の城門から声
を出すと、はっきりとメッセージが届くように造られています。
昔の人の知恵には感服するばかりです。


29. 古代ローマの後継者はイスラム


古代ローマ人は石で造った半円アーチの水道橋(アクアダクト)の上に水を流して、生活用水を水源地から街へと運び
ました。
イスラムの人達は、地下に水の流れ(カレー)をつくり生活用水の確保をしました。乾燥した風土で水が蒸発するのを防
ぐべく考え出した知恵といえます。
古代ローマ人は街造りはフォーロ(公共広場)を中心に宗教(神殿)、政治(裁判所、役所、集会場など)、経済(穀物取
引所、両替所など)、そして文化(浴場、図書館、劇場など)と営みに必要な建物を配しました。
一方、イスラムの街造りは金曜モスク(金曜日の正午に行う一番大切な祈りの為の場)を中心に、バザールや浴場(ハ
マーム)、そして公共の広場、庭園をつくりオアシスの楽しさを、演出しました。

治めるとは詠んで字のごとく、水と大地を管理する知恵に尽きるといえます。
旅の魅力は、温故知新ですね。


 30. シャムロックはアイルランドそのもの


アイルランドの国章はシャムロックの草です。

愛らしい小さな三つのハート型をした緑の葉が一本の茎から出ています。
元々、この国には先史、ケルト時代から3を大切にする考えがありました。ウェールズからやってきたパトリックは、カト
リック教義でいう三位一体をこのシャムロックに例えたといいます。小さな部族に別れて部族長に従って生活していた
人々を説くにあたり、部族長をまず味方につけ、天・地・人あるいは永遠を意味する円とか波、入り組んだ糸や草の繋
がったデザイン(始めなくして終わりなし)を取り入れて布教したようです。こういったデザインは、この地に古くからあり
ました。
従い、シャムロックは聖パトリックを表しており、長い英国からの軋轢の歴史の中で心の支えとなりました。

ダブリンのホテルの受付の壁にラテン語で、文字が上から下へ次のように書かれていました。

  LUX, AMOR,PAX
  光 愛 平和


 31. 聖地近くの駅での失敗


ガンジス河の中流、ヒンズー教の聖地ベナレス(バラナシ)の近郊には、仏教徒にとって4大聖地のひとつサルナート
(鹿野苑)があります。ブッダガヤで悟りをひらいたブッダが、かって共に修行をした仲間に初めて説教をした所です。
初転法輪の聖地といいます。

ベナレスの街のはずれにムーガルサライ(ムーガル回教王朝の宿場という意味)駅があります。ガヤ駅(成道の地ブッ
ダガヤへの最寄り駅)やパトナ駅(アショカ王の都パタリプトラへの最寄り駅)、あるいはゴラクプール駅(涅槃の地クシ
ナガルへの最寄り駅)へと向かったり、着いたりする時によく使います。とても大きな駅で、ジャンクション(遠方や近郊
からの列車が乗り入れ、線路幅も広軌と1メートル幅のものがあります)といいます。

今では列車の運行は正確になっていると思いますが、以前はよく遅れたものです。インド人は鍋など持参してプラットホ
ームで自炊していたようですし、遅れるのは気にならない悠々たるものがありました。
その時は、女性ばかりの仏跡巡拝の旅でした。
陽が西の端に落ち、暗くなり始めたプラットホームで遅れている列車を待っていました。私は尿意をもよおし、1番線の
駅長室の横にはトイレがあるのは知っていましたが、いつやってくるかわからない列車を待つ身です。近くに適当な場
所はないものかと見渡しました。すると同じプラットホームの後方に土が盛ってあり、木が一本植わっているのが眼に
入りました。人気もないのでそっと近寄り、小便を土に向かってしたところ、突然数人のインド人から大声で怒鳴られ、
首を押さえられてしまいました。なにが悪いのか理解出来ません。
大声でインド人の通訳ガイドを呼び助けを求めました。すると、なんとその盛った土はイスラム教の聖人の墓だとのこと
です。
この聖人は、この場所でなくなったそうで、そのまま埋めてあり復活の日を待っていて、多くの信者の心の拠り所だとい
います。全くそのように感じさせるような造りにはなっていません。ホトホト詫びをしてお許し願った次第でした。
見るからにインド人ではない、まぬけな日本人の行為を大目で許してくれたインドの方々に感謝したものです。

本当に百聞は一見、忘れられない旅の思い出です。


 32. 夕陽に永遠を観る人達


古代エジプト人はナイル河の西岸に墓を造り、古代ギリシャ人も西方に聖なる所、死のない、年をとらない、時間のな
いパラダイスを観ました。
またこの世とあの世は繋がっていて、行き来できるとも考えていました。
実際にリビア砂漠に陽が沈むのを観たり、スニオン岬で海に落ちて行く夕陽を観、あるいはイスタンブールのガラタ塔
に登り夕暮れ時ボーと風景を眺めていたり、壇一雄のようにポルトガルの漁村サンタ・クルスで、打ち寄せる波を眼下
にしながら大西洋に沈み行く陽の玉を拾いに行こうと詠った心境は、西半球では夕陽に心が強く惹かれるようです。

仏教の強い影響もあり、日本でも亡くなった人を北枕にして横たえ、西方にあるという浄土を欣求しました。
夕暮れどき陽が様々に色を変え、沈んでいく姿はセンチメンタルな琴線を鳴らす力を持っています。


 33. マルギット・コバーチ(女)とビーグラン(男)の芸術


二人に共通しているのは、人が生を受けて老いて死ぬまでをテーマとしたことでしょう。
そして動乱の20世紀を生き抜いた人だということです。さらに神を意識した芸術家でも
ありました。
しかしその他の面では、違いが大いにあると思います。

コバーチは土を素材とし、色づけして焼いて作品を作りました。
家庭の温もり、祭り、生活習慣、宗教などを描き、その作品はハンガリーのドナウ河のほとり、センテンドレの小さな博
物館の室内に所狭しと展示されています。

一方ビーグランは、石を素材に人物はすべて裸、そして着色はありません。ノルウェーの広いオスロ公園の屋外に置
かれています。
神の眼には、人は貧富、身分差はないとの考えで裸にしたといいます。

芸術家(アーティスト)が、芸術(アート)を創作するのは、自然の営み(神の技)の前には、人工的(アーティフィシャル)
でしかないという、謙虚な姿勢を感じます。


 34. グリーンランドとアイスランドは名前を取り違えた?


夏のほんの2ヶ月がグリーンランドへ日帰りでアイスランドから行ける時期です。

翼を下げた飛行機の窓の下に、氷河の氷の固まりが海の中に落ち、プカプカと海面を漂っているのがみえます。小さ
な飛行場に着くと、めったに来れないそうで機長始めフライトアテンデントも一緒にバスに乗り込み、10分ほど離れたイ
ヌイットの村へ向かいました。今のイヌイットの人たちはシベリアからアメリカ大陸の北端を横切り、グリーンランドへや
ってきた第五派の人達で、何万年かかけての移動、移住の最後にあたるそうです。
それとは逆に千年ほど前、アメリカへと渡っていったバイキングの人達の足跡を調査する為に、デンマーク人が100年
余り前にグリーンランドに行った時に、イヌイットの人達に出会ったそうです。原始狩猟採集生活をしていたようです。

今はキリスト教徒になり、村にはマーケットもあります。
海辺には高山植物でアルプスに咲く小さな苔科の花が咲いていました。そして今もアザラシと共存した生活を送ってい
ます。帰りはエンジン付きのボートで、イヌイットの人に水面を走り、飛行場近くまで送ってもらいました。

そして、間欠泉が吹き上げ、緑の葉が茂る木や赤茶けた土のある島アイスランドへ戻りました。


 35. なわばり


高校生のころ、コンラッド・ロレンツの書いた"TERRITORY"という本を読みました。
雀が電線に一定間隔をおいて、止まっているのを観察しているうち"なわばり"を、互いに守り侵さないのが、その背後
にあることを述べていたと思います。

今西錦士博士は、水に住む魚が住み分けることを証明しました。

今では、すべての生き物は"なわばり"の中で生活しているのが、常識になりました。
勿論、人もその例外ではありません。
海外旅行では、私たちは日本の縄張りを後にして未知の国の縄張りに、しばらくおじゃますることになります。敷居が高
い思いをすることになります。どうすれば、ともすれば固く、窮屈になりやすい、あるいは誤解しやすい状況を打破出来
るのでしょうか?
私は日本と大陸の国との一番の違いは、安全への姿勢だと思います。
"安全は金を払ってでもすべきもの"と言ったのは、"ユダヤ人と日本人"の名著です。
せめて旅行中は姿勢を正しくして、背筋を伸ばして周囲をみましょう。相手も初対面の私たちに不安を感じ、警戒してい
ます。従い、こちらから挨拶や、お願いします、ありがとう、の言葉とともに笑顔で話しかける積極性を持ちたいもので
す。
"日本人は特別なんだ"という考えは、賛同を得にくいように思います。また相手の眼をみて話すことも大切です。この
国の長い歴史の中で、今初めて自由に自分の意志で、海外に旅行が出来るようになりました。
ポルトガルに住む日本人の友人は、言いました。
こうすればもっと良くなるだろうと思うことはたくさんあるが、ポルトガルの国にいる以上、差し出がましい言葉は慎んで
いる。それが、他のなわばりで暮らして行く秘訣だと。
また帰化してその国の人となったある人は、言います。
自分の意志で愛する国の人となったのだから、ただ生まれたというだけで生きている人には、遠慮せずどんどん言う
と。

なわばりは"くせ"という言葉に置き換えてもいいでしょう。
250年もの昔、大阪の町人学者富永仲基は、日本人は"閉鎖ぐせ"があると言いました。
物理的な鎖国は、明治の開国で終わりました。ただ、心の鎖国はどうでしょうか?


36. 7日を決めたのは誰?


とりとめのないことですが、7日を一区切りとしたのは誰でしょう?
聖書では、神が天地創造の際、6日働いて1日休んだことになっっています。
それにしても良く出来ているし、吉兆の数字です。
バビロニア人ヤギリシャ人が裸眼でみえる星の中で、地球と縁がある7つの星を1週間に当てたのも当を得ています。
薄ら覚えですが、メキシコのティオティアカンの遺跡の中に、52枚のパネルがあったように思います。1年は、7日X52
週であり、遠くメキシコにあっても同様の考えをしていたのでしょう。
また中国にあっても、火曜から土曜を火(ひ)、水(みず)、木(き)、金(かね)、土(つち)と大地に住む者にとり、大切な
要素を名前とした才能も見事と言うほかありません。

ただ人にとり先史 時代(文字以前)を、旧石器、新石器といいますが、その石が曜日に入っていないのは何故でしょう
か?
便利という道具(石)を越えた、自然を称える視点から7日を命名したということでしょうか?


 37. 神様になってしまったシシリー島


3つの鋭角を持った島(トゥリナクリア)として古代より知られたのがシシリーです。
地中海で最大の島で、丁度真ん中に位置し、北は狭いメッシナ海峡を挟んでヨーロッパにひっつかんばかりに接近して
おり、南はチュニジアにさほど遠くありません。
このシシリーの地を治めるものは、地中海世界に睨みを効かすことができます。
古よりずーと地元出身者ではない、よそからやってきた者に支配される運命にありました。
フェニキア、ギリシャ、カルタゴ、ローマ、東ローマ、サラセン、ノルマン、ドイツ、フランス、スペインなど枚挙にいとまが
ありません。
ボクサーが練習で、叩くサンドバッグのように叩かれ続けたシシリーです。

神は右の頬の次には他の頬も打たれよと言われますが、まさにシシリーこそ神の言う通りに生きた歴史です。すでに神
様になってしまったのかも知れません。

テコの原理、ネジの原理、鏡を使って太陽の光を集中させ攻め寄せてきたローマ軍の船を焼き払ったり、王の冠の容
積を計る知恵を入浴中に発見し、あまりの嬉しさに我を忘れ裸でシラクサの町を走った人が、アルキメデス(紀元前3
世紀)でした。シシリー島のシラクサの都市国家は、アテネと並び称されたほどでした。

そして、やがて彼は思考に没頭するあまり、ローマ軍が上陸し、家に侵入したことに気付かず1兵士に殺されてしまい
ました。

南イタリアの代表は、シシリー島です。


38. 生きのも感覚(Sense of Wonder)の欠如は、あなたをどこへ?


高血圧のお年寄りが薬を数日取るのを忘れ、結果入院しました。総合病院では、頭、心臓、肺、胃腸などもろもろの検
査を行いました。そしてそれぞれの検査結果に基づき、治療の為の薬が処方されました。
このお年寄りの担当医は、家族の者を呼び、これだけの薬を取れば、おそらくとんでもない事になるでしょう。と言いま
した。
専門化した現代の医療の実態を垣間見せています。人は、生きものであり、総合であり、かつ絶えず変化しています。
全体を観た上で、各所の手当を行う医療が欠けています。

200年もの昔、ヨーロッパではリンネが植物を分類して、それを統合して、植物体系をラテン語で作りました。また、フ
ンボルトは、鉱石を体系づけました。
分類して統合する知恵を初めて作り、その後の理解、発展に多大の貢献をしています。

生きものは、すべて38億年の歴史を共に歩んだDNAを通じての関係であり、急いで判断すべき存在ではないそうで
す。時間をかけて、互いに共通するところ、あるいは特長のある違いを認めあう生活態度が、日常に、あるいは海外旅
行にも大切だと思います。

科学と生きもの感覚の融合が21世紀を造るようです。
文明の力である飛行機や、その他の乗り物を使うことで時間が節約され、メディア(雑誌、テレビ、インターネットなど)
のお陰で、前もって海外の情報は手に入ります。

さて、肝心の生きもの感覚はどうでしょう?
"百聞一見"、"温故知新"は、旅のキーワードです。


 39. 自然と人工の綾アメリカ


世界一の不夜城、ラスベガスからセスナ機で小一時間の所にあるグランドキャニオンは谷底から千メートルの崖の上
にあります。5億年前の石に触ったのを思い出します。

マンハッタン島の摩天楼の中に、セントラルパークがあります。氷河が削っていった跡が残る岩が露出しています。自
然史博物館とメトロポリタン博物館(人間がつくった物を展示)が、近くにあるのも面白いと思います。

マイアミのビーチには、モダンな建物が集中しています。そして近くには、エバーグリーンの湿地帯や、キーウェストの
飛び石状の島々がキューバに届かんばかりに連なっています。

オーランドには、ディズニーワールドやユニバーサルスタジオなどのテーマパークがあります。そこは、元々鰐が住んで
いた所とか。そして近くには、ケネディ宇宙センターがあります。ここには、本当に鰐が住んでいて道路端で昼寝をして
いたりします。

風邪の街、シカゴも美しい建築物の見本市のような所です。そして海かと見間違う程、大きなミシガン湖が前面に広が
っています。

ボストンは、独立戦争ゆかりの街です。古いものと新しいものが共存しています。そして近くのタラ岬には、メイフラワー
号に乗ってやってきたピルグリムファーザーズ達のコロニーがあります。17世紀初めの彼らの生活をそのまま言葉、
家、衣装、風景環境など全てを再現しています。タラ岬に住む人達があげて協力し、無償で働いています。

総じて、この国の街は高層ビル群を中心に、碁盤の目のような道路に沿って倉庫のような建物が建ち並び、その周囲
は自然がのさばっている感じです。
そしてこの自然に呼応して、明るく、前向きに胸を張って、夢を語り、新たにやってくる人に、やさしく手をさしのべるオー
プンなアメリカ人こそ、この国の堪らない魅力です。


 40. ピラミッドより古いハイポジューム(地下神殿)を持つマルタ島


マルタ島という小さな独立国家が、シシリー島のそばにあります。
十字軍 騎士団の末裔の国です。3つの島から成っています。
驚くのは、先史時代(文字を持つ以前)の巨石遺跡が地上に残り、それより古く洞窟の中には、人が住んでいたこと、さ
らにこの洞窟はかってアフリカと繋がっていました。
一番驚くのは地下に人が石を使い、岩盤を掘って造った地下神殿を兼ねた墓のハイポジュムがあることです。エジプト
のピラミッド以前に、石で石を削り深さ20メートル前後、縦横の広さのかなりの空間を地下神殿として、造った人達は
誰なのでしょうか?
造り方も粗雑なものでは決してなく、陽の光が穴の奥まった所にある聖所に届くように設計されています。。
今は、ユネスコの世界遺産となり、予約した上で人数制限をされ、専任案内人が連れてまわります。地下神殿の底から
エレベーターで地上に戻ったときには、感動で満たされていました。



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